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「みんな違って、みんないい」社会をめざして【前編】

数分話をしただけで、幅広い知識を持ち、物事を深く考える人なのだとわかる。それでいて少しも鼻にかけるようなところがなく、むしろ慎み深い。物腰もやわらかだ。そんな靜澄永さんの心の中にも、ついこの間まで嵐が吹き荒れていたという。つらい時期を経てきたからこそ、今のおだやかな靜さんがあるのだろうか。

2016/05/23/Mon
Photo : Mayumi Suzuki Text : Yuko Suzuki
靜 澄永 / Sumie Shizuka

1972年、東京都生まれ。大学卒業後、アルバイトや派遣社員としてITの世界に入り、徐々に仕事の幅を広げていくが病気を患い休職。現在は週に数回、セッションバーでアルバイトをしながら、レインボーカラーのアクセサリーや雑貨などをオーダー/セミオーダーで製作・販売、またジェンダーフリーのメイク講座、写真撮影なども請け負っている。

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INDEX
01 もう、我慢は止め!
02 お母さんは、女神さま
03 おませだった子ども時代
04 女子校シンドロームだと思っていた
05 大好きな母親を奪われて
==================(後編)========================
06 女性のほうが好き…… なのかも?
07 さまようセクシュアリティ
08 理性のフタをとる
09 私は、レズビアンです
10 LGBTを人権問題としてとらえたい

01もう、我慢は止め!

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ずっと、「ねばならない」に縛られていた

レズビアンであることを自認したのは、3年前。

きっかけは、40歳を過ぎたことだった。

「私には、妙に生真面目なところがあって、たとえば食べ物で言えば、本当はセロリが嫌いだけれど無理をすれば食べられる。というか、食べ物は残してはいけないと、嫌いなものも何とか我慢して食べ続けていました」

しかし、40歳を過ぎたある日、ふと気がついた。

この先、成長するなんてことはあるまい。セロリは体にいいのだからと自分に言い聞かせて食べてきたけれど、この年齢になれば栄養が偏ろうが関係ない。

もう、本能まわりの我慢はやめよう! そう思った。

「私は子どもの頃から、”ねばならない” の言葉に縛られていたんです」

物心ついた頃には、家に父親はいなかった。

母親が仕事に出ている間はよその家に預けられることも多かったため、つねに「人には迷惑をかけてはいけない」「きちんとしていなくては」という気持ちが強くあったのだ。

「根本には、母の言うことは聞かねばならない、という思いがありました。食べ物に関しても、母から『出されたものは、すべて食べるのが礼儀』という教育を受けていたので、それを律儀にずっと守り続け、セロリも春菊もグリーンピースも我慢しながら食べてきたのです」

やっぱり殿方は好きじゃない

食べ物以外のことついても、心の中は「いけない」「ねばならない」のオンパレード。

苦手なことはすべてそうだった。

大学に入り、男子学生とも交流はあったが、靜さんにとって男性は「汚い、臭い」存在。

苦手だった。

「友達としては付き合えるんですよ。でも、どうも好きになれない。だから周囲にも『男は嫌い』と言っていました。すると仲がいい男子学生が『おまえの、その男嫌いを何とか直さないと』って。その言葉を聞いて私は、そうかこれは克服しないといけない、女性は男性を好きにならねばいけないのかと」

「親しい人に言われたからこそ、なんとか男嫌いを直さなくちゃと思ったんでしょうね」

以来ずっと、男性を好きになろうと「努力してきた」。

「でも、食べ物の我慢をやめたことで心が楽になった時、あれ? 殿方のことも嫌いでいいじゃん、と思ったんですよ」

そこでまず、ブログやSNS上で自分は男性が好きではないことを表明。

「『殿方が好きではない』と文字にしてみたら、思った以上に心が解放され、ました。そうか、そういうこと(=自分はレズビアン)だったのかと。”ねばならない” のおかげで、ずいぶん遠回りをしてしまいました」

02お母さんは、女神さま

母親を困らせてはいけない

靜さんを縛り、本能にフタをし続けた「ねばならない」という言葉。

それは前述のように、家庭環境からくるものだった。

「母の足を引っ張ってはいけない。いい子でいなくちゃいけないと、つねに思っていました」

母親というのは、子どもにとって大事な存在だ。

とくに乳飲み児の時期は、母親がいなければ命の危機にも見舞われかねない。

「母親というのは本当に崇高な存在だと思います。ましてや私の場合は母子家庭でひとりっ子なので、自分を守り育ててくれる母親は、女神さまに等しい存在でした」

美しくて、仕事もできる。そんな母親が自慢だった。

母親を困らせるようなことをしてはいけない。
だから、母親の言いつけは守ったし、いつも周りを気遣い、わがままを言いたくても飲み込んだ。

「すべて、お母さんに迷惑をかけないためでした。そうやって知らず知らずのうちに、自分の本当の気持ちに蓋をして本能を心の奥底にどんどん押し込んでいったのでしょうね。でも、当時はそれを苦しいと思わなかった」

「いえ、気付かなかったんです」

普通って、何?

母親は、決して強権的な人ではなかった。

「母は、子どもの頃に貧しくて苦労し、我慢をたくさんしたので、娘に同じ思いをさせたくないという気持ちが強かったようです。将来の選択肢は多ければ多いほうがいいと、私にありとあらゆることを体験させてくれました」

たとえば習いごと。スキー、フィギュアスケート、水泳、バレエ、英会話教室・・・・・・ と、とりあえず何でもさせてくれた。

「スキーやスケートなんて、私に教えるために母自身が体験して、ある程度のスキルを身につけていました。完全な過干渉、過保護です(笑)。でも、私が嫌がればそれ以上押しつけることはなかったし、私がやりたいと思ったことに対して『NO』と言ったことはありませんでした」

そんな母親のことが大好きだったが、どうしても相容れない部分があった。

「私は幼い頃から『普通は』という言葉にすごく敏感でした。世間一般では普通とされない、片親の環境で育ったせいもあるのでしょう」

「普通って何? 私の家の何が悪いんだ、という怒りをつねに抱えていたような気がします。でも、多くの人が不用意にこの言葉を使いませんか? 母もそうでした」

たとえば、二人の間で意見がぶつかったとき、母親は「普通はそういうことはしない」と言う。

それに対して「うちのどこが普通なの? 言ってみて!」と噛み付いた。

「また、私はわりと早い時期からジェンダーの刷り込みに対して違和感を抱いていました。大人たちはすぐ『男の子なんだから』『女の子らしく』と言ってジェンダーを押しつける。そのことに、どうも納得いかなくて」

だが、この点でも母親と衝突した。

「母は日頃から『私はあなたのお母さんでもあるけど、お父さん役もしなくちゃいけない。女だからとか女らしくなんて言ってられないわ』なんて言っているくせに、私には『女の子なんだから』と言うわけです。『何なの、そのダブスタ(ダブルスタンダード)は!』と猛烈に反発しました」

母親のことが好きで、頼れる唯一の存在だからこそ、自分にとって重要な考え方や価値観を共有できないのがもどかしく、腹立たしかった。

03おませだった子ども時代

「みんな違って、みんないい」社会をめざして【前編】,03おませだった子ども時代,靜 澄永,レズビアン

本を読み、文章を書くのが大好きだった

中学生ですでにジェンダーの差異に敏感だった、と聞くだけで、靜さんは子どもの頃からかなり大人びていたのだろうとわかる。

「本をたくさん読んでいたせいかな。母は、私を作家にするという壮大な夢を持っていたらしく(笑)、幼い頃から本をたくさん買い与えてくれたんです。そのおかげで私も本が大好きになり、母が仕事で家にいない間はずっと本を読んでいました」

「家にひとりでいるのが当たり前、猫を飼ってもいたのでちっとも寂しくなかったんですよ」

やがて自分でも物を書くように。

小学生の頃に作文や詩、エッセイなどの通信添削指導を受けていて、それがこの上なく楽しかった。

中学時代は、女子校ということもあってか同人誌がとても身近だった。当時はパロディ文化が真っ盛りで、パロディ小説から書き始めたという。

さらに、とある雑誌に詩を投稿するように。

本を読み、自分でも文章を書く。
それによって知識は深まり、語彙も増える。同級生の中では一歩、先に進んだ存在だったのだろう。

「いえいえ、周りから浮いていただけです(笑)」

奥手の耳年増!?

大人と接する機会が多かったことも、靜さんの人間形成に大きく影響したようだ。

夏休みなど長い休暇には、母方の祖父母の家に預けられた。日舞を趣味としていた祖母に連れられ、踊りの稽古に。祖父ともたくさん話をし、いろいろなことを教わった。

「私立中学を受験する際、母親のいとこの友人が家庭教師としてついてくれたのですが、その人からもいろいろ悪いことを(笑)。夢枕獏や菊地秀行といった、エンタテインメント作家の小説の世界にのめり込んだのも、ホラー映画にはまったのもその人の影響です」

その結果、同級生に比べると興味や関心の幅が広く、深くなった。

「祖母の家の納屋には、母の弟が営む喫茶店に置いてあったマンガや男性誌、エロ系の雑誌のお下がりがたくさん積まれていて、読み放題(笑)」

「周囲は女子だけという環境で恋愛にも性にも奥手だったのに、情報と知識だけはいっぱいの耳年増でした」

04女子校シンドロームだと思っていた

人生最高のモテ期を経験

靜さんは「周囲から浮いていた」と言うが、それは同級生にとって靜さんは、 つるむ仲間 というより一目置かれる存在だったというのが本当のところのようだ。

事実、「女子校時代が人生最高のモテ期だった」という。

「身長が高かったわけではなく、ボーイッシュでかっこいいというタイプでもなかった。なのに、ラブレターをもらったり、非常階段に呼び出されていきなり告白されたりということが、よくありました」

下級生が上級生の姿に憧れを抱いて、という話はよく聞くが、相手は同級生がほとんど。

外見のかっこよさに惹かれてというより、精神的に頼れる存在として求められたのだろう。

「たしかに、ふだんから同級生にはよく相談を持ちかけられていました。ある程度、知識も情報もあったので、彼女たちから頼られたんでしょう」

ただ、好意を寄せられるのも女子校特有の擬似恋愛のようなもの、いわゆる ”恋愛シンドローム” だと思っていた。

だから、どんなに慕われても相手の気持ちに応えることは、とくにしなかったという。

恋愛感情だとは、思いもよらず

それでもひとりだけ、他の同級生たちとは別格で仲良くしていた子がいた。

「中学入学当初から、彼女はなぜか知らないけれど、すごく私になついてくれて。私の誕生日やバレンタインデーには欠かさずに贈り物をしてくれる。私にはその理由がわからなかったので若干、鬱陶しくもあったのですが、彼女は家庭でいろいろな問題を抱えていて、放ってはおけなかったんです」

ただ、問題を解決してあげようにも同じ歳の、大人ではない自分には力に限りがあった。

結局、彼女の気持ちを受け止め、彼女の話に耳を傾け、彼女の心が壊れていかないように見守り続けることしかできない。

だから、ほかの慕ってくれる子たちにはしなかったのに、彼女にはバレンタインのお返しとして、ホワイトデーにペンダントを贈ったりもした。

「当時は、まさか彼女に対して自分が恋愛感情を抱いているなんて、思いもしませんでした。彼女の事情を知れば知るほど心配で、友達として気遣っていただけなのだと」

彼女とのそうしたつきあい方が、現在のセクシュアリティの礎になっているのだと認識できたのは、ずっと後のことだ。

05大好きな母親を奪われて

「みんな違って、みんないい」社会をめざして【前編】,05大好きな母親を奪われて,靜 澄永,レズビアン

グレてやる!

実は、小・中学年から高校にかけては、セクシュアリティについて悩むどころではなかった。

小学校4年生の時、父親と母親が正式に離婚した。

「ある日、母に散歩に連れ出されて『離婚届にハンコを押すけど、いい?』と聞かれました。私としては、父親はずっと家にいなかったので、いいも悪いもありません。お母さんの好きなようにすればいい、と思いました」

ところが後日、祖母からある話を聞かされ、大きく動揺する。

「あなたのお母さん、お父さんとは初婚じゃなかったんだよと、祖母が言うんです。それは事実とは違うのですが、祖母の頭の中ではなぜかそういうことになっていたようで(笑)」

今でこそ「祖母は、実はかなりエキセントリックな人だった」と笑って話せるが、当時は、「お母さんはお父さんとの前にも結婚していた」という祖母からの架空の情報に、かなりショックを受けた。

「それまで女神さまのように思っていた母が、ひどく汚れてしまったような気がしました。そこで何かがプツンと切れて、グレてやる! って」

「まあ、小学生がグレるなんてたかがしれていて、実際には大したことはやっていないんですけど(笑)」

しかし、心の中には母親に対するわだかまりが生まれ、荒れていく。

まさに愛憎相半ば、大好きだっただけに反発心も大きくなる一方だった。

母の再婚

中学校に進む頃には反抗期も重なり、母親と衝突してばかりいた。

何をされても腹が立つ。

それはまあ、思春期のまっただ中にある子どもとしては、大人に向けて順調に発達している証でもあろう。

思春期の心の荒れは、時が経つにつれおさまっていくものだ。しかし、荒れがさらに激しくなるような出来事が起きた。

母親の再婚だ。

「高校に上がろうという時でした。ある日、母から『おつきあいしている人がいる』と言われたんです。相手は、母よりもなんと12歳も年下の教育者。今なら、へえ、そうなんだと思えますが、何しろ多感な時期だったので、再婚? しかもそんなに年下? と何もかも気に入りませんでした」

「好きにすれば」と言い、その時点で母親に対して心のシャッターを降ろした。

ほどなく母親のパートナーが家にやってきて、「君のお母さんと結婚しようと思う」と言った。

「初対面だし、私はまだ母の再婚を許していたわけではありません。まずは『結婚してもいいですか?』と聞くのが筋でしょ、と怒りがこみ上げてきて。その瞬間、彼に対してもバーンと、心のシャッターを降ろしましたよ」

それでも、ふたりの再婚を妨げるようなことはしなかった。

それどころか彼らの結婚式の際は、母親の立会人を務めたほどだ。

再婚を受け入れられないでいた裏には「大好きなお母さんを奪われた!」という気持ちも強くあったという。

でも、心の奥底ではやはり母親の幸せを願っていたのだろう。

「でも、当時はそんな自分の思いには気がつかなくて・・・・・・ つねに、はりねずみのように神経を尖らせ、母にきつい言葉を投げつける。そんな私をどう扱っていいかわからず、母もぴりぴりしていました。その様子に私はまたイライラして・・・・・・ 修羅の日々でした」

<<<後編 2016/05/23/Mon>>>
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06 女性のほうが好き・・・・・・ なのかも?
07 さまようセクシュアリティ
08 理性のフタをとる
09 私は、レズビアンです
10 LGBTを人権問題としてとらえたい

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