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出会い系と精神の病に揺れた半生【前編】

ある日、ネット上に現れた男性の写真を見て、心のどこかが反応した。刹那的な快楽とスリルを求めて、いつしか出会いを繰り返すようになる。そんなある日、精神が悲鳴をあげ、閉鎖病棟に緊急入院。1年以上に及ぶ闘病生活を乗り越えて、ようやく社会復帰を果たした。ゲイと統合失調症に悩んだ半生を、今、語る。

2019/05/19/Sun
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Shintaro Makino
榎本 俊一 / Shunichi Enomoto

1984年、新潟県生まれ。小学校4年生のときに給食が原因で登校拒否に。中学2年生以降も登校することがあまりできなかった。引きこもりの状態でネットを見るうちにゲイの世界に興味を覚え、16歳で出会い系に足を踏み入れる。22歳で突然の錯乱、統合失調症と診断される。地域活動センターに通いながら、自立した生活を取り戻している。

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INDEX
01 一番仲が良かった、明るいお母さん
02 小4の登校拒否がつまずきの始まり
03 引きこもりが続いた中学の3年間
04 知らなかった世界への扉が開く
05 突然、目覚めたゲイへの興味と初体験
==================(後編)========================
06 ゲイを自認し、出会いを繰り返す
07 錯乱状態となり、精神病院に送られる
08 すべてを両親の前で吐き出した
09 初めてつき合ったイケメンの男
10 友だち、一人暮らし、そして、次のステップ

01 一番仲が良かった、明るいお母さん

きょうだい仲のいい明るい家庭

新潟県で生まれ育った。3歳上の姉と2つ下の弟の3人兄弟だ。

「新潟県内で、何度か引越しをしました」

「お母さんはちょっと天然のところがあって、かわいい人です。いつも明るくて元気です」

お母さんが好きで、いつも一緒にいた。自らお母さん子を公言している。

「見た目は、ぽっちゃりタイプです。やさしいけど、怒るとヒステリーになることがあります(笑)」

お姉ちゃんもお母さんに似て明るい性格だ。

「お姉ちゃんは、お茶目で陽気ですね。一緒にいて楽しい人です。子どものころはよくケンカをしましたけど、すぐに仲直りしました」

女性が元気な家庭は明るくなる。

「でも、お父さんは変人でした(笑)」

自分がまだ小学生の頃のこと。

「ドライブスルー式のファストフードを利用すると、父は運転席のドアを開けずに、毎回後部座席のドアを開けるんですよ」

「自分たちに注文をさせてお会計もされるんですよね。それは、社会経験としてじゃないんです」

「今でも、姪っ子にそうしてるみたいで・・・・・・。外では社交的なんですが、買い物とかそういうシーンになると、なぜか謎な言動で不思議です」

家計を支えたのはお母さん

お父さんは種子島の裕福な家の出だ。

「若いときに東京に出て生活をしていたんですが、体を壊して新潟に引っ越してきたそうです」

新潟出身のお母さんとは見合い結婚で結ばれた。

「ぼくが13歳くらいまでは自営業をしていましたが、その後は働かないで家にずっといました」

家計を支えたのはお母さんだ。

「ほか弁の工場なんかで働いていましたね。お母さんだけ働かせて、何もしないお父さんのことが当時は嫌いになりました」

口げんかをしているところを見ると、いつもお母さんの側につきたい気持ちになった。

「お姉ちゃんや弟は話をしていましたけど、自分はお父さんと口をきくことがほとんどなくなりました」

父親像は、無口で難しい人のまま固まってしまった。

02小4の登校拒否がつまずきの始まり

勉強もスポーツも人並みに好き

地元の公立小学校に入学。

「はたから見たら、内気で大人しい子どもだったでしょうね。目立つ子と大人しい子の中間くらいですかね」

しかし、自分には内に秘めたものがあった、と思っている。

勉強は嫌いではなく、成績は平均くらい。小学校5年生のときに、友だちに誘われて野球部に入った。

「ダウンタウンのバラエティ番組の真似をしたり、仮面ライダーの変身ベルトで遊んだりしていました」

そのほか、好きだったのは「ドラゴンクエスト」。
近所の友だちとよく遊んだ。

「6歳のときにファミコンを買ってもらって、こんなに面白いものがあるのか、とびっくりしたのを覚えています」

一方で、親や先生から褒められた記憶はあまりない。

「『お前はできない』と、叱られたことは覚えていますけどね」

自動鉛筆削り機が家に来たとき、あまりにも面白くて、鉛筆を次から次へと何本も削った。それを見ていたらメラメラとした気持ちが沸いてきた。

「削った鉛筆を束にして、お姉ちゃんの腹にグサッと突き刺したんですよ(笑)」

もちろん、他愛のない姉弟げんかのワンシーンだろうが、なぜか記憶に深く残っている。

「そのことを話したら、お姉ちゃんは覚えていませんでしたけどね」

給食が原因で登校拒否となる

小学校4年生のときに、辛い体験をする。

「給食のときに、食べ物を残しちゃいけないと言われて、昼休みも一人だけ居残りになりました」

みんなで席を寄せ合って食べるのが苦手だった。それが原因で給食が喉を通らなくなるのだった。

「お母さんにも相談して学校にも話してもらいましたけど、何も解決はしませんでした」

ついに学校に行きたくなり、登校を拒否するようになった。

「一度だけ、お母さんにむりやりに学校に連れていかれましたが、やっぱりだめでした」

「家にいるときはゲームをしたり・・・・・・。ずっと引きこもっていました」

結局、5年生の春まで長期間、休むことになってしまった。

「学校に戻るきっかけは・・・・・・、何だったのかな、特になかったですね。また、行こうかな、と思っただけです」

気持ちがハイになるときとダウンするときの差が激しいと、自分でも気がついていた。

03引きこもりが続いた中学の3年間

ささいなことで歯車が狂った

公立の中学に進学。
新学期は問題なく登校。

当初は学校生活も楽しかったが、次第にうまくいかないことが増えてくる。

「掃除用具を整理する係になっていたんですけど、あるとき床のワックスがけに使うバケツが見つからなかったんです」

誰かが理科室のバケツを使っちゃおうよ、と言い出して、それを使っていると・・・・・・。

「担当だった美術の先生に、『違うバケツじゃないか!』と怒られたんです」

自分のせいじゃないだろう。なぜ、自分が叱られるんだ。

思い返してみれば、ささいなことだが、そのときは何故か大きなショックを受けた。

クラブ活動のバレー部でも、次第に人間関係に悩み、やる気が失せていってしまった。

「クラスでもいじめられるようになりました」

「でも、思い返してみると、自分もいじめていた側だったことがあるんですよね。だから、いじめが返ってきたとも言えますよね・・・・・・」

当時は悔しくて、泣きながら家に帰ることもあった。

そんなときも頼りにしたいのは、いつもお母さんだった。

■再び登校拒否。家族との交渉もなくなった

中1の秋から再び登校拒否となる。

「面倒くさいな、行きたくないな、という気持ちでいっぱいになりました」

中学2年は、1日だけしか登校しなかった。

「家にいるときは、やっぱり、ゲームをしたり・・・・・・ですね。でも、バレー部の練習でやっていた腹筋は家でもしていました」

お父さんは家にいたが、一切、話すことはなかった。

「バットをつっかえ棒にして、ふすまが開かないようにしていました(苦笑)」

自分の部屋に引きこもり、次第に家族の誰とも顔を合わせることがなくなっていった。

「風呂は、みんなが寝静まった深夜にこっそりと入っていました」

「外にはほとんど出なかったけど、たまにゲームを買うために、夜中に出かけたりはしました」

そこで同級生に会うと、「白っ!」と笑われた。当時は日に焼けた色黒の男がカッコいいとされていたのだ。

家に引きこもっている自分の肌をよくよく見ると、確かに真っ白だった。

描けない将来の展望

実は、お姉ちゃんにも登校拒否の前歴があった。

「真似をしたわけではありませんけど、普通の人より罪の意識が弱かったかもしれませんね」

弟はもっとひどかった。

「弟は問題児でした。近くの工場の窓に石を投げて割ったりして、親が呼び出されていました(苦笑)」

「一番、辛かったのは、お母さんが責任を感じていたことです」

「ごめんね。お母さんの育て方が悪かったんだね」といって泣かれると、さすがに迷惑をかけているという自責の念に駆られた。

中学3年の春の修学旅行から通学を再開したが、夏休みの後、また行きたくなくなった。

「高校受験が近くなって、みんな一生懸命に勉強をしているんですよ。でも、ぼくはふざけたいだけでしょ(笑)」

「せっかく学校に行っても、面白くなかったですね」

秋から、また家に引きこもった。
中学はなんとか卒業させてもらった。

しかし、高校に進学することも就職することも考えられず、将来の展望はまったく描けなかった。

04知らなかった世界への扉が開く

初めてのガールフレンド

中学卒業まで親友と呼べる友人はいなかったが、親しくなった女の子がひとりいた。

「小学校5年生のときに転校してきた子で、かなりませた感じの子でしたね」

服装や髪型も大人びて、よく目立つ子だった。

「その子の家にみんなで集まって、よくホームパーティーの真似事をしました」

「コーンスープを作ってくれたり・・・・・・。会費は200円でした(笑)」

その子が率先して、大人っぽい遊びを持ち込んだ。そして、いつしか彼女とデートもするようになった。

「グイグイと迫られる感じでした」

6年生のときにキスを体験。同じ中学に進んだ後も、関係はなんとなく続いた。

「最初のうちは隠してつき合っていましたけど、そのうちに気にしないでいこうということになりました」

引きこもりがちになって学校を休んでいる間も、ときどき連絡を取り合って会うこともあった。

ドリームキャストで世界が広がった

性的な行為に目覚めたのは、小学校6年のころだった。

「お父さんが隠し持っていたアダルトビデオを探し出して、家でこっそり観ていました」

リーダーはお姉ちゃんだった。
3歳年上のお姉ちゃんは、思春期まっただ中。

弟を積極的に大人の世界に導いた。

「観たことがバレると、お父さんが隠し場所を変えるんですけど、またそれを探し出して・・・・・・(笑)」

イタチごっこのスリルを味わいながら、次第に興味を募らせていった。

世界を広げてくれたもうひとつの扉が、ドリームキャストだった。

「中3のときにお年玉をかき集めて買いました」

この夢のゲームマシンはモデムを使ってネットにつなぐことが可能だった。

今に比べれば通信速度は信じられないほど遅かったが、それでも知らない世界を覗く大きな窓になった。

05突然、目覚めたゲイへの興味と初体験

ネット上に現れた男性の画像

中学を卒業しても、家にいることが多かった。
15歳のときに通信制の高校に入学したが、たった1日通っただけでやめてしまった。

そんなときだった。

「ドリームキャストをいじっていたら、突然、男性の画像が出てきたんです。驚きましたね」

振り返れば、修学旅行のときに、なんとなく同級生の裸に興味を持ったことがあった。しかし、それを性の対象と考えたわけではなかった。

「“ホモ” って呼ばれていたゲーム友だちがいたんですよ。でも、ホモがいったい何なのか、よく分かりませんでした」

つき合っている彼女もいたし、まさか自分が同性愛に興味があるとは考えたこともなかった。

「ところが、その男の画像を見てから、急に気になりだして・・・・・・。掲示板やチャットにアクセスをするようになったんです」

自分の心のどこかにゲイの種子が宿っていたのか?

息吹き始めた欲望はみるみる大きくなった。

写真も見ていない相手

初体験は16歳のときだった。

「初めてのときは、ものすごく緊張しました。ビクビクでしたね」

待ち合わせ場所に立っている相手を遠目に見ながら、何度か行きつ戻りつをした。
この数年間、ろくに友だちにも会っていない。

緊張して当然だ。

「その当時はネットといっても、写真を自由に送る環境ではありませんでした。自撮りもできませんでした」

写真も見たことがない相手。
でも、きっとあの人だろう。
次第に恐怖心が強くなった。このまま帰ろうか・・・・・・。

一人の葛藤が続いた。

「でも、勇気を出して声をかけました」

地元に住む30歳代の男性だった。

終わった後の感想は、意外にも「気持ち悪かった」。

そこにあったのは、肉体の関係だけ。感情や愛情が入り込む場ではなかった。

思い切ってこじ開けた世界は、期待に反して後味が悪かった。

彼女との初体験は失敗に終わる

初体験の翌日、彼女とデートの約束をしていた。

ところが、思わぬなりゆきでベッドインが実現することに・・・・・・。

「彼女とはそれが初めてになるはずでした」

それまでつき合ってはいたが、最後の一線は超えていなかったのだ。

ところが、寸前までいったものの、うまくいかない。

「前の日のことが後ろめたかったのだと思います」

男性は精神的な圧力に弱い。結局、その夜、行為は成就しないままに別れてしまった。

もちろん、その理由は話せなかった。

「彼女にカミングアウトしたのは、それから2年ほど経ってからです」

「実は、男の人とヤッちゃったんだよ」と告白すると、「私も女の人と寝たことがある」といわれた。

「ああ、そうなんだ、とお互いに認め合いました」

 

<<<後編 2019/05/21/Tue>>>
INDEX

06 ゲイを自認し、出会いを繰り返す
07 錯乱状態となり、精神病院に送られる
08 すべてを両親の前で吐き出した
09 初めてつき合ったイケメンの男
10 友だち、一人暮らし、そして、次のステップ

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