02 自分は男なんだと自覚して
03 いや、腐男子なんだと自覚する
04 からかう周りを、見下していた
05 男と女の気持ち悪い分かれ方
==================(後編)========================
06 初めて好きになった男の人
07 高校でプチ不登校になる
08 その原因は、発達障害
09 結局、誰も悪くないんだよ
10 私、Xジェンダーなんだ
01勝負事より、歌うことが好き
発達障害の傾向があった
落ち着きがなく、活発な子どもだった。
「ずっと動き回ってて、親にはネズミにたとえられるくらいでした」
記憶力も、ずば抜けてよかった。
「3歳くらいだったかな。車のホイールカバーを見ると、その車種がわかっちゃう。あれが、人の顔に見えてたんですよね、私には」
ホイールカバーを見て、車種を言い当てるのが、楽しかった。
記憶している最初の心象風景だ。
同じ頃、母に連れて行かれた病院のことも、記憶している。
「じっとしているのが苦手な私のことを、母も何かあやしいな、と思ったようで、一度、精神科に連れて行かれたんです」
医師に真剣に相談する母親に抱かれながらの診察中も、じっとしていることはできなかった。
「先生の机の引き出しを、ギーコギーコと、開けたり閉めたりしていました(笑)」
当時、もちろん自覚はなかったし、そう診断されることもなかったが、今になって思うと、この頃から発達障害の傾向があった。
「先生も本気にしなくて、『お母さん、この子は健康ですよ』と言うから、母もそれを信じるしかなくて・・・・・・」
勝負事より、歌うことを好む子ども
幼稚園に入ると、男児とワイワイ遊ぶよりも、女児と一緒にままごとをして遊ぶのを好んだ。
ままごと道具を使うのが好きで、お母さんや娘の役をやった。
お父さん役をした記憶はない。
「当時、男子は、広告のチラシをくるくる丸めて作った剣で戦って遊ぶんですけど、私は剣を作る方が好き(笑)。大量生産しました」
幼稚園にある遊び用の衣装、赤いロングスカートも、大のお気に入りだった。
ある日、そのスカートを、女の子と取り合った。
取っ組み合いになったが、結局、その子に負けてしまった。
「私、勝負事がすごい苦手。競うくらいなら、私が負けます、っていうところがあるんです」
父は、消防士。
柔道の有段者だから、この頃、当然のように柔道教室に連れて行かれた。
「ほんとうに行くのがいやで。戦いにいけない。挑むのがだめ。小学校低学年でやめちゃった」
そのかわり、音楽教室が大好きだった。
「ピアノはへただったけど、歌うことが好きだったんです」
きれいな声で、童謡を上手に歌った。
音楽教室には中学まで通い、のちに、コンクールに出場するほどになる。
絵本を読むのも好きだった。一度気に入ると、同じ本を何度でも読む。
逆に、ぜんぜん知らない本は、読む気になれなかった。
「小さい頃からオタク気質。子どもの頃の自分の写真を見ると、アニメの『おジャ魔女どれみ』のお面をつけて喜んでいるんです」
初恋は、幼稚園の先生。
折り紙の裏に「好き」と書いたラブレターを、先生のポケットにそっと入れた。
「年少クラスの先生でした。大人の女性です。すごく優しい感じの、美人な先生。ありがとう、って言ってくれて、うれしかったですね」
幼稚園に行くのは、とても楽しかった。
「でも確か、幼稚園の頃は『女の子になりたい』って言ってたんですよ」
02自分は男なんだと自覚して
男の子の政吾君としてふるまう
「・・・・・・でも、小学校に入ったら、自分は男だと自覚し始めて」
「スカートをはいて遊ぶこともないし、普通に男の子として、政吾君として、生活はしてました」
通ったのは、地元の小学校だった。
制服のある学校で、ランドセルの色も緑だったからか、服装や持ち物で困ることはなかった。
「小学生の頃はまだ、女の子のほうが好きだったし、割と女の子を意識したり、興味関心がありました」
「『プリキュア』なんかの女の子向けアニメが好きだったけど、それをからかわれるぐらいで、性別で困ったことはなかったですね」
でも、サッカーのクラブに通わされたときは、困った。
「本当に本当に行くのが嫌で、すぐやめました」
「運動が嫌。ボールは友だち、じゃなくて、敵です、みたいな感じ(笑)」
一番好きなことは、やっぱり音楽だった。
「歌のテストで先生にほめられて。早く音楽の授業来い! って思ってました」
「歌うことが、私の中では、自分の強みだったんです。どっちかっていうと、ほかに取り柄があるという自覚がなかったので」
「歌うことは、私にとって、武器だったんですね」
同級生と、話が合わなくなる
学芸会は、活躍の場だった。
「学芸会が大好きで、私のホームグラウンドみたいな感じ」
『泣いた赤鬼』では赤鬼役として、難易度の高い、涙を誘うシーンを見事に演じた。
歌ったり、演じたり、表現することが、好きだった。今も大好きだ。
「けっこう、変な子だったんです」
「昼休みにひとりで即興演劇やったり、コンサートするような子だったので、それを奇異な目で見られることが、多かったんです」
学校の先生は、評価してくれた。
「でも、同級生の受けは悪かったですね(苦笑)」
だから、親しい友だちはそれほどいなかった。
だんだん、自分と、周りの子たちとの間に、両者を隔てる膜のようなものを感じ始めていた。
小3のころ。
母の持っていた昭和歌謡のアルバム、ピンク・レディ、アン・ルイスなどを聴き始める。
小5のころ。
「クラスの女子は、アイドルグループ『嵐』に夢中になっていたけど、私はひっそりと、中島みゆきを聴いていました(笑)」
「興味の対象も違うし、話がぜんぜん合わなかったですね」
どこか大人びた小学生になっていた。
「だから、大人受けはよかったですね(笑)」
03いや、腐男子なんだと自覚する
小5で訪れた“性の目覚め”
小学校5年生のとき、衝撃的な出会いがあった。
ボーイズラブ(BL)だ。
家族で使うパソコンで、インターネットサーフィンをしていた。
「たまたまばったり、そういう男の子同士のイラストを見てしまって。あ、と思って、私、これ好きだなって自覚しました」
同人誌のウェブサイトだった。心がときめく。
「一言で表すなら、恋、でしょうか」
「すごい、ドキドキがとまらないよ、みたいな感じでした」
それまでもアニメは好きだったが、BL漫画やBLアニメの存在はまったく知らなかったから、突然の出会い、目覚めだ。
「なんだろう、男の子が好きっていうか、男の子同士の恋愛が好きだったんですね。オタク気質だから(笑)」
「セクマイというより、腐男子(笑)」
BL作品を愛好する腐女子をもじって、同様にBL作品を愛好する男子を、「腐男子」という。
腐男子イコール同性愛者、という図式は、成り立たない。
腐男子という呼称は、あくまでBLが好きだ、という趣味嗜好を指すにとどまる。
BLと突然の出会いを果たし、自分は確かにセクシュアルマイノリティ側にいると直感した。
でも、このときリアルタイムでは「自分は “腐男子” だ」と解釈していた。
「そのほうが、しっくりきたんですよね」
自分が腐男子であるからといって、同性愛者だとは限らない。
そういうことは、意識下に押しやった。
でも、BLが好きなことは、誰にも言えなかった。
人に打ち明けてはいけないものと、無意識に感じていたのかもしれない。
いつのまにか、学校でからかいの対象に
これと前後して、学校で「オカマ」などとからかわれるようになっていた。
きっかけは、得意のものまねを披露したことだった。
当時、IKKOやはるな愛が、テレビでオネエブームを牽引していた。
「私が声変わりが始まったときに、はるな愛さんの声真似が、すごく得意だったんです」
家族の前で披露してウケたから、学校でもきっとウケる。
同級生を笑わせたい。
そう思って、物真似しただけだった。
「逆にそれがあだになって、からかわれるようになっちゃって」
「周りからしてみれば、前々から疑いがあったのに、それが引き金になったみたいで」
男子からも、女子からも、からかわれるようになった。
「本当にそう思ってからかうというより『コイツをいじる』ための方向性、みたいな感じでしたね」
からかってくる同級生たち。
彼らに対して本気で怒るというよりも、どこか冷めた目で見ていた。
複雑な気持ちを抱えて
そんな生徒たちをたしなめる先生も、いなかった。
セクシュアルマイノリティについて、学校で啓発教育をするという時代ではなかった。
「そういう人はテレビに出ている人、みたいな風潮で、配慮はなかったですよね」
思えば、自分が生まれ育った地域は、保守的だったといえるかもしれない。
男の子はこうあるべき、女の子はこうあるべき、という規範意識が強かった。
「男の子が『プリキュア』を見てると、それだけで笑われるところだから」
でも自分は、『おジャ魔女どれみ』『カードキャプターさくら』など、女の子を主人公とするアニメが大好きで、それを見て育ったのだ。
そのことを、近所の住人にからかわれてしまったこともある。
小学校で、海外の同性婚が話題になったときがあった。
同性婚について好意的に話す大人たちは、そこにはいなかった。
それを察した時に、自分の心に葛藤が生まれた。
「そういうものに対して、うんうん、わかります、気持ち悪いよねって思いながらも、半分、自分はどうなのかなって、複雑な気持ちでした」
04からかう周りを見下していた
大人に相談してみた
性自認で、深刻に悩んでいたんじゃない。
自分が好きなものを、からかわれることが、嫌だった。
どうして、自分は周りとうまくいかないんだろう。
なんで、周りの人たちは、こんなに僕のことを否定的に見るんだろう。
そんなことをぐるぐる、ずっと、考え続けていた。苦しかった。
心を開いていた塾の先生に、思い切って相談してみた。
「それは、政吾君が大人だからだよ。まわりがついていけないんだよ」
塾の先生は、そう言ってくれた。
そうなんだ、と思うと気が楽になった。
でも、根本的な解決策ではなかった。
「周りが子どもだから、自分は大人なんだ、って天狗になる時もあって。だから余計、こじれますよね(苦笑)。やっぱり、周りを見下すから」
周りを見下していたのは、傷つきやすい自分を守るためだった。
小学校高学年になり、周囲とうまくいかなくなってきたことは、母にも相談していた。
そもそも母は、いつも自分のことを気にかけ、心配してくれていた。
家にいると、母がよく、問いかけてきた。
「政吾、すごく女の子っぽいけど、大丈夫?」
「あんた、本当に、男の子でいいの?」
母は、そう言いながら、自分を育てたように思う。
母には、こう答えていた。
「違うよ、ぼくは女の子が好きで、男だと思う」
「じゃあ、男の子らしくしなさい」と母。
そんなやりとりが、母との間で、しばらく続いていた。
05男と女の、気持ち悪い分かれ方
思春期の中学生の気持ち悪さ
地元の中学校に進学した。
思春期真っ只中の中学生たちは、男女のすみ分けにすっかり敏感になっていた。
そのことに、びっくりした。
「私がいちばん驚いたのは、なんだか急に男女がよそよそしくなったこと」
「小学校では、なになに君、なになにちゃん、と呼び合っていたのに、急に苗字に “さん” 付けして呼んだりして」
自分はまだ、あどけなかった。
「自覚が遅かったんです。小学校のときと同じように、女子の友だちをちゃん付けして呼んだら、気持ち悪いって言われちゃって」
「え? これが気持ち悪いの? って思って」
自分よりも先に周囲が、急激に変化を遂げていこうとすることに、戸惑った。
「周りが異性を気にしすぎるようになったタイミング。そのときから、違和感を覚えました」
「自分は男だとは思っていたけれど、男と女の、この気持ち悪い分かれ方はなんだろう、って感じました」
オネエいじりがエスカレート
中学校という新しい環境に、自分なりに、なじもうと思っていた。
合唱部はなかったから、吹奏楽部に入る。
ほんとうは、サックスを吹きたかったけれど、小学校の金管バンド部で鍛えたチューバの腕前を買われた。
「周りは女子しかいなくて。一緒に入った男子は途中でやめちゃって」
「それこそ女子の部員に、なんでお前いんの? みたいに言われちゃって」
中学1年のときは、密かに想う人がいた。同級生の美人の女子だった。
告白せずに、終わった恋だ。
否定したいけど、否定しきれない
気がつけば、心ない「いじり」も、ますますエスカレートしていた。
「オネエとかオカマとか、かけられる言葉もエスカレートしていって、学校の廊下を歩いているだけで言われたりしましたね」
うるさいな、と思った。
「最初はうるさい、って言ってたんだけど、そのうち、反論することに疲れちゃって」
この様子を見ても、とがめることもない学校の先生たち。
仲が良いから、からかっているんだと、完全に勘違いしていた。
もう、歯向かうことに、疲れていた。
怒る気力を削ぐほど、心に重くのしかかる疲労感だ。
僕は、オネエじゃない。オカマじゃない。
「でも、言い淀んじゃう自分がいました」
「それがまた逆に『やっぱりそうなんだ〜』というからかいになるんです」
“オネエ疑惑” をきっぱり否定したいけれど、否定しきれない。
疲れ切った心の中に、そんな自分がいた。
<<<後編 2019/01/29/Tue>>>
INDEX
06 初めて好きになった男の人
07 高校でプチ不登校になる
08 その原因は、発達障害
09 結局、誰も悪くないんだよ
10 私、Xジェンダーなんだ