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ゲイ? バイセクシュアル? 腐男子? いや、Xジェンダーなんだ。【前編】

歌が得意で人前で表現することが大好きな髙井政吾さん。ゲイ? バイセクシュアル? それとも、ただの腐男子? 認めたくても認められない性指向を秘めながら、周囲との関係の困難に悩んだのは、発達障害が理由でもあった。そんな苦しみから脱せたのは、保健室の先生、そしてスクールカウンセラーの存在が大きかった。今、自分も、人を支援する道を邁進中だ。

2019/01/27/Sun
Photo : Taku Katayama Text : Ray Suzuki
髙井 政吾 / Seigo Takai

1997年、静岡県生まれ。性自認はXジェンダー。現在、大学で社会福祉を専門的に学んでいる。将来は、福祉行政に関わっていきたいと考えている。特技は歌うこと。幼少期から音楽教室に通い、澄んだ歌声と確かな音程感覚に裏打ちされた歌唱の才能を発揮、各種コンクール出場歴を誇る。昭和歌謡や懐メロにも詳しい。

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INDEX
01 勝負事より、歌うことが好き
02 自分は男なんだと自覚して
03 いや、腐男子なんだと自覚する
04 からかう周りを、見下していた
05 男と女の気持ち悪い分かれ方
==================(後編)========================
06 初めて好きになった男の人
07 高校でプチ不登校になる
08 その原因は、発達障害
09 結局、誰も悪くないんだよ
10 私、Xジェンダーなんだ

01勝負事より、歌うことが好き

発達障害の傾向があった

落ち着きがなく、活発な子どもだった。

「ずっと動き回ってて、親にはネズミにたとえられるくらいでした」

記憶力も、ずば抜けてよかった。

「3歳くらいだったかな。車のホイールカバーを見ると、その車種がわかっちゃう。あれが、人の顔に見えてたんですよね、私には」

ホイールカバーを見て、車種を言い当てるのが、楽しかった。
記憶している最初の心象風景だ。

同じ頃、母に連れて行かれた病院のことも、記憶している。

「じっとしているのが苦手な私のことを、母も何かあやしいな、と思ったようで、一度、精神科に連れて行かれたんです」

医師に真剣に相談する母親に抱かれながらの診察中も、じっとしていることはできなかった。

「先生の机の引き出しを、ギーコギーコと、開けたり閉めたりしていました(笑)」

当時、もちろん自覚はなかったし、そう診断されることもなかったが、今になって思うと、この頃から発達障害の傾向があった。

「先生も本気にしなくて、『お母さん、この子は健康ですよ』と言うから、母もそれを信じるしかなくて・・・・・・」

勝負事より、歌うことを好む子ども

幼稚園に入ると、男児とワイワイ遊ぶよりも、女児と一緒にままごとをして遊ぶのを好んだ。

ままごと道具を使うのが好きで、お母さんや娘の役をやった。
お父さん役をした記憶はない。

「当時、男子は、広告のチラシをくるくる丸めて作った剣で戦って遊ぶんですけど、私は剣を作る方が好き(笑)。大量生産しました」

幼稚園にある遊び用の衣装、赤いロングスカートも、大のお気に入りだった。
ある日、そのスカートを、女の子と取り合った。

取っ組み合いになったが、結局、その子に負けてしまった。

「私、勝負事がすごい苦手。競うくらいなら、私が負けます、っていうところがあるんです」

父は、消防士。
柔道の有段者だから、この頃、当然のように柔道教室に連れて行かれた。

「ほんとうに行くのがいやで。戦いにいけない。挑むのがだめ。小学校低学年でやめちゃった」

そのかわり、音楽教室が大好きだった。

「ピアノはへただったけど、歌うことが好きだったんです」

きれいな声で、童謡を上手に歌った。
音楽教室には中学まで通い、のちに、コンクールに出場するほどになる。

絵本を読むのも好きだった。一度気に入ると、同じ本を何度でも読む。
逆に、ぜんぜん知らない本は、読む気になれなかった。

「小さい頃からオタク気質。子どもの頃の自分の写真を見ると、アニメの『おジャ魔女どれみ』のお面をつけて喜んでいるんです」

初恋は、幼稚園の先生。
折り紙の裏に「好き」と書いたラブレターを、先生のポケットにそっと入れた。

「年少クラスの先生でした。大人の女性です。すごく優しい感じの、美人な先生。ありがとう、って言ってくれて、うれしかったですね」

幼稚園に行くのは、とても楽しかった。

「でも確か、幼稚園の頃は『女の子になりたい』って言ってたんですよ」

02自分は男なんだと自覚して

男の子の政吾君としてふるまう

「・・・・・・でも、小学校に入ったら、自分は男だと自覚し始めて」

「スカートをはいて遊ぶこともないし、普通に男の子として、政吾君として、生活はしてました」

通ったのは、地元の小学校だった。

制服のある学校で、ランドセルの色も緑だったからか、服装や持ち物で困ることはなかった。

「小学生の頃はまだ、女の子のほうが好きだったし、割と女の子を意識したり、興味関心がありました」

「『プリキュア』なんかの女の子向けアニメが好きだったけど、それをからかわれるぐらいで、性別で困ったことはなかったですね」

でも、サッカーのクラブに通わされたときは、困った。

「本当に本当に行くのが嫌で、すぐやめました」

「運動が嫌。ボールは友だち、じゃなくて、敵です、みたいな感じ(笑)」

一番好きなことは、やっぱり音楽だった。

「歌のテストで先生にほめられて。早く音楽の授業来い! って思ってました」

「歌うことが、私の中では、自分の強みだったんです。どっちかっていうと、ほかに取り柄があるという自覚がなかったので」

「歌うことは、私にとって、武器だったんですね」

同級生と、話が合わなくなる

学芸会は、活躍の場だった。

「学芸会が大好きで、私のホームグラウンドみたいな感じ」

『泣いた赤鬼』では赤鬼役として、難易度の高い、涙を誘うシーンを見事に演じた。

歌ったり、演じたり、表現することが、好きだった。今も大好きだ。

「けっこう、変な子だったんです」

「昼休みにひとりで即興演劇やったり、コンサートするような子だったので、それを奇異な目で見られることが、多かったんです」

学校の先生は、評価してくれた。

「でも、同級生の受けは悪かったですね(苦笑)」

だから、親しい友だちはそれほどいなかった。

だんだん、自分と、周りの子たちとの間に、両者を隔てる膜のようなものを感じ始めていた。

小3のころ。
母の持っていた昭和歌謡のアルバム、ピンク・レディ、アン・ルイスなどを聴き始める。

小5のころ。
「クラスの女子は、アイドルグループ『嵐』に夢中になっていたけど、私はひっそりと、中島みゆきを聴いていました(笑)」

「興味の対象も違うし、話がぜんぜん合わなかったですね」

どこか大人びた小学生になっていた。

「だから、大人受けはよかったですね(笑)」

03いや、腐男子なんだと自覚する

小5で訪れた“性の目覚め”

小学校5年生のとき、衝撃的な出会いがあった。
ボーイズラブ(BL)だ。

家族で使うパソコンで、インターネットサーフィンをしていた。

「たまたまばったり、そういう男の子同士のイラストを見てしまって。あ、と思って、私、これ好きだなって自覚しました」

同人誌のウェブサイトだった。心がときめく。

「一言で表すなら、恋、でしょうか」

「すごい、ドキドキがとまらないよ、みたいな感じでした」

それまでもアニメは好きだったが、BL漫画やBLアニメの存在はまったく知らなかったから、突然の出会い、目覚めだ。

「なんだろう、男の子が好きっていうか、男の子同士の恋愛が好きだったんですね。オタク気質だから(笑)」

「セクマイというより、腐男子(笑)」

BL作品を愛好する腐女子をもじって、同様にBL作品を愛好する男子を、「腐男子」という。

腐男子イコール同性愛者、という図式は、成り立たない。
腐男子という呼称は、あくまでBLが好きだ、という趣味嗜好を指すにとどまる。

BLと突然の出会いを果たし、自分は確かにセクシュアルマイノリティ側にいると直感した。

でも、このときリアルタイムでは「自分は “腐男子” だ」と解釈していた。

「そのほうが、しっくりきたんですよね」

自分が腐男子であるからといって、同性愛者だとは限らない。
そういうことは、意識下に押しやった。

でも、BLが好きなことは、誰にも言えなかった。
人に打ち明けてはいけないものと、無意識に感じていたのかもしれない。

いつのまにか、学校でからかいの対象に

これと前後して、学校で「オカマ」などとからかわれるようになっていた。

きっかけは、得意のものまねを披露したことだった。

当時、IKKOやはるな愛が、テレビでオネエブームを牽引していた。

「私が声変わりが始まったときに、はるな愛さんの声真似が、すごく得意だったんです」

家族の前で披露してウケたから、学校でもきっとウケる。
同級生を笑わせたい。

そう思って、物真似しただけだった。

「逆にそれがあだになって、からかわれるようになっちゃって」

「周りからしてみれば、前々から疑いがあったのに、それが引き金になったみたいで」

男子からも、女子からも、からかわれるようになった。

「本当にそう思ってからかうというより『コイツをいじる』ための方向性、みたいな感じでしたね」

からかってくる同級生たち。
彼らに対して本気で怒るというよりも、どこか冷めた目で見ていた。

複雑な気持ちを抱えて

そんな生徒たちをたしなめる先生も、いなかった。

セクシュアルマイノリティについて、学校で啓発教育をするという時代ではなかった。

「そういう人はテレビに出ている人、みたいな風潮で、配慮はなかったですよね」

思えば、自分が生まれ育った地域は、保守的だったといえるかもしれない。

男の子はこうあるべき、女の子はこうあるべき、という規範意識が強かった。

「男の子が『プリキュア』を見てると、それだけで笑われるところだから」

でも自分は、『おジャ魔女どれみ』『カードキャプターさくら』など、女の子を主人公とするアニメが大好きで、それを見て育ったのだ。

そのことを、近所の住人にからかわれてしまったこともある。

小学校で、海外の同性婚が話題になったときがあった。
同性婚について好意的に話す大人たちは、そこにはいなかった。

それを察した時に、自分の心に葛藤が生まれた。

「そういうものに対して、うんうん、わかります、気持ち悪いよねって思いながらも、半分、自分はどうなのかなって、複雑な気持ちでした」

04からかう周りを見下していた

大人に相談してみた

性自認で、深刻に悩んでいたんじゃない。
自分が好きなものを、からかわれることが、嫌だった。

どうして、自分は周りとうまくいかないんだろう。
なんで、周りの人たちは、こんなに僕のことを否定的に見るんだろう。

そんなことをぐるぐる、ずっと、考え続けていた。苦しかった。

心を開いていた塾の先生に、思い切って相談してみた。

「それは、政吾君が大人だからだよ。まわりがついていけないんだよ」

塾の先生は、そう言ってくれた。
そうなんだ、と思うと気が楽になった。

でも、根本的な解決策ではなかった。

「周りが子どもだから、自分は大人なんだ、って天狗になる時もあって。だから余計、こじれますよね(苦笑)。やっぱり、周りを見下すから」

周りを見下していたのは、傷つきやすい自分を守るためだった。

小学校高学年になり、周囲とうまくいかなくなってきたことは、母にも相談していた。

そもそも母は、いつも自分のことを気にかけ、心配してくれていた。
家にいると、母がよく、問いかけてきた。

「政吾、すごく女の子っぽいけど、大丈夫?」
「あんた、本当に、男の子でいいの?」

母は、そう言いながら、自分を育てたように思う。
母には、こう答えていた。

「違うよ、ぼくは女の子が好きで、男だと思う」

「じゃあ、男の子らしくしなさい」と母。

そんなやりとりが、母との間で、しばらく続いていた。

05男と女の、気持ち悪い分かれ方

思春期の中学生の気持ち悪さ

地元の中学校に進学した。
思春期真っ只中の中学生たちは、男女のすみ分けにすっかり敏感になっていた。

そのことに、びっくりした。

「私がいちばん驚いたのは、なんだか急に男女がよそよそしくなったこと」

「小学校では、なになに君、なになにちゃん、と呼び合っていたのに、急に苗字に “さん” 付けして呼んだりして」

自分はまだ、あどけなかった。

「自覚が遅かったんです。小学校のときと同じように、女子の友だちをちゃん付けして呼んだら、気持ち悪いって言われちゃって」

「え? これが気持ち悪いの? って思って」

自分よりも先に周囲が、急激に変化を遂げていこうとすることに、戸惑った。

「周りが異性を気にしすぎるようになったタイミング。そのときから、違和感を覚えました」

「自分は男だとは思っていたけれど、男と女の、この気持ち悪い分かれ方はなんだろう、って感じました」

オネエいじりがエスカレート

中学校という新しい環境に、自分なりに、なじもうと思っていた。
合唱部はなかったから、吹奏楽部に入る。

ほんとうは、サックスを吹きたかったけれど、小学校の金管バンド部で鍛えたチューバの腕前を買われた。

「周りは女子しかいなくて。一緒に入った男子は途中でやめちゃって」

「それこそ女子の部員に、なんでお前いんの? みたいに言われちゃって」

中学1年のときは、密かに想う人がいた。同級生の美人の女子だった。
告白せずに、終わった恋だ。

否定したいけど、否定しきれない

気がつけば、心ない「いじり」も、ますますエスカレートしていた。

「オネエとかオカマとか、かけられる言葉もエスカレートしていって、学校の廊下を歩いているだけで言われたりしましたね」

うるさいな、と思った。

「最初はうるさい、って言ってたんだけど、そのうち、反論することに疲れちゃって」

この様子を見ても、とがめることもない学校の先生たち。
仲が良いから、からかっているんだと、完全に勘違いしていた。

もう、歯向かうことに、疲れていた。
怒る気力を削ぐほど、心に重くのしかかる疲労感だ。

僕は、オネエじゃない。オカマじゃない。

「でも、言い淀んじゃう自分がいました」

「それがまた逆に『やっぱりそうなんだ〜』というからかいになるんです」

“オネエ疑惑” をきっぱり否定したいけれど、否定しきれない。

疲れ切った心の中に、そんな自分がいた。


<<<後編 2019/01/29/Tue>>>
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06 初めて好きになった男の人
07 高校でプチ不登校になる
08 その原因は、発達障害
09 結局、誰も悪くないんだよ
10 私、Xジェンダーなんだ

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