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カミングアウトは、じわじわ行く感じ【後編】

カミングアウトは、じわじわ行く感じ【前編】はこちら

2016/04/04/Mon
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ray Suzuki
竹井 聡志 / Satoshi Takei

1988年生まれ。東京都出身。高校卒業後、アメリカ留学を経て多摩美術大学に編入。小学5年生でレズビアンの性自認を持つが、22歳の時にFTMだと気付く。映像を学んだ多摩美術大学の卒業制作は、自らのトランスジェンダー体験を記録したドキュメンタリー作品。現在は、日本語教師として働いている。

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INDEX
01 アメリカ経由で、「綾那」から「聡志」へ
02 ずっとボーイッシュで、あだ名は「おっさん」
03 不安定な性自認を支えたバスケットボール
04 パラダイスの女子高時代
05 自分を変えていったボストンの日々
==================(後編)========================
06 日本に居場所はないと感じた成人式
07 ボストンで「同性愛の社会学」を学ぶ
08 自分は男性だと確信した22歳の失恋
09 FTMの自分をドキュメンタリー作品に
10 カミングアウトに必要なコミュニケーションスキル

06日本に居場所はないと感じた成人式

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カッコいいレズビアンになろう!計画

出会いからほどなくして、自分はレズビアンだとカオルさんに告げた。

そして、カオルさんによる “改造計画” が始まった。

「『そんなに男っぽいんじゃモテないから。レズビアンでもセクシーでカッコいい女がモテる。そういうボーイッシュを目指して一緒にファッションを研究しよう』って言われました(笑)」

導かれるままにショッピングモールに行き、ZARAや化粧品のお店へ。

自分ではよくわからないので、セクシーに見える服やメイク道具を選んでもらった。

「胸元が開いたジャケットなんかを着てみたら、女性に声をかけられるようになったんです。図書館で勉強していたら、あなたすごくキレイね、胸元が素敵とか。恋愛対象というよりも、普通にほめられることが増えました」

そもそも女子トイレが、ずっと鬼門だった。

「トイレに入るとすぐに『ここ女子トイレだよ』って言われてしまう。で、『女子です』って毎回言うのが本当に嫌でした。だから化粧とかして女らしくすればいいのかと。今思えば、防御ですね。自分を守るために、化粧してたって感じ」

カッコいいレズビアンになろう!計画は、2ヶ月で終わった。

やっぱり自分らしくなかったからだ。

自分は、女性が好きだということ。

それを、見た目でアピールするのではなく、自らの言葉でカミングアウトしていくことが大切なのではないかと、気付き始めていたのだ。

「アメリカでは普通にLGBTの人が生活しているんです。手をつないでいるゲイの人とか、自己紹介でも女の人が『私のワイフが』と隠さずに言う。だから自分も言っていいんじゃないかと思って、クラスで初めて言ってみました。そしたらだんだん慣れていって、平気で言えるようになりました」

父のために着た、最初で最後の振袖

アメリカで、自分らしくあることをひとつクリアできた。

では、日本ではどうだろうか。成人式を控える前年の秋に、一時帰国した。

しかし日本では、ギャップだけが感じられ、早くアメリカに帰りたいという気持ちになってしまった。

「アメリカとはすごく違う。まず女が好きってことも、日本の友だちには言えなかった。言う前に『どんな男がタイプなの』『向うで好きな男はできたの?』って話になるから、難しいですよね」

アメリカにいたら、「女は男を好きになるもの」という切り口で問いかけられることはまずない。

それだけではなかった。女子の振袖中心主義も、聞いていて辛かった。

「みんなの価値観が自分とは違う。『もう成人式なのに、まだそんな男っぽい格好してんの』って。まずそこからはいってきて『振袖どうするの?』ってなる。一般的な女の子の価値観と、僕はズレていたんですよね」

そのとき感じたのは、自分らしさが完全否定された、という深い失望だった。
「自分は女として生きたくないのか?」という疑問も心に浮かんだ。

「成人式に行きたくないって思ったんです。みんなには会いたかったけど、振袖なんか絶対に着たくない。帰ってこなきゃよかったって。このときは、日本に居場所はないって思っちゃいましたね」

それでも、娘の振袖姿を楽しみにしていた父のために、写真だけは渋々撮った。

「一生見たくないですよ、気持ち悪い。長身の僕に合うサイズの振袖は、黒しかなかったこともあって、どう見ても、漫才師かスナックのママみたいで、落ち着きすぎちゃって(笑)」

成人式の苦い思いはひとまず記憶から消し去り、アメリカに戻った。

07ボストンで「同性愛の社会学」を学ぶ

同性婚スタディを開始する

語学学校卒業後は、一般教養を学ぶカレッジに進学。

ここでもカオルさんが後押ししてくれた。彼女と進んだクラスでは、自分で研究テーマを決めて発表する。

そこで「LGBTをテーマにしたら」と勧めてくれたのだ。

「最初は嫌だったんですよ、オープンにするのが怖かったから。でも『とりあえずクラスで発表して反応をみてみたら?』とカオルさんに言われて、同性婚についてエッセイを書いてみようと思うようになりました」

実は、ボストンがあるマサチューセッツ州は、アメリカで最初に同性婚を認めた州。

同性婚をするために、ほかの州から移り住むLGBTERも多い。

「せっかくそんな街で勉強しているし、同性婚の成り立ちについて調べようと思うとクラスで宣言したら、先生やクラスメートにいろいろ批評されたんです。僕はそれを否定されたと思い、やっぱりやめるって言ったら、カオルさんが『あれは否定じゃないでしょ。この問題はセンシティブだから、テーマにするのは大変だと思うよ、というみんなの助言でしょ』って」

再び奮起し、アメリカのセクシュアルマイノリティがいかに同性婚の制度を獲得したか、その歴史から調べた。

指導する先生も協力してくれた。最終的に25ページ程のエッセイを書き上げ、発表した。

「自分セクシュアリティのことは、そのなかでは言ってません。日本の話も海外の事例として少し入れましたが、基本はアメリカの話として客観的に書きました」

「同性愛の社会学」を学ぶ

同じ頃、もうひとつ興味をひく授業がカレッジにあった。

「同性愛の社会学」だ。

教授は70代のゲイのおじいちゃんで、配偶者は日本人だった。ホモセクシュアリティの社会学を教えていた。

社会学の科目として履修、アメリカの同性愛について系統的に学ぶことができた。

「授業では映画を見ることが多かったですね。昔の同性愛の映画を見る。その当時、同性愛が社会的にどういうふうに扱われていたか、歴史がわかる。日本では絶対学べない、おもしろい授業でした。帰国して多摩美に進みFTMの自分をテーマにドキュメントフィルムを撮ったのも、このときの影響があると思います」

ハリウッド映画が好きだったこともあり、カレッジでは映像制作のクラスも履修。

そこで作った初めての短編作品は、校内で1ヶ月にわたって公開されるなど、高い評価を得ていた。

08自分は男性だと確信した22歳の失恋

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すべての機が熟すとき

今後の進路をどうするか。22歳になっていた。

映像制作の先生は「映画の道に進んでみたら」と勧めてくれた。

「カレッジは2年制なので、日本で映像を学べる4年制大学に編入しようと思っていた矢先に恋をして、いろいろあって、その結果、映画を作りたいって思ったんです」

恋をした相手には、自分はレズビアンではなく、性同一性障害だと告げていた。

「でも彼女には『好きだけど、男女どっちで見ればいいの? あなたのことは好きだけど、好きの感情が分からない』と言われて。そして、彼女からは突然『私は男の人が好きだから』と言われてしまって・・・・・・」

その時はっきり、自分は男性だと分かった。

男の自分を取り戻そう。そのさまを映画に撮ろう。

すべての機が熟していた。

母へは、カムアウトの長い手紙を書いた。
2週間くらい返事が来ず、ソワソワしたがメールがきた。

「とりあえず帰っておいで。でも卒業はしてきなさい」と、それだけ。

いつものように、自分を否定することのない母の言葉だった。

帰国後はFTMとして一直線

帰国後すぐに、性同一性障害の治療に取り組むためクリニックを訪れた。

ホルモン治療、改名、戸籍変更など、やるべきことを次々と一直線にこなした。

改名手続きには、名前変更の理由を証明する資料がいる。

郵便物や会員証といった、希望する名前で生活していた実態があることを証明するものだ。

高校の同級生にメールを出し、新しい名前「聡志」宛に年賀状を送ってくれるよう頼んだ。

それは、同じ性自認だった小学校からの親友のアドバイス。その頃、親友は既に男性として性別を取り戻していた。

「年賀状をくれた同級生たちは『大変だけどがんばってね』って。何と言っていいか分からなかったと思いますよ。気を遣わせるのも嫌だったから『何も書かないでそのまま送ってくれるだけでいいよ』とあらかじめ言っていました」

うれしかったのは、母も協力的だったことだ。

「近所の人や母の会社の同僚全員に、あらかじめ言ってくれたんです。『上の子は男に変わりました』って。ありがたかったですよね。近所の人は既にわかっているから、何も突っ込まれなかったです」

FTMの自分を、母が否定するかもしれない。

帰国前は、そんな想像もしていた。

高校生のとき、エルトン・ジョンが男性と結婚したことがニュースになったが、そのとき母は、ショックを受けていた。

今も「何とも思ってないよ」と母は言うが、きっと驚いたはずだ。

09FTMの自分をドキュメンタリー作品に

自分で自分をドキュメント

多摩美術大学3年のとき、FTMを題材にフィクションのドラマを撮影した。

「今は解決された話ですが、当時FTMが結婚して子どもをもらうときに、自分の子として戸籍に載らないことを訴えているご家族がいたんです。非嫡出子の問題ですね。その方を取材して、それをもとにストーリーを作って映画にしたんですよ」

約90万円の治療費を貯め、性別適合手術を受けにタイに行ったのは、大学4年生の夏。

カップルかFTM同士で滞在することが多いなか、竹井さんはストレートの男の子と一緒。

女性から男性になる自分の姿や取り巻く人々を映像に残し、卒業制作のドキュメンタリー映画に仕上げるという、もう一つの大事な目的があったからだ。

彼には、カメラマン役を頼んでいた。

セルフドキュメントの葛藤

「何回もやめようと思いました。自分を撮るって、すごくしんどい。今日は撮られたくない、しゃべりたくないと僕が周りを振り回したから、どんどん人が離れて多摩美のスタッフがいなくなってしまった。だからバイト仲間にカメラを回してもらうことになったんです。いろんな人に迷惑かけて申し訳ないと思っていますが、気持ちがどうしても追いつかなかったんですね」

思い出すと胸が痛む、苦い経験だ。

でき上がった作品は約70分の大作。上映時には立ち見がでるほど盛況だった。

でも、作品としては失敗だと断言する。

「観客が見たいのは、出ている人が苦しみ、それを克服していく様子です。そこが映画として一番おもしろいところなのに、自分の悪いところはほぼカットしちゃった。本当だったら、僕がまだ受け入れられなくて、悩んでいる姿を撮す方がおもしろい。FTMの知識が全くない人が見る分には勉強になるけど、果たしてそれが映画として成り立つかと言うと、失敗です」

作品の動機は、男性として生きる決意だった。

ただ、カメラを回し始めたタイミングが、性自認の悩みを克服した後だったのだ。

映像作品を撮る理由としてトランスジェンダーのことをもっと身近に感じてほしいという気持ちがある。

これからも、ジェンダーやセクシュアリティをテーマにした作品を作りたい。

それ以外のテーマは、今はまだ考えられない。

「次は結婚や子どものほうに悩みが行くと思うので、それを題材に。FTMは一生のテーマですから。でも、今度は自分で撮るんじゃなくて、ほかの人に撮ってもらいたいかな(笑)」

10カミングアウトに必要なコミュニケーションスキル

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今の恋人と再会を果たす

卒業制作の撮影では「お世話になった人に会いながらカメラを回す」という設定で、ボストンも再訪した。

語学学校で恋をした、韓国人クラスメートの女の子は、今どうしているんだろう。

思い切って連絡してみたら、ニューヨークで大学院に通っているという。男性になった自分として訪ねることにした。

手術して約2ヶ月後のことだ。

「こっちは完全に変って、彼女はびっくりしてましたね。声も低いしひげも生えて体格もよくなっていて。『前とイメージが違う! でも顔は同じだね♪』って」

なんとなく疎遠になってしまったあの頃のことを、解きほぐすように会話を重ねた。

お互いを異性として意識するのに、時間はさほどかからなかった。

「『あのときは冷たくしてごめんね』と謝ったら、彼女も『気付かなくてごめんね』って。また連絡を取り合うようになって、向うが日本に遊びに来たり僕が韓国に行ったりして、恋仲になったって感じです」

ちなみに彼女との再会は、恥ずかしくて撮影していない。

「僕より彼女のほうがすごいって思います。女として付き合っていた友達と今、異性として付き合っている。僕の感情は同じだけど、彼女の見る目は変るわけだから。僕のどんなとこが好きなんでしょう、僕も聞きたいですね(笑)」

信頼関係を築いてカミングアウトを

卒業制作で燃え尽きた感もあった。

映像を仕事にすることはいったん脇に置き、英語を活かす仕事を探した。

そして日本語教師という仕事に出会った。

「働き始めて1年くらいで上司に言いました。ふたりで残業していたとき、上司から僕にプライベートのことを打ち明けてくれたので、僕も打ち明けました」

日本語学校に通う生徒にはボーイッシュな女子もいて、どう接していいか困惑する職員たちもいた。

そんな時、上司が「そういう学生はいっぱいいるでしょ。そんなに意識する必要はないですよ」と職員を諭しているのを見た。

自分のカミングアウトによって理解が広まったんだと、うれしく感じた。

「LGBTはこんなに身近にいる、ということを知らせるためには、自分から発信をしていくことが必要です。みんな、身近に経験がないからわからないけど、そういう人がいるってわかったら、絶対に考え方が変ると思うんです」

でも、やみくもにカミングアウトするのは、もちろん考えものだ。

「コツが必要ですね。なりふり構わず誰にでも『私はLGBTです』って言うのはやっぱり危険。周りの人にセクシュアリティ以外の自分を知ってもらいながら、少しずつ信頼関係が築ければ、その後はすんなり受け入れられると思います。じわじわ行く感じですね。僕は職場の人全員には言ってません。個別に理解者を増やしていこうと思います」

隠すよりも言ったほうがラク、というのもある。

その方が過去の話ができるから。

「敢えて言わなくともいいっていう考え方もわかります。それは自由でいいと思う。ただ、例えば、高校は?といった話になったときに、女子校出身だからウソを考えなきゃいけない。僕にはそれができない。信頼している人には、早い段階で言いたいです」

今は、教員免許を取得するための勉強にも時間を費やしている。

将来はアメリカの大学院に進学し、アメリカで日本語を教えたいという夢もある。

日本映画を題材に、比較文化の視点から学ぶ日本語だ。

竹井さんには、物事を着実に推し進める力がある。失敗したことも冷静に受け入れ、さまざまな困難も、戦略や対策を企てることで乗り越えてきた。これからも乗り越えていく。そう、「じわじわ行く感じ」だ。これからも人との出会いを誠実に重ね、「FTMはここにいるよ」と、そっと示してくれるのだろう。

あとがき
聡志さんが苦笑して語った成人式の振袖写真。お父さんは、その写真を今も財布の中に大切にしまっている■弟さんには、今までFTMだと直接は話していない。「でも、友達には『兄貴がいる』と話しているらしい。なのに今も “綾那” って呼ぶんです(笑)」■帰国前「とりあえず帰っておいで」とメールをくれたお母さん。受け容れの表現もまた、多様だと感じた。今も昔も分けずに送ってくれる、家族からのOKサイン。それは、大きな安心をくれるサインだった。(編集部)

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