INTERVIEW

カミングアウトは、じわじわ行く感じ【前編】

長いこと、自分はレズビアンだと思っていた。自由になりたくて留学したアメリカでは、その見た目から男性として扱われるが、その都度「いえ、女です」と否定することに疲れていた。本当の自分に気付かせてくれたのは、いくつかの切ない恋愛だ。誰の身近にもLGBTがいることを知ってほしいから、カミングアウトが大切だと考えている。堂々と落ち着いた物腰に秘められているのは、愛することへの強い渇望なのかもしれない。

2016/04/01/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ray Suzuki
竹井 聡志 / Satoshi Takei

1988年生まれ。東京都出身。高校卒業後、アメリカ留学を経て多摩美術大学に編入。小学5年生でレズビアンの性自認を持つが、22歳の時にFTMだと気付く。映像を学んだ多摩美術大学の卒業制作は、自らのトランスジェンダー体験を記録したドキュメンタリー作品。現在は、日本語教師として働いている。

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INDEX
01 アメリカ経由で、「綾那」から「聡志」へ
02 ずっとボーイッシュで、あだ名は「おっさん」
03 不安定な性自認を支えたバスケットボール
04 パラダイスの女子高時代
05 自分を変えていったボストンの日々
==================(後編)========================
06 日本に居場所はないと感じた成人式
07 ボストンで「同性愛の社会学」を学ぶ
08 自分は男性だと確信した22歳の失恋
09 FTMの自分をドキュメンタリー作品に
10 カミングアウトに必要なコミュニケーションスキル

01アメリカ経由で、「綾那」 から 「聡志」 へ

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僕、実は昔、女だったんですよ

いつも互いに英語で会話をするという父はフィリピン人で、ジャズピアニスト。

日本人の母も英語が堪能だ。

そんな家庭環境から、高校卒業後のアメリカ留学はごくごく自然な選択肢だった。

ボストンのカレッジを卒業、映画が作りたい、映像作家として表現したいと、帰国して多摩美の3年に編入した。

大学卒業後の現在は、日本語教師として働いている。

この仕事に就くことは予想外だったが、今では自分に向いていると日々やりがいを感じている。

そして、親しくなった同僚たちには、折を見て自分がトランスジェンダー(FTM)であることを告げている。

「僕、実は昔、女だったんですよ。そう言うと、たいていの人は驚きます。

『えっ、何? もう一回言って!』って。みんな、そんなふうに言いますね」

休みの日には、綾那の指輪を

172センチの長身。全身から、ものに動じない落ち着きが漂う。

特に目を引くのが、濃くりりしい眉。しかしその下の眼差しは優しい。

小さい頃からの写真を見ながら、懐かしい話に花が咲いた。

「これはアメリカに留学していた時の写真。このときはまだ女の子として生活していました。こっちの写真は、多摩美の4年でタイに行った時。手術の後で痛過ぎて、何も食べられなかった。そしたらこんなに痩せました。今は、そのくらいの体型に戻りたいって思います(笑)」

性別適合手術を受けたあとの、きりりとした笑顔など、数枚の写真を繰る手指に、ふと目がいく。

ちょっと大振りの、シルバーの指輪をしている。複雑なデザイン。

「これ、タイで作ったんです。タイ語でアヤナって書いてある。改名前の『綾那』がもう使われなくなるのは、親に申し訳ないかなと思って。生まれた時につけてもらった名前は、戸籍上消えてなくなってしまう。誰も綾那と呼ばなくなる。じゃあ、どこかに形として残しておきたいな、と」

仕事に多少の差し障りがあるので、普段はつけない。
でも休みの日には、この指輪をすることが多い。

ちなみに「聡志」は、自分で考えた名前。

改名に当たっては竹井家のルールを遵守した。それは両親のこだわりである名前の画数。弟の名前も、綾那も、そして聡志も21画だ。

02ずっとボーイッシュで、あだ名は「おっさん」

一人称は「ウチ」を使い始める

物心ついてから、スカートは絶対にはかなかった。

ボーイッシュな服装を好む小学生。小学校2年生までは、自分のことを指す言葉に「僕」を使っていた。

「『わたし』 とは言いたくない。でも 『僕』 って言うと 『なんで僕っていうの?』 と言われてしまう。英会話教室に通っていた小2の時、同じクラスの子のおかあさんに、そう言われたんです。『あなたは僕って言わないのよ!』 と注意されて」

「それがすごいショックで、傷ついたことを今も覚えています。自分では違和感なく 『僕』 が普通だと思っていたから。それから『ウチ』って使うようになりましたね。『僕』 と言えるようになったのは、ほんと最近です」

父がミュージシャンということもあり、当然のようにピアノも習ったが嫌いで、やめたくて仕方がなかった。

引っ越しに伴う転校によって、ピアノから解放される転機が訪れた。

あだ名は「おっさん」。FTMの親友との出会い

今暮らしている街には、小学校3年生の時に引っ越してきた。

周りの子どもたちより身長が高かったから、目立つ存在だ。すぐに、小学校のバスケットボール部にスカウトされた。

「バスケがやりたい。バスケやったら突き指するからピアノは無理」と、母を説得。バスケに夢中の日々が始まった。

さらに、学級委員長といったクラスのまとめ役に選ばれることも多かった。

「しょっちゅうまとめ役になって、ゲームとかいろいろ決めたりしていましたね。みんなを笑わせるのも大好きだったし、ボーイッシュでよく男の子と遊んでいる、っていう感じに見えていたんじゃないですか」

頼りになる存在感は、子どもの時からなのだ。この頃に呼ばれていたあだ名がふるっている。

「おっさん、と言われていました。動きがおっさん(笑)。でも、嫌じゃなかったですね。別に何とも思わなかった。性格もキャピキャピ系じゃなかったから、っていうのもありますけどね」

バスケ部のキャプテンになった小学校5年生で、大切な出会いがあった。

同じ性志向の女の子とクラスが同じになり意気投合、親友になった。

ボーイッシュなふたりは、放課後の校庭でキャッチボールやサッカーをして、いつも一緒に遊んでいた。

03不安定な性自認を支えたバスケットボール

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自分はレズビアンだと思っていた

その親友は、大人になって一足早く、性別適合手術を受けた。

もちろん今もよく話しをする仲だ。

「どっちからカミングアウトしたかはもう覚えてないけど、当時の親友は同じクラスの女の子が好きで、僕は別の学校のバスケ部のキャプテンの女の子が好き。『あの子可愛いなあ』って一目惚れでした。親友と会うとひたすら互いの恋愛話をしていました」

同じようにボーイッシュで、女子が好きという親友の存在。

セクシュアルマイノリティの概念や用語こそまだ知らないふたりだったが、周囲との違いを確かに感じ始めていた。

「自分はみんなと違う。たぶんレズビアンなんだろうと思っていたら、親友も同じだった。お互い、周りにどう思われるかを気にしていたと思います。でも、バスケをやっていれば、ボーイッシュでもレズビアンだと疑われないという自信があった。バスケをやっていれば大丈夫だと」

中学時代に気付くジェンダーの壁

バスケ部も男女合同で練習していた小学生時代は楽しかった。

でも中学生になると、性差による厳然とした区別があることを、身を以て感じることになる。

「制服は学ランではなく女子のブレザー。端から見たら男の子がブレザーを着ているみたい(笑)。でも、自分を男だとは思わなかった。みんなとちょっと違う、ボーイッシュな女の子だと思っていました」

「周りと違わない方がいいのだろう」とも気付き、父が外国人であることも人には言わなくなった。諦めにも似た気持ち。とにかく、バスケをすることで気持ちが紛れた。

それでも、納得できなかったことがある。

中2のときの選択授業だ。

サッカーかバレーボールのいずれかを選ぶ体育の選択授業でサッカーを選んだところ、女子は自分ひとりしか選択していないことを理由に、女子が多く選択していたバレーボールに替えてくれと担任に言われたのだ。

「納得がいかないから、すごく粘った。単純にサッカーをしたいのに、女子一人っていう理由で外されるのは納得いきませんって、ずっと言い続けたけど、結局バレーボールを押し付けられて、それで泣いたんです。悔し泣きです」

翌年、中3の選択授業はハンドボールまたはバドミントン。

今度は同じ轍を踏まないぞと、戦略を立てた。

体育好きの女子たちに「一緒にハンドボールしようよ」と声をかけ3人が集まり、取りたい科目を取ることができた。

「女子がサッカーできないのは、ありえないだろうと思いました。あれから10年経って今、なでしこジャパンで女子サッカーは有名じゃないですか。女性として見られたのが嫌だったのではなく、単純に女子と男子で分けられたことがすごく嫌だったんです」

04パラダイスの女子高時代

モテモテ女子高時代はパラダイス

バスケの推薦で、高校は強豪校に進学した。

部活三昧で試合も多く、週末の度に学校の合宿所で泊まり込む生活だった。

「自分にとって最高な時期。明るく、自分らしくいられた。セクシュアリティの件はあったけど、それを意識しないくらい、いい出来事がたくさんあった。多分、周りが自分の存在を受け入れてくれていたんだと思います」

そして、モテた。

校内一カッコいい人を生徒の投票で決める文化祭のイベントでは、1年生で堂々第2位、2・3年生で余裕の連続優勝だった。

バレンタインのチョコレートもたくさんもらった。

「好きな人もいっぱいいました。僕はけっこう女好きなんです(笑)。だから女子高は最高でした。あっち向いてもこっち向いても可愛い子がいるなって。1年にひとり付き合ったけど、毎年彼女かえてやろうって感じじゃなく、毎回惜しんで、ああまた振られちゃった、みたいな。自分から振ったことはないんです」

今、FTMとして生きていることは、高校の同級生たちにも話している。

「『あの時、あの子と付き合ってたんだ』って話しても、みんな驚かないですね。『ああ、やっぱりね』って」

自由になりたくて、アメリカを目指す

高校卒業後は、アメリカ留学へ。

バスケは高校でやりきった感があったし、大学でバスケはもういい、と思っていた。

「単純に、アメリカに行きたいって感じです。日本では自分の未来が見えないと思ったし、アメリカのほうが自分の性格に合っているかなって」

もちろん、両親が反対するはずもなかった。

「両親は、昔から何も言わないんです。怒られることも少なかったし、やりたいことを全否定されることはまずなかった。留学するって決めたときも、がんばれって送り出してくれました」

セクシュアリティの悩みが本格化したのも、このころのことだった。

高校を卒業した友達が皆、急に女らしくなって美を極めている。でも、自分がそれをできないのはなぜだろう?

高校時代から変わらないスポーティーなファッションを好んでいたが「そんなんじゃ男の子にもてないよ」「もっと女の子らしくしたら」と友達に言われるのも、嫌だった。

とにかく、日本を離れたい。アメリカなら、自分らしくいられるに違いない。

しかしその期待は、早々に裏切られることになる。

05自分を変えていったボストンの日々

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語学学校をかえて、もっと自由に

「最初は窮屈でした。きっと、夢を見ていたんですね。アメリカに行ったら自由で、自分の考えを何でも言えて、自分らしくいられるのだと思っていました」

最初に通学したウィスコンシン州の語学学校は、日本人学生がたくさんいる環境だった。

「結局そこにも日本人学生のコミュニティがあって、上下関係も存在する。そのコミュニティに入って一緒にいろんな活動をしなきゃいけない。結局日本にいるのと変らないじゃん、って思いました」

自分のセクシュアリティが、どうやら周りを困らせていると感じたことも嫌だった。

高校までは制服姿だったからこそ、日本で自分は女の子と思われていたのだと悟った。

「アメリカでも、人は見た目なんだと思いました。自分は周囲から男性として扱われているのに、『女なんです』って言うことになる。そこにずっと違和感がありました」

この語学学校は3ヶ月で辞めて、日本人学生の少ないマサチューセッツ州ボストンの語学学校へと移ることにした。

本当はまだ、何を勉強したいのかよくわからない。でもボストンには、これまでの自分を変えてしまう、いくつかの大切な出会いが待っていた。

愛する人に出会ったボストンの苦い日々

ボストンでの学生生活が始まった。

そして、好きな人ができた。韓国人のクラスメートの女の子だ。

「仲が良くて、しょっちゅうふたりで食事に。僕が好きになって、でも女友達として接していました。好きな気持ちを言葉では言えなかったから、荷物を持ってあげたり、ドアを開けてあげたり、ジェントルマンとして男がするような行動。僕の想いに気づくかなって、期待したんですが、普通の女友達だと思っている彼女からは『そこまでしなくていいよ』って言われてました(笑)」

切ない恋心は、ほどなくして無惨にも打ち砕かれてしまう。

彼女にアメリカ人ボーイフレンドが出現したのだ。

「彼氏を紹介されたときは、屈辱の思い。ふたりで会いたいのに、いつもヤツがいる。それが嫌になって彼女とは会うのをやめたんです」

やがて彼女は、サンディエゴの大学に進学、ふたりは疎遠になってしまった。
しかしボストンでは、親友と呼べる友だちも新たにできていた。一回り年上のバイタリティあふれる日本人女性、カオルさんだ。

「最初はやっぱり男だと思われたみたいですね。でも名前が綾那だから『ちょっと悪いんだけど聞いてもいいですか?』みたいにかしこまられて(笑)。『自分はちょっとボーイッシュな女なんですよ』って答えました」

アメリカ人男性と結婚、ボストンで暮らしながら語学学校に通っていたカオルさんは、意志が強く、前向きな行動力を持つ女性だ。

日々の食事から勉強の方向性まで、何かと気にかけ面倒を見てくれた。

よい成績をとって上のレベルのクラスに行こうと、互いに励まし合うよきライバルでもあった。

カオルさんとの交流によって、次第に自分らしさに自信を持つようになっていく。

<<<後編 2016/04/04/Mon>>>
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06 日本に居場所はないと感じた成人式
07 ボストンで「同性愛の社会学」を学ぶ
08 自分は男性だと確信した22歳の失恋
09 FTMの自分をドキュメンタリー作品に
10 カミングアウトに必要なコミュニケーションスキル