INTERVIEW
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恋愛対象はゲイだけど、大切なのは性別じゃなくて、相手を思う気持ち。【前編】

端正な顔立ちと気さくな人柄、撮影時には「どんなポーズでもしますよ」と豊富なサービス精神を見せてくれた木村サスケさん。貧しかった幼少期や父親との確執を語ってくれたが、そこに悲壮感はなく、むしろ「極貧だったから、今の自分がある」とまっすぐ前を向いている姿が印象的だった。「セクシュアリティに関係なく、人のために何かしたい」と考えるに至った原点を、振り返ってもらう。

2018/01/08/Mon
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
木村 サスケ / Sasuke Kimura

1972年、千葉県生まれ。幼い頃に喘息を発症したが、中学時代に症状が治まり、高校時代にはテニスとボランティアに没頭。高校卒業後、郵便局に就職し、後に郵政省に勤める。36歳で郵政省を退職し、下着メーカー、保険会社などで働くかたわら、新宿二丁目のバーでアルバイトを続けた。2006年からゲイナイト「GLAMOROUS」をスタートし、現在も主宰する。

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INDEX
01 極貧だった幼少期と母の言葉
02 体が弱かった少年の変化
03 “女っぽい” という評価
04 時間を最大限活用した学生時代
05 嫌じゃなかった男同士の恋愛
==================(後編)========================
06 いち社会人として働く意味
07 彼女との別れ、彼との出会い
08 ゲイである自覚と人を好きになる気持ち
09 ゲイ向けイベントを続ける理由
10 “人のため” に自分ができること

01極貧だった幼少期と母の言葉

手がかかる子ども

生まれは千葉県鴨川市。

海と山が面した、自然豊かな場所で育った。

1歳上の姉と、2歳下の弟とは、よくプロレスごっこをして遊んでいた。

「家族の誰かとケンカをした時には、すぐ家を出ていっちゃう子でした」

「泣きながら出ていって、どこかに隠れるんです」

お気に入りの公園や川辺に行き、1人でポツンと佇むのがお決まりだった。

「お母さんにそっくりだったから、通りかかった人に『木村さん家の子だ』ってバレちゃうんですよ」

「すぐに家族に連絡されて、連れ戻されちゃう(笑)」

手のかかる子どもだったと思う。

「喘息持ちだったこともあるけど、幼い頃はとにかくお母さんっ子でしたね」

貧しかった家庭

裕福な家庭ではなかった。

「夏休み中のお昼ごはんとかで、うちは貧乏なんだ、って感じていましたね」

ある日は焼きそばだけ。ある日は冷麦だけ。中には、トマトだけの日もあった。

母には「毎朝、ラジオ体操に行きなさい」と言われていた。

「ラジオ体操に行くと、パンを2つもらえるんですよ」

「それが朝ごはんになっていました」

中学生になっても、お小遣いはもらえなかった。

母に「1カ月2000円もらうのとアルバイトするの、どっちがいい?」と聞かれたことがあった。

「当時の僕は『アルバイトする方が儲かるじゃん!』って、中3からアルバイトを始めました」

「家が貧しかったから、今の自分があるんだと思うと、良かったのかもしれないですね」

母は厳しく、小学2年生の時に漫画やゲームが禁止になった。

「僕が勉強しないから、『それなら、しなくていい』って、勉強道具を外に捨てられたこともありました(笑)」

「その甲斐あってか、小学校の時はちゃんと勉強していましたね」

働きづめだった母

父は極度のギャンブラーで、暇があれば競艇や競馬、競輪にお金を注ぎ込んでいた。

酔っ払うと、家の中で暴れ回ることもあった。

借金がかさみ、母は朝から晩まで働いていた。

「小さい頃から、母に『こういうお父さんになっちゃダメだからね』って言われていた記憶があります」

母は幼い兄弟に「生き様に死に様だから見ておきなさい」と話し、父から目を背けさせることはなかった。

「ずっと借家暮らしで、『早く家を建てたいね』って話していたことも覚えていますね」

「お母さんから『結婚してもしなくても、兄弟3人が戻れる部屋がある家を建てなさい』って言われていました」

02体が弱かった少年の変化

母に背負われた記憶

幼い頃の記憶で、特に鮮明に覚えていることがある。

母に背負われて病院に連れていかれたことだ。

喘息がひどく、小1から中3まで、プールの時間はほとんど見学していた。

「喘息で発作を起こすことも多かったです」

「夜中にお母さんが仕事から帰ってきて、僕の胸に鼻の通りを良くする塗り薬を何度も塗ってくれました」

「朝になっても症状が良くならないと、お母さんはほとんど寝ないまま病院に連れてってくれて」

「おんぶされた記憶は、中1くらいまであります」

母は喘息について調べながら、効果の高い治療をしてくれる医師を探して、千葉県中の病院に連れていってくれた。

「お金がないから、遠い病院に行くにも特急には乗れなくて、各駅停車で巡っていました」

「最終的に行きついたのは、片道40分くらいかかる病院でした」

その病院で処方されたイチゴ味の薬を飲むと、喘息の症状が治まった。

「それまでは息もできない時があって、苦しかったですね」

文化系から体育会系への転身

小学生の頃は、絵を描くことが好きだった。

6年間、毎年校内の絵画コンテストで金賞を取り、県の展覧会でも最優秀賞を取った。

「だから、中学校では美術部に入りました」

「でも、僕以外の部員40人全員が女の子だったんですよ(苦笑)」

「ここにいちゃいけない、って思って、半年くらいで退部しました」

やってみたいと思っていたテニス部に入った。

「テニスは、中学2年から高校3年まで続けました」

「テニスを始めたら体がすごく元気になって、いつの間にか喘息も治っていたんですよね」

引っ込み思案で、恥ずかしがり屋な子どもだった。

しかし、中学2年生の頃から、徐々に人前に立つことが苦ではなくなっていった。

03“女っぽい” という評価

こっそり楽しんだ化粧

小学生の頃、姉のマネをして、リップを塗ることが好きだった。

母と姉が使っていた三面鏡を見ながら、こっそりと化粧まがいのことをしていた。

「バレないように子どもなりに気をつけていたけど、お母さんにはバレていたと思いますよ」

「口紅をポキッと折っちゃって、『ヤバい』って無理やり戻していたから(笑)」

「化粧は女の人がやるものって認識はあったけど、変なことをしている意識はなかったです」

地元のお祭りでは、男子も化粧をしていたからだ。

その延長線上の感覚だった。

「地元のおばあちゃんがやっている薬局に忍び込んで、試供品の口紅を塗ったこともありました」

「僕は背が小さかったから、棚の陰に隠れれば見えなかったんですよ」

「大人のお客さんが入ってきたら、急いで出ていってました(笑)」

「人に見られちゃいけない、って気持ちはあったんでしょうね」

たった一度だけのいじめ

小学2年生の頃の父兄参観日。

授業中に担任から、「1人ずつ、動物の鳴き声をマネしましょう」というお題が出された。

同級生が「ニャー」「モー」と答えていき、自分の順番が回ってきた。

無意識で「キャー」と言ってしまった。

「『キャー』なんて鳴く動物いないでしょ(笑)」

「同級生も見に来ている親も、みんな大爆笑(笑)」

「その時の僕は、顔を真っ赤にしていた記憶がありますね」

普段はあまりしゃべらず、ナヨナヨしていたからか、同級生から「女っぽい」と言われることもあった。

「一度、男の子20人くらいに呼び出されたことがあったんです」

「ズボンのお尻のポケットに爆竹を入れて、座らされて、お尻を火傷しました」

「女っぽい」というだけで、いじめの対象にされた。

「でも、すぐに僕の味方をしてくれる男の子20人くらいが、仕返しをしてくれたんです」

「だから、孤独だったわけではないし、いじめもその1回だけでした」

「あと、お姉ちゃんが学年のボス的存在だったので、僕は守ってもらっていた感じでした(笑)」

姉は名の知れた不良で、「弟に手を出すとひどいことになる」と恐れられていた。

好きになった人

小学校高学年で、恋をした。

相手は女子だった。

「4年生、5年生、6年生と、1年ごとに違う女の子に告白しました」

「港で伝えたり、防波堤で伝えたり、電話ボックスで電話越しに伝えたり」

「3回ともフラれたんですけど、3人ともすごく好きでした」

化粧に興味があり、少し女々しい部分もあったが、恋愛対象は女子だった。

「恋はしたけど、女の子に憧れたことはなかったですね」

04時間を最大限活用した学生時代

担任が形成してくれた自信

中学に進学してからは、あまり勉強をしなくなった。

「1人で勉強するのは好きだけど、教室で人と一緒にするのが大嫌いだったんです」

「だから、教科書を立てて、その陰で寝てました(笑)」

廊下側の席を取り、こっそりと授業を抜け出すこともあった。

トイレや使っていない音楽室で時間をつぶし、授業が終わる頃に教室に戻った。

「当然バレていたと思うけど、先生からは何も言われなかったです」

「でも、中1の時の担任が、僕を変えてくれたんです」

担任の男性教師は常にピシッとした雰囲気で、黒板に書く字がキレイだった。

「先生の字は達筆で、真似るように練習していたら、字がうまくなったんです」

美しい字がきっかけで、男性教師を慕うようになった。

「先生も僕も釣りが好きだったから、休みの日に一緒に行ったこともありました」

男性教師は、中学生だけでは行けないような、穴場の釣りスポットに連れていってくれた。

「先生は学校の中でも外でも、面白いことをいっぱい教えてくれたんです」

成績も見る見るうちに上がっていった。

「3年生になる頃には、学年で20番くらいになっていましたね」

「僕はいろんな経験をすることで自信がついて、活発になっていきました」

テニスとボランティアと生徒会

高校を選ぶ時、男性教師から「狙えるレベルの1つ下に行って、トップになれ」と言われた。

「先生のアドバイスを受けて、商業高校に進みました」

「約束した通り、常にトップクラスでした」

高校ではテニス部と平行して、ボランティア部に所属した。

老人ホームの慰問や学校の周りの清掃など、ボランティア活動に精を出した。

「朝、学校の周りで掃除をしていると、登校してくる人に『掃除してんの!? 気持ち悪い』って言われたりするんですよ」

「放課後に老人ホームに行く時も、『なんでわざわざ、ジジババの相手してんの?』って聞かれました」

「でも、そう言われるのは全然嫌じゃなかったです」

おじいさんやおばあさんに会いに行くと、エネルギーをもらえる気がした。

人のために尽くすことに、辛さを感じることはなかった。

高校3年生では、テニス部とボランティア部、両方の部長を務めながら、生徒会長になった。

「バイトもしていたから、生活が忙しなかったですね(笑)」

生徒会長には、推薦で選ばれた。

部員から “テニスの鬼” と呼ばれるほど、テニス部の後輩の指導にも力を入れた。

学校公認のボランティア活動で、授業を休むこともあった。

大人しかった少年は、いつしか時間をフルに使う活動的な青年へと成長していた。

05嫌じゃなかった男同士の恋愛

男友だちからの告白

中学3年生の頃、生徒会長を務めていた男友だちと一緒に帰っていた。

夕焼けで真っ赤に染まる帰り道。

友だちは歩きながら引いていた自転車を止め、自分の前に立った。

バスケ部に所属していた彼は背が高く、見上げるような形になった。

突然抱きしめられ、キスをされた。

「初めてのキスでした」

「当時の僕は女の子が好きだったけど、その時なぜか嫌だと思わなかったんですよね」

「それより夕日がキレイで、青春映画みたいですごい! って思っちゃった」

翌日の全校集会。

彼は生徒会長としての挨拶を終えた後、「皆さんに聞いてもらいたいことがあります」と話し始めた。

「僕は木村サスケくんのことが好きです。つき合ってください」と、全校生徒の前で告白してきたのだ。

「600人いる前で、マイクを通して言うんですよ。言われた側としては、キョトンとするじゃないですか」

「生徒も、学年関係なく大騒ぎでした」

「先生たちも『そんなこと言うな!』って、すごく慌てていましたね(笑)」

応えられなかった好意

彼とは同じクラスだったため、最初は教室内がそわそわしていた。

しかし、時間が経つと「つき合っちゃいなよ」と彼を応援するクラスメートが増えていった。

「彼の近くにいると、クラスメートに後ろから押されて、抱きつかされたりしました」

「僕は『7組の女の子が好きだから、つき合うことはない』って、ずっと否定してたんですよ」

「でも、キスした唇が柔らかかったことを覚えていて、彼でもいいのかな、って気持ちは少しありました」

2人の友だち関係は続いていた。

友だち数人で、彼の家に泊まったことがあった。

気づくと、彼がいなくなっていた。

「家の中を探したら、3階のベランダから飛び降りようとしていたんですよ」

「『サスケちゃんがキスしてくれないから、嫌い!』って言いながら」

「わかった! キスするから!」と制止し、一緒にいた友だちの前でキスをした。

ひと段落し、全員が眠りにつく頃。

寝る場所を探すと、彼の隣しか空いていない。

「やられたな、と思ったけど、仕方ないから彼の隣で寝ました」

「朝起きたら、彼に包み込まれるようにハグされてましたね(苦笑)」

高校に進学してからも、彼は好意を寄せ続けてくれた。

彼は地元の高校、自分は電車で30分かかる高校に通っていた。

「高1の半年間くらい、ずっと地元の駅で帰りを待っていてくれたんです」

「再び告白された時に『無理なんだ』って断ってから、来なくなりました」

偶然見つけたゲイ雑誌

高校生のある日、部活帰りに地元の書店に立ち寄った。

「テニスの本を読むために行った時に、そこで『薔薇族』って雑誌を見かけたんです」

何気なく手に取ってページを開くと、裸の男性の写真が掲載されていた。

「当時はゲイ向けの雑誌って知らなかったから、驚きました」

「でも、自分の股間が反応したんですよ(苦笑)」

「その時は、これはいけないと思って、すぐに雑誌を閉じました」

その後も雑誌のことが気になり、書店で一度か二度、そっとページを開いたことがあった。

しかし、それ以降は『薔薇族』を見ることもなく、恋愛対象は変わらずに女子だった。


<<<後編 2018/01/10/Wed>>>
INDEX

06 いち社会人として働く意味
07 彼女との別れ、彼との出会い
08 ゲイである自覚と人を好きになる気持ち
09 ゲイ向けイベントを続ける理由
10 “人のため” に自分ができること

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