INTERVIEW

自分の人生は自分で拓く。【前編】

添野沙蘭さんと会ったのは2016年7月。彼が性別適合手術を受けて、すぐあとのことだった。「ストレートがいてゲイがいて、レズビアンがいて、トランスジェンダーがいて、それぞれが様々な想いを抱えて生きていることを、認め合うのが当たり前の社会になるために、自分にできることを何かしたかったんです」と話す添野さんは、『LGBTER』のインタビューに自ら応募してくれた。“夢見ていた未来の自分” への道を、ようやく歩き始めた26歳。今までのことと、これからのことについて、素直な言葉で語ってくれた。

2016/08/30/Tue
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Kei Yoshida
添野 沙蘭 / Saran Soeno

1990年生まれ。神奈川県川崎市で生まれたのち、3歳から長野県長野市で育つ。持ち前の運動能力の高さを活かして、小学校4年生から陸上を始め、高校、大学とスポーツ推薦で進学する。現在は看護師の資格を取得し、都内の救命救急センターに勤務。2016年6月に性別適合手術を受け、女性から男性へ戸籍を変更している。ブログ「the ugly duckllng*」にて、時々のおもいを表現した添野さんの作品(画)を観ることができる。

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INDEX
01 好きだから一緒にいたい
02 充実した生活、ザワつく心
03 10年続けた陸上との決別
04 死と隣り合わせの現場で
05 女性であるという現実
==================(後編)========================
06 “本当の自分” と向き合うとき
07 このままの体で死にたくない
08 家族へのカミングアウト
09 「息って、こんなにしやすいんだ」
10 怖がらずに一歩を踏み出すこと

01好きだから一緒にいたい

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ボーイッシュな女の子

「思い返してみると、小さい頃の家族との記憶は寂しかったことばかりですね」

お母さんは、物心ついた頃から小学校入学くらいまで不在がち。

お父さんは、ひとりで家族を養うため昼夜問わず仕事に出かけていて、家では7つ上のお兄ちゃんと6つ上のお姉ちゃんと、いつも一緒に過ごしていた。

「お兄ちゃんもお姉ちゃんも好きだったし、家族は仲良かったんですが、やっぱり寂しくて。お父さんは仕事も家事もがんばってくれていたけれど、ずっと貧しかったし」

そんな寂しい気持ちを晴らしてくれたのは、住んでいた団地に住む同い年くらいの子どもたちだった。

学校から帰ってきたらみんなで広場に集まって、鬼ごっこやサッカーをする毎日。

そんな日々が、スポーツ好きで活発な添野さんの基盤となったのだろう。

自分は自分

「自分が周りの女の子よりも男の子っぽいなと気づいたのは10歳くらいのとき。でも、別にそのことで悩むことはありませんでした。自分は、こういう男の子っぽい女の子なんだと。それが自然だったし、普通でした」

男だから女だからと区別せず、みんなでワイワイと過ごした小学生時代。

そして中学に入学し、変わらずボーイッシュな女の子として友だちと過ごすなかで、初めての恋を知る。

「同じ中学に通う女の子でした。気づけば、お互いに『好き』って言い合う仲になっていて。でも、女の子を好きになることに疑問を感じたりはしませんでした」

「周りのみんなも、誰かに恋をしているし、自分もそれと同じように恋をしただけ。好きだから一緒にいたい。それが、おかしなことだとは思いませんでした」

学校に行ったら、スカートをはかずにジャージをはく。制服の胸のリボンも取ってしまう。先生から注意されればスカートもはくしリボンも結ぶが、そのうちにまた元どおり。

なぜなら、それが自分のスタイルだから。その感情は、女子の制服を着るのが嫌、というのとは少し違った。

自分は自分。そう思えるのは、自分に少なからず自信があったのだろう。

そして、その自信を支えていたもののひとつには、陸上があった。

小学4年生から陸上を始め、中学でも陸上部に入って4種競技や400mリレーに力を注いだ。

生まれ持っての運動能力の高さと毎日の練習の成果もあって、長野県の代表として北信越や関東地方の大会に出場することもあった。

走るのは気持ちいいし、記録が残れば周りにも評価される。陸上は楽しかった。

02充実した生活、ザワつく心

初めての ”彼女”

高校へは中学時代の功績を評価されてスポーツ推薦で進学。

女子校の陸上部で短距離と円盤投げに打ち込んだ。練習は厳しかったが部活の仲間と過ごす時間は楽しく、それがさらに記録を伸ばすための原動力にもなった。

部活に励みながら、またひとつ、新たな恋も経験した。同級生の女の子だった。

「根はしっかりしているのに、意外に抜けているところがあって、そこが可愛くて。付き合いだしてからも、やっぱり、女同士だから悩むということはありませんでした。自分が好きだから一緒にいるだけ」

「でも、周りの友だちに自分たちが付き合っていることは言ってませんでした。聞かれたら言ってたと思うんですが、聞かれることもなく。あのふたり仲良いなぁ、くらいに思われていたのかも」

ずっと耳を塞いでいた

陸上で名を挙げ、好きな人との恋を育み、充実した学生生活。

周りからは「沙蘭って何でもできるよな。やれないことって何かあんの?」と聞かれるくらいに順風満帆だった。

しかし心は、裏腹に乱れていた。

「いつも心がザワついていて、ここ一番ってときに力が出せなかったんです。陸上部の顧問の先生からは『体格にも恵まれているし、もっと順位を上げて、オリンピックだって目指せる素質があるのに、なんでそんなに自信がもてないんだ』って言われていました」

「なんでなのかは今でも分かりません」

心を乱していたもの。その正体は、はっきりとしない。

しかし添野さんは、ゆっくりと記憶を手繰り寄せ、その頃の悩みを思い出しては拾い上げ、話してくれた。

「家族の喧嘩が絶えなかったんです。お兄ちゃんとお姉ちゃんが、家が貧しいことに対する不満を両親にぶつけていて。自分はひとり部屋にこもって、ずっと耳を塞いでいました」

「いろんな小さな悩みを抱えていたはずなんですが、誰にも打ち明けることができなくて。小さな頃に、甘えたいときに甘えることができなかったからかな・・・・・・」

そんな風に無意識に押し込められた小さな悩みが、吐き出されることのないまま、心のなかで膨らんでいき、心をザワつかせていたのかもしれない。

03 10年続けた陸上との決別

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重くのしかかるプレッシャー

大学は、愛知にある陸上の名門大学へと進んだ。

「円盤投げでオリンピックに出場して記録を残す」と目標が大きくなるにつれ、家族からの期待も大きくなっていった。

厳しい規律、激しい競争、家族からの期待。

もう、”楽しい” だけでは陸上を続けることは難しい。様々なプレッシャーが重くのしかかってきた。

「高校のときから変わらず、ザワついた気持ちはずっとありました。それでも家族や友だちは、沙蘭はきっとオリンピック行くんだろうなって見てて。自分自身もオリンピックを目指していると口では言っていて」

「両親の『がんばれよ』って言葉に応えるために、家族を不安がらせないために、口だけでは言っていて・・・・・・。でも実際には練習に集中できなくて、そんな自分が嫌だったし、両親にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

そして、1年生の9月に大学を中退した。

「陸上が嫌いになってしまったわけではないんです。でも、もうやりたくなかった。周りからは何でもできると思われているのに、実際の自分は心が乱れてモヤモヤしていて」

「今思えば、そのギャップが苦しくなってしまったんだと思います」

大学を辞めることは10年間も続けた陸上を辞めることを意味する。それには相当な覚悟が必要だった。

勇気を振り絞って、泣きながら両親に伝えた。「ごめんなさい。このまま陸上を続けるのが苦しくなった」と。

そして両親もまた、そんな娘の様子に気づいていて、期待していた夢を我が子が手放すのを責めることはしなかった。

言葉にできない想いを線画に

その頃から、自分の想いを線画として描きためるようになった。

「陸上以外にやりたかったもののひとつが絵なんです。図工や美術はもともと得意だったし、言葉で自分の考えを伝えることが難しいときでも、絵なら表現することができるから」

鎖で繋がれた足、どこにも辿り着けない歪んだ階段。

そんな自分の心の苦しみを描いた作品から、同性愛者に対する差別、少年兵や少女買春の問題など、社会への反論を訴えた作品まで、0.38ミリの黒ペンで描かれた繊細な線画が何枚もファイルに残されている。

「友だちのために描くことも多いんですが、そういうのはあげてしまうので手元に残っていなくて」

そう言って見せてくれた最近の作品は、以前のヒリつくような心の苦しみを感じさせるものは少なく、周りの大切な誰かのために描かれた、どこか優しさが漂うタッチの作品だった。

04死と隣り合わせの現場で

友だちの自殺

大学を辞めたあとは、お父さんの勧めもあり、看護専門学校に入学。

志を同じくする仲間のなかで3年間学び、晴れて看護師となり、都内の救命救急センターに就職した。

救命救急センターを志望した理由を問うと、添野さんは辛い思い出について話してくれた。

「専門に通っているときに、仲良かった友だちが自殺してしまったんです。何度も悩みを相談されていたのに、自分は『大丈夫だって。時間が解決してくれるから』と答えるだけでした。まさか自殺するなんて思っていなくて・・・・・・、亡くなったと聞いた瞬間、空っぽになってしまいました」

「あいつを窮地から救うことができなかったことが悲しくて」

救える命を救いたい。だから救急を志望した。

死と隣り合わせの危険な状態にある患者が運ばれてくる救命救急センター。その現場で、命の瀬戸際に何度も立ち会ううちに、これからの自分の役割について考える。

「患者さんを救うことはもちろんですが、患者さんの家族にもっと寄り添いたいと思っています。患者さんを見守りながらも不安な気持ちでいっぱいの、家族の方の気持ちをケアできる看護師になりたいです。交通事故の患者さんだと、傷だらけだったり、体にたくさんの管が入っていたり、本当に痛々しい状態で・・・・・・。」

「愛する家族だとしても怖くて手が出せないこともあるんです。そんなとき、体をさすってあげてくださいね、名前を呼んであげてくださいね、と声を掛けるようにしています」

心を助けてあげたい

「あと、最近になって気付いたんです。自分は、自殺した友だちの止まりかけた心臓を蘇らせたかったというよりも、悩みを抱えていた彼の心を助けてあげたかったんだと。彼の心のなかのモヤモヤを取り除いてあげたかったんです」

「いつかは、看護師という仕事の延長線上で心のケアができるようになりたいと思っています」

さらには、病院の待合室に置けるような絵本をつくりたいと夢を語ってくれた。

「読んでくれた子が、これから生きていくうえでのきっかけになるような絵本が描けたらいいなと思っています」

05女性であるという現実

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トイレは女性用

救命救急センターでの仕事にやりがいを感じる一方、やはり社会では自分は女性なのだと思い知らされる場面があった。

職場では、男女でユニフォームの差はない。

ボーイッシュな添野さんは、きっと男性に見えただろう。

しかし、トイレは女性用を使用するほかなく、忘年会などで男女に分かれて出し物を披露する場合は女性グループに組み込まれた。

「高校も専門学校も女子校だったので、自分のセクシュアリティについて深く考えることがなかったんだと思います。でも、社会に出てみると男性も女性もいて、自分は女性側の人間なんだと改めて気付いて、ハッとなりました」

「同時に、すごく悔しいと思ったんです。男性のほうに入れないことが、たまらなく嫌で。そこで、やっと、自分の心は男なんだと自覚しました」

円盤投げの日本代表選手を目指して進学した大学も、共学だった。体育の授業も部活も、男女別々に行なわれた。

その居場所のなさからくる悔しさも、大学での生活を続けられなった原因のひとつだったのかもしれない。

自分は何なんだろう

大学を辞め、専門学校に通うために上京してから、新宿二丁目に遊びに行くようになり、友だちも増えた。

自分は女性であり、女性が好きだ。

それはどういうことなのだろう。自分は何なんだろう。

誰かと想いをシェアすることで明らかにしたかった。

そして、二丁目で出会った友だちのオープンな考えに触れるうち、自分が女性を好きだということを積極的に周りに伝えていこうと思うようになった。

「専門学校でも職場でも、オープンにしていました。オープンにすることに抵抗はなかったですね。もし、そのせいで関係が崩れたら、それまでの関係だったんだなって」

「でも、周りはそこまで驚く様子もなく、あ、そうなんだって感じで(笑)」

それでも、やはり、体は女性であり、社会において男性として扱われることは難しかった。

その悔しさは日々、いろんな場面で積み重なっていった。

<<<後編 2016/09/02/Fri>>>
INDEX

06 ”本当の自分” と向き合うとき
07 このままの体で死にたくない
08 家族へのカミングアウト
09 「息って、こんなにしやすいんだ」
10 怖がらずに一歩を踏み出すこと