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世の中の “アライ” を増やすことが、LGBTQ当事者の働きやすさにつながる。

界面活性剤や高吸水性樹脂など、暮らしを支える製品を研究・開発・生産している化学メーカー「三洋化成工業株式会社」では、2018年10月から、LGBTQ理解促進のための取り組みを始めている。そのきっかけを作ったのが、代表取締役社長の安藤孝夫さん。2018年夏にたまたま参加した講演会で「当時、人口の約7%がLGBTQ」と聞き、想像よりも多かったことに衝撃を受けたという。「私は “知らないことがある” ということを知っています」と、話してくれた安藤さん。知らなかった事実を知ることが気づきとなり、新たな取り組みの原動力となってきた。

2020/11/10/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
三洋化成工業株式会社 代表取締役社長 安藤 孝夫 / Takao Ando

1953年、大阪府生まれ。高校時代に化学の魅力を知り、大阪大学大学院工学研究科を卒業後、1977年に新卒で三洋化成工業株式会社に入社。新技術・プロセス開拓室長、研究本部長、国際事業推進本部長、常務執行役員、専務執行役員を経て、2011年に代表取締役社長兼執行役員社長に就任。

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01親の教えと頑固な少年

── ご出身は、大阪なんですね。

えぇ、大阪市で生まれ育ちました。ただ、当時の大阪市は今と違って、畑が広がっていましたね。

── 現在は賑やかな街ですが、のどかな場所だったのですね。安藤さんのご家族は?

父、母、兄、私の4人家族でした。

母は、やさしい人でしたね。私は頑固で意固地な子だったので、母を困らせたと思います(笑)。それでも母にひどく叱られた記憶がないので、やさしかったのだと思います。

一方で、父は実直で厳しかったですね。子どもの頃の記憶だから、曖昧ですが、「ウソをつくな」「人のために動け」といったことを、言われていた気がします。

今、自分自身が親になって、子どもたちに期待していることは、「人の痛みがわかる人間になってほしい」という1つだけ。この思いこそ、親から受けた教育の結果だと思います。

── ご両親の役割が、しっかり決まっていたのですね。そんなご両親に育てられた安藤さんは、どのような少年だったのですか?

母親は「孝夫は言うことを聞かない子だった」って、言ってましたね(笑)。買い物に行って、「あれが欲しい」と泣き出したら、どうしようもなかったと。

ただ、頑固に言い分を貫いたのは、私なりの理屈があったんです。

私はものすごく記憶力のいい子どもだったので、親が私をなだめようと、「今度お手伝いできたら、買ってあげる」と言ったことを、覚えていたんですよ。だから、親がその言葉を忘れて買ってくれない時に、意固地になっていたんです。

親になった今、自分の子どもが幼い頃の私みたいだったら、イヤですけどね(笑)。

── 確かに、親の言葉を覚えていたら、約束を破られたと思うかもしれませんね。

そうでしょ。あと、幼い頃の私は、結構変わった人間だったと思います。小学1年生くらいで、死んだらどうなるんだろう、って考えていましたから。

当時の平均寿命が70歳くらいでしたから、60年後くらいに死ぬことを考えて、ただただ恐怖を感じていましたね。布団の中で、1人で。

まだ6年ほどしか生きていなかったですし、周りで誰かが亡くなったわけでもありませんでした。小学1年生だから読書もするはずがないし、当時はテレビもほとんどなかったので、何がきっかけで “死” を意識したかは覚えていないんです。

“死” について考えていることは、家族にも友だちにも言いませんでした。その頃は、「哲学を研究すると自殺してしまう」という偏った考えが、当たり前にささやかれていた時代なので、周りに言ったら心配をかけてしまう、と思いましたね。

02気づけなかった “違和感”

── 幼少期は「言うことを聞かない子ども」だったと伺いましたが、友だち間でも主張するタイプでしたか?

いえ、子どもの頃は、家族以外に対しては内向的で、思ってることを言えませんでした。自分の性格を変えようと努力したこともありましたね。

── そうだったんですね。クラスの中では、おとなしいタイプ?

目立たなかったと思います。勉強をしないで、本もほとんど読まない子でした(苦笑)。友だちと広場で野球をしたり、部屋の中で将棋をしたり、そんな毎日だったと思います。

当時から物事に没頭する一面があって、切手集めをしていましたね。1964年の東京オリンピックを記念した切手は、結構集めていたはずです。

── ご両親から、「勉強しなさい」と言われるようなことはなかったのですか?

あまり言われなかったですね。そして、言われないから、やらなかったと(笑)。

高校入試のタイミングで、さすがに勉強しなければと思い立って、勉学に集中しました。その結果、いい成績が取れて、無事に進学。

ただ、その高校では、大学紛争を真似て、生徒たちが学校封鎖などをしていたんです。積極的に参加はしませんでしたが、学校全体が学生運動を是とする空気がありましたね。

── 学生運動は、大学生が行っていたものだと思っていました。

いや、本当に真似していただけで、大学生のような思想はなかったんですよ。だから、3年生になると、同級生みんなが大学進学に勉強が必要なことに気づいて、きちんと授業を受けるようになりました(笑)。

── 我に返ったんですね。安藤さんの幼少期、同和についてなど人権教育はありましたか?

生まれ育った大阪には部落が残っていますが、私は知りませんでした。学校でも家庭でも、部落に関する教育を受けたことがなかったんですよ。

高校時代に「部落」という言葉を知り、フェアじゃないな、と感じましたね。そんなことで差別されるのはおかしい、と純粋に感じました。

当時は、男女の差も、現代よりずっとあったと思います。「男性は男性らしく、女性は女性らしく」という考えが一般的で、男の子は家庭科の授業がなかったし、女の子は技術の授業は受けていませんでしたから。

── 当たり前のように授業が分けられていたら、違和感などは生まれにくそうですよね。

その通りです。大人が「男性は外に出て、女性は家庭を守る」と言っていれば、子どもはそれが当たり前だと思います。当時の自分は、大人の言葉に疑問を抱くことはなかったです。

部落問題にしろ、男女の差にしろ、差別が存在するという事実を知らなければ、問題意識を持ちようがありませんよね。過去を振り返ると、教育がいかに大事か、ということに気づきます。

03今いる環境を全うする生き方

── 子どもの頃は、どのような夢を抱いていましたか?

小さい時は、宇宙飛行士って言ってました。あと、母に持病があったので、ラクにしてあげたくて、医者を夢見た時期もありました。

高校2年生の時かな。化学の面白さを知って、今の道に進んだんです。

当時の化学の先生が、「受験勉強なんて何の意味があるんだ」という生徒の言い分を汲んで、受験と関係ない授業もしてくれたんですよ。例えば、H2Oの分子軌道のこととか。

その先生の授業が面白くて、化学に興味を持ちましたね。

── 大学でも、化学を専攻されたのですか?

そうです。工学部だったのですが、3年生で化学の研究室に入って、研究に没頭しました。

研究のしすぎで鼻血を出したり、使用する薬品の影響で白血球の数値が2000を切ったりすることもあったくらい。今だったら問題になるかもしれませんね(苦笑)。

尊敬し、指導していただいていた先生は、私を早く帰らせるため、隣で器具を洗ってくれていました(笑)。

── そこまで研究に没頭したのは、目指すものがあったから?

ただ成果が出ると面白かったからです。当時、研究を通じて社会を変えよう、といったビジョンはありませんでした。

先生に手伝ってもらいながら、すごいスピードで研究を進めて、4年生と修士課程の3年間で7つの文献を出しました。

── 3年で7つも!? その成果を持って、三洋化成に入社されたのですね。

新卒で入りました。研究重視の会社だったので、自分も研究を続けられると思っていたんです。

ですが、最初の配属先は名古屋の工場で、三交替勤務が始まりました。 “3K” もいいところの肉体労働です。同期はブーブー文句を言っていましたね。

でも、私は、運動代わりの肉体労働ができるし、夏場はサウナに入っているようなものなので、給料をもらいながらこんなに健康的な生活が送れるのか、とうれしく感じていました。

── ポジティブな発想ですね。

前向きとかじゃなくて、心からそう思えたんですよ。疑問や不満を抱かなかったのは、職場環境に申し訳なさを感じたからかもしれません。

工場をまとめるリーダーは、高卒で入社した20歳くらいの男性でした。真摯に働いていて、パフォーマンスも素晴らしいんですよ。

でも、院卒で年上というだけで、新人の私の方が給料が高かったのです。申し訳ない思いがありましたね。

その経験があって、今でも学歴差別はとんでもないことだと感じています。出身校で差をつけず、個人のパフォーマンスで判断するべきです。だから、現在の当社の入社試験では、大学名を伏せるようにしているんです。

── 新人時代の経験が、今も生きているんですね。

そうですね。そして、工場勤務を数年行ったところで、たまたま研究部門の人出が足りなくなり、私が呼ばれたんです。当時は、人工皮革の原料の研究をしていました。

34歳を超えたところで研究全体を革新する仕事を担当し、45歳で取締役になりました。

なぜ、私が早いタイミングで組織のボードメンバーになれたかというと、疑問や不満を会社にぶつけなかったからです。会社に盾つく生意気なやつを、役員にするわけがないですよね。

04三洋化成のトップとして大切にしていること

── 「入社当時は不満を抱かなかった」と話していましたが、会社に対する疑問は徐々に出てきたのですか?

そうですね。学歴差別もその1つですが、世間でいわれていることが正しいとは限らない、とはずっと感じていました。「配当を増やせ」と言う株主に、そのまま従うのも違うんじゃないか、と思ったり。

ただ、会社批判、社長批判をすれば、クビになりかねないですから、ずっと我慢していましたね(苦笑)。

── 疑問をぶつけ、会社を変える機会をうかがっていたのですか?

はい。今、社長という立場になれたからこそ、若い頃から感じていた違和感を払しょくするため、会社を徹底的に変えようと考えています。

売上や利益を上げることよりも先に、従業員が働きやすい組織にすることが、会社の役割だと思うんです。従業員が働きがいを感じながら、自己成長し、社会に貢献できるようになることが最終的な目標です。

そのためにも、社長である私がただ自分の意見を貫くのではなく、現場の声を吸い上げることを大切にしています。

三洋化成は2000人規模の大きな会社ですから、私が現場の末端の作業まで把握できていないことがあります。ですので、本部長や部長に「現場での問題点や大変な仕事があるなら、教えてほしい」と、伝え続けています。

── 直接トップに進言できる場があるだけでも、働きやすさにつながりそうですね。

そう考えています。コミュニケーションを取りやすいように、社長室のドアは常に開けて、従業員は誰でもアポなしで入ってこられるようにしているんです。

私自身、出かける直前でなければ、いつでも対応しています。従業員の側からしたら、「オープンにしている」と言っている社長に1回でも「対応できない」と言われたら、二度と行く気にならないでしょ。それが恐いので、どれだけ忙しくても話を聞くようにしています。

そして、従業員の言い分がもっともであれば、改善に動きます。私は頑固ですが、自分が間違っていたと思えば、すぐに修正できる人間でもありますから。

あと、その場しのぎが大嫌いなんですよ。曖昧に誤魔化さず、やると決めたら実行に移したい。その結果、自分の首を絞めることもあるんですけどね(笑)。

05 「フェアでないこと」への憤り

── 三洋化成において、ダイバーシティ推進の取り組みが始まったのは、いつ頃のことでしょう?

2014年に女性活躍推進の取り組みを始め、2018年から、より積極的に進めています。女性管理職や女性リーダーを増やしつつ、女性従業員向けの研修や育休復職者支援セミナーなどを行っています。

── 新たな取り組みを始めて、反発の声は上がりませんでしたか?

確かに、「逆差別だ」とおっしゃる人はいます。その時は私自身の言葉で、「日本の男女の比率は何%か知っていますか? それと比べて、女性管理職が数%しかいないのはおかしいでしょ」と、説明しています。

「女性は経験が少ないから、管理職は無理だ」とおっしゃる方もいますが、それは会社が経験の場を与えていないことが原因ですよね。

高校時代に知った同和問題や、新人時代の学歴差別にも通じますが、私はフェアでないことに対して、憤りを覚えるんです。

かつて当社には、「一般職は○年の実務経験がないと昇格できない」「育休を取得した翌年は昇格できない」という規定がありました。この規則が大嫌いだったんです。

何年目であっても、育休明けであっても、その時点で発揮できる能力が高ければ、評価するべきだと思います。なので、優秀な人はいつでも昇格できるように、規則を変更しました。

── 若い頃に疑問に感じていたことを、今まさに変えていっているんですね。そして、ダイバーシティ推進の一環として、LGBTQに関する取り組みも始められたと。

2018年に伺った講演会で、たまたまLGBTQに関する話題が出たんですね。その講演では、「LGBTQは7%の割合で存在する」と、聞きました。

もともとLGBTQという言葉は知っていたのですが、7%もいるとは思っていなかったので、驚きました。当社の従業員2000人の中に、LGBTQの方は140人いることになります。そう考えると、多いですよね。

それまで知らなかったことを知り、すごく衝撃を受けたし、視野が広がった気がしました。

私がLGBTQ当事者だったら、きっと生活しづらいだろうな、と感じましたね。例えば、連休に同性のパートナーと旅行に行ったとして、社内で「どこか行った?」と聞かれたら、答えづらくなってしまうでしょうから。

講演が終わってから、すぐに人事本部で女性活躍推進を進めていた担当者に、「LGBTQに関して取り組みたい」と伝えました。

── すごいスピード感ですね。

計画を作るところから始めたら、早くても半年はかかってしまうので、それよりもまず動こうと思ったんです。

LGBTQに関する情報を集める中で、社外の方にも助言をいただいて、2018年10月、全社向けにLGBTQに関する取り組みを進めることを宣言しました。

06動いてみないとわからない効果

── 最初に従業員の皆さんに向けて宣言をしたのは、どのような思いからですか?

会社の方針は、トップダウンでないと伝わらないですし、広まりません。特に、LGBTQに関する取り組みは、効果が見えにくいので、社長である私が動かなければいけないと考えました。

また、私は “動きながら考える” ことが大事だと考えているからです。

机に向かって計画を立てても、時間がかかるだけで、何も進みません。ですが、とりあえずアクションを起こせば、何かしら返ってきますよね。壁に向かってボールを投げれば、跳ね返ってくるのと同じです。

返ってきたものを参考にした方が、効果的な計画が立てられる、という信念があります。

── 新しいことを始めるとなると、つい踏みとどまる理由を考えがちですが、その前に動いてしまうのですね。

LGBTQの取り組みを進めようとすると、よく「まだ早すぎる」と言われます。「女性活躍の効果もまだ出ていないのに」「取り組みの全体像を組み立ててから」と、後回しにする理由を並べる人は多いですよね。

私は、そういうことを考えている間に試行錯誤して動いたらいい、と思うんです。事故や法律違反さえしなければ、後々の効果は考えずに、まずやってみる。実践して不具合が生じたら、規則を修正したり、元に戻したりすればいいんです。

現状、私が進めてきた取り組みは、特に問題なく進められています。

── LGBTQに関しては、具体的にどのような取り組みを進められたのですか?

2019年1月にダイバーシティ推進部を発足し、社内向けのLGBTQ理解研修やハラスメント防止研修を開始。同年7月には、福利厚生に関する社内規定を変更しました。「配偶者」という記述を「パートナー」に読み替えることができる規定にしたんです。

また、パートナーの福利厚生制度適用においては、公的書類の提出を不要とし、自己申告による申請を可能にしました。この変更で、同性パートナーも認定できるようになりました。

「自己申告にしたら虚偽の申請があがる」という声もありましたが、当社に100人も200人もウソをつく人がいるはずない、と従業員を信じて、規定の改定に踏み切りました。

── 会社にとって、大きな一歩ですね。

はい。さらに、2020年8月には、YouTuberのかずえちゃんが当社の仲間に加わってくれました。

かずえちゃんとの出会いは、2019年秋の九州レインボープライドでしたね。そこで私から「うちの従業員にならないか」と、誘ったんです。初対面でそんなことを言われたら、本気だとは思わないですよね(笑)。

その後もやり取りは続けていて、今年の7月、従業員向けにLGBTQをテーマにした映画『カランコエの花』の上映会をした際に、かずえちゃんにも参加していただきました。その時に、「去年伝えたことは冗談じゃないよ」と、再びオファーしたんです(笑)。

── そして、8月の入社が決まったんですね。社員として、かずえちゃんに期待していることは?

みんなと同じように生活している人の中に、当事者の方がいるということを、知ってもらうきっかけになってほしいです。

「出身地や性格、趣味など、さまざまなものが人を構成していて、セクシュアリティはその1つに過ぎない」と話すかずえちゃんが発信するからこそ、LGBTQに対する理解が深まると思っています。

先日、役員に話を聞いたら、「YouTuberと聞いてチャラチャラした人を想像していたけど、かずえちゃんは好青年で、ファンになった」と、言っていたんです。社内でもいい刺激になっていることを感じましたね。

07 LGBTQアライを増やすことの意味

── 取り組みを進める中で、社員の反応はいかがですか?

昨年7月に福利厚生に関する規定を変えてから1年経っても、自己申告で申請する人がいなかったので、まだ社内の風土が変わっていないのかな、と感じていました。

従業員のLGBTQに対する理解を深める目的で、今年7月に『カランコエの花』の上映会をする際も、就業時間外に行ったので、参加者はほとんど集まらないのではないかと予想していました。

でも、実際はかなり多くの人が参加してくれたんです。ダイバーシティ推進部と一緒に発信してきた情報は、きちんと根ざしていたんですね。もっと従業員を信じなければいけないな、と感じました。

── 参加人数という形で、成果が見えた瞬間だったのですね。

「LGBTQに関して取り組みたい」と最初に伝えてから、ずっと奮闘してくれていたダイバーシティ推進の担当者が、上映会の最後、感極まって泣きながら挨拶していたんです。その姿を見て、私ももらい泣きしそうになりましたね。

参加者が回答してくれたアンケートには、長文の熱いメッセージが書かれていて、感動しました。研修やイベントを繰り返していくことで、LGBTQを受け入れる風土ができ、ボトムアップも期待できるのだと実感しています。

── 将来的に、どのような会社にしていこうと考えていますか?

三洋化成では “アライ” という言葉を使わなくていいくらい、LGBTQの方々の存在を当たり前のものにしていきたいです。

私は、当事者にカミングアウトしてほしいわけではありません。取り組みの目的は、LGBTQアライを増やすことだと考えています。

アライが増え、社内のほとんどの人がLGBTQを受け入れ、応援する風土ができれば、当事者の方はうれしいのではないか、働きやすくなるのではないかと思うんです。

── おっしゃる通りで、周りが受け入れてくれていると感じるだけで、心持ちは変りますよね。

えぇ。私は、全従業員が自分らしく幸せになれる会社を、目指しているんです。

一生懸命、業務に取り組んでいる従業員が、少しでも働きやすくなるように、社内の制度を変え、環境を整えています。

そして、皆が働きやすくなれば、自然と最大限のパフォーマンスを発揮できるようになると思うんです。それは従業員本人の評価につながりますし、会社にとってもプラスです。

── 従業員の働きやすさを追求することで、プラスの循環が生じるというわけですね。

そう考えていますし、社会全体にも通じることだと思います。

化学業界やメーカーは古い体質のまま、変えていないところも多いんですね。だから、私は大会社の社長との会食の場で、LGBTQに関する講義をしているんです。

大会社ともなると、役員向けのLGBTQセミナーを行っているようですが、まだまだ詳しく知らない方もいるので、まずLGBTQの比率を伝えるところから始めています。私自身が衝撃を受けた事柄なので。

社内外問わず啓発活動を行うなど、私ができることを続けていきたいですし、LGBTQの存在を知った人には、自分にできることを探してほしいですね。レインボーのシールをスマホやPCに貼るだけでもいいと思います。

アライを増やすことは、誰もがフェアに評価されることにつながります。そして、 “全従業員が自分らしく幸せになれる会社” に近づけることができる。

従業員と一緒に試行錯誤しながら、社内の風土を変えていきたいですね。

 

>>三洋化成工業株式会社の「ダイバーシティ&インクルージョン」について、もっと知る

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