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ドラァグクイーンとして、ファッションや音楽を融合するきっかけに。【後編】

ドラァグクイーンとして、ファッションや音楽を融合するきっかけに。【前編】はこちら

2020/08/29/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
サマンサ・アナンサ / Samantha * Anansa

3才から英語に触れる。学習を通して英語への興味が高まり、高校と大学でアメリカへ留学。大学卒業後は大手航空会社グループに就職し、約16年勤める。2019年よりミチココシノジャパンのPRアンバサダーに就任。ブランドの広報活動を行うとともに、タレントとしてアーティストとのコラボやイベントのMCなどを務めるほか、YouTubeで自らのコンテンツ等も発信している。

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INDEX
01 いで湯と城と文学の街に生まれて
02 小学6年で味わった大きな挫折
03 好きな女の子と気になる男の子
04 アメリカ留学を母親に直談判
05 フライトアテンダントになりたい
==================(後編)========================
06 ホモセクシュアルって、なに?
07 ドラァグクイーンとして舞台に立つ
08 “サマンサ” としてアパレル業界へ
09 ゲイでもバイセクシュアルでもなく、クィア
10 “普通” の定義を押し付けないこと

06ホモセクシュアルって、なに?

LにもGにもBにも当てはめたくない

ところで恋愛の話。

大学卒業まで女性の恋人がいたが、同時に「アメリカでいろいろな生き方を見聞きしたりして、もしかして自分は男性もいけるかな?」と、思い悩んだのも大学生のときだった。

「そのときは、自分は病気やと思ってました」
「いつか治るんだろうと」

「でも、誰かに相談することなんてできなかった」

のちに、とある知り合いから「そういうのを、ホモセクシュアルって呼ぶんだよ」と言われ、衝撃を受ける。

「それってなに? って・・・・・・」

「病気じゃなくてホモセクシュアル、ゲイって言うんだ・・・・・・」

「え、でも、自分は女の子とも付き合ってたけど、ってその知人に言ったら、『それはバイセクシュアルだよ』と」

「さらに、当時はLかGかBの3つしかなくて、どれかに自分を当てはめなくちゃいけないって言われて、いや自分は違う、どこにも当てはめたくない、って心のどこかで抵抗してました」

ゲイコミュニティでの交流

帰国してからも彼女ができたので、自分の恋愛対象はやはり女性なのだと思おうとした。しかし、それも嘘をついているように思えた。

自分は、無理して女性と付き合っているのでは・・・・・・。

「そしたら、その彼女が浮気したんです。知ったときにはイラッとしたんですが、そのうち『ま、別にいいか』ってなって」

「相手に執着していないことに気づいたんです」

その後はインターネットでゲイについて調べるようになる。
イベントにも参加し、ゲイコミュニティの友だちも増えていった。

「その頃には、もうゲイは病気だとは思ってなかったし、自分はゲイだと思ったんです」

「ゲイっていっぱいいてるやん、白黒はっきり当てはめられてない人だってぎょうさんいてるやん、って思えるようになってました」

そして就職し、関西へと拠点を移す。
関西にもゲイコミュニティがあることを知り、遊びに行くなかで友だちも増えた。

「その頃に出会ったのが親友のナジャ・グランディーバさん」

「あるとき友だちがイベントをすることになって、その司会を頼めないか、ときかれて」

「ナジャさんに相談したら『あんたがやったらいいんちゃう? メイキャップとか教えてあげるし、ドラァグクイーンやってみたら?』と言われ」

「で、当時ナジャさんが住んでいたマンションで、わたしにメイクをしてくれたのがきっかけ、というかドラァグクイーン歴の始まり」

「22か23の頃でした」

07ドラァグクイーンとして舞台に立つ

シンボリックな部分をトゥーマッチに表現

「女装とドラァグクイーンは別物」

「女装という意味では、小さい頃にわたしも興味本位で、お母さんの口紅ぬって、スカートはいて、髪にピンつけて、ってやりました」

「でも、それはあくまで好奇心からやっていただけ」

「ドラァグクイーンは、文化なんです」

女性のシンボリックな部分をトゥーマッチに表現する神秘的な存在。
単に女性のような格好をするだけではないのだ。

「最近では、『ル・ポールのドラァグ・レース』の印象が強いせいか、海外からやってきた文化だと思われがちだけど、そもそも日本で古くから行われてきたことなんですよ」

平安時代に女人禁制の場で行われてきた主従関係などに基づく男色は、戦国時代の武士のあいだで、部下や小姓に対して行われ、江戸時代まで公然と続けられていた。

性的な関係性を差し引いても、ここ日本において、男性が化粧や髪型などで女性的な部分を強調して装うという文化の歴史は長い。

「それが、さまざまに発展し続けて現在に至ったのがドラァグクイーン」

ゲイカルチャーから生まれたものではあるが、必ずしもドラァグクイーン全員が男性だということではない。

男性も女性もいる。ゲイもいればレズビアンもトランスジェンダーもいる。セクシュアリティは関係ない。

「わたしたちは第3世代にあたるんですが、第4世代以降は日本のポップカルチャーを色濃く映しているような気がしますね」

「メイクのテクニックも、メイク道具のクオリティも上がってるしね」

グラデーションが心地いい

そのなかで、自分自身の表現のコアとなるものは、コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコ。「コシノ3姉妹」との出会いだった。

「ご縁があって、コシノ3姉妹とは家族ぐるみでのお付き合いがあり、ショーに参加したり、現在は三女、コシノミチコの手掛けるブランド・ミチコロンドンのPRアンバサダーという役割を担うようになりました」

「PRアンバサダーを通じて、アーティストさんとのつながりも増えてきたこともあって、ドラァグクイーンとして、いろんな文化の芸術的要素を融合するきっかけになれたらいいな、と思っています」

その点では、幼い頃から声楽や作曲などに触れてきたことも、自分の表現においてプラスになっていると、いまになって思う。

そして、10年前なら、女性タレントやモデルしか担っていなかった領域に、いまはドラァグクイーンが登場する機会も増えつつある。

自分もそれを担っているという自負もある。

「ファッションにも音楽にも正解はないし、国境もない」

「いい意味でグラデーションをもって存在しているから、白や黒に当てはまらなくてもいい。だからかな、そういう意味でいま居心地はいいほうです(笑)」

08 “サマンサ” としてアパレル業界へ

「コシノのジュンコです」

アパレル業界に関わるようになったきっかけは、日本を代表するファッションデザイナー、コシノジュンコさんだった。

「当時、ジュンコママはドラァグクイーンたちにオートクチュールでドレスをつくっていて、パリコレに連れて行こうとしてたんです」

「わたしも、そこに一度参加させていただきました」

「名刺を求められたから、本職のほうの名刺を渡したら『あらサマンサ、あなた航空会社で働いてるの? ちょうど明日空港に行くから、見かけたら声かけるわね』ってジュンコママが」

「見かけても絶対わからんやろって思ってたら、翌日内線がかかってきて」

「『コシノさんってかたからお電話です。どちらのコシノさんかと伺ったら、“コシノのジュンコです”っておっしゃっています』って(笑)」

わざわざ会いに来てくれたのだ。

そこから交遊がスタートし、仲が深まっていくうちにコシノジュンコさんの妹であり、同じくデザイナーであるコシノミチコさんとも意気投合。

大阪のご実家や、東京とロンドンのオフィスを訪ねるようになる。

“普通” のことができない自分

「ちょうどその頃、この先どうしようか悩んでたんです」

将来性はあったのかもしれないが、航空業界で専門性を高めながら働くことに、徐々に違和感を感じるようになる。

出世意欲もなかったのかもしれない。

自分のセクシュアリティはもちろん、ドラァグクイーンとして活動していることは、職場の誰にも話していなかった。

さらには、結婚を機に退社していく同期の女性たちを見送っているうちに、自分は結婚適齢期を逃しているように思えてきた。

両親に対しても申し訳ない気持ちが募ってくる。

結婚して、子どもができて、親に孫を見せて、「子育てって大変!」と言いながら、子育ての幸せを噛み締めて・・・・・・。

そんな “普通” のことができない自分。

「普通ってなんなのか、わからなくなった」

そんな自分の気持ちなどお構いなしに、周囲の人々は “普通” を押し付けようとしてくる。

結婚しないの? 彼女は? お見合いしたら?

「もう、それがなんかしんどくなってきていた時に、ナジャさんが『自分らしく生きることは、とてもシンプルよ』って言ってくれて」

自分がやりたいと思えることが見つかったとき、結婚や子どもに縛られることなく自由にできるんだから、それは逆にプラスなんだよ、と。

「その後、明石家さんまさんのテレビ番組に出演することになって、いよいよいまの仕事を辞めようって気持ちになったんです」

「それをまずジュンコママ(コシノジュンコ)に話したら、『秘書としてうちへおいで』と誘ってくれました」

「そしてミッちゃん(コシノミチコ)にも話したら、『サマンサのままで、うちでプレスとか広報とかやってよ』と言ってくれて」

「結果、ミチココシノジャパンでお世話になっています」

ドラァグクイーンとしての活動にも力を入れつつ、自分らしさを隠さずに生きていきたい、そのおもいが自然とカタチになった。

09ゲイでもバイセクシュアルでもなくクィア

Qがあってよかった

白か黒か、どちらかに自分を当てはめるのは難しい。
いま現在の自分のセクシュアリティを問われたら、クィアだと答える。

「これまでバイもゲイも、名乗ってはみたんですけどね(笑)」

「仲良しの同期の女の子が結婚するって聞いたとき、失恋くらいのショックを受けたり、逆にいかにもモテそうなゲイから誘われても、まったく興味が湧かなかったり・・・・・・」

どこにも当てはまらない。
無理に当てはめると嘘をついている気分になってしまう。

クィアと名乗るのが、一番しっくりきた。

「Q(クィア)って言葉があってよかった」

「なかったら自分が何者か、わからないままで、分裂しそうだった」

そしていま、改めて自分のセクシュアリティに向き合ってみる。

「あえて言うなら、『ゲイ寄りの時期が長かったのかな』って感じ」

「でもいま同性パートナーシップ制度が広がっていて、男性同士でも異性カップルのように暮らせるようになっても、わたしは男同士で一緒に住んだり、生活したりしたくないんですよね」

「半同棲くらいならできても、完全な同居は無理」

「気持ち悪いとさえ思っちゃう(笑)」

感性が解き放たれ、研ぎ澄まされていく

「でも、女の子とだったら、むしろ一緒に住みたいと思うのよね」

「住みたいってだけじゃなく、パートナーとして一緒にやっていけるかも、とまで思ったりする。よくわからない状態になってるの、わたし(笑)」

そもそも、いまは「誰かと一緒にいる」ことが、自分にとってもっとも大切なことではなくなっているのかもしれない。

それよりも、もっと大切なものがきっとある。

「なんか、最近、異常に敏感なんですよ」

「もともと音楽は好きで、作曲もしてたけど、最近は電車を降りた瞬間に湧いてくるメロディをボイスレコーダーで記録せずにはおられない」

「で、家に帰ってからキーボードで弾いてみて、インスタグラムで公開したりしてるんです」

転職によって、ようやく自分が解放されたことで、感性も解き放たれ、さらに研ぎ澄まされていくような感覚。

「その感覚がちょっといま異常」

「異常よ、異常。これはもう異常気象よ(笑)」

10 “普通” の定義を押し付けないこと

マイノリティだからと嘆くのではなく

自分のセクシュアリティと向き合うとき、コシノミチコさんの言葉が大きなインパクトをもって思い出される。

「ミッちゃんが『マイノリティって、いまの流行りのように言われてるけど、イギリスに来て、わたしなんてずっと自分をマイノリティだと思ってた』って」

デザイナーとして活動し始めたときから、アジア人だということだけで、作品の価値が認められず、アイデアは横取りされた。

ゲイのデザイナーたちが活躍した時期も、ストレートの女性で、ましてやアジア人には、波にのる機会が与えられなかった。

「でも、活躍していたゲイのデザイナーたちの多くは、当時HIVで死んでしまったと」

「でも、そのおかげで次は自分が活躍できると考えるんじゃなくて、自分にできることは何かを考え、コンドームのパッケージデザインを始めて、その売り上げをエイズ予防財団に寄付したんです」

自分はマイノリティだから恵まれないのだ、と嘆くのではなくマイノリティであってもできることを見つけて、行動に移す。

その素晴らしさを教えてもらった気がした。

「いまミッちゃんは、コロナ感染予防のためにマスクもつくってます」

世の中に求めているものを感じ取り、生み出す力。
その力をとても偉大だと感じる。

相手を知り、譲り合うこと

「ゲイだからとか、マイノリティだからとか、どこかに当てはめたり、レッテルを貼ったりなんて関係ない」

「言葉も行動も、そのひとの体験から生まれてくるものなんだと思うと、なにかに所属するとか、セクシュアリティとか、こだわりがなくなった」

かつては自分は
ゲイなのかバイセクシュアルなのか。
“普通” には生きられないのか、病気なのか、治るのか。

そう悩んでいたこともあった。

「でもいまは、”普通“ の定義を考えすぎないほうがいいって、思ってる」

そして、その定義を相手に押し付けることもすべきではない、と。

「確かにTPOは無視できないから、ある程度スタンダードに合わせることは必要だけど、そこに当てはまっていないからダメということじゃない」

「『“普通” はこうだよ!』って押し付けるのが、すごくイヤ」

「相手が『わたしはこう思う』とスタンダードから外れるようなことを言っても、『なるほど、じゃ、わたしはこう思う』とお互いに相手の考えを知って、一歩ずつ譲り合えばいいんだと思う」

「既存のセクシュアリティに当てはまらないから、スタンダードな生き方ができないから、もう自分には未来がない、自分は世の中に必要な人間ではないと思わないでほしい」

「たった一歩だけ、相手に譲るだけでいい。なんかそういう感じ。そういう感じでいきたい」

「言葉も生きもので、まだひとつの通過点だと捉えるなら、いつかLGBTQ+とか、そういう呼称がなくなったとき、世界は変わるのかも」

あとがき
サマンサさんを表現する中でも、親しみやすさと丁寧さのコントラストは欠かせない言葉。テンポよく移り変わる映画のシーンを、一緒に観ているようなインタビューだった■「相手に一歩だけ譲る」とサマンサさんは優しくいう。はっとした。違いは単なる「違い」という事実なだけなのに、それが差のように感じたり、感情的なぶつかりに発展してしまう。1歩退くことは1歩進むことなのかもしれない。譲ることは、相手を大切におもって向かうことなんだ。(編集部)

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