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自分がそうしてもらったように、いつか若いLGBTの人たちの支援を【後編】

自分がそうしてもらったように、いつか若いLGBTの人たちの支援を【前編】はこちら

2022/06/08/Wed
Photo : Ikuko Ishida Text : Hikari Katano
平野 竜司 / Ryuji Hirano

1993年、神奈川県生まれ。中学生のとき、「トラオ」という言葉を知った。親友とともにFTMであることを自覚し、男性として生きていくことについて調べ始める。高校卒業と同時にカウンセリングを受け、仕事をしながら性別適合手術(SRS)を終える。現在は、20歳から働き始めた美容院で店長を務めている。

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INDEX
01 母から男の子だと思われていた幼少期
02 仲の良い家族たち
03 サッカーとの出会い
04 中学受験、女子校へ
05 自分もFTM?
==================(後編)========================
06 女の子とのお付き合い
07 サーフィンにハマった、明るい “問題児”
08 自分の店を持つために、美容師の道へ
09 突き進んだ治療、親へのカミングアウト
10 若いLGBTの人たちをサポート

06女の子とのお付き合い

自分をオープンにすることで、距離が縮まる

中高生の間には、4人の女子とお付き合いした。
告白はたいてい、自分から。

相手に「好きです」と告白するより先に、自分は女子が好きだということを相手と共有していた。

「友人の間柄のときに、探り探りですけど、『今まで付き合ってきた人って、女の子なんじゃないの?』って相手に先に聞かれたんです」

「自分も、それに『そうだよ、よくわかったね』って答えて」

男性として女性が好きだということを否定する気にはならなかった。

女子校のなかの男子

最初のうち学校では、親友以外、自分がFTMであるということを隠して過ごした。

でも、男性として振る舞いたい気持ちのほうが先行して隠し通せなくなり、最終的にはほとんど周知の事実となる。

それでも、周りから疎外されたり、いじめられたりすることはなかった。

「むしろ、男子として接してくれたことが有難かったですね。体育の授業で着替えるときとか、修学旅行のお風呂のときは、親友と一緒に『お前らは男だから入るな』って追い出されてました(笑)」

「女子校だったから、なおさらそういう男子扱いをされたのかもしれない」

トランスジェンダーだということで、先生からもひどい扱いを受けることはなかった。

「先生も、『ああ、サッカー部の子ね』って感じで、対応に慣れてました。女子校でサッカー部があるという環境だったし、どの学年にも『それっぽい』子がいたからだと思います」

「制服はスカートだったんですけど、体操着のズボンに履き替えても許してもらえてました」

07サーフィンにハマった、明るい “問題児”

「またお前らか~!」

学校のなかでは、親友とともに先生から「問題児」と認識されていた。ことあるごとに注意を向けられていたのだ。

「授業では、先生の近くの席に座らされました」

「掃除の時間も、先生が自分のすぐ近くで見張ってました。ついサボって友だちと遊びに行っちゃったりするタイプだったので(笑)」

そのため、たびたび先生から叱られていた。
でも、「またお前か!」くらいのもので、深刻にはならなかった。

サーフィンに転向

中学3年生のとき、サーフィンを好きになった。

きっかけは、父と行った沖縄旅行。昔サーフィンをしていたという父とともに体験したところ、親子でハマったのだ。

「湘南や千葉・・・・・・いろんな場所にサーフィンしに行きました」

中3、思春期真っただ中でも、父とは一緒にサーフィンしに行くほど、相変わらず仲が良かった。

「平日でも波が良いときは、学校をサボって父親と一緒に海に行ってました(笑)」

「母親にバレないように、朝、制服を着てから家を出て、下では父親が待ってて。学校が終わるくらいの時間に制服に着替えて帰って・・・・・・。父親も共犯ですね(笑)」

サーフィンに専念するため、ずっと続けていたサッカーも辞めることに。

「サッカー部を辞めるときは、チームメイトから引き留められました。母親も、『せっかくサッカーのために受験したのに!』って。そりゃそうですよね(笑)」

「でも、こうだと決めちゃったら周りの声が聞こえない性格なので、迷いはなかったです」

サッカーを辞めてからは、プロ入りや大会優勝を目指してサーフィンを極めるというより、マイペースにサーフィンを楽しむことを選ぶ。

現在も趣味で続けている。

08自分の店を持つために、美容師の道へ

そうだ、美容師になろう!

高校卒業後は、美容師になろうと決意した。

「美容師になったら、自分のお店をすぐに持てると思ったんです。髪の毛をいじるのも好きだったから、向いてるかなって」

「あと、大学受験もしたくなかったし。大学に行ってまで勉強したくなかったので(笑)」

自分の店を持つことを夢として抱いたのには、会社経営をする父の背中を見て育った影響もあるだろう。

「自分でお店をすぐ持てる職業=美容師」という考えのもと、高校卒業後、美容師専門学校に進学する。

FTMも、ジェンダーレスファッションも自然に

専門学校に入学してしばらくたった頃、周囲の友人にFTMであることをカミングアウトした。

美容業界ということもあって、周りは自然に受け入れてくれた。

「20歳頃になると、周りにも『自分の知人・友人にもLGBTの子がいるよ』っていう人が多かったです」

逆に、最初から自分のことをシスジェンダーの男子だと思っている人までいたほどだった。

美容業界ゆえ、メイクをして髪を伸ばしている男子学生も少なくなかった。そういった男子学生より、自分のほうが男っぽい外見だったことも影響していたのかもしれない。

「そのときはまだホルモン治療をしてなくて声が高かったんですけど、『声の高い、かわいい男の子がいるな』って思われてたみたいです」

LGBT当事者の道をひらく

専門学校の授業では、着物の着付けなど、男女で分かれて行われる授業もある。

「それまで女子校にずっといたので、『性別で授業が分かれるの?』ってまず驚きました(笑)」

男子として授業に出席したいと、学校に申し出た。

すると、まだホルモン治療や手術をしていなかったため、学校側からはNGを受けてしまった。

「あのときはまだ、LGBTの知識や理解が先生たちになかったみたいですね」

いくら口で言ってもらちが明かないと判断。当時もらっていた診断書を提出し、説明した。

「診断書を持って行って説明したら、学校側もすんなり男子扱いしてくれるようになりました」

男子として授業に出席したり、男子トイレを使えたりするようになった。

最終的には、先生に感謝されたほどだ。

「自分の例があったおかげで、先生たちも下のLGBTの子たちに対応できるようになったって、のちのち言われました」

09突き進んだ治療、親へのカミングアウト

母へのカミングアウト

高校卒業後、性別変更に向けて本格的に動き出した。まず、診断書をもらうため、19歳でカウンセリングを受け始める。

「親の許可なしでもホルモン治療を始められるのが20歳からなので、20歳になったら治療をすぐ始めたかったんです」

19歳のとき、はじめて母に軽くカミングアウトした。

今までの反応から母は、すんなんりとは受け入れてくれないかもしれないと、少なからず予期していた。

「母親には、男になるために手術や治療をしたい、というようなことを言いました。そしたら、母親は、性同一性障害は治るものだと思ってたみたいで・・・・・・」

カミングアウトのあと、母がカウンセリングに一緒に付いてきてくれたことがあった。

「カウンセリングのとき、母親がお医者さんに『娘は治るんですか?』ってたずねて、泣いたんですよ」

「先生は、治るとか治らないっていうことじゃないし、変わらないって、母親に淡々と説明してました」

母はもともと感情表現が豊かだから、母が泣いたことに大きくショックを受けたわけではなかった。

それでも帰り道は、悲しませてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

決めたら突き進むスタンス

母が同行したカウンセリングでの出来事を機に、母との仲が決裂することはなかった。

「治療を先に進めちゃったとしても、時間がたてばそのうち母親も理解してくれるだろうと思ってたんで。進めちゃったもん勝ちかなと(苦笑)」

もともと、こうと決めたら周りの声が届かない頑固な性格。20歳になったら治療を始めるという意思は揺るがなかった。

予定通り、20歳の誕生日当日から、ホルモン治療を開始した。

父の理解

父にカミングアウトしたのは、ホルモン治療を始め、胸オペも終わらせたあとだった。その頃には、すでに声変わりも始まっていた。

もともと母から父に伝えると言われていたが、自分から父に直接話した。

「父親は、すぐに受け入れてくれて」

父は、実は以前から「次女は男なのではないか」と薄々感づいていたようだ。

すでに性別適合手術のことなどFTMについて調べていて、詳しかった。それどころか、将来の結婚後の対応まで持ち掛けられたほどだった。

「父親には、『これからは、息子として接するから。男として、ちゃんとしていかなきゃいけないことを伝えるつもりだから』って言われました」

カミングアウトのあと、父からは、家族ができたらちゃんと養っていけるようにしっかり稼ぐことの重要性や、人間性が大切だと教えられている。

母も、胸オペまで終えたことで本気度を理解し、最終的には受け入てくれた。

深刻な話題を明るく話せる父がいたおかげで、家族一緒になって戸籍変更後の名前まで考えるほどに変わっていった。

今ではなんでもオープンに話せるようになっている。

10若いLGBTの人たちをサポート

親友の兄が経営する会社に就職

専門学校卒業後に就職した会社に、現在も勤めている。神奈川県に2店舗を展開している美容院だ。

社長は、親友の兄。

「社長の兄弟でもある親友もFTMだから、『お前もFTMなんだね』って、理解してもらうのも早かったです」

従業員として働くかたわら、タイで性別適合手術を受ける際には、2週間の長期休暇をもらった。

「昔から通っていただいてるお客さんは、自分の名前や戸籍の性別が変わったことも知ってます。手術で休んでる間は、頑張ってねって応援してくれました」

現在は、2021年にオープンした2号店の店長を任されている。

「もともといずれは独立したいとは、社長に伝えてたんです。でも、独立して別々になるのもおもしろくないっていうのもあって、『2号店としてお前の店をオープンさせる』って社長が言ってくれて」

「今、すごくやりがいを感じてます」

春には、自分の店に新人が入ってくる予定だ。

自分が、社長をはじめとする周囲の人々に支えてもらったように、新人のスタッフもサポートしていきたい。

髪も心もキレイに

戸籍の性別変更まで終わった現在は、必ずしもお客さんに自分がLGBT当事者であることを積極的に伝えているわけではない。

でも、基本的にきっかけがあれば包み隠さず話すようにしている。

「自分の秘密じゃないですけど、そういうことを話すと、相手との距離も縮まるんですよね。お客さんが女性だと、特にそう感じます」

「男性は、LGBTだって言ってもそんなに気にされないことが多いので、あえて言うこともないですけど」

セクシュアリティについて話すときに、心がけていることがある。それはフランクに話すこと、聞かれたことはすべて答えること。

相手がどういう考えを持っているのかと察するよりも、自分の話し方によって相手の受け止め方が変わるのだと実感しているからだ。

「こっちが深刻に話すと、『触れちゃいけないことがあるのかな』って、お客さんも構えちゃうんで」

「自分が明るく話すと、相手もどんどん聞いてくれるんです。そのほうが会話のキャッチボールができるんで」

「意外と、みんな下ネタ聞きたいんだなっていう印象はあります(笑)」

自分を開示することで、相手も自分の秘密を打ち明けてくれることが多い。

「お客さんも『実は、不倫してて・・・・・・』とか、『私も子どもができない身体で・・・・・・』とか、『私の子どももトランスジェンダーなんです』とか、いろんな話をしてくれます」

「友だちでも同僚でも家族でもない、美容師ってのがちょうどいい距離感なのか、お客さんも何でも話してくれるんです」

「月1ペースでご来店いただくので、『あのあと、どうなりました?』とか後日談を聞いたりもします(笑)」

自分のセクシュアリティを開示することで、ヘアカットの時間が、お客さんの心を癒す相談の場にもなっていると思う。

仕事の面からLGBTの若者を支援したい

現在、「プレイヤー」も兼ねて美容院の店長として働いているが、早いところ現場から退き、別のことをしたいと考えている。

「いずれはLGBTの子が安心して働ける場を作りたいなって思ってます」

自分が就職するとき、LGBTという言葉は今ほど浸透していなかった。そのため、
自分をオープンにして色々なことにチャレンジする自信をあまり持てなかった。

当時の経験や思いが、新しい目標のきっかけになっている。

「ただ、美容師となると免許を取らなくちゃいけないので、支援するにも限りがある。だから、違う業種でも、色んな人が働けるところができたらなと思います」

それと同時に、自分を迎え入れてくれた会社を大きくしたいとも考えている。

「仲間をたくさん増やして、店舗数もどんどん広げられたらって思ってます」

若いうちから店舗の経営を任されながらも、その眼はずっとはるか先まで広く見通している。

 

あとがき
記事タイトルの【自分がそうしてもらったように・・・】は、まさに竜司さんだ。出会った人との縁を大切に、相手に信頼を預けられる■またたく間に毎日は過ぎる。大らかなおもいが流れるほど、多くの人としなやかに生きられるのかな? ■〔よい(いいよ)/わるい(ダメだよ)〕は、大切な指標だけど、竜司さんはきっと人のおもいをキャッチするんだ。洗髪も、かける声も、それは “今日” “いま” を感じているリズムなんだ。(編集部)

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