INTERVIEW
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FTMの美容師がいれば、安心感を持って美容室に来れる人が増えるかなって。【前編】

待ち合わせ場所に現れたのは、すらっとした佇まいの宮島瑠さん。「いつもは写真を撮る側なんで、緊張しますね」と照れ笑いを浮かべる姿に心が和み、インタビュー中の飾り気のない話しぶりに信頼感を抱いた。そんな宮島さんの職業は美容師。トランスジェンダーとして生き、美容師の道を選んだ今、伝えたいのは「みんなと同じように働いていること」。

2023/03/04/Sat
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
宮島 瑠 / Rui Miyajima

1991年、長野県生まれ。幼い頃から自身は女の子とは違うという感覚を抱き、高校3年生の頃にFTM(トランスジェンダー男性)であると自認。専門学生時代にカウンセリングやホルモン注射を開始した。専門学校卒業後、美容室EIZOに入社してキャリアをスタートさせ、現在も美容師として活躍中。

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INDEX
01 誠意ある家族に育てられた僕
02 今の自分と将来ありたい理想像
03 ひたすら没頭した「音楽」
04 FTMとして生きていくこれから
05 家族に打ち明けるタイミング
==================(後編)========================
06 知らない街に出ていく決意
07 男性として生きていく道
08 自ら選んだ美容師という仕事
09 FTMであることを公表した理由
10 未来に向けて自分ができること

01誠意ある家族に育てられた僕

「尊敬や感謝を忘れずに」

長野県に生まれ、母、祖父、祖母に囲まれて育った。

「子どもの頃は母がずっと働きに出てて、おじいちゃんとおばあちゃんが遊びに連れてってくれる感じでした」

土曜日は、祖父、祖母と近くの温泉に行き、昼は外食がいつものコース。

日曜日になると母も休みだったため、近所に住む親せきと集まって、一緒に遊んでいた。

「母は真面目な人だと思います。大人になってから、改めてそう感じるんですよね」

社会に出て働き始めてから、母の丁寧な言葉遣いを思い出して、真似している自分に気づいた。

「実家は田舎なんで、近所の人がふらっと遊びに来るんですよ。そういう時にも、母は丁寧に受け答えしてたなって」

「中学生になって、友だちの家から帰るのが遅くなったりすると、叱られました。それも門限が理由とかじゃなくて、『相手のおうちに迷惑がかかるでしょ』って」

言葉遣いや態度が悪かった時にも、よく母から叱られた。

「専門学校への進学で上京する時に、母から『尊敬や感謝の気持ちを忘れずに』って、言われました」

「その言葉がすごく響いてます。今の美容師という仕事はお客さんありきなので、尊敬や感謝の気持ちを持って接することは重要ですから」

母とは友だちのように仲のいい関係というわけではないが、互いに信頼し合い、なんでも話せる相手だと感じている。

破りたかった自分の殻

幼い頃から、ウルトラマンの人形が好きで、男の子と遊ぶことがほとんどだった。

リカちゃん人形などには興味がなく、家にもなかった。

「でも、『女の子なんだから』みたいなことを言われた記憶が、全然ないんですよ」

「母もおじいちゃんやおばあちゃんも、僕が選んだものを買ってくれていたんだと思います」

「ただ、やんちゃなタイプではなくて、あんまりしゃべらない恥ずかしがり屋でした」

小学校低学年までは、授業中に発言するのが苦手な引っ込み思案なタイプ。

「そんな傷つきやすい自分がイヤだった気がします。だから、小学4年生でクラス替えがあった時に、自分も変わらないと! って思ったんです」

「元気でおしゃべりな子ってすごいな、そういう子の方が楽しいだろうな、って思ってたんでしょうね」

おとなしい自分を振り払い、友だちの輪に入るように心がけた。
その甲斐あって、以前よりはしゃべったり笑ったりできるようになっていく。

「100%満足ではないけど、ちょっとは良くなったな、って実感がありました(笑)」

02今の自分と将来ありたい理想像

オレンジ色の服

小学生の頃から、着るものを気にするようになっていた。

小学校低学年の頃は、家にある服の中から、できるだけ女の子っぽくないものを選んでいた気がする。

小学校高学年になると、自分の意思で服を買いに行くようになっていった。

「同級生の男の子の服を見て、その時の流行を知って、似たようなものを買いに行ってましたね」

「その頃から、自分が周りの子たちと違うということは、気づいてました。だけど、隠さなきゃいけないとも感じてたんです」

「『男っぽい』と言われる分には良かったのかもしれないけど、『女の子が好きでしょ?』って言われるのが、ちょっと怖かったんだと思います」

「いじめられたくないから、そう言われないようにしなきゃって」

だから、服を買う時は黒や青、緑ではなく、オレンジを選んだ。男の子にも女の子にも寄らないような色。

「ピンクはイヤだけど、黒や青を着て疑われるのもイヤで、行きついたのがオレンジだったんです(苦笑)」

女子用スラックス

幼い頃から男の子と遊ぶことが多く、服も男の子が着ているものを真似した。

それが自分にとって、自然なあり方だった。

「だから、学校の席順が男の子と女の子で分けられて、自分が女の子の方に入れられたり、男女分けされる機会が増えていくと、違うな、って感じ始めましたね」

「今の自分の体と、将来ありたい姿が違うな、って思いはじめちゃって・・・・・・」

自分は女の子だと認めたくなかったから、幼い頃は「私」という一人称を使わなかった。

中学校の制服のスカートもできれば避けたかったが、それ以上にイヤなものがあった。

「冬は寒いので、女子用のスラックスがあったんですよ。でも、レディーススーツ的なシルエットで、それが逆に女の子っぽくてイヤでした」

「女の子っぽいラインのスラックスをはくくらいなら、スカートの方がマシかなって」

秘めたるおもい

中学生にもなると、好きな子もできた。しかし、その事実は誰にも言えない。

「その頃に、レズビアンって言葉も知ったんですよね。でも、自分はそうじゃないんだよな、って思いました」

「女の子扱いされたいわけじゃない、って気持ちがずっとあったし、男性目線で女の子を好きになってるんだろうな、って感覚があったんです」

しかし、女の子に好意を抱いていることを知られてはいけない、と思っていたため、誰にも話すことができなかった。

03ひたすら没頭した「音楽」

自分が夢中になれるもの

学生時代に熱中したものは、音楽。

「小学生の頃はピアノを習ってました。でも、その時はやらされてる感があって、楽しくなかったんです(苦笑)」

中学生になり、友だちに誘われて入ったのは吹奏楽部。選んだ楽器は、フルート。

「中学の吹奏楽部はすごく厳しくて、顧問の先生もきちんと指導してくれたんです」

「そういう環境でやっていると結果にもつながって、それが楽しくて音楽が好きになりました」

高校に進学してからも、そのまま吹奏楽を続けようと考えていた。

「でも、友だちに引っ張られて、バンドを組んでる先輩たちを見に行ったら、とにかくかっこよくて」

バンドを組むならベースをやろうと考えていたが、ドラムをたたく先輩の姿に目を奪われる。

「男性の先輩だったんですけど、すごくかっこよくて、ドラムに行っちゃいましたね。その先輩のことは、高校3年間ずっと尊敬してました」

最初は地元の女友だちとバンドを組み、その後も、学校内外の友だちとバンドを結成し、掛け持ちした。

SHAKALABBITSやJUDY AND MARY、東京事変などの楽曲をカヴァーする日々。

「女性ヴォーカルが好きだったんです。でも、メンバーは女の子だけだったり、男女が混ざっていたり、バンドによってバラバラでしたね」

高めたかったスキル

中学の吹奏楽部の友だちからドラムセットを借り、毎日のように練習した。

「今思えば、田舎だったから、あんだけ音を出しても平気だったんだなと(笑)」

実家は隣の家まで距離があったため、ドラムを鳴らしても注意されることはなかった。

「そのドラムセットを返した後は、自分でゴム製のドラムセットを購入して、ずっと練習してました」

ドラムの技術を上げたい意欲とともに、どこかで男女の差を感じさせたくないという気持ちがあったのかもしれない。

「外から見た時に、女の子だからやさしい音、って思われるのはイヤだったんです」

「男性寄りにしたい、って思いはあって、男性の先輩やコピーしたバンドの男性ドラマーの叩き方を真似したり、同じドラムを買ったりしてましたね」

その結果か、周囲からは「かっこいい!」という評価をもらえた。

「周りの雰囲気は、悪い感じじゃなかったと思います。楽器やってると『かっこいい』って、言われるようになるし、その言葉は純粋にうれしかったです」

04 FTMとして生きていくこれから

自分のセクシュアリティ

自分は女の子ではない、という確信に近いものはあった。
ただ、それ以上踏み込んで、セクシュアリティに関して調べることはなかった。

「どうしたらいいかわからないのもあったけど、それ以上にうまくいってたんですよね」

「周りに疑われることもいじめられることもないし、好きな音楽に没頭できてたし、生活が充実してたんです」

「いい意味で、セクシュアリティのことは二の次になってたんだと思います」

しかし、高校3年生になり、進路を考え始める段階になって、ふと思った。

このまま曖昧な感じでいたら、女性として就職することになるかもしれない、と。

「自分がOLさんをやってる姿がまったく想像できなくて、じゃあどう生きていこう、って考えた時に、ようやく調べ始めました」

かつて見た『3年B組金八先生』『ラスト・フレンズ』といったドラマで、性同一性障害のことは知っていた。

「性同一性障害の人がいることは知ってたけど、その人たちが実際どうしてるのかという知識がなかったので、そこを知れば将来も想像がつくかもしれないと思って」

性同一性障害というキーワードをもとに調べると、情報が一気に入ってくる。

FTMであるという自覚

当時はブログブームで、FTM(トランスジェンダー男性)のブロガーもいた。

「その人が『自分はこう生きてる』ってこれまでの経緯を書いていて、まさにこれじゃん、ってなりました」

「そこで初めてカウンセリングやホルモン注射、手術が病院でできることを知って、すぐに自分も始めよう、って感じでしたね。決断は早かったと思います」

高校3年生で、改めて自身のセクシュアリティを自覚し、進む道が見えてきた。

名前を変えられること、性別を変えられることを知れたのは、大きな一歩だったと思う。

「カウンセリングからホルモン注射、胸の切除術まではスケジュールを立てて、進めていきました」

自分の力で変えていきたいと考え、高校卒業後、1年間のフリーター生活で費用を貯めた。

「その後で進んだ美容専門学校は1年遅れだったんです。でも、それでよかったかなって」

05家族に打ち明けるタイミング

母に伝えておきたいこと

カウンセリングや治療の計画を立て、実行に移す前に、家族には知っておいてほしかった。

「早く理解してほしかったし、治療のために通院するとなったら、家族には話しておかなきゃいけないな、と思ったんです」

「言わないで進めるのはあんまり・・・・・・って気持ちもあったし、ウソついてると、どこかでほころびが出そうな予感がして」

高校3年生のある日、母に伝えた。自分が性同一性障害であること、これから治療を進め、いずれは性別を変えたいと考えていること。

「できるだけ具体的なワードを使って、今後したいと思ってることを明確に話しました。その時は、僕も泣きながらでしたね」

「母に否定される可能性は考えてなかったというか、反対されたとしてもやろう、と思ってたんです」

話を聞いた母は、「あなたがいてくれるなら、どっちでもいいんだよ」と、言ってくれた。

「その言葉ですごく安心したし、家族以外の人にも話せるな、って自信にもなったと思います」

再びつけてもらった名前

カミングアウトした後に、名前を変えたいと思っていることも母に伝えた。

「男性としての名前は、自分で考えるのではなく母にお願いしたい、と思ってたんです」

母に相談すると、産まれる時に候補として挙がっていた「るい」という名前を教えてくれた。

「女の子の時の名前が漢字一文字だったので、その雰囲気は残したいなと思って、『瑠』という字にしました。画数も前の名前と一緒なんです」

18歳で新たな名前をつけてもらい、高校を卒業してから「瑠」として生き始める。

受け入れてくれた家族

祖母にも、自分から直接「僕は男だよ」と、伝えた。

「おばあちゃんは『わかった』って言ってくれたので、伝わったと思います」

「それからは『瑠』って呼んでくれたし、女の子扱いみたいなものもなくなったんです」

「おばあちゃんなりにちゃんと考えて、理解してくれたんだなって印象でした」

祖父には、母から伝えてもらった。

「母が『おじいちゃんや親戚には、タイミングを見て伝えるね』って、間を取り持ってくれたんです」

「どう伝えたかは聞いてないんですけど、おじいちゃんも『瑠』って呼んでくれるし、セクシュアリティに関することも言ってこないので、いい感じに伝えてくれたんだなって」

「家族からは『昔から男の子っぽいところがあったもんね』って言われるし、そこまで驚くようなことではなかったのかもしれません(笑)」

 

<<<後編 2023/03/11/Sat>>>

INDEX
06 知らない街に出ていく決意
07 男性として生きていく道
08 自ら選んだ美容師という仕事
09 FTMであることを公表した理由
10 未来に向けて自分ができること

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