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どんなにつらいときも、必ず一人は理解してくれる人がいた。【後編】

どんなにつらいときも、必ず一人は理解してくれる人がいた。【前編】はこちら

2018/04/10/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Shinichi Hoshino
唐仁原 漣 / Ren Tojimbara

1992年、東京都生まれ。幼少期から女の子が好きで、年を重ねるにつれセクシュアリティに違和感を覚えるように。高校3年のとき、新宿二丁目デビュー。様々な知識を得るなかで自分はFTMだと自覚し、20歳のときにGID診断を受ける。現在はバーに勤務しながら、芸能活動に取り組んでいる。

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INDEX
01 小学校の頃から好きなのは女の子
02 友だちとは違う家庭環境
03 中学受験といじめ
04 男の子を好きにならなきゃ
05 音楽とアニメが救いだった
==================(後編)========================
06 もう、死んでしまいたい
07 高3で出会った「新宿二丁目」
08 GID診断とホルモン注射
09 FTMらしさって何?
10 将来の夢

06もう、死んでしまいたい

隠すより、最初からカミングアウトしたほうがいい

環境を変えるために、転校を決意した進学だった。

強引な勧誘もまんざらではなく、二つ返事でバスケ部に入部した。

高校に入って、好きなバスケを、新しい環境を楽しめていた。

「女性が好き」だと公言するまでは。

「女の子が好きなことをカミングアウトしたら、部活のなかでまたハブかれはじめました」

バスケをすること自体は大好きだったが、人間関係がうまくいかず、高2でバスケ部は辞めた。

セクシュアリティのことを公言していじめに遭うのは、中学時代とまったく同じ。

心機一転、高校は楽しもうと思っていたが、自分の性指向を隠そうと思わなかった。

「隠しても、どうせバレるじゃないですか。僕は隠し通せないんです」

「後でバレたとき、距離を置かれてつらい思いをするくらいなら、最初からカミングアウトしたほうがいいって」

バスケ部だけでなく、クラスの友だちにも女の子が好きだと明かした。

「もう、相手の受け止め方に任せようと。公言することで離れていく子もいたけど、逆にそれで興味を持ってくれる子もいました」

「当時、クラスのなかでもギャル系の子たちは、ボーイッシュな子として受け入れてくれましたよ」

突然浮上した「援交疑惑」

高3のとき、「もう学校辞めて死にたい」と絶望する出来事があった。

「クラスの子たちにハメられたんです。『唐仁原は援助交際をしてる』って」

自分のことが嫌いで、学校を辞めさせたいっていう子たちがでっち上げた話。

根も葉もない噂だった。

「犯人は分かってました・・・・・・。でもそれが保護者にまで回って、『あの子、援交してるんじゃないの?』って大ごとになっちゃって。結果、謹慎を喰らったんです」

謹慎が明けても、学校には行く気にはならなかった。

「ちょうどおばあちゃんが亡くなったのも重なって、本当につらい時期でした。もう、学校辞めて死にたいと思ってリストカットもしました」

親はその状況を察していた。

お父さんは、「学校に行きたくなかったら行かなくていい。一緒に俺の職場に行こう」と言ってくれた。

「死にたいと、直接話したわけじゃないけど、『死ななければお前の好きにしていい』』『生きてほしい』っていう気持ちを感じました」

「だから、死にたいと思っても死ねませんでした」

退学することも考えたけど、辞めなかった。

「親のお金で高校に行かせてもらってるわけだから、そのときは『卒業することが親孝行だ』って思ってました」

「学歴とかはどうでもよくて、親孝行がしたかった。だから、夏休みに学校に行ったりして、なんとか卒業はしました」

07高3で出会った「新宿二丁目」

自分を自由に表現できる場所

高3のとき、仲の良かった子がはじめたバンドのライブに行った。

「初めてバンドの演奏を生で聴いて、それがすごく刺激的だったんです」

学校をサボってバンドを見に行き、そこで新しい遊びを覚えた。

明け方、家に帰って、昼過ぎまで寝るような生活がはじまった。

「それはもう、非行ですよね(笑)」

そんなあるとき、バンドのファンの人が「自分はゲイだ」だとカミングアウトしてくれた。

「『一緒にゲイバーに行こう』って言われて、連れていってもらいました。それが、新宿二丁目との出会いでしたね」

初めてのゲイバーは、自分以外は全員男性が好き。「最初はもう驚きだけです。こんなに自分を自由に表現していい場があるんだって。世界観が変わりましたね」

それ以来、週1でゲイバーに通うようになった。

「あなたにはこの場所があるから。いつでも来ていいんだよ」

ゲイバーにいた大人たちは、ひと通り経験してきた人たちだった。

自分よりもつらい目に遭ってきた人たちもいたが、底抜けに優しい人たちだった。

「バンドにハマっていなかったら、二丁目に行くこともなかっただろうし、ゲイバーに行くこともなかっただろうなって」

「あのとき、あの場所で、僕が救われたのは間違いないです」

二丁目は僕の ”ホーム”

高校を卒業してからは、親の仕事を手伝った。

ゲイバー通いを続けていたある日、誘われてビアンバーに行った。

また新しい世界観に触れた。

みんなフレンドリーで、「女の子が好きだ」という気持ちを普通に受け入れてくれた。

「自分が男なのか女なのかっていうよりは、性指向が同じ人たちだったから話が合いました」

「生々しい話もできて(笑)、ゲイバーとは違う楽しさがあったんです」

それからは、ビアンバーに入り浸るようになった。

「初めて二丁目に行ったとき、『ここだ!』っていう、たどり着いた感がありました。疲れたら帰りたい場所っていうか、何も考えずに素を出せる場所」

「とにかく、僕にとって二丁目は ”ホーム” なんです」

「ゲイバーにしてもビアンバーにしても、二丁目にいるのは情が厚い人たちばかり。もちろん、人によっていろんな考え方があるし、LGBTへの否定だってあります」

「でも、そんなのも全部引っくるめて、何でも自由に話せる。そんな場所なんですよね」

08GID診断とホルモン注射

GID診断は20歳のとき

”FTM” という言葉を知ったのは、新宿二丁目に通いはじめた10代後半だった。

やがて、自分は男なんだと確信した。

GIDの診断を受けたのは20歳のとき。

「ちょうどその頃、『このままじゃダメだ』って思っていて、知り合ったFTMの人に『どうすれば、そうなれますか?』って聞いたんです。そしたら、『ホルモン注射だよ。診断書持ってるの?』って」

自分でネットで調べて、男性に変わるためにはホルモン注射を打つ必要があることや、そのための第一歩としてGIDの診断書が必要だということを知った。

だから、GID診断を受けた。
ただ、ホルモン注射を打つのはためらった。

「当時は、打ちたいっていう気持ちと、打っていいのかっていう気持ちの両方がありました」

低い声になりたいけど、打ってみないと分からない。体の変化も人によって違うし、副作用もある。

「1年半くらい悩んでましたが、やっぱり男になりたかったからホルモン注射を打ちました」

「決心できたのは、『どんな姿になっても、あなたがあなたであることに変わりはない』って言ってくれた人がいたからです』

ホルモン注射を打ったら、生理が止まった。
筋肉質になって、声が低くなった。
ニキビができて、体毛が濃くなった。

「男性の体に近づいてるって実感できて、単純に嬉しかったですね」

懸念していた副作用に悩まされることもなかった。

「副作用はあったんだと思いますが、当時ホストクラブで働いてて、常に気持ち悪かったし、胃が痛いしで、あっても気付いてなかったんじゃないかなって(笑)」

母へのカミングアウト

22歳のとき、母親にFTMであることをカミングアウトした。

そのとき、家族は別々に暮らしていて、母と会うのは久しぶりだった。

「お茶でもしようか」とカフェに入り、「言うなら今しかない」と思った。

「『今、ホストクラブで働いていて、自分は女性が好きで、男性になりたいと思ってる』ってことを全部、ばーって話したんです」

全否定された。

「そんなのは間違ってる。私の育て方が悪かったの?(韓国の)軍隊に入りたいから、男になりたいの?」

最終的には、「好きにすればいいけど、二度と私の実家・親戚には関わらないでほしい」とも言われた。

母の反応は、想定内だった。

「もう会わないかもしれないけど、寂しいとか、そういう気持ちはありませんでした」

父親には、現在もまだ話していない。

「たぶん察してくれていると思いますが、いつかSRS手術をするときは、ちゃんと伝えなきゃって思ってます」

09FTMらしさって何?

僕は世界が狭かった

20代前半で、人生のターニングポイントがあった。

ファッションブランド「TENBO」のデザイナーとの出会いだ。

「TENBOのファッションショーのお手伝いに行ったとき、衝撃を受けました。

そこでは、ランウェイを義足の人や盲目の人が歩いてたんです」

ファッションショーのランウェイは、スレンダーで顔立ちが整った人しか歩けないと思っていた。

でも、そう思っていること自体、失礼なことだと気付かされた。

「僕は世界が狭かった。おしゃれをするのに、年齢も、性別も、障がいも、国籍も関係ないんだっていうことをTENBOさんは教えてくれました」

FTMの固定概念をなくしたい

「僕は、FTM だから短髪じゃなきゃいけないとか、筋肉がないといけないとか、そういうのは嫌なんです」

今、”いきりFTM” という言葉を聞くことがある。

いきりFTMとは、プロテインを飲んで筋肉モリモリ。
腰パンにピチピチのシャツ。
仕草が雑なオラオラ系。

「俺はFTMで男らしい人間。俺のこと理解してくれよ」というようなアピールの強い、”イキった” FTMのことをいうんですよね」

筋肉があって、短髪でヒゲを生やしているのが男らしさ?
髪が長くて、胸があって、スカートを履いているのが女らしさ?

「男性も女性も、そんな分かりやすい人ばかりじゃないですよね。そもそも、服の趣味だってみんな違う」

「でも、FTMの世界には、たしかに変なステレオタイプがある。そんなものに固執する必要はないんじゃないかなって、僕はそう思ってます」

「僕はFTMだけど、ロン毛だし、カラコン入れてるし、今よりもっとガリガリの体型になりたい。それが理想なんです」

「普通のFTMと違うから否定されることもあるけど、どうして自分の好きなものを取り入れちゃいけないのかなって」

男にもいろんな男の人がいて、女にもいろんな女の人がいる。

FTMだって、同じだ。

LGBTが生きやすい世の中って何?

「LGBTがもっと生きやすい世の中に!」というようなメッセージを耳にすることが多くなった。

そんなメッセージに対しては、違和感しかない。

「たとえば、AKBの指原を『好き』って人はたくさんいます。でも、『あんなやつ、いなくなればいい』って思ってる人もきっとたくさんいるはずです」

「LGBTだから、世の中の全員に理解してもらおうってのは、都合が良すぎるんじゃないの?って」

「偏見や差別があって当たり前だと思う。『偏見・差別をなくそう!』じゃなくて、そういうものがあるからこそ輝く個性もあるはずだって、そう思うんです」

10将来の夢

未来は必ず変えられる

中学でも高校でも、いじめに遭った。
そのときは心底つらくて、死のうと思ったこともあった。

でも今、「僕は、まわりの人に恵まれていた」と振り返る。

「つらいとき、自分のことを理解してくれる人がいなかったら、乗り越えられなかったと思います」

「でも、僕はその都度、乗り越えてくることができた。それは、どんなにつらいときも必ず一人は理解してくれる人がいたからです」

「今、つらいおもいをしている子には、『今は真っ暗かもしれないけど、この先ずっと真っ暗じゃない』『未来は必ず変えられる』って伝えたいです」

「僕の座右の銘は『ギブアンドテイク』。『良いことをすればいつか必ず自分に返ってくる』って、おばあちゃんに教えてもらいました」

「今、まわりにいる人たちを大切にしていれば、必ず未来は変えられる。僕はそう思っています」

母校でLGBTの話をしたい

現在、バーで働きながら、芸能関係の仕事をしている。

名前の漣には、『さざなみ』『波紋』という意味がある。

「波紋って必ずどこかで止まるじゃないですか。漣っていう名前は、僕の師匠から『悪いことはお前で終わらせる人になれ』『良いことはお前からはじまる人になれ』って意味でもらった名前なんです」

この名前を大切に、そういう人になりたい。

「将来は、戸籍も変えて、結婚もしたい。子どもも欲しいと思っています」

「遺伝子を残したいって気持ちもありますし、生前、おばあちゃんに「ひ孫が見たい」って言われてましたし。それはもう叶わないけど、いつか子どもができたら仏壇に手を合わせて報告したいです」

子どもを生む可能性があるので、今はホルモン注射を中断している。

性別適合手術をすることは決めているが、不安がないわけではない。

「今は職場にカミングアウトしてますが、体が完全に男に変わったとき、まわりからすると扱いにくくなるんじゃないかっていう不安はあります」

一方で、ワクワクするような楽しみもある。

「ファッションが好きなので、おしゃれをするのは楽しみです。服装の幅が広がるだろうなって。あとは、海で体を出せることかな(笑)」

いつか、実現したいことがある。

それは、母校に戻って、LGBTの話しをすること。

「実際にそこの学校を卒業した僕が行けばリアルっていうか、距離感が全然違うじゃないですか」

ちょっと前に、実際にこの場所にLGBTがいたことを伝えたい。いじめられてたことも含めて、ちゃんと伝えたい。

「それが今の僕の夢です」

あとがき
漣さんは「動くしかないんです」と何度もいった。自信にあふれた雰囲気というよりも、内側に向けている覚悟のような感じ。動くことで起こる周囲の反応や評価を、気にしないわけではない。それは、とても正直で・・・ ただただ耳を傾けた■母校での漣さんの講演、そう遠くないうちに実現するといい。多数の意見を代表するような、お決まりの話題ではきっとない。生徒さんたちのかすかな小波を感じながら、泣いたり笑ったりさざめきながら話す漣さんを想像している。(編集部)

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