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カミングアウトの瞬間 心が脈を打った【後編】

カミングアウトの瞬間 心が脈を打った【前編】はこちら

2015/10/30/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
オリビエ・ファーブル / Olivier Fabre

1967年、パリにて日仏クオーターの母とフランス人の父との間に生まれる。2歳のときにインドへ移住したのち、8歳で両親の離婚をきっかけに母親とともに日本へ。12歳のときに、父がゲイであることを知る。高校卒業後、イギリスの大学に進学。卒業後はロンドンと東京の新聞社でアルバイトをしたのちに、東京の出版社に就職。現在はトムソン・ロイター・マーケッツにて、ロイター・テレビジョンのシニア・プロデューサーを務めている。

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INDEX
01 家族3人で暮らしたインド
02 もしかして男の子が好きなのかも
03 いじめられっこがモテモテに
04 サドゥーとなった父との再会
05 やっと出会えた“運命の女性”!?
==================(後編)========================
06 父と同じゲイにはなりたくない
07 心の扉を開くスイッチ
08 大好きな母へのカミングアウト
09 LGBTも働きやすい職場に
10 包み隠さず、自分は自分であれ

06父と同じゲイにはなりたくない

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ヤバイ、本当に俺……

女性と関係を深めることがダメだったというショックが落ち着いてきたころ、じゃあ、男性とはどうなんだろうという考えが芽生えた。そこで初めてゲイ雑誌を手にとってみた。

そして、文通欄を通じて知り合った男性と、関係をもった。

「ヤバイ、本当に俺、ゲイかも。男性との行為を違和感なく受け入れられた自分が怖かった。長い間抱えていた“ゲイかもしれない”という疑惑が、確信へと変わったんです。でも、どうしたらいいのかわかりませんでした。周りに相談する相手もいないし。友だちにも会社にも言えない。特に、母には絶対に言えないと思いました。僕が父と同じゲイであることを知って、母を傷つけたくなかったから……」

女手ひとつでファーブルさんを育ててくれたお母さん。大切なお母さんを悲しませることだけは、絶対にしたくなかった。インドを訪れたことで、お父さんへのわだかまりは解消されたとはいえ、やはり、お父さんと同じゲイにはなりたくない気持ちが強かった。

離婚の原因は、お母さんがインドでの生活に耐えられなかったからと聞いてはいるが、お父さんがゲイであったことも原因のひとつだったはずだ。そう考えると、ますますお母さんには相談できるはずもない。

一生、誰にも言わないでおこう

大人になるまで、ゲイかも知れない自分を見ないようにして生きてきた。当然、二丁目に行ったこともなく、LGBTの知り合いもいない。ひとりぼっちだった。

「子どものころ、“オカマ”と言われてからかわれていたように、オカマやゲイという言葉は、人を貶す言葉だという認識でした。そのころ、エイズがゲイの病気のように言われていたこともあって、余計に自分がゲイである事実を受け入れることが難しかったんです。きっと、僕のなかにもゲイ=悪いことだという偏見があったんだと思います」

誰にも言えない。一生、言わないでおこう。ずっと独身でいいじゃないか。ファーブルさんは、そう心に決めた。

07心の扉を開くスイッチ

東京からシンガポールへ

そんななか、ファーブルさんが勤めるトムソン・ロイター社のアジアでの拠点が香港からシンガポールに移ることになり、現場をサポートするために異動することになった。

「驚いたのは、ボスがレズビアンで、エンジニアがゲイで、カメラオペレーターもまたレズビアンで。周りにLGBTがいっぱいいたんです。それで、みんな仕事しながらプライベートについて話すんです。昨日のデートどうだった? うまくいった? って。こんな世界があるんだって衝撃でした。それで、そうか、別に自分のセクシュアリティを隠す必要はないんだって思うことができたんです。やっと自分のなかに光が差した感じでした」

皮肉なことに、シンガポールでは男性の同性愛は法律で禁止されている。しかし実際は、現地のLGBTたちはアグレッシブに生きているのだ。

そして、レズビアンのカメラオペレーターと仲良くなって、週末にシンガポールの近くにあるインドネシアのビンタン島で過ごすことになった。

「夕日を見ながらビールを飲んで、いろんな話をしていたんです。人生に関わる話になったとき、初めてカミングアウトしました。僕、ゲイかもしれない……、でも、ゲイという言葉を口にした瞬間にスイッチが入って、ナニ言ってんだ、“かも”じゃない、俺ゲイだ、ゲイなんだよ、と押さえていた想いがあふれ出したんです。もう泣いちゃってましたね」

フラットラインだった人生が

最初のカミングアウトを乗り換えたあとは、会社の信頼できる同僚に伝えていった。シンガポールに滞在していた9ヶ月間で、日本からファーブルさんを訪ねてきてくれた友だちにもカミングアウトした。

「カミングアウトする前、僕の人生はフラットラインでした。つまり、心電図のラインがまっすぐの状態。それが、カミングアウトした瞬間に、脈打ったんです。その後は、もう山あり谷ありで。泣きながら彼氏と別れたりとか(笑)」

脈のないフラットラインが死んでいる状態だとしたら、ファーブルさんは29歳にして、やっと、本当に生きている状態になれたということなのだろう。

08大好きな母へのカミングアウト

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帰国後、東京の職場でも

シンガポールの職場でカミングアウトしたのち、東京に戻ってきたときの“おかえり会”で、職場のみんなへのカミングアウトも果たした。誰にも言えないと悩んでいたことが嘘のように、みんながファーブルさんを受け入れてくれた。

そして、30歳のとき、いよいよお母さんにカミングアウトすることを心に決めた。

ずっと言わなきゃと思っていながら、傷つけてしまうかもしれないという恐れから言えないままでいた。でも、職場のみんなが知っていて、お母さんが知らないのも申し訳ないという気持ちが高まって、ついに言うことにしたのだ。

「母にカミングアウトする前は、『PFLAG』というLGBT当事者の親のネットワークサイトで、伝えるタイミングや方法を相談しました。それで随分、背中を押してもらったと思います。そして、母と一緒にお酒を飲んでいたときに、ようやくカミングアウトしたんです。そしたら、母が『私、知ってたわよ』って。エッ、そうなの?! だったら早く言ってよ! って感じでした(笑)」

母との関係、父との関係

自分がゲイであることを、お母さんだけには言えない。そう思い悩んでいたことは杞憂だった。お母さんはファーブルさんのことを、ちゃんと見ていて、理解してくれていた。

「そういえば、高校を卒業したくらいのときに、母から『あなたゲイなの?』って訊かれた記憶がありました。そのときは、自分のなかで折り合いがついていなかったので否定したんです。もしかしたら母は、僕がカミングアウトできるタイミングを与えてくれていたのかもしれないですね」

その後、女子校の教師を定年退職してフランスへと戻ったお母さんは、地元のラジオ番組で、ゲイの息子をもつ母として意見を語った。ファーブルさんとお母さんは、今でも変わらず程よくオープンな関係だ。

一方、長らくファーブルさんが自分と向き合えなかった大きな原因のひとつである、お父さんにもカミングアウトした。今では、お父さんが日本に来たときに、ファーブルさんの隣にいる男性を見て「イケメンじゃん」と軽口をたたけるほど、気軽な関係となっている。

09LGBTも働きやすい職場に

社内のLGBTネットワーク

ファーブルさんは現在、トムソン・ロイター社内でLGBTへの理解を深めるためのネットワーク「PRIDE AT WORK」の中心人物だ。東京レインボープライドに参加したり、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭をスポンサーするなど、さまざまな活動を行っている。

「4年前に元同僚のゲイのアメリカ人が立ち上げたときには、僕自身、協力しつつも受け入れてくれる人なんているのかな、と不安でしたが、今ではアライを中心に賛同してくれる人も増えてきました。日本では、まだまだ少ないんですが、トムソン・ロイター全体を見たら1200人ほどの賛同者がいるんですよ」

LGBT人権団体主催の国際会議「Out & Equal」で社内活動を報告するほか、バークレイズやバンクオブアメリカ・メリルリンチ、ゴールドマン・サックス、UBSなどの外資系金融企業のLGBTネットワークが集う「LGBTファイナンス」にも参加するなど、国や会社の枠を超えた活動にも積極的だ。

「社内では、LGBTとは何かという説明から活動内容までを社内一斉送信メールで報告しています。それを読んでくれた人が、とくに活動に参加しなくても、この会社はLGBTを受け入れているんだということを知ってくれたらいいんです。欧米では、LGBTの存在は当たり前ですが、日本ではまだ、LGBTという言葉すら知らない人もいます。まずは、社内からLGBTへの理解を深めていかなければ」

女性っぽくて何が悪い

さらに、多様性社会におけるLGBTの問題には、女性差別の問題も関わっているとファーブルさんは語る。

「僕がオリビアと呼ばれるのが嫌だったのは、きっと社会のなかに女性っぽいことがダメだという認識があったから。今思うと、女性っぽいことが何故ダメなんだと思いますけどね。逆に、女性が男っぽいことは、それほど忌み嫌われるものではありません。ここに女性差別があるように思うんです。ダイバーシティでは、女性もLGBTも、ストレートの男性も、みんな平等であるという理解が重要なんです」

欧米では約70%の人がLGBTの知り合いがいると答えるのに比べ、日本ではたったの5%だという数字も報告されている。この数字をすこしでも増やしていくため、ファーブルさんは、まず社内での働きかけに注力している。

10包み隠さず、自分は自分であれ

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あなたは外国人だから

ゲイであることをオープンにして、LGBTネットワークの活動にも力を入れているファーブルさん。実は、そこにもわずかなジレンマがあるという。

この会社はLGBTフレンドリーです、オープンにしても大丈夫ですよ、といくらアピールしても、「あなたは外国人だから特別だ」と言われてしまうことがある。ファーブルさんの日本で働く同僚たちへの必死の声も、部外者の声のように受け止めてしまう人がいるのだ。

とはいえ、活動を止めるわけにはいかない。声が届かないなら、さらに大きく叫べばいい。

「僕は長い間、自分に向き合うことができなくて、29歳にしてやっとオープンになれたからこそ、誰もが自分らしくあるべきだと思う気持ちが強いんです。自分を隠す必要なんてない。やはりカミングアウトは大切だと思います」

ダイバーシティを実践できる日本へ

そんなファーブルさんも、もしも転職する機会があった場合、ゲイであることでマイナスのイメージをもたれることがあるんじゃないかと不安に思うこともある。それでも、やはり、“自分”でありたいと胸を張って話す。

「欧米に比べて、日本では企業のトップでカミングアウトをしている人は少ないし、テレビのなかのLGBTはお笑い色が強くて、誤解されている部分も多い。でも、すこし前のことになってしまいますが、テレビドラマ『3年B組金八先生』でトランスジェンダーを話題にするなど、LGBTへの理解について前向きに取り組む姿勢のある国だと思っています」

ファーブルさんのような比較文化的なバランス感覚に優れた人物の活動により、日本もきっと、たとえすこしずつでも、本当の意味でのダイバーシティを実践できる国になっていくはずだ。

あとがき
封じ続けた思いから自由になった新しい章のはじまりに、取材する私たちからもふっと力が抜けた。“ 自分のままでいい ” と感じられる瞬間は、ある日のある時におとずれたのだ。そう語るオリビエさんには、景色よりも伝わる温もりが込められていた■オリビエさんのガイドで旅した各国の文化や歴史。折にふれて教えてくれたセクシュアリティだけではない少数(マイノリティ)のこと。旅の中で広げられた未来の日本地図は、今よりもずっとフラットに思えた。(編集部より)

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