INTERVIEW

大切な人たちが受け入れてくれたから、今の僕がある。【後編】

大切な人たちが受け入れてくれたから、今の僕がある。【前編】はこちら

2017/04/21/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Mana Kono
児島 希望 / Nozomi Kojima

1992年、東京都生まれ。愛犬家でブリーダーの母のもと、幼い頃から犬に囲まれた生活を送る。高校卒業後、母が勤めるペットショップに就職。その後3年間、他業種を知るためにカラオケ店に在籍。現在は家業を継ぐべく、母が開業したペットショップで再び働いている。また、LGBT団体「LGBT-JAPAN」の九州支部メンバーとして、鹿児島での講演会も企画している。

USERS LOVED LOVE IT! 32
INDEX
01 男子に混じって遊ぶやんちゃな少女
02 両親の離婚
03 犬たちが教えてくれた、命の大切さ
04 中学でも紅一点
05 高校でちょっぴり不真面目に
==================(後編)========================
06 男としての恋愛感情
07 「男に産んであげられなくてごめんね」
08 大切な人たちが受け入れてくれた
09 下積み期間
10 子どもたちが生きやすい未来のために

06男としての恋愛感情

6

初めての彼女

高校では、ほとんど初めてと言えるくらい、すごく仲のいい女友達ができた。

彼女の前では素でいられたし、一緒にいても身構えずにすんだ。

「その子は、身体障がい者や精神障がい者に対する差別がない子だったんです」

「街中でそういう人に喋りかけられてもごくごく普通に話すんです。そういうところが好きでした」

最初はお互いただの友達だった。

でも、とにかくすごく仲が良くて、夏休みは毎日家で一緒に遊んでいるほど。

「ある時、その子のふとした仕草にドキッとしている自分に気づいたんです」

中学生の時に感じた「好き」という気持ちとは違う感情だと、即座に感じた。

「それで、彼女に好きだと言ったんです」

その頃には、なんとなくお互い友達以上に思っているような雰囲気があったのだ。

だから、「好きです、付き合ってください」とちゃんと告白したわけではない。

「『うまく言えないんだけど、好きみたい』って言ったら、向こうも『どうする?付き合う?』って言ってくれたんです」

そうして、初めて彼女ができた。

交際を進めるうちに考え始めたのは、自分は女性として彼女を好きなんじゃなくて、男性として好きなんじゃないかということ。

「まだLGBTとかGIDっていう言葉はわからなかったけど、僕はきっと男性として彼女を好きなんだなって思ったんです」

周りのみんなには言えない

LGBTという言葉は、その後たまたま見ていたテレビで知ることになる。

GIDの特集番組を見て、「これだ!」と思ったのだ。

「それを知った時は、とにかく安心しました」

それまでは、自分は頭がおかしいんじゃないか、異常なんじゃないか、誰にも言っちゃいけないんだと思っていた。

でも、テレビを見たことで、ようやく「僕は存在していいんだ」と思えた。

「その安心感が一番でしたね」

自分の中ではある程度答えは導き出されていたから、あくまで答え合わせをしたような感覚ではあった。

「でも、それを周りには絶対言えないなとは思ってました」

通っている高校には、2組レズビアンカップルがいたのだ。

そのカップルのことをみんな噂していたし、『気持ち悪い』って言ってる人もいた。

「だから、彼女と付き合っていることは絶対に言えないって思ってましたし、そういう素振りも見せちゃだめだと思いました」

07「男に産んであげられなくてごめんね」

母へのカミングアウト

学校の友達には隠していたが、母には彼女との交際はカミングアウトしようと思った。

「母子家庭ということもあって、母とはなんでも腹を割って話す仲なんです」

「なので、隠しごとをしているのが嫌だったし、恋人として彼女を母に紹介したいと思いました」

それまでにも、彼女は頻繁に家に遊びにきてはいたけれど、母には “友達” だと話していた。

そうじゃなくて、ちゃんと “恋人” なんだと伝えたい。

家に彼女を連れて、母と3人で話し合いに臨んだ。

「最初、僕はあまりの緊張でしどろもどろになって泣いてしまったんです」

「そしたら、見かねた彼女が『お母さんも多分わかってると思うんですけど、私たち付き合ってるんですよ』って言っちゃって(笑)」

すると母には、「女性の気持ちで付き合ってるの?それとも男性の気持ちで付き合ってるの?」と聞かれた。

「別に問いただすような感じではなくて、普通の口調で聞かれました。それで、『男性の気持ちとして付き合ってる』と言ったんです」

すると、母もすぐに理解したようだった。

「母の知り合いにゲイの方がいるみたいで、それで知識はあったみたいなんです」

「だから、怒られるとか泣かれるとかはなかったですね」

母には「なんとなく気づいていた」とも言われた。

「『服装も髪型もだし、いくら女の子同士だからといってほぼ毎日家に遊びにくるなんてないから』って言われました(笑)」

さらに、「希望が男だろうが女だろうが、私の子どもであるということに変わりはないでしょ。だから何も変わらないよ」とも。

「その言葉に、グッと救われました」

母のおかげで今の自分がある

無事受け入れてもらえたとはいえ、カミングアウト前後は母に対して申し訳なく思う気持ちが大きかった。

「“普通”っていう言葉を使っちゃいけないとは思うんですけど、女の子として生まれたからには普通に結婚して、家庭を持って孫の顔を見せてあげられたらよかったんだろうなって思います」

でも、先のことを考えた時に、自分は自分の人生を生きたいと思った。

そのためには、まず男性として生きていけなかったら意味がないと感じたのだ。

「今になって当時の話を母に聞くと、母も実は、僕の見えないところで泣いたりしていたみたいなんです」

母は、「希望を男の子として産んであげられなかったことが申し訳ない」と思って泣いたのだそうだ。

「中には家族に反対されて絶縁になったりしたLGBT当事者もいるので、そういう意味では僕はすごくありがたかったです」

「理解のある母がいたからこそ、自分は今こういう生き方をできているんだなって思います」

08大切な人たちが受け入れてくれた

8

祖父へのカミングアウト

母へのカミングアウト以降、服装や髪型には今まで以上に気を遣わず、自分の好きなスタイルをするようになっていった。

「それまではボーイッシュな女の子だったのが、見るからに男の子の外見になってきたんです」

「それもあって、周囲に隠してはいられないだろうと思いました」

そうして、姉や祖父母、親戚と、カミングアウトの輪を広げていった。

「ただ、おじいちゃんにカミングアウトした時は、もうボロ泣きでしたね」

頑固な祖父には、特に受け入れがたいだろう。

だから、最初に「絶縁をされてもいいと思っているから話をさせてほしい」と切り出した。

気持ち悪いと思われるかもしれない。

だけど、ゆくゆくは性別適合手術をして、戸籍を変えて、男性として生きていきたい。

手術をしたら出産もできなくなるから、自分の血は途絶えてしまうだろう。

「『それが受け入れてもらえないのであれば、この家には金輪際来ません』って、泣きながら話しました」

しかし、「そんなこと言うな」というのが、祖父からの第一声だった。

祖父も、同席していた母と叔父も、号泣していた。

「おじいちゃんは古い人間ということもあって、GIDとか言われてもいまいちピンとはきてなかったみたいです」

「でも、『希望の好きにすればいいよ』という感じでした」

その印に、高校の卒業祝いで祖父は、メンズスーツを買ってくれた。

周囲の雑音は気にしない

家族へのカミングアウト以降、あまりにも外見が男性的に変わったことで、とうとう学校でもバレてしまった。

彼女と付き合っていたことは誰にも話していなかったが、ほぼ筒抜けの状態。

「彼女と一緒にいると、すれ違いざまに『レズ』とか『気持ち悪い』とか言われることもありました」

周りはあからさまに嫌がらせをしてくるようにもなったが、それほど気にしてはいなかった。

「それは、僕が大事にしている人たちが僕を受け入れてくれたからだと思います」

「パートナーも家族も、みんなが受け入れてくれたので、高校を卒業したら二度と会うことがないような人たちにあれこれ言われても、特になんとも感じなかったんです」

その後、パートナーとは別れることになってしまったが、彼女とは現在でもいい友達だ。

09下積み期間

母の仕事を継ごう

高校卒業後は、大阪に出て就職しようと考えていた。

「卒業ギリギリまで、とにかく大阪に行きたいと思ってたんです」

「理由が不純なんですけど、USJの近くに住んで毎週USJに行くぞ!って思ってました(笑)」

しかし、自分なりにいろいろ考えた末、やはり母の仕事を継ごうと決意した。

そして、高校卒業後は母のペットショップで働くことになった。

それまでにも週末は母の手伝いをしていたから、仕事のやり方はある程度わかっていた。

「だから、毎週土日だった仕事がシフト制になっただけって感じでしたね」

動物は好きだし、お客さんの「ありがとう」という言葉にもやりがいを感じる仕事だ。

「飼い主さんには外国の方もいらっしゃれば、ご夫婦でいろんな性の方もいらっしゃいます。そこにもちょっとした多様性を感じました」

「でも、親の店には2年くらい勤めて、1回やめたんです」

ペット業界に関係なく、一度はほかの場所で学びたいと思ったからだ。

「じゃないと、井の中の蛙になってしまうような気がしたんです」

LGBTに理解のある職場

そうして次に働き始めたのは、カラオケ店。

「最初にお店に電話したんですけど、ホルモン注射を始めて声も低くなっていたから、電話口で男だと思われたみたいなんです」

面接に行っても直接顔を合わせても、店長はどうやら自分のことを男だと思っているようだった。

「『じゃあ明日からよろしく』って言われたあと、ヤバいヤバい!と思って。自分は戸籍上女性で性同一性障害だということを伝えたんです」

しかし、返されたのはあっけない対応だった。

「わかったわかった、じゃあ男の子ってことでいいんだよね?」と、男子更衣室に案内されたのだ。

「僕、就職はもっと手こずるかと思ってたので、ポカーンって感じでした」

「もちろん、単純に嬉しかったです。鹿児島にもこうやって受け入れてもらえる場所があるんだなって思いました」

その後、ほかの従業員には性別を開示せずに働いていたため、上司以外は自分のことを完全に男だと思って接していた。

「初めて社会の中で男性として扱われたので嬉しかったです。それに、女性を思いやるなど、男性として生活することも身につきました」

「そこで出会った男性の先輩はとても洗練された所作で、それまで自分が考えていた男らしさ(=荒さ)のようなイメージが覆されて、かっこいい!って思いました」

目指したい理想像の1つを、知ることもできた。

在籍中に性別適合手術を受けた際にも、上司たちはスケジュールや周囲への対応を入念に配慮してくれた。

「ここに勤められて、本当に良かったなって思いました」

「当事者を気持ち悪がらず、普通に接してくれる人がいるんだということを知ることができました」

しかし、もともとカラオケ店に長く身を置くつもりではなかった。

「面接の時点で、いつかは家業に戻るつもりだと伝えていたんです」

そうして3年間カラオケ店で働いたのち、母が独立店舗を出すことになったため、再び家業へと戻った。

10子どもたちが生きやすい未来のために

_MG_0787

鹿児島にLGBTの知識を広めたい

現在は、母の仕事を手伝うかたわら、LGBT団体「LGBT-JAPAN」の一員として、鹿児島での講演会などを企画している。

「鹿児島には、“LGBT” が何かすら分からない人たちがまだたくさんいるんです」

学校の先生ですら、セクシュアルマイノリティの知識がない人も多い。

「でも、そういう人たちにLGBTを理解してほしいとか、そういうわけではないんです、知ってもらえたらと思います」

「自分は一体なんなんだろう?」と悩んでいた学生時代の自分と同じように、地方で今も悩み続けている子どもは多いだろう。

「だから、その子たちのために、LGBTの知識を鹿児島で広められたらって思ったんです」

そうして、鹿児島大学で開催された第1回の講演会。

反響は予想以上に大きかった。

「そこには教育関係の方も足を運んでくださって、先生方も悩んでるんだなってことを初めて知ることができました」

LGBTの生徒にどう接すればいいのかわからないと、先生たちも悩んでいたのだ。

「なので、そういう先生方のためにも、講演会はこれからも続けていきたいと思っています」

地方でも諦めないでほしい

子どもたちには、地方に生まれたからといって人生を諦めてほしくない。

「鹿児島とか九州にいて、田舎に情報がなくて生きづらいからといって、都会に出ちゃう子は本当に多いんです」

「だけど、僕は鹿児島がすごく好きなんで、鹿児島に残ってほしいなって思います」

「鹿児島だから」「東京だから」と区別するのではなくて、同じ日本のどこにいても生きやすいようになってほしい。

過去の自分と同じような気持ちでいる子どもたちが、少しでも生きやすいような未来がくれば。

そう願っている。

自分自身、戸籍を変えてからようやく本当の人生が始まったように思う。

「男性として過ごして、3、4年経ちました。これから先の未来を考えると、とにかく嘘偽りなく、ありのままの自分で生きていきたいなって思います」

あとがき
愛犬家なのに、借りてきた猫?(笑)。さっそく始まった撮影は、肩に力が入る。そんな緊張の様子も希望さんらしかった■おじいちゃんが贈ってくれたメンズスーツ。おじいちゃんにとってLGBTの話しは難しい(だって英語だし)。それに、孫は大好きで関心があるけれど、LGBTには関心がない・・・。だとしても十分なのだと、希望さんの表情が語った。打ち明けられた側の気持ちも理解度もさまざま。お互いに “ほどよい” と思えたら、少しは安心できるかな。(編集部)