INTERVIEW

大切な人たちが受け入れてくれたから、今の僕がある。【前編】

礼儀正しく、朗らかな青年。それが、FTMである児島さんの第一印象だった。児島さんは、幼い頃父の暴力が原因で両親の離婚を経験したそうなのだが、その佇まいからは悲壮感が一切感じられない。一体なぜなのだろう。話を進めるにつれ、その疑問は解消されていった。家族やパートナー、職場の上司など、理解ある人々に囲まれた児島さんの半生を紐解いていこう。

2017/04/19/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Mana Kono
児島 希望 / Nozomi Kojima

1992年、東京都生まれ。愛犬家でブリーダーの母のもと、幼い頃から犬に囲まれた生活を送る。高校卒業後、母が勤めるペットショップに就職。その後3年間、他業種を知るためにカラオケ店に在籍。現在は家業を継ぐべく、母が開業したペットショップで再び働いている。また、LGBT団体「LGBT-JAPAN」の九州支部メンバーとして、鹿児島での講演会も企画している。

USERS LOVED LOVE IT! 35
INDEX
01 男子に混じって遊ぶやんちゃな少女
02 両親の離婚
03 犬たちが教えてくれた、命の大切さ
04 中学でも紅一点
05 高校でちょっぴり不真面目に
==================(後編)========================
06 男としての恋愛感情
07 「男に産んであげられなくてごめんね」
08 大切な人たちが受け入れてくれた
09 下積み期間
10 子どもたちが生きやすい未来のために

01男子に混じって遊ぶやんちゃな少女

1

父への憧れ

東京で生まれてからすぐに引越しし、幼少期は香川で過ごした。

サラリーマンの父と、愛犬家の母。2歳上の姉がいた。

「僕は身長が小さいんですけど、父は180センチ以上あってかなりがたいが良かったんです」

「だから、大人の男というか、自分もきっといつかこうなるんだろうなっていう一種の理想を抱いてました」

LGBT当事者の場合、「小さい頃から性への違和感があった」と語る人も多い。

「でも、僕の場合はそんなに “男の子”“ “女の子” っていう認識はなかったです」

「今思えば、確かに男の子と遊ぶことの方が多かったなっていう印象です。でも、そんなに意識してはいなかったと思います」

小さい時は、姉のお下がりでワンピースを着ることもあった。

でも、それが嫌だったという記憶もあまりない。

男の子と仲良し

小学校に上がると、男の子用のズボンを履くことが多くなった。

「家族で買い物に行く時も、姉は女の子用の売り場に行くんですけど、僕は普通に男の子用の売り場に行ってました」

学校では、ずっと男の子と遊んでいた。

「やんちゃだったからか、おままごととかをするよりは、男の子と泥まみれになって遊ぶ方が楽しいなと思ってました」

休み時間はドッジボールをして、放課後も男の子の家に遊びにいって一緒にゲームをする。

「でも、小学校の時ってそういう女の子も何人もいたから、特に目立つということはなかったです」

その頃は、自分が “女の子” に該当するということがあまり飲み込めていなかった。

「たとえば、保健の授業で生理について習った時も、いまいちピンときてなかったんです」

「自分が男の子だとも思ってないんですけど、そういう女の子ならではの話はあんまり関係ないかなと思ってポカーンとしてました(笑)」

セクシュアルマイノリティについていえば、小学生の時と今が一番悩んでいないと思う。

「小学校は楽しかった記憶しかないですね」

02両親の離婚

父の暴力

4年生の頃、両親が離婚することになった。

「お父さんがガチな暴力な振るうようになっちゃって。僕のこともボコボコにしていました」

怒りっぽく、癇癪を起こすとすぐに手が出てしまうタイプだった父。

「父のことは好きだったんですけど、それよりも “怖い人” というイメージが強かったです」

父の怒りを買わないためになるべく早く寝てしまうなど、顔を合わせる時間をなくすようにしていた。

「自分が暴力を振るわれたことより、母が目の前でぶたれていたりする方が、見ていてなんとも言えない気持ちになりました」

体が小さくて非力な自分が間に入っても、母を助けることはできない。

離婚が決まってからは、姉とふたりで母についていくことになった。

父の暴力は苦い記憶だが、それがその後の未来に影を落とすというようなことはなかったと思う。

離婚してから、年に1、2回は父と面会していた。

「その時には父も離れて冷静になっていたと思いますし、父の家に泊まったりもしていました」

「だから、父を恨んでるような気持ちはないんです」

鹿児島への引越し

母は離婚後、仕事を掛け持ちして朝から晩まで働いていて、とにかく忙しそうだった。そのため、姉が家事全般を担当していた。

そして6年生の頃、香川から鹿児島にある母の実家に引越すことになる。

「香川の友達と離ればなれになってしまう寂しさよりも、新しい場所で暮らすことへの緊張の方が大きかったです。鹿児島行きは憂鬱でした」

新しく住む場所は、田んぼだらけの田舎だった。

自分の家から隣の家までも遠く、とにかく車がないと生活できないような環境。

「近くに電車はなくて、バスが1時間に1本っていうくらいの田舎でした。だからといって不便なことはなかったですけどね」

転校した小学校も、学年に1クラスしかなかった。

「1学年30人いるかいないかくらいだったんですけど、田舎だから転校生がすごく珍しいみたいで、みんな歓迎ムードであたたかく受け入れてくれました」

03犬たちが教えてくれた、命の大切さ

3

厳しい祖父

鹿児島の実家では、祖父母とも同居していた。

「おじいちゃんがすごく厳しい人だったので、嫌だなあと思ってました。『クソジジイ!』くらいに思ってました(笑)」

当時でもなかなかいないほど頑固だった祖父。

食事中にお箸やお皿を持った状態でテレビに見入ってしまうと、テレビを消されたりご飯を取り上げられたりすることもあった。

「あと、ご飯中は正座でしたね。おじいちゃんは横に竹刀を持っていて、行儀が悪いとそれでバシンって叩かれるんです」

「すごい厳しかったんですけど、情の厚いおじいちゃんでした」

夏休みで海に行った時は、一緒に海へ入って遊んでくれたこともあった。

そんな祖父のことが好きだった。

今思えば、祖父が厳しかったのは、片親で父が不在だった自分を思いやった結果だったのかもしれない。

「きっと、『お父さん代わりに厳しくしなきゃ』っていう気持ちもあったんだと思います」

犬に囲まれた生活

物心ついた頃から、母はブリーダー業を始めていた。

「もともとは愛犬家だったんですけど、最初にポメラニアンのつがいを買ったら子どもがどんどん増えていって、気づいたらブリーダーが本業になってました」

だから、小さい頃から周囲に犬がいるのは当たり前だった。

「当時、夕方の犬の世話は僕が担当だったんです。だから、学校から帰って犬の世話をして、それから友達と遊びにいくっていう感じでした」

20頭くらいまでは自宅でなんとか飼っていたが、途中からは頭数が増えすぎたため、犬舎を建てた。

その後、母はペットショップで働くようになり、現在は独立してペットショップを営んでいる。

「犬に囲まれて育ったことで、命に対して強く考えるようになりました」

「うちの店では自家繁殖もしているので、お母さん犬が産気づいてから子どもを産むまでをずっと見ていました。それを小さい頃から何十回何百回と経験してきたんです」

中には奇形児や未熟児もいたし、様々な理由で亡くなってしまう子犬も多かった。

「そんな中で順調に育ってくれた子たちを見ていると、命のありがたみを感じるじゃないですけど、命を大切にしたいってすごく思うようになりました」

多くの犬を見てきたが、最初に飼っていたポメラニアンとは特に思い出が多い。

「何かあると、すぐにその子に話していました。楽しいことは母やおばあちゃんに話すんですけど、嫌なことがあるとその子に話しかけるんです」

小さい時から、嫌なことやネガティブなことはほとんど親に言わなかった。

「強がっていた部分もあると思います。でも、ずっと働いてる母の姿を見ていたので、あんまり心配をかけたくなかったんです」

04中学でも紅一点

周りの女の子たちとは違う

小学生の時は特に意識してなかったが、中学生になると、学校での男女分けが気になるようになってきた。

それまでは男女合同だった体育も、男女別になった。

「あと、制服がすごく衝撃的でした。セーラー服だったので、今まではき慣れてないスカートは嫌だなって思ったし、ジャージで学校に行ったりもしていました」

中学2年で初潮があった時も、思わず驚いてしまった。

「保健の授業で生理については勉強していたけど、全然自分には関係ないと思ってたので、『え?』って思ったんです」

「そのあたりから、女子として生きていくことというか、女子の中にいることに違和感を覚えるようになってはきました」

好きな男の子もいなかったから、みんなの恋愛話にも入っていけなかった。

だが、徐々に「好きな子はいないの?」と聞かれることも増えてきたから、適当に男子の名前を言ってあしらっていた。

「多分、周りには『そんなに恋愛に熱を上げるタイプではない』って思われていたんだと思います」

それでも、女の子に対してうっすらと特別な感情を抱いたことはある。

「その子のことが好きなんだろうなとは思いました。好きと言っても、友達の延長みたいな感じですけどね」

「だけど、周りにはそんな風に女の子を好きになってる子なんていないし、これは多分言っちゃいけないことなんだろうなって思ったんです」

これを言ったら、仲間はずれにされてしまうと思った。

「すごく田舎だったっていうこともあって、当時はまだLGBTという言葉を知りませんでした」

「自分は同級生の女の子たちと違うだろうなとは思ってたけど、でも男の子ではない」

「一体なんなんだろうって感覚でした」

部活に打ち込む3年間

中学では、とにかく部活一色の生活を送った。

入ったのは卓球部。

「男女合同の卓球部だったんですけど、女子は僕だけしかいなかったんです」

「でも、小学校から男子だらけの環境には慣れてたんで、『ふーん』ぐらいの感じでした。むしろそっちの方が楽じゃんって」

周りの男子たちから特別扱いされることはなかったが、その代わり練習メニューも全部男子と一緒だった。

「そういった意味ではかなり鍛えられました。野球部よりもキツいんじゃないかってくらい、とにかく体育会系でしたね」

部活が終わってからも、部活の男子たちと一緒に自転車で帰宅する日々。

「中学の頃は、周りにゲーセンもコンビニもなかったんですよ・・・・・・」

「だから、友達の家まで遠回りして山を越えて帰るとか、そんぐらいしか遊びがなかったです」

土曜日は部活、日曜日は母の仕事を手伝う生活。

「遊んでる暇があるくらいなら部活しよう、って感じでした」

部活でつねに紅一点でいる自分を、クラスの女子たちが気にしている様子はそれほどなかった。

「でも、他校と試合する時とか、知らない人から見ればいつも男の子と一緒にいる自分は目につくんでしょうね」

「『あの子、大会の時にいつも男とイチャイチャしてるよね』みたいなことを言われていたらしいです」

学校でも、先輩の女子から「男に媚を売ってる」、「男好き」などと言われることもあった。

「でも、とにかく部活命だったんで、全然気にしてなかったです」

05高校でちょっぴり不真面目に

_MG_0881

栄えた町への引っ越し

高校は、地元から少し離れた隣町に通うことになった。卓球部がなかったため、部活には入らず帰宅部だった。

「高校に入学した頃は、思春期でちょっと母とギクシャクしていたんです。なので、最初の1年弱は寮に入っていました」

寮で生活している間は、自分でもかなり真面目だったと思う。

「無遅刻無欠席だったし、寮に帰ってもすることがないからずっと勉強をしてたんです」

成績もかなり良く、三者面談で「鹿児島でも上位の大学に行ける」と言われたほどだった。

「でも、親との関係も良くなってきて、『家から通えない距離でもないし帰ってくれば?』と言われたので、寮をやめて自宅からのバス通学にしたんです」

「それで、僕、遊びを覚えちゃいまして(笑)」

これまでは学校が終わってからは寮に直帰していたが、放課後友達と遊ぶようになったのだ。

「その頃、祖父母の実家を出て、母と姉と僕の3人で暮らすようになったんです」

引っ越した先は、今まで住んでいたところより少しだけ都会だった。

「バス停の前にスーパーやコンビニもある場所だったので、当時は『よっしゃ!』って思いました(笑)」

友達と帰りに遊ぶようになったり、仮病を覚えてズル休みもするようになった。

遊ぶといっても、スーパーのゲーセンに行ったり、帰り道に買い食いするレベル。

今思えばかわいいものだった。

同年代と遊ぶのはバカバカしい

しかし、高校2年からは少しだけ大人の遊びを知るようになる。

姉の知り合いだった年上の先輩たちと遊ぶようになったのだ。

「車を持ってるような人もいて、そこからどんどん学校を休むようになっちゃいました」

買い食いで喜んでいたあの日の自分は、一体なんだったんだろう・・・・・・。

同年代と遊ぶことも、なんだかバカバカしく思えてしまった。

「あと、僕はその頃までブラジャーをつけてなかったし、下着も女性用のボクサーパンツを履いていたんです」

「母や学校の友達には、『さすがにそろそろブラジャーをつけた方がいい』って言われるようになったんですけど、それがすごい嫌で」

当時はまだLGBTやGIDという言葉を知らなかったから、「なんでブラジャーが嫌なの?」と聞かれても、「なんとなく」としか返せなかった。

でも、当時一緒に遊んでいた大人たちは、そういった性にまつわる話には一切触れてこない。

「だから、大人たちと遊んでると煩わしいことを考えなくてすんだんです」


<<<後編 2017/04/21/金>>>
INDEX

06 男としての恋愛感情
07 「男に産んであげられなくてごめんね」
08 大切な人たちが受け入れてくれた
09 下積み期間
10 子どもたちが生きやすい未来のために