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「知る」から、「一緒にやる」へ。多様性を受け入れる社会を実現するために【後編】

「知る」から、「一緒にやる」へ。多様性を受け入れる社会を実現するために【前編】はこちら

2018/04/01/Sun
Photo : Rina Kawabata Text : Momoko Yajima
大部 令絵 / Norie Obu

1982年、茨城県生まれ。日本女子大学人間社会学部社会福祉学科助教。祖父の介護、祖母の高齢者うつなどを経て福祉に関心を抱き、筑波大学で障害科学を専攻する。大学院博士課程後期在籍中の25歳の時、下垂体機能低下症という難病が発覚。高校生の頃から発症していた特発性過眠症と共に、病と付き合いながら研究を続ける。2013年5月から障害や病を持つ女性に向けたフリーマガジン『Co-Co Life女子部』の2代目編集長を約2年務める。現在、国交省の「交通事業者向け接遇ガイドライン作成等のための検討委員会」委員も務める。趣味は囲碁。

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INDEX
01 “見えない障害” 当事者として
02 難病を受容する
03 研究者としての焦り
04 セクシュアルマイノリティの人との出会い
==================(後編)========================
05 マイノリティを取り巻く社会
06 それは本当に当事者のためになっているか?
07 そろそろ次のステップへ
08 次世代の教育を通して、自分も生きやすい社会へ

05マイノリティを取り巻く社会

「当たり前」だと思わないこと

LGBTについて、自分はものすごく詳しいわけではない。

それでも、マイノリティの人たちと社会との関係を考えるとき、いろいろな思いを持つ。

「LGBTに限らず、私自身、『当たり前だと思わない』ということに気をつけています」

ステレオタイプとは、他人に認知してもらいやすいという意味で、悪い側面ばかりではない。

「分かってるでしょって、話が早いじゃないですか。すごく便利なものです」

ただ、そこにとらわれてしまうと、ステレオタイプにはまりきらない人のニーズなど、掴めなくなってしまう可能性がある。

「“当たり前” でしょ、なんで分かってくれないの?となると、ケンカになってしまいますよね」

「柔軟であるというか、お互いに当たり前だと思いすぎないようにすることが大切なんじゃないかと」

齟齬が生じたときにも、誰かの当たり前は、別の誰かの当たり前ではないという視点をもちたい。そんな意識を少し持っておくだけで、激しい衝突にはならないと思うのだ。

強い主張は分断を生む

「多様性」という言葉もよく使われるが、お互いが強く主張し合っているように感じることがある。

それよりも、お互いに分かりあっていく方が大事なのではないだろうか。

「私であれば、難病のない人がどうなのかという視点も持ちながら、話をしていく必要がある」

「そうすることで、巡り巡って自分の主張も通りやすくなると思うんです」

それは、LGBTと呼ばれる人たちにも言えることではないかと思う。

本当は、あまり「アライ」という言葉が好きではない。

「別のインタビューを受けた方もおっしゃってたけど、強い主張って、“分ける” ことにつながると思うんです」

「自分は○○です」と言うことで、そこに境界線が生じてしまう。

「アライであると明確に主張して、『支援します!』と言うのは、私自身はちょっと違和感があるんです」

「『根拠として難病のことを伝える』という文脈は必要だと思ってるんですけど、わざわざアライと名乗ることが、ほんとに支援なのかと言えばそれも疑問があって」

「そんな風に言う前に、支援につながるような自然な振る舞いができたら、そっちの方がカッコいいかな」

06それは本当に当事者のためになっているか?

「差別しない」という態度は大切だけど

似たようなことは、障害についても言える。

障害のある人を差別してはいけないということで、障害の『害』を平仮名で書くべきだという風潮もある。

「でも、実は『害』を平仮名で書くと、視覚障害者のための音声読み上げ機能で読めなくなってしまうことがあるんです」

「それは果たして、本当に当事者の方を向いてるのかって、すごく疑問に思うことがある」

もしかしたら他にもそういうことは、あるのかもしれない。

たとえば、障害者の感動ストーリーが人気のテレビ企画『24時間テレビ』についても、最近は “感動ポルノ” と批判する声もある。

「たしかに、24時間テレビは好きじゃないという当事者の人によく会うんですけど、一方ですごく冷静だなと思う当事者の人もいる」

「24時間テレビは、世間が障害者のことを知るきっかけをずっと提供してきたし、番組で集めた寄付金で福祉車両も買えているわけで、恩恵を受けている当事者もいるよね、って」

「頭ごなしに否定するのは本当にいいの?ということをおっしゃる人もいて、それはそうだなと思いました」

障害者の選択肢を1から2にした『バリバラ』

一方で、2016年、24時間テレビが放映されている同時刻。

裏番組として、NHKが “障害者情報バラエティ” 番組『バリバラ』で、「障害者=感動」というテーマの番組に疑問を呈する生放送をしたことで話題となった。

「感動ドラマの主人公としてだけではなく、お笑いやバラエティの一出演者になれるという、障害者の選択肢を1から2にしたという意味で、大きな出来事だったと思います」

「かわいそう」や「感動」の “対象” として見られる障害者ではなく、“主体” としての障害者という視点を呈示した、バリバラの役目は大きい。

「だけど本当は、その2択だけではなくて、たとえば報道とか、トレンディドラマとか、もっといろいろな分野でふつうに障害者が出てきてもいいと思うんです。ドラマの通行人に障害者が出てくるとか、ないですよね?」

もちろん、昔に比べたら、マイノリティの人たちがずいぶんとテレビに出るようになったとは思う。

ただ、世の中のセクシャルマイノリティの人すべてが、はるな愛さんやマツコ・デラックスさんではないし、障害者のすべてが乙武洋匡さんではない。

「たしかに、道を開いた乙武さんとか、はるな愛さんの功績はそれぞれ大きいと思う」

「だけどそれが功績と言われないぐらい、いろんな場面に多様な人がいる画が、メディアで出てくれたらいいのになって」

「多様性を受け入れる」とは、本来そういうことではないだろうか。

「東京ガールズコレクションに、車椅子ユーザーがモデルとして出てもいい。LGBTの、たとえば女性装の人が出てもいいわけですよね」

もちろん、美的な観点から見たモデルの選考があるだろうから、それは同じ基準を適用すればいいと思う。

「同じ基準で、同じスタートラインに立てる、ということがすごく大事だと思うんです」

07そろそろ次のステップへ

「知ってもらう」から、「一緒に活動する」へ

難病も、LGBTなどセクシャルマイノリティの人も、それぞれにこの社会の中で生きづらさを抱えていると思っている。

「でも最近感じるのは、そろそろ単純に『知ってもらう』から、次のアクションに移っていかなきゃいけない時期なのかなということ」

知ってもらう取り組みはとても盛んになってきていている。

次は、知ってもらうだけではなくて、一緒に何かをする段階なのではないだろうか。

「“ステレオタイプの解消” に関する研究を見ていると、同じ目標を持って一緒に活動していくことに、偏見を変えていく知見があったりします」

「それを日常生活に落とし込むとすれば、一緒に仕事するとか、同じプロジェクトにたまたまいるという状況ですよね。そのひとつひとつの機会の中で多様であることが大事」

「一緒に生活をしていく上で、何が足りていて、何が足りないのか。どうやって考え、やっていけばいいかを一緒に模索する仕組みを作っていく必要があるんじゃないかな」

それがふつうに見えてくる、意識しなくても視界に入ってくる状況だと思う。

みんなが慣れていくのがいいと思う。

「私もまさにそうです。大学入っていきなりぐっと多様性が広がる世界に行って、それがふつうになっていって」

「大学は、私にとってとても多様性を理解しやすい環境だったんです」

チャンスを生かす

いま、国土交通省の交通事業者向けバリアフリー設備ガイドラインの検討委員になっている。

交通事業者向けということで、「女性専用車両」などについて考える機会が増えた。

「これも、従来の男性、女性という前提の上に成り立っているものなので、この前、セクシュアルマイノリティの人たちに意見を聞いてみたんです」

たとえば、LGBTの人たちの中には、身体的には男性だが性自認は女性という人も、性自認を男女はっきり分けられない人もいる。

そういう人が女性専用車両に乗ったときの周りの視線などは、必ずしも穏やかでなかったりする。

でも一方で、その空間によって守られている女性がいるということも、彼女たちはちゃんと自覚しているのだ。

「だから、恩恵を受けてる人も含めて、じゃあどう落としどころを見つけていけばいいのかを、考えていかなきゃいけない」

「そういう姿勢が、私はすごく大事だと思ってるんです」

名案がすぐに浮かぶわけではないけれど、実態を聞いて、考えていくのは大切なことだ。

ガイドラインが作られていくときは、様々な意見を伝えていくチャンスでもある。

「既存の仕組みの中で、たとえば女性専用車両の見直しはどうなのか、伝えていくことができます」

両者をつなぐような役割でいられたら、少しでも多様な人が使えるガイドラインになるかなと思う。

「代弁者というとちょっと偉そうですけどね(笑)」

08次世代の教育を通して、自分も生きやすい社会へ

いま、学生たちを送りだす側に

現在、念願かなって研究者として、大学で教える仕事に就いている。

大学院の修士1年生でインドネシアの障害者の研究をするチャンスが巡ってきたとき、せっかく海外の研究をすることができるなら研究者になろうと決めていた。

「大学生というのは、次の社会を担っていく存在なので」

インドネシアで大学の先生になって、インドネシアのインクルーシブ教育や、多様性をより受け入れられやすい社会作りにつながっていく、その力になりたかった。

病気で倒れ、インドネシアで教鞭を取ることは難しくなってしまったが、日本で大学教員になることでできることもあると思い直した。

「日本で障害に関する授業を持って発信していくことで、多様性に関するマインドを持った大学生が社会に出ていってくれれば、巡り巡って自分も生きやすくなるかもしれませんしね」

いろんな人と関わることが楽しい

多様性という点から、セクシュアルマイノリティにも目が向くようになった。
たまたまLGBTと呼ばれる人たちとの接点もできた。

直接何かLGBTの活動に加わったりはしていないが、彼らといることに、違和感はまったくない。

「この間もね、最近女性の装いに変えた人で、着る服がないって言うので、一緒に洋服を買いに行きました」

「そういうのも、私はふつうに楽しい」

「買い物のあと、みんなでお寿司屋さんで『これ買った!』って見せ合いっこして(笑)。次会うときはそれ着て会いましょう、みたいな」

「そういうのはやっぱり楽しいですね。いろんな人と関わることが、やっぱり私は楽しいんだと思うんですよ」

自分の人生は自分で体験できる。

でも、自分にはない視点は、やはり人とコミュニケーションを取らなければ分からない。

「あ、そういう視点があるんだ!とか、そんなこと考えてたんだ!っていう、『知らないことを知る楽しさ』みたいなものが、私にとってはとても楽しく、クセになるんです(笑)」

知らないことを、知りたい。
その欲求は、研究者の原点ではないだろうか。

「研究者という仕事も、好きなことを形にした結果ですけどね(笑)」

「LGBT」や「障害」という枠の中だけで考えるのではなく、誰もが生きやすい社会とはどういう社会か、実現するためにどのようなアプローチを取ったらいいか、いつも考えている。様々なバックグラウンドを持つ人が一緒に生きていける社会。それはまるで、どんな人でも平等である、囲碁の盤上のような社会なのかもしれない。

あとがき
令絵さんは、人と触れ合える時間を惜しまない。仕事もプライベートも、実りあるものにできるのだと感じる。違いのあるままに誰もが参加できる社会とは? 令絵さんのインタビューは、考えるヒントにあふれていた■偏見を変えるとは何だろう——「知る」ことが一つ。自分には知らないことがある、と知ることもだ■次の行動、その内容や範囲は人それぞれ。使命感でも、背負うのでもなく、なにごとも “楽しいことにできる” が肝心かな。(編集部)

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