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何ものでもない、僕だけの表現を求めて【後編】

何ものでもない、僕だけの表現を求めて【前編】はこちら

2016/03/14/Mon
Photo : Mayumi Suzuki Text : Koji Okano
伊藤 教詔 / Noriaki Ito

1979年、埼玉県生まれ。小学校1年生のときに横浜に引っ越す。桑沢デザイン研究所を卒業後、子供服ブランド「ナルミヤ・インターナショナル」の外部デザイナーとしてプリントやワッペンの制作を担当。その後、デザイナー池田ノブオ氏のアシスタントを経て、アパレル副資材(タグやラベル)のデザイナーに。今春から独立、自らが立ち上げたレインボー・アカデミー主宰(キラリン)に。カラーセラピーを取り入れた講座を開き、カミングアウトに踏み切れない人を後押ししていく予定。

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INDEX
01 おばあちゃんが縫ったスカート
02 普通にしているのに、からかわれる
03 自分に生きてる価値なんてない
04 男性の胸に抱き寄せられて
05 本当に表現できる人間を目指して
==================(後編)========================
06 予め決められたカミングアウトの日
07 初めての出会いと哀しい別れ
08 あふれ出た思いは、伝播してゆく
09 世界はこんなにも僕を受け入れてくれる
10 自分ではなく、みんなのために

06予め決められたカミングアウトの日

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予感だけを頼りにして

中学生のとき雑誌に載っていた格闘家に心奪われ “自らがゲイではないか?” と思い始めた頃から、なぜか “19歳の誕生日までにはカミングアウトしよう” と心に決めていた。

その後、何度も女の子を好きになろう、男らしく振舞おうと思いながらも、なぜか自分がカミングアウトする予感だけは消えることがなかったのだ。

「母と話していると、悪気なく「彼女いるの?」「いつ結婚するの?」と聞いてくるので、それが苦しかった。でも一番の理由は、成人する前にきちんと自分の気持ちを整理して、とくに母親の方には伝えなきゃ、と思っていたのが大きかったです」

「結局ヤッてみなきゃ、ゲイかどうかは分からない」という意見もある。この時点で伊藤さんはまだ、男性と付き合ったことはなかった。でも男が好きだ、その確信はあった。いつかは理想の男性と真剣に交際できるはず、その予感もあった。

「19歳の誕生日の前日です。お母さん、僕は男の子が好きなんだよ、とストレートに伝えました。母は、分かってたよ、って。でもそれは、泣きながら捻り出した声でした。母の瞳からは涙がこぼれていました。小さい頃から僕を見てきたから、内心ではもう分かっていたはずです。でも目の当たりにして、衝撃を受けたのでしょう。しばらくは母も気持ちの整理がつかないのか『でも結婚はどうなの?』と聞いてきましたし、そんな状況が何年か続きました」

両親の包容力に感謝

しかし、そんな母もやはりカミングアウトの予感があったからか、完全に受け入れることはできなくても、日常を取り戻すまでにそう時間はかからなかった。

「それほど時を経ずして、母はテレビに出ている男性タレントを見ながら、僕に『ほら、あの子カッコいいよね』とか『職場の男の子がいつもキャピキャピしててね、あの子も教詔と同じようにゲイなのかしら?』と、言い出すようになったんです。もうこうなったら、いつもの母と僕です。僕も『あの人、カッコいいね』とか『ああ早く彼氏できないかな』って、逆に母に言うようになって。前よりもっと親密になることができました」

父には特別、カミングアウトはしていない。

でもおそらく、母から伝わっているだろう。メイク姿で帰って来ても、不思議そうな顔のひとつもしないのだから。

「うちの両親の凄いところは、子供の考えを全く否定しないところです。このふたりに育てられたんだから、きっとこれから、もっと世の中で自分を曝け出して行くことができる。カミングアウトを通して、そう思いました」

07初めての出会いと哀しい別れ

パートナー出現の予感

両親へのカミングアウトを機に、少しずつ少しずつ、周りの人にも事実を伝えていく。

「以前、引越のアルバイトをしていた時、同僚に『新宿2丁目で働いたらいいんじゃない?』と言われて。別に嫌な言われ方でもなかったから『そんなふうに見えます? でもそうなんです、僕は実はゲイなんです』と答えれば良かったんですが。その頃はまだ母親にカミングアウトする前で、素直に心を開く気にはなれなかった。やっぱり母に言えたことが大きかったですね」

専門学校の同級生にも、仲の良い人から順番に伝えていった。

言われて顔を曇らせる人など誰一人存在せず、皆、友好的に迎え入れてくれた。

「個別にカミングアウトしてみて、いかに自分が一人で思い悩んでいただけか、よく分かりました。伝えれば伝えるほど、友達が増えていく。今まで一回として、カミングアウトしなければよかった、と後悔したことがないんです。ちなみに高校生のとき好きだった男の子にも、伝えてみました。『そうなんだ』って、明るい笑顔を浮かべてくれましたよ」

周囲の人間に受け入れられれば、次はパートナー探しだ。

昔はドキドキしながら横浜の関内駅近くにある雑居ビルまで足を運び、購入していたゲイ雑誌。その投稿欄で文通相手を探している人を見つけては、手紙のやりとりを繰り返す。

「この頃はSNSはもちろん、まだメールも今ほど普及していませんでしたから。ただ手紙のやりとりをするだけなんですけど、引っ込み思案の僕にしたら、それだけでも大冒険なんです(笑)。でも結局、文通するだけで実際に会うまでに至らない。けれど不思議と予感はあったんです、近いうちにパートナーが出現するんじゃないかって」

思いやることの大切さ

そして、予感は的中した。

初めての出会いは意外なところから生まれたのだ。

「ある日突然、同級生の男の子から告白されたんです。『好きだ、付き合いたい』って。そのときはまだ、彼とはそれほど仲良くはなくて、僕の人となりも伝わってなかったはずなんですが。今まで男性から告白されたことはなかったけど、悩んだ末、付き合ってみることにしたんです」

しかし関係が長く続くことはなかった。

お互いまだ、付き合うには幼すぎたのだ。

「おそらく彼は僕がゲイであることを知って、告白してくれたのでしょう。僕は僕で、別に彼のことを好きではなかったけど、興味があったから付き合い始めた。出発の仕方が間違っていたんです。それにふたりともまだ恋愛の場数が少なく、だた求めるばかりだった。思いやる気持ちが欠けていたんです。もっと大人になって付き合っていたら、こんな哀しい結末にならなかっただろう、と今では思います。気持ちのすれ違いの連続で、精神的にもかなり消耗してしまったんです」

その後は2、3年、恋愛に向き合う気持ちにはなれなかった。相変わらずゲイ雑誌を見て文通はするけれど、出会いには繋がらない。

そんな毎日の中で、社会に踏み出す日が訪れた。

08あふれ出た思いは、伝播してゆく

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“かわいい” を極めた末に

専門学校を卒業した最初の1年は、写真屋でアルバイト。

パソコンソフトを駆使して、お客さんの写真にフレームを付けたり、写真から似顔絵を起こしたり。昔からかわいいものが好きだったから、できるだけポップな色を使って、かわいらしく仕上げたいと頑張った。

そうして納品したものを見て、お客さんが喜んでくれると、こっちまで幸せな気持ちになれたからだ。

「写真屋で働いて半年を過ぎた頃でしょうか。専門学校の先生が『伊藤くんにぴったりの仕事がある』と、子供服のデザインの仕事を紹介してくださったんです」

「モーニング娘。」の熱狂的な人気で、小学生高学年から中学生向けの「スクール」といわれる服の市場が、急拡大している時期だった。鮮やかな色を使った、ポップでかわいい洋服が飛ぶように売れていた。

「子供服を手がけるなんて、考えたこともなかったんです。でも確かに自分は今も鮮やかでポップなもの、かわいいものが好きだし、専門学校時代もそんな作風を突き詰めていた。自分が作品に込めた思いって、伝わる人には伝わっているんだと実感しました」

こうして大手子供服ブランドの外部デザイナーとして、プリントの柄やワッペンを考案する日々が始まる。

「納品しに行くと『素敵!伊藤さんは男なのに、なんでこんなかわいいデザインが思いつくの?』って言われることが多くて。普通なら自分のセクシュアリティを勘繰られそうで恐縮するところが、すごく嬉しくて。『伊藤さんしかできないデザイン』って言われた時はもっと嬉しくて、こんなところで自分のセクシュアリティが生きてくるんだ、と感動したものです」

素直さが生む縁

かわいいデザインを追い求める毎日に、さらなるチャンスが訪れた。

「自分が尊敬する服飾デザイナーのアシスタントとして働かないか」という話が舞い込んできたのだ。

「ビビッドな色使いでありながらも、とてもかわいい服を作る方で。当時、取り引きのあった会社の方が『勉強になるから』と紹介してくださいました。アシスタントといっても、ホテルに三ヶ月缶詰になって原案を起こしたり、ハードな職場でしたが、いろいろなことが学べたんです」

そして恩師であるデザイナーから『もっと飛躍できる場所がある』と現在の職場を紹介された。

大手アパレルメーカーの外部テキスタイルデザイナーとして、楽しいけれど忙しい日々を送っている。

素直な思いが人の縁を生み、自分らしく働ける場所を導いてくれたのだ。

09世界はこんなにも僕を受け入れてくれる

本当の自分を曝け出す

だが、実は今の会社に入社した際に、ある事件があった。

歓迎会早々に大体的にカミングアウトしてしまったのだ。

「公にはしていなかったものの、それまでも仕事で出会った人には、気が向けばカミングアウトしていました。でもやっぱり取引先の人とかに『伊藤さんは結婚しないんですか?』とか『彼女いるんですか?』って言われたりすると、嘘を付くことも多々あって。それがとても苦しかったんです」

入社して数日後の歓迎会だったからか、職場の人たちもいわゆる “普通の男性” とは違う匂いを、なんとなく感じ取っていた。

そこへ関西弁で調子のいい社長が、酒の勢いで問いかけてくる。「伊藤くん、どっちやねん?」と。

「自然に『ゲイです!』と答えている自分がいました。社長の質問に答える僕を、皆、固唾を呑んで見守っていたんですが『伊藤くん、素直に答えてくれて良かったよ』『すごい勇気!』と、職場の人たちは一瞬で僕を理解してくれて。社長なんて『今の時代は逆に、伊藤くんみたいな人の能力が必要なんだよ』とまで言ってくれました。素直な気持ちを言うだけで、こんなにまで僕を受け入れてくれるんだ、と世界が広く思えた瞬間でした」

ありのままの楽しさ

歓迎会を機に、素の自分をありのままに出すことができるようになった。

「仕事がしやすくなったのもありますが、職場で女性の同僚とキャッキャ言いながら、かっこいい芸能人の話とか、いわゆる世間話をできるようになったのも嬉しかったです。僕の仕草を見て『いやだ、伊藤さん。私より女らしくて、かわいい』ってからかわれたり(笑)。女性と話していると「かわいい」って言葉だけで伝わることがあるから、一緒にいて楽しくて、ラクなんです」

職場の男性との関係も良好だ。

「お気に入りのメンズが3人いるんですけど、僕があからさまに好意ある態度を取るから、向こうにはもうバレバレで。飲み会のときなんか、わざとその3人で僕を囲んでいじろうとするんですよ(笑)」

10自分ではなく、みんなのために

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これから踏み出す道

そのメンズ3人とも、別れのときがやって来た。

この春に10年勤めた会社を辞めて独立、ビジネスネームは「Kirarin」、また自ら立ち上げたレインボー・アカデミー主宰として、自身のこれまでの経験を生かし、同性愛者向けにカラーセラピーを使った講座を開きたいと考えている。

カミングアウトしたくても、出来ない人を後押しするための仕事だ。

「一昨年の5月頃のことです。本業も忙しいのに、休日は友人の仕事も無償で手伝っていて、体調を崩してしまったんです。病に臥せったことで ”自分らしい生き方ってなんだろう?”って考え出すようになって。試しに色々なセラピーを受け始めたら、そのときの自分の気持ちをスパッと言い当てられたんです。おまけに導き出された人生の可能性に従って行動してみたら、出会いも仕事の表現も一気に広がって。オーラソーマに興味を持ち始めたきっかけです」

選んだカラーボトルからその人の現状を分析し、未来のあるべき姿を導くオーラソーマ。

ただ色を選ぶだけではなく、さらに自身で描いたヒーリングアートを一枚選んでもらうことで的確に心の状態を把握し、ケアしていきたいと考えている。

「グラフィックデザインの仕事とかけ離れているようで、実はそうでもないんです。僕は自分を表現するのではなく、周りの人を幸せにしたいと思って、デザインの仕事をしてきました。ポップでかわいいデザインで、みんなを楽しい気持ちにしたい、って。これから始める新しい仕事も根底の部分は同じだと考えています」

カミングアウトを経て、自分を偽ることなく生きていけるようになった経験。それがヒントになった起業。

同性愛であることに悩み、カミングアウトしたくても怖くて出来ない人を後押しして、幸せになる手助けをしたいと、オーラソーマの勉強中だ。

僕が僕らしくいられる場所

恋愛にも、今は積極的だ。

アプリで知り合ったり、クラブイベントで気の合った人とは、丁寧にSNSやメールで交流を重ね、お互いを高め合えると思った人とは付き合って来た。

今、パートナーはいないが、新しい仕事が軌道に乗るまでは一人で頑張ろう、と考えている。

「でもそれも、ゆるい縛りなんです。お互いを認め合って助け合えるような人が現れれば、自然と結ばれると思うんです。それに、そういう人と出会える予感が実はもうあるんです。仕事でもプライベートでも、僕らしい夢が描ける場所が、これから訪れるって」

おとなしくて引っ込み思案だった少年が、今はしっかりと行き先を見つめ、未来を思い描いている。僕が僕らしく表現できる場所、それはゆっくりとでも確実に訪れる。

あとがき
可愛らしいエピソードの数々に、男性と話していることを忘れてしまったほど。取材のカフェテーブルには、明るい会話が広がった。そこには、寂しかった子供の頃や闇だったと振りかえる時期も、全て受け容れた教詔さんがいた■何度も伝えてくれたご両親への感謝、尊敬の気持ち。それは大きな根っこになっていると感じる■出会った人の可能性を知り、サポートを始めたKirarinさん。それはまるで、家族のように・・・家族以上に。(編集部)

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