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彼と出会えたから、 “いい子” でいることから解放された。【後編】

彼と出会えたから、 “いい子” でいることから解放された。【前編】はこちら

2018/06/22/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
河本 直美 / Naomi Kawamoto

1979年、岡山県生まれ。父の仕事の影響で、各地を転々とする生活を送る。大学卒業後、鳥取にある公民館に就職。27歳の時に性同一性障害の女性と出会い、交際に発展する。2012年に鳥取でカフェを開業し、2015年に戸籍を女性から男性に変更したパートナーと結婚。現在は夫婦でカウンセリング事業を展開しながら、妊活中。

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INDEX
01 衝撃の事実と勝手に背負った期待
02 180° 変化した母親の教育方針
03 FTMのパートナーとの普通すぎる出会い
04 選ぶ必要性を感じなかった二択
==================(後編)========================
05 相手を信頼したいから見せた本音
06 母親が5年後に出した答え
07 余裕のない自分とパートナーの変化
08 あらゆる可能性を見させてくれる人

05相手を信頼したいから見せた本音

寄り添うよりも奮い立たせること

彼女とつき合い始めて、最初に驚いたのは体のこと。

「当たり前なんだけど、彼女の体には女性器がついていたんですよね」

「最初は、同性同士の性行為に抵抗があったんですよ」

「でも、慣れていないだけかもしれない、と思って、打ち明けたりはしなかったです」

つき合い始めた頃は、本音を言えなかった。

「私が『かわいそうな子』って言われて育ったからか、無意識のうちに彼女のこともかわいそうだと思っちゃったんです」

「かわいそうだから何かしてあげないといけない、って気持ちがあったことは否定できないです」

「でも、本音を隠すような関係を続けていたら、私が病気になると思いました」

彼女は性同一性障害の悩みを抱え、当時は感情の浮き沈みも激しかった。

その波に合わせていたら、2人揃って塞ぎ込んでしまうと思った。

「それ以来、傷口には塩を塗ろうと決めました(笑)」

「彼女は外見は女性だけど、心は男性だから、落ち込んだ時にわざと『女々しい』って言って怒らせたり」

「私は結婚して、子どもを生みたいと思っていたから、『とっとと診断を受けて』とかも言っていましたね(苦笑)」

ケンカは急増していったが、互いの気持ちを理解し合えるようになった。

パートナーの母親とのケンカ

つき合い始めた頃、彼女の母親に紹介された。

当時、彼女は実家住まいで、両親と息子の4人で暮らしていた。

「彼女の息子を思ったお母さんから、『母親が家を空けるのは良くないから、あなたが家に来なさい』って言われたんです」

「自分の家に帰りたかったけど、お母さんの言う通りにした方がいいかなって」

交際は反対されなかったが、日常的に呼び出され、説教された。

「お母さんは、性同一性障害の子が性別を変えたら、職に就くのは無理だって考えていたんですよ」

「だから、『あなたは、娘の面倒を見る覚悟があるのよね』ってよく言われていました」

彼女の母親と2人きりの時に、「あなたが生活を背負った方がいい」と言われた。

「私としては、そういうつもりじゃないんだけど、って感じでしたね」

「お母さんからのストレスを受けるために、結婚したいわけでもないしなって」

最初は説教を黙って聞き入れていたが、我慢の限界を迎えた。

「いつだったか私がブチ切れて、反論するようになりましたね(笑)」

「実の親子でもなかなか言えないような暴言を、お母さんに言ったことがあります(苦笑)」

「結婚した今もお母さんとはよくケンカしますけど、変に気を使うよりいいかな、って思います」

06母親が5年後に出した答え

受け入れるタイミング

彼女との交際は続いていたが、自分の両親には反対されたままだった。

「気になってはいたんですけど、両親が認めてくれる日を待つしかないな、って思っていました」

「その状況が嫌になる日もあれば、楽観的に捉えられる日もあって、そこまで深刻に考えてはいなかったです」

「いずれ結婚することは決めていたから、叶わないはずがないとも思っていましたね」

母親に「女に告白された」と告げてから、5年が経とうとしていたある日。

「その年の大晦日は悩んでいる時期で、実は、心の中で『助けてください』って唱えたんです」

「翌日の1月1日に実家に帰ったら、いきなり母が『いい加減、結婚したら』って言ってきたんですよ」

突然受け入れられたことに、戸惑いを隠せなかった。

母親は「直美が決めたことだと思ったら、お母さん許せた」と言ってくれた。

「母は思ったらすぐ口に出すタイプなので、腑に落ちたタイミングだったんだと思います」

2つの感情の狭間

母は今でも「万々歳ではない」という。

それでも「直美が選んだ道だから」と、避けようのない事実として受け止めてくれているようだ。

「でも、母が言っていたんです。『親としては反対だったけど、彼女のことは人として好きだった』って」

初めて彼女と会わせた時、母親は「直美のどこが好きなの?」と聞いていた。

彼女は「目の奥がキレイなところ」と答えた。

「母は今の父を再婚相手に選んだ時、目の奥がキレイだな、って思って決めたらしいんです」

「『まったく同じことを言った彼女に魅かれた』って話していました」

「ただ、世間体を意識して、反対していたみたいです」

「私自身も、世間体というか、弟たちのことは気になっていました」

自分が好き勝手したせいで、弟たちの交際や結婚を阻んでしまうのではないか。

「でも、弟は2人とも『別にいいんじゃない』って認めてくれたし、私より先に結婚したんですよ」

「弟たちは、それぞれ自分の人生を歩んでいるんだってわかって、ホッとしましたね」

強制的な初対面

結婚を認めた母親は、突然父親を鳥取に連れてきて、彼女と引き合わせた。

「その時、父と彼女はほぼ初対面だったんですよ」

「母が『無理やり山を動かしてきたんだから、あとはどうぞ』って、強制的に挨拶する場を作ってくれて(笑)」

「母が強引すぎて、こっちがおろおろしました(笑)」

彼女から「あらためて、実家に行かせていただきます」と告げると、父親は「待ってる」と言葉少なに応えた。

「その日が9月で、11月に結婚の挨拶に行ったんです」

その出来事をきっかけに、父親の態度も軟化していった。

07余裕のない自分とパートナーの変化

経験してみたかった食の仕事

数年勤めた公民館を辞め、派遣社員としてガス会社で働いていた。

登録していた派遣会社がなくなることが決まった時、「食の仕事を始めるなら、今かもしれない」と思った。

「20歳の時、突然料理に目覚めたんですよ」

「パスタも茹でられなかったのに、目覚めた当日にラタトゥイユを作りました(笑)」

「その頃になんとなく、食の仕事に就いてみたいな、って思っていたんです」

半年前から食器を集め、業務用のガスオーブンを買っていたことも、その思いつきを後押しした。

すぐにガス会社を辞め、物件を探し、半年後にカフェをオープンした。

「父には猛反対されました」

「鳥取でカフェを開いたら、もう二度と岡山には帰ってこないと思ったみたいです」

「母が説得してくれて、結果的に認めてくれたんですけど、最初は頑なでしたね(苦笑)」

突きつけられた現実

32歳の時にカフェを始め、約5年間続けた。

「料理やお菓子作りが好きな人はカフェも好きで、接客もできると思っていたけど、私は接客が苦手だったんです」

「話すことは好きだけど、話しすぎちゃうからお客さんが帰らなくて、回転率が悪かったんですよね(苦笑)」

閉店時間が延びれば、必然的に帰宅も遅くなり、彼女との時間は減っていった。

お客様にはオーガニックの料理を出しながら、自分は限られた時間でカップ麺を食べていた。

「朝から晩まで働いて、自分が置き去りになっていることを感じて、危機感を持ちましたね」

同じ頃、彼女がホルモン治療を始め、女性から男性へと変化していった。

「注射を打ち始めた頃は、慣れるまで時間もかかるし、重いものも持っちゃダメなんですよね」

「彼女から彼になっていく過程で、『私の方を見てくれん』って落ち込んだり、文句を言ったりするから、そのケアもしないといけなかった・・・・・・」

「彼につき合うのも疲れたけど、助けたいけど助けられない自分も情けなかったです」

当時はかなり毒を吐いていたが、我慢していたら病気になっていたと思う。

辞めるという決断

2015年4月、彼の性別適合手術や戸籍変更が終わり、ようやく結婚することができた。

つき合い始めてから、9年ほどの月日が経っていた。

「カフェは、朝から晩まで働き詰めの状態で続けていました」

「完璧にこなせない自分はダメだ、って頑張り癖が出てしまったんです」

「でも、このままじゃいけないと思って、カフェを閉めることを決めました」

もともと、一生続けよう、と思っていたわけではなかった。

結婚して1年が経った頃、店を手放した。

08あらゆる可能性を見させてくれる人

男でも女でも変わらない関係

パートナーが女性から男性になっていく過程を、すべて見てきた。

しかし、互いの関係性や接し方は、出会った頃と何も変わっていない。

「彼が外見も言葉遣いも、ほとんど変わっていないからかもしれないです」

「ただ、治療を始める前、男であることにこだわっていた頃の方が女々しかったです(笑)」

女性性を排除しようとすることで、余計に意識していたのだと思う。

「そばかすがあると女性っぽいからって、隠すために高いファンデーションを買って、かえって女子力が上がったり(笑)」

「お尻を小さくしようと骨盤矯正の下着をはいて、スタイルが良くなったり(笑)」

男性として生活を始めた彼は、そこまで性別にこだわらなくなったように見える。

「今は『男でも女でもあるから』って言っていますね」

「母親になりたい」

「彼が女性だった時も、男性になった姿も見てきて、思ったことがあるんです」

私も母親になりたい。

母親として息子を育てる彼を見て、そう思った。

「2人の間には子どもができないから、今は精子提供者を探して、妊活しているんです」

親戚や知り合いに直談判して、何人かの男性に提供してもらえることになった。

人工授精がうまくいかず、落ち込むこともあったが、それは “いい子” でいなきゃいけないという意識が残っていたから。

「亡くなった父を演じてきた自分がまだ残っていて、親の期待に応えたかったんだと思います」

「でも、私自身で考えた時に、授かっても授からなくてもいいかな、って思ったんです」

諦めたわけではないが、子どもができなかったらダメ、というわけではない。

いずれ子どもが生まれたら、自分がしてきたことを再現してほしい。

「子どもに同じことをされた時、私はどう感じるのか、体験してみたいです」

「私は楽しいことも悲しいことも怖いことも、全部楽しみたいんですよね」

「全部経験してから、死にたいです」

パートナーは、その可能性を見させてくれる人。

彼と一緒にいるから、未来も明るい。

「FTMだから何かを諦めるのではなくて、むしろ可能性の方が大きいって感じるんです」

「私はラッキーだと思うんですよ」

「子育ての先輩が隣にいるから、子どもが生まれてもラクだなって(笑)」

あとがき
清々とする笑い、裏表のない人、それが直美さんだ。直美さんの話しには、正直に生きるまでの軌跡が見えた。正直に生きることは、わがまま勝手に生きることとは違う。特定の言動があるのでもない。感情に振り回されずに、自分の本音とつながるように努力できることなのかな・・・■まずは一日一回、自分の希望(〜したい)を叶えてあげよう。何を着たい? 何を食べたい? 何時に寝たい? ポイントは[意識すること]。小さなことでも叶えられた!と思うこと。(編集部)

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