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長い時をかけて目標を達成すること。その経験が、ブレない芯になる【後編】

長い時をかけて目標を達成すること。その経験が、ブレない芯になる【前編】はこちら

2017/07/17/Mon
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
清水 尚雄 / Nao Shimizu

1983年、栃木県生まれ。小学1年生で柔道を始め、中学、高校、大学、実業団と約26年間、選手生活を送る。中学3年時に県大会優勝、大学3年時に国体で団体戦3位、社会人1年目に全国大会で団体戦1位に輝く。現在は引退し、ドラッグストアに勤務。幼少期から自身の性別に違和感を抱き、2011年からホルモン注射での治療を開始。2015年に結婚し、仕事の傍ら、LGBTに関する講演活動も行う。

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INDEX
01 “強さ” に魅了された柔道の世界
02 “女の子” が好きな自分
03 柔道に打ち込んで隠した本当の気持ち
04 突き付けられた性別という現実
05 振り回された高校時代の恋愛
==================(後編)========================
06 “柔道” と “家族” を手放す選択
07 失くして気付いた必要だったもの
08 社会で “男” として生きる覚悟
09 親子の絆を取り戻し、家族になる時
10 目標を達成したことで見つかった “目標”

06“柔道” と “家族” を手放す選択

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柔道人生をひっくり返した敗北

高校の先生から「お前のことを欲しいって言っている大学の先生がいる」という話を聞いた。

「『日本一になりたい』って気持ちが強かったので、迷わず紹介してもらった千葉の大学に進学しました」

「高校の先生が推薦してくれたことも、すごくうれしかったです」

大学では柔道に専念したが、2年生の9月にこれまでの人生を揺るがす事件が起こる。

「試合で高校1年生に負けてしまったんです」

「先生や先輩から『優勝できるよ』って言ってもらっていたので、舞い上がっていたんですよね」

「周りの期待に応えられなかった自分がすごく嫌でした」

「優勝した時のコメントも考えていたくらいだったから、現実との差に耐えられなくて、脱走してしまったんです」

1人の同級生にだけ「柔道を辞める」と話し、練習をサボった。

何もかも嫌で、柔道から離れたかった。

「『先生や先輩に相談する』『練習に励む』って選択肢もあったと思うんです」

「でも、その時は『逃げる』という方法しか思い浮かばなかったです」

退部届けも出さず、監督に告げることもなく “脱走” した。

1人暮らしをしていた千葉の家を出て、栃木の実家に帰った。

本音を伝えた二度目のカミングアウト

突然帰ってきた娘に、両親は驚いていた。

「試合に負けて、嫌になった」と素直に話した。

「母からは『少しだったらいいけど、また帰りなさい』って言われました」

「父はこの時も『悩むだけ悩め』って寛容でしたね」

部活から逃げた翌日、監督が実家まで様子を見に来てくれた。

それでも「柔道を辞める」という意志は揺らがなかった。

監督が帰ってから、家族会議が開かれた。

「柔道を辞めることと一緒に、自分のセクシュアリティについても両親に話しました」

「『ゆくゆくは戸籍も男性に変えたい』って言ったんです」

当時はまだ詳しい手術内容は知らなかったが、「胸を取りたい」と伝えた。

父は「お前の人生だから、いいんじゃないか」と言ってくれた。

しかし、母が「自分の体にメスを入れることは絶対にやめて!」と取り乱した。

「母もGID自体は知っていたと思うんですけど、自分の子どもがそうなるなんて考えないですよね」

「『柔道を辞める』と『戸籍を変える』のダブルパンチで、受け止められなかったんだと思います」

失ってしまった家族

家族会議を開いた日の夜、寝ていると息が苦しくなった。

目を開けると、覆いかぶさった母が自分の首に手をかけていた。

母は「ごめんね」と言いながら、泣いていた。

首を絞める母の手を振りほどいた。

「部屋のすみで泣いている母の背中を見て、実家にはいられないって思いました」

翌日、母から「お前とは縁を切った。清水家の敷居はまたぐな」と言われる。

父は「お母さんのことは任せろ」と言ってくれた。

これから1人で生きていかなければならないことを覚悟した。

「当時は『なんでわかってくれないの?』って感情が強かったです」

「『母の承諾なしに戸籍を変えられるなら良かった』って楽観的な部分もありました」

「でも、家のそばが食べられなくなると思うと、すごく寂しかったです」

千葉に帰ってからは、アルバイトで学費を稼ぎながら大学に通った。

反抗心から、初めて髪を金色に染めた。

部活には顔を出さなかった。

07失くして気付いた必要だったもの

一から歩み始めた柔の道

大学にいれば、部活の先輩とすれ違うこともあった。

「こんにちは」と挨拶しても、返事はなかった。

「部活をバックレたきりで『辞める』って伝えていないんですから、当然ですよね」

柔道から離れている間、弟やアルバイト先の仲間に将来についての相談に乗ってもらっていた。

「なんでそんなに悩んでんの?」と聞かれた時に、気付いたことがあった。

「柔道を取ったら、自分には何もないって思ったんです」

「このまま生きていても恐らくプラスにはならないから、もう一度初心に帰ってやってみようかなって」

柔道を投げ出してから半年以上が経ち、3年生になったばかりの4月8日。

柔道部に戻った。

監督が「清水から話がある」と部員を集めて、ミーティングを開いてくれた。

「その場で土下座して『逃げ出してしまってすみませんでした!』って謝りました」

「先輩から『なんで逃げたの?』って聞かれたので、負けて悔しかったことを話しました」

「後輩からは『先輩と思ってないですから』って言われたり・・・・・・」

「少しずつでも行動で表しなさい」という監督の教えに従い、1年生と同じ雑務をこなした。

道場の畳を拭き、部員のドリンクボトルを洗った。

「一度失った信用を取り戻すには、一から始めるしかなかったんですよね」

「できることに励んで、徐々に場に馴染んでいきました」

「何度か『また逃げようかな』って思ったけど、『ダメだ』って自分に言い聞かせました」

修復され始めた母との関係

柔道部に戻った時、両親にも連絡した。

「『敷居をまたぐな』って言われて以来だったから、連絡するのはすごく怖かったです」

報告の電話には父が出てくれた。

「普段は母が電話に出るんですけど、私の番号が表示されたからか、気を利かせて父が出てくれたんです」

「母に替わってもらう時に、電話の奥で『いいよ、出たくない』って言っていたのが聞こえました」

「いざ母に伝えたら『そうなんだ』ってあっさりしていました」

柔道部に戻ったことが、親子の関係修復の第一歩となった。

柔道部に復帰して約半年が経った10月の国体で、団体戦3位に輝いた。

その頃には、両親も試合を見に来てくれるようになっていた。

「改めて3位の報告をした時、母がすごく喜んでくれたんです」

「『柔道に戻って良かった』って母に伝えられました」

08社会で “男” として生きる覚悟

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社会に出ても目指した “日本一”

いまだ実現できていない “日本一” の夢は、大学4年生になっても消えることはなかった。

就職も、当然のように柔道を続けることを前提に考えていた。

「新たに柔道部を立ち上げるから来て欲しい」という誘いがあり、その実業団チームに入ることに決めた。

「同じ大学の同期2人と他大学の1人、私を含めた4人がチームの1期生で、練習は大学の柔道場を借りていました」

「8時から16時まで介護事業の仕事をして、16時半から20時まで練習という毎日でしたね」

初年度、できたてほやほやのチームで全日本大会の団体戦で優勝を飾ることができた。

しかし、個人戦ではずっと2番手が続いた。日本一の壁は高かった。

現役中は打てなかったホルモン注射

実業団に入ってからも、「戸籍を男性に変えたい」という思いは持ち続けていた。

「ただ、ホルモン注射を打つとドーピング検査に引っかかってしまうので、現役中は治療を受けられなかったんです」

「相変わらず胸に対する違和感はありました。だけど、それよりも柔道で結果を出したい気持ちの方が強かったんです」

治療を始めたのは、現役を引退した2011年。

医師の診断を受け、ホルモン注射を打ち始め、乳房切除手術も行った。

「ホルモン注射を打ち始めて一番驚いたのは、筋力の変化ですね」

「現役時代のベンチプレスの最大値が87.5kgだったんですけど、注射を打ち始めて2~3年で125kgに上がったんです」

「400mダッシュも1分40秒から1分10秒に縮まって、びっくりしました」

「ドーピングってダメなんだなって、身をもって知りました(笑)」

躊躇した会社への報告

性別適合手術は2014年12月に行った。

「治療開始から性別適合手術までの間が空いてしまったのは、周りへの影響を危惧したからです」

「当時は柔道部の監督をしていたので、教え子に伝えたら動揺させてしまうんじゃないかって思ったんです」

「柔道界で、性別を変えることが問題にならないかということも考えていました」

意を決して、会社に伝えた。

すると、拍子抜けするようなリアクションが返ってきた。

「先輩を通じて会社に伝えたんですけど、すんなり受け入れてもらえました」

「同僚も『いいじゃん。清水は清水だから変わんないよ』って言ってくれて、助けられました」

「柔道部の教え子達も気付いていたらしいです(苦笑)」

治療を開始し、会社へのカミングアウトに至るには、ある人の支えも大きかった。

09親子の絆を取り戻し、家族になる時

自分を受け入れてくれた女性

2011年、知人を通じて10歳下の女性と出会った。

彼女はまだ10代の大学生だった。

「2人で遊んでいた時に、無言になっても気を遣わなくて良かったんですよ」

それが決定打だった。

「すごく楽で、自分らしくいられる相手だったんです」

「ただ、10歳離れていたから、自分から告白していいものか悩みました」

彼女はGIDという事実を知った上で、「性別ではなくてあなたの人間性が好き」と受け入れてくれた。

付き合い始めてすぐ、彼女の両親に会いに行った。

自分がGIDであること、10歳離れていることを伝えて、真剣に付き合いたかった。

「会いに行く前に、彼女が全部話してくれていたんです」

「彼女のご両親も『連れてきな』って言ってくれたらしくて、歓迎してくれました」

「彼女よりご両親の方が私と年が近いから、ラフに話せたのかもしれないです」

彼女が導いてくれた母への報告

現役を引退して、治療を始める時に支えてくれたのも彼女だった。

どんな時も「人間性が好き」と言ってくれた言葉が励みになった。

「乳房切除手術をした時、彼女は『取った胸を私に付けて欲しかった』って冗談っぽく言っていました(笑)」

「笑いながら連れ添ってくれたことは、とても力強かったですね」

でも、母には治療を始めたことを言えていなかった。

大学時代に言われた「自分の体にメスを入れることは絶対にやめて」という言葉が忘れられなかったから。

「取り乱した母の姿を思い出すと、『報告は胸を取ってからでいいや』って後回しにしてしまって」

「彼女には母との確執についても話していたので、『私が一緒に行くから、伝えた方がいいよ』って言われたんです」

彼女の言葉に背中を押されて、ちゃんと話そうと決めた。

母には、事前に電話で「会わせたい人がいる」と伝えた。

「『その子の名前は何て言うの?』って聞かれたので、『アヤカだよ』って教えました」

「彼女と実家に帰った時、母から『アヤカちゃんでしたよね?』って声をかけてくれたんです」

「母なりに私のことを理解しようとしてくれているんだなって、感極まっちゃいました」

彼女の助けを借りながら、胸を摘出したことを告げた。

「母は『取ったんだ・・・・・・』って悲しげでしたけど、取り乱すことはなかったです」

「大学生の時のカミングアウトから10年くらい経って、母も理解しようとしてくれたのかもしれないです」

「父は彼女と会うなり『ついに結婚か!』なんて言っていました」

「いままでずっと父が母をサポートしてくれていたんだなって感じましたね」

2014年に戸籍を変更し、2015年に彼女と入籍した。

現在、母と妻はとてもいい関係を築いている。

「母は『娘が1人増えた』って感覚みたいです」

「妻は体育会系で気が利くタイプなので、母も『いい子だね』って言ってくれています」

10目標を達成したことで見つかった “目標”

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柔道界から退く決意

2011年に現役を引退し、その後はコーチや監督を務めたが、現在は柔道に携わっていない。

新卒からずっと世話になっている企業のドラッグストアに勤めている。

「母が足を悪くして、そば屋の仕事に影響が出てしまったんです」

「妻が『いざという時のために実家の近くに引っ越そう』って言ってくれて、千葉から埼玉に移りました」

練習場にしている千葉の大学から離れ、監督業も続けにくくなったため、退くことを決めた。

何よりも、決断できる大きな理由があった。

それは、教え子が個人戦で優勝したこと。

「私の代わりに “日本一” という目標を達成してくれたので、柔道はやり切ったかなって、思えました!」

今は目標達成のための準備期間

柔道から離れて時間が経った今、新たな目標を見つけた。

「柔道の試合に、男性の選手として出たいんです」

男性として戸籍変更しても、治療の一貫としてホルモン療法は一生続く。

大きな大会では、それが規定外の薬物としてNGとなってしまう現状がある。

「でも、どうにかして大会に出たいんです。市民大会であれば規定もおおらかなので出られるかな、と期待しています」

「この目標のために、最近は筋トレを強化しています!」

弟に話すと、「すぐにでも出場しろ」と言われた。

しかし、心と体の準備が整っていない。

出るからには、男として正々堂々と勝負したい。

「今は、柔道から少し離れているだけで、今後もやらないわけではありません」

「1年後の今頃、試合に出られるように準備しています」

あとがき
私たち取材スタッフを驚かせたのは、逃げ出した柔道、復帰のエピソード。尚雄さんの話しは、強さの奥義だった。それは成功体験を重ねてもなお自分を白紙に戻せる強さ、失敗を吸収してエネルギーに変えるしなやかさ■環境が変わる中で、尚雄さんを支える人は、お母さん、お父さん、師匠、仲間、パートナー・・・少しずつ増えていった■今、強みも課題も認めながら、新たな目標を目指す。道着が乱れても、整えてまた向かう。何度も向かう。(編集部)

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