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「性同一性障害」という言葉を知らなかったから、自分を知るための旅に出られた。【後編】

「性同一性障害」という言葉を知らなかったから、自分を知るための旅に出られた。【前編】はこちら

2018/06/05/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
河本 直 / Nao Kawamoto

1973年、鳥取県生まれ。幼い頃から自身の性別に違和感を覚えたが、その理由がわからないまま、高校中退後に結婚し、息子を出産。専業主婦として家事や子育てをこなす生活の中で、「性同一性障害」という言葉を知り、違和感の正体に気づく。その後、離婚し、息子が高校を卒業したタイミングでホルモン治療を開始。現在は、女性のパートナーと結婚。カウンセリング事業「魂のスクール」を展開中。

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INDEX
01 性別を変更した後の苦悩
02 “普通” を重んじる教育
03 現実から逃れるための手段
04 何者かわからない自分
05 幸せになれるはずの “普通の道”
==================(後編)========================
06 「性同一性障害」かもしれない私
07 自分の気持ちに従うという選択
08 自分自身を家族にさらけ出す時
09 不器用に積み上げてきた親子の関係
10 自分の中にしかない “答え”

06「性同一性障害」かもしれない私

辛くはなかった子育て

初めての子育ては、家族が支えてくれた。

「旦那は子育てに積極的だったし、休日は息子を連れ出してくれました」

「朝から夕方まで出かけてくれて、私が休めるようにしてくれたんです」

「私の両親と同居していたから、息子が夜泣きした時は、お袋が見てくれましたね」

出産前に子育て経験者の話を聞き、大変なことなのだろうと覚悟していた。

しかし、自分はラクをさせてもらっていたと思う。

「子どもから離れる時間があったから、子どもばかりに集中しないで済んだところが、良かったんだと思います」

「性同一性障害」という答え

息子が4歳になった頃、見ていたニュース番組で競艇選手の会見が放送されていた。

女性選手は「性別を男性に変更する」という話をしていた。

「性同一性障害」という言葉が出てきた。

「会見の内容は、私にも当てはまるものがいっぱいあったんですよ」

選手が話す幼少期のエピソードや抱えてきた違和感は、自分にリンクすることばかりだった。

「もしかして、ずっと探してきた答えが見つかったんじゃないかって、ピンと来ました」

「何か違う、と思ってきた感覚の理由を、この選手が代弁してくれていたんです」

性同一性障害について、調べ始めた。

今のようにインターネットが普及していないため、書店で医療系の書籍を読み漁った。

性同一性障害に関する記述は少なかったが、読むほどに、これなんじゃないか、と納得していった。

「『3年B組金八先生』で取り上げられた時に、確信しました」

理想と現実の狭間

一気に霧が晴れたような気分だった。

悩みが解消すると思ったのも束の間、苦悩はさらに深くなっていった。

「調べる中で、性別適合手術をすれば、戸籍の性別が変えられることも知りました」

「でも、私は結婚をして旦那もいるし、子どもも生んでいる」

「自分の願望より、息子が大きくなるまでは生んだ責任があるという気持ちの方が大きかったんです」

「息子のためを思ったら、一生隠しておこう、って考えしか浮かばなかったです」

性別を変えたい気持ちはあったが、息子と旦那と築いている “普通” の幸せが壊れることは避けたかった。

自分が動くことによって、何かが崩れてしまうことが怖かった。

「自分が性同一性障害であろうことは、忘れないといけないと思いました」

「せめて自分が生んだ子どもだけは守らないといけない、って守りの姿勢に入ってしまったんです」

「霧が晴れてからの5~6年は、その狭間ですごく苦しかったですね」

07自分の気持ちに従うという選択

自分自身を振り返る時間

息子が幼稚園に通っている間は、PTA会長を務め、忙しくい日々の中に身を置いた。

「時間ができると性同一性障害のことばかり考えてしまうから、やることを増やしたんです」

「忙しくしている時は、目の前のことだけを考えればいいから、自分のことを忘れられたんです」

「当時は、息子が唯一の支えだったから、子どものために頑張ろうって思っていましたね」

息子が小学校に上がると、PTAの仕事もなくなり、暇な時間ができてしまった。

「何もしない時間があると、無意識に自分のことを考えてしまうんですよね」

「自分のことを振り返った時に、旦那と一緒にいたら、自分にとっての幸せは絶対来ないって思ってしまったんです」

本当の気持ちに気づいてしまったら、もう止められなかった。

そして、自分の心が夫から離れていることを、実感している自分がいた。

自分の人生を生きる人

自分の気持ちを誤魔化しながら、夫婦生活を続けた。

息子が小学校高学年になる頃には、再びPTA役員を務め、忙しい日々を送っていた。

「PTAでの活動を見ていた知り合いから、『あなたの力が欲しい』って公民館の仕事に誘われたんです」

「忙しい方が気も紛れたから、採用試験を受けて、働き始めました」

ずっと家庭と幼稚園、小学校の往復だった自分にとって、職場の環境は新鮮だった。

一緒に働く人たちが、生き生きしているように見えた。

「職場の何人かは、自分のために人生を生きているように見えたんです」

特に、研修などで顔を合わせる女性職員は自分とは真逆で、自由に生きていた。

「彼女の生き様を目の当たりにして、自分はヤバいんじゃないかって思ったんですよ」

「私は30年以上、人の顔色ばかりうかがってきて、自分の気持ちを大事にしたことがなかったんです」

これまで “普通” を求めてきたが、生き方を変えないと絶対に後悔すると思った。

くり返した猛アプローチ

憧れの女性職員を見ていると、いつしか恋心が芽生えていた。

「この人はなんでこういう生き方ができるんだろう、って知り合って1年ぐらい、観察していました(笑)」

「そのうちに、この人と一緒にいたら一生楽しく生きられるだろうな、って感じたんです」

好きという気持ちにウソはつけない、と思い、初めて自分の気持ちに正直になることを選んだ。

最初は、友だちになるために接近していった。

「彼氏と別れたって話を聞いたから、『弟を紹介するよ』とか言って近づいたんです(笑)」

「この人は絶対に諦めちゃダメって気持ちしかなかったから、何でもできましたね」

「自分の気持ちを大事にすることも初めてだったから、とにかく楽しかったんです」

これまでの人生では見せたことのなかった、アクティブな自分が覚醒した。

「何回か会った後に、告白したら、最初は『無理』って言われました(苦笑)」

「断られる前提で告げたから、心も折れなくて、何カ月もアタックし続けましたね」

初めて気持ちに従い、突っ走っている自分は、家庭を顧みる余裕がなかった。

何回目の告白かわからないほど気持ちを伝えていた時、彼女がようやく受け入れてくれた。

08自分自身を家族にさらけ出す時

夫に告げた離婚の理由

彼女への思いが募っていることは、家庭でも隠しきれていなかったのかもしれない。

夫から「お前は、俺のことを好きじゃないんだろ」と言われるようになった。

「最初は『そんなことない』って否定していたんですよ」

「だんだんウソがつけなくなってきて、『好きじゃないみたい』って打ち明けました」

彼女から「OK」の返事をもらってすぐ、夫に離婚を切り出した。

「彼女と生きる方が幸せになるって確信していたし、その気持ちで旦那といるのは失礼に当たると思ったんです」

「旦那には『好きな女性ができた』って、正直に伝えました」

夫は、事情を飲み込めていないようだった。

「それまで私は女性に好意を抱くような素振りを見せなかったから、訳がわからなかったと思います」

しかし、夫はキツい言葉を浴びせたり、強く責めたりはしてこなかった。

「お前がそうだと思ったなら、仕方ないな」と、静かに受け止めていた。

「旦那は、彼自身に言い聞かせていたんだと思います」

「彼女の話をした時は『会わせろ』って言われましたけど、どうなるかわからなかったので、さすがに会わせませんでした(苦笑)」

14年間の結婚生活に、終止符を打った。

当時中学1年だった息子は、母親である自分と一緒に暮らすことになった。

母親の動揺と葛藤

母親は “普通” を重んじていたが、夫との離婚には干渉しなかった。

「お袋、実は旦那のことがあまり好きではなかったみたいで、離婚には反対しませんでした」

「彼女とつき合い始めたことも隠したくなくて、離婚した1カ月後くらいに伝えました」

母親の性格を考えると、否定される可能性もあったが、それ以上にうやむやにしておくことが嫌だった。

いざ話すと、意外にも「今度連れてきたら」とあっさり受け入れられた。

「自分のしていることは普通じゃないと思っていたから、お袋の反応に驚きました」

「でも、平静を装って、動揺を隠していたんだと思います」

それから何年もの間、彼女のことを「娘が一番仲のいい女友だち」と言っていた。

「私は、お袋に認めてほしかったんです」

「お袋も口では『認めてる』って言うんですけど、態度は違ったんですよね」

母親はよく「ちゃんと生んであげられなかったから」「育て方が間違っていたのかも」と言っていた。

「そんなことはない」と、何度も訴えた。

「お袋が自分を責めるのは辛かったけど、気持ちを隠されるよりは良かったかもしれません」

「彼女との交際を打ち明けてから10年ぐらい経って、今はそこまで言わなくなりましたね」

09不器用に積み上げてきた親子の関係

“普通” というキーワード

幼い頃、母親に「普通にしなさい」と言われ、自分は “普通” という概念に縛られた。

その経験がありながら、自分の息子に対しては「普通がいいよ」と言っていた。

「無意識のうちに、お袋と同じことを言っていたんですよね」

「だから、息子の頭の中にも “普通” ってキーワードがあると思います」

「『普通がいい』って言っていた私が普通じゃないことをしたから、息子は裏切られたと感じているんじゃないかな」

それだけが理由ではないが、息子は20歳を超えてから大きな反抗期を迎えた。

聞き分けのいい子

自分が性同一性障害であることを息子に話したのは、彼が中学3年の時。

「その1年前ぐらいから病院に通い始めて、診断をしてもらっていました」

「息子は野球が大好きだったから、中学の野球部の引退試合が終わってからにしようって決めていました」

部活を引退した6月の終わり、息子を助手席に乗せた車の中で打ち明けた。

「今、病院に行ってるやろ。実は診断してもらってるんだ」と告げた。

息子は拒絶もしなければ、質問も投げかけず、「ほかのお母さんと違うと思ってた」とだけ言った。

「その言葉に救われました」

「そう見てくれていたんだ、って気づきもありました」

「自分は普通の母親でいようと思っていたけど、人からの見え方は違っていたことを知ったんです」

「息子の一言で、自分の人生を歩んだ方がいい、って気持ちが強くなりましたね」

それでも、息子が高校を卒業するまでは、ホルモン治療は待とうと決めた。

それが親としてのけじめだと思った。

「彼はホルモン治療も手術も、性別を変えることにも反対しなかったです」

「聞き分けのいい子だったけど、本当は処理しきれていなかっただろうな・・・・・・」

息子が初めて貫いた意志

息子が初めて盾をついてきたのは、息子の結婚に反対した時。

「息子の彼女のご両親が、私のことを調べたらしいんです」

「病院まで行って、『性同一性障害は遺伝するものなのか?』って聞いたらしくて」

その話を聞き、つい感情的に「人を調べるような家庭に入ったら苦労する」と結婚を反対してしまった。

「息子は彼女のことが好きだから、当然反発しますよね」

「結果的に、私との連絡を絶って、結婚しました」

息子と連絡が取れなくなって、1年半が経つ。

「最初の頃は『私に息子はいません・・・・・・』とか言って、落ち込んだりもしました」

「でも、今はこうなって良かったかなって思う部分もあるんです」

息子はこれまで、母親の自分の顔色を見ながら、生きてきたんだと思う。

しかし、彼女と結婚するために、初めて自分の意志を優先させたのだ。

「やっとあの子も、自分のために生き始めたんだと思うと、悪いことばかりではないですよね」

10自分の中にしかない “答え”

悩み続けてきた道

職場で出会った彼女とは、3年前に結婚した。

妻とは、出会うべくして出会ったのだと感じている。

「もしもっと若い頃に女の子とつき合っていたとしても、いろんな重圧に耐えられなかったと思うんです」

「周囲の評価を受け止められる器は、できていなかったんじゃないかな」

「結婚や出産っていう選択をしながら、ようやく器ができたんだと思います」

「それに、妻との出会いを逃したくなかったのかもしれない」

人生において、悩むことは必要なのではないだろうか。

「私が学生の頃は、性同一性障害って言葉すらなかったから、悩みました」

「思考の軸は他人だったとしても、最終的に選択するのは自分しかいないんですよね」

「悩んで道を選びながら、自分は何者なのか、内観できた時間は幸せだったと思います」

妻と出会った時に、30年以上、他人のために生きていたことに気づいた。

そして、自分の気持ちを大事にすることを学んだ。

「人生の転機って、ふとした時の気づきを拾えるか拾えないかの違いなんですよね」

相手を知ろうとする気持ち

人生の中で、人の顔色をうかがいながら行っていることが、その思惑通りに伝わっているわけではないことも知った。

「人間同士って、きっと理解し合うことなんてできないんですよ」

「妻が考えていることなんてわからないし、血のつながった息子でさえわからないんですから(苦笑)」

「こういう話をすると『冷たい』って言われるけど、決して見放しているわけではありません」

「理解できなくても、知ろうとする気持ちが大事なんじゃないかなって」

相手のことがわからないからこそ、知りたいと思い、疑問が湧いてくる。

「自分と相手の価値観が、まったく一緒なんてことはないんですよね」

「だからこそ、不思議に思うことがあったら、口に出して聞くべき」

相手の考えを知った上で、自分の中の答えに目を向けていきたい。

「いろんなことを試して、違和感の理由を探し回ったけど、答えは外にはなかったです」

「自分しか答えは持っていないから」

「時間はかかったけど、そのことに気づけたから、さまよった時期があって良かった、って今は思えます」

あとがき
「今の幸せを崩してしまうんじゃないかと思った」。直さんは、守り続けた子どもと夫との生活、母親としての日常を振り返った。しあわせを壊すことは、孤独が見え隠れさえする。他者とつながりがなければ、生きていくことはとても辛いものになる■取材中、無視し続けた自分の声に何度も耳を澄まし、過去をみつめながら続けた。「自分を一番に尊重できる世界をつくりたい」。直さんの声ははっきりと。それは、大切な人が増えるはじまりの言葉だ。(編集部)

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