INTERVIEW
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パートナーとの結婚、母親との絶縁。FTMでも自分の人生を生きる【前編】

「大学のときから、ずっとこのスタイルなんです」。パンツスーツに、シャキッと刈り上げた短髪が印象的な田口真由美さん。「主人と学校の生徒たちに、髪型を真似されることもあるんですよ(笑)」。屈託なく笑う姿はカラリと明るく、壮絶な過去を感じさせるものはない。田口さんの痛みは、最大の理解者である夫との関係、ライフワークである教員生活が支えてくれた。

2020/03/25/Wed
Photo : Rina Kawabata Text : Koharu Dosaka
田口 真由美 / Mayumi Taguchi

1976年、神奈川県生まれ。女の子として生を受けるが、男尊女卑思想の強い母から「女であること」を強く否定されて育つ。小学生の頃に書道と中国語に出会い、高校・大学時代を通して本格的に勉強。その経験を活かし、専門学校や中高の教員を経て、現在は日本語学校で留学生に日本語を教える。20代半ばで結婚し、今年で結婚18周年を迎える。

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INDEX
01 男の子に生まれたかった
02 「女の子なんだから」
03 叶わぬ願い、届かぬ思い
04 未来に見出した希望
05 高校で感じた世界の広がり
==================(後編)========================
06 自分らしさへの回帰
07 「FTM」の存在を知る
08 やっと手に入れた夫は “バディ”
09 教員としての使命
10 「私は私」と言える人生に

01男の子に生まれたかった

男尊女卑思想の母

学校の用務員の父と、専業主婦の母のあいだに生まれる。
2人きょうだいで、下に弟が1人。

母方の祖父母にとっては、自分が初孫だった。
だが、母や祖父母からの愛情を感じたことは一度もない。

「お母さんは九州の人だからか、男尊女卑思想が強くて。女の子の私は、いらなかったみたい」

「弟は可愛がられてたけど、私のことは嫌ってました」

夏休みは、弟と2人で母に連れられ、毎年母の実家の九州に里帰りしていた。

祖父母にも「おなごじゃダメだ」「生理なんて気持ちわるい」と散々言われ、心に傷を負った。

「小さい頃、弟とケンカするたびに『女の子が我慢しろ』と言われて」

「弟ばっかりずるい、男の子はいいな、なんで私ばっかり、っていつも思ってた・・・・・・」

だが、反論しても仕方がない、どうにもならないと幼いながらに悟り、ひたすら耐えた。

男の子に生まれていたらよかったのに、と自分の運命を呪った。

男勝りな女の子

物心ついたときから、一人称は「俺」。今でも、家族の前では変わらない。

「食う」「腹減った」「お前」など、自然に男言葉が出てくる。
女の子とおままごとよりも、男の子と木登りが楽しい。
プロレスが大好きで、プロレスごっこばかり。

母はそんな自分を叱り、強く否定した。

「女の子のくせに言葉遣いが悪い! 俺じゃないでしょ!?」

なんで女の子は俺って言っちゃいけないの?
なんで俺は俺でいちゃいけないの?

なんで「女の子なんていらなかった」って言うの?

女の子であることを強要される一方で、女の子として生まれてきたことを否定される矛盾。

子どもの自分にはっきりとわかるのは、女の子に生まれたせいで母に愛されない、という事実だけ。

ただ、苦しかった。

02「女の子なんだから」

母との関係

小さな頃から、母は学校行事に来てくれたことが一度もない。

「専業主婦で時間は作れたはずだけど、絶対に来てくれなかった」

「幼稚園の遠足も、小学校の授業参観も、来てくれるのはいつもお父さん」

当時は、父親が学校行事に参加するのはめずらしかった。

「集合写真で、私のお父さん一人だけがおじさんで(笑)。誰かに何か言われたわけじゃないけど、恥ずかしかったな」

弟の行事には欠かさず参加していた母。弟だけを可愛がるのが悲しかった。

ひどくショックだったのは、両親が家を建てたとき、母に言われたこと。

「このお家は将来、弟が継ぐのよ。あなたには貸してるだけだから、汚さないでね」

「小学校2、3年のときだったかな。自分だけ仲間外れにされてる気がして・・・・・・」

そして、母は口癖のようにこう言う。

「女の子なんだから勉強なんてしなくていい」

「うちはそんなにお金ないのよ。弟にお金かけたいんだから、あんたは進学しないで就職して」

「女の子なんだから」

女の子なんだからという言葉が、呪いのように胸に刻まれた。

父との関係

母とは反対に、父はとても教育熱心な人だった。
弟よりも、勉強が得意な自分を可愛がった。

「お父さんはすごく真面目で、曲がったことが大嫌い」

「男も女も関係ないって考えで、いつも『しっかり勉強しろよ』『将来働けるように、大学に行って資格を取れよ』って言ってました」

テレビゲームや漫画は禁止。勉強か教養になることしかさせてくれなかった。

しかし、のちに大好きになる書道や中国語の勉強を始めたのは、父の勧めによるものだった。

「お父さんは私が本当に小さいときから、上野の美術館の日展とかに連れてってくれて」

「お父さん自身が芸術が好きで油絵とか描いてたから、私には書道をやらせようって」

週末は父と2人で、美術館やクラシックのコンサートへ。
たくさんの芸術・文化に触れる機会を与えてもらった。

そのおかげか、小学生で始めた書道はめきめき上達する。

「ずっと得意で、高校のときは県トップになれて全国大会に行きました」

「筆も、書道の専門店で売ってる1本数千円~数万円の高価なものを使わせてもらってて。ちゃんとお金かけてもらえて、ありがたいですね」

教育方針の違い

だが、教育方針をめぐって、両親はしょっちゅう衝突していた。

「お母さんは、お父さんに『あなた、自分の給料いくらだと思ってるの?』『うちは一人しか学校なんて行かせられないわよ』ってよく言ってました」

書道塾を、母に突然辞めさせられたこともある。

「まだ子どもだったし、好きなことでもやりたくない日ってあるじゃないですか。『めんどくさい、行きたくない』って言ったんです」

「そしたら、『じゃあ辞めていいわよ』って勝手に退会手続きされちゃって」

「お父さんが帰ってきて、怒って取り消すんですけどね。そんなことが数回あった」

母はとにかく自分に勉強させたくない、お金をかけたくないという。

未来の可能性を、母にすべて奪われているようだった。

強いストレスを感じたが、学校の先生や友だちに相談することはできなかった。

03叶わぬ願い、届かぬ思い

一人称を「私」に

小学校では、それまでよりも女の子と遊ぶ機会が増える。

「女の子の友だちも作んなきゃ恥ずかしいな、って思うようになったんです」

「それに、男の子が前ほど一緒に遊んでくれなくなったので」

「4年生くらいまでは、男の子とプロレスごっこしてたんですけど。だんだん胸が出てきちゃって・・・・・・」

女の子とつるむのは苦手だったが、仲間はずれはもっと嫌だった。

「学校って班行動とか多いじゃないですか。ハブられたくなかったんですよね。なんとか表面を取り繕って、数人の女の子とだけ仲良くしてましたね」

家や男友だちの前では「俺」だった一人称も、女友だちの前では「私」に切り替える。

「いじめられたり、居づらくなるのが怖くて。世渡り上手でした(苦笑)」

変わりゆく体

体に違和感を覚え始めたのは、小学校5年生の頃。
大きくなり始めた胸がチクチク痛み、初潮も来た。

「毎日胸が痛くて、怖かったし “女になる” のがすごく嫌だった」

「泣きながらお母さんに訴えたら、『大きくなれば治るから』って突き放されて」

「お父さんはフォローしてくれるんですよ。『男も成長期はあちこち痛かったぞ』って(苦笑)」

「今にして思えば絶対嘘なんですけど、気持ちはありがたかったですね」

自分の意志とは関係なく起こる体の変化。
否応なく自分が “女” になっていく恐怖。

本当はもっと母に寄り添ってほしかったが、そのおもいは届かなかった。

04未来に見出した希望

小学校高学年で不登校に

体がどんどん変化していくにつれ、学校に行くことが難しくなる。

「体育の授業とか、マラソン大会が本当に苦痛で。体操着がブルマだったから、体のラインがはっきり出るし」

「プールも絶対に入りたくない。人に体を見られたり、女として見られたりするのが本当に嫌だったんです」

「でも、授業を休むとみんなに『どうしたの?』って聞かれるじゃないですか。だからそのうち、学校に行かなくなって」

「厳しい校則に縛り付けられるのも苦痛だったし、担任の先生も怖くて、男くさいのが気持ち悪くて・・・・・・」

小学校高学年から中学校までは、学校にはほとんど行かなかった。

しかし、不登校になっても、母は何も言わない。

「『お腹痛いから学校行かない』って言うと、『電話しておくわね』って、それだけ」

「お母さんは私に、勉強してほしくない、進学してほしくないんです。女の子だから」

中国語との出会い

学校に行かないあいだ、家では独学で中国語を勉強していた。

「大好きな書道は、中国から来た文化。中国語を学んで、将来は本場の中国で書道を学びたいって、夢ができたんです」

NHKの中国語講座や、父から買ってもらったテキストでひたすら勉強する。

「子どものまっさらな頭で覚えたので、その成果か、今でも発音は上手だって言われます(笑)」

将来の夢

その頃の経験は、現在の日本語教師の仕事にも活きている。

「自分が独学で一から学んだ経験があるから、日本語学校でも『なんでわかんないの!?』と怒ったりはしません」

「どうやったら頭に入るかな、自分のものにできるのかなって、原点に立ち返りながら教えてます」

「だから、生徒の気持ちに寄り添うことはできているかな」

教師になりたいという気持ちは、小中学生当時から芽生えていた。

「学校が嫌い、先生が嫌いって気持ちの反動ですね」

「先生になって、自分みたいに学校生活になじめない子に寄り添いたいなと思ったんです」

いろんな個性を持つ子を、頭ごなしに叱りつけたり、縛り付けたりしない先生になりたい。得意なところを伸ばしてあげられる先生になりたい。

そう思うようになった。

今では、見事その夢を叶えている。

母のこと、性別のことで毎日「いつ死んでもいいや」と思う日々だったが、将来への希望が、かろうじて自分を支えてくれていた。

05高校で感じた世界の広がり

女子校へ進学

高校は、書道と中国語を学べる私立の女子校へ進学。

高校受験のときは、やはり母と揉めた。

「お母さんは、『うちにはお金がないから就職しなさい。女の子は中卒でいい』って」

「勝手に、中学校の先生から求人案内の紙をもらってきたんです」

「三者面談でも、『うちは進学させません、女の子だから。弟にお金をかけたいので』って。ケンカになりました」

三者面談はやり直しになり、今度は父が出席。
なんとか、高校に進学させてもらうことができた。

3年間、無遅刻無欠席を貫く。
通学に片道2時間かかる学校だったが、高校生活は楽しかった。

「女子校だと比較対象になる男子がいないので、自分が女であることを意識せずに済んだんですよね」

「高校では体育にも参加できました。男子の目もないし、体のラインの出ないダボダボのジャージを着られたし」

今までよりもずいぶん居心地がよく、のびのびと学校生活を楽しめた。

才能の開花

何より嬉しかったのは、大好きな書道と中国語を学べること。
どうしてもその高校に通いたかった理由だ。

特に書道には青春を捧げる。

書道部に入り、才能を発揮して数々の賞を受賞した。

「お父さんは喜んでくれました。表彰式に来たり、展覧会見に来てくれたり」

「得意なところを伸ばす教育をしてくれる、素晴らしい顧問の先生とも出会えて。その先生は、今でも私のお手本です」

書道部では、部員や顧問の推薦で部長に就任する。

県の代表に選ばれ、全国大会にも出場した。

家庭からの脱出

書道の練習に中国語の勉強、大学受験のための予備校、英会話教室。
友だちと遊ぶこともあり、毎日が充実していた。

「家には全然いなかったですね。寝るために帰るだけ」

「この頃も、進路のことでお母さんとは衝突してたけど。もう、説得しようと労力使うのも嫌で」

「勉強とか好きなことだけに集中していたかったですね」

高校卒業後は中国の大学に進学し、本場で書道を習うと決めていた。

「お母さんは『女の子だから大学なんて行かなくていい! お金がもったいない』って猛反対してました」

「けど、お父さんが『金出すのは俺だから』って押し切って」

「それで、北京の大学に入学することができました」

初めて親元を離れ、外国で営む生活。大好きな書道や中国語を学べる環境。
目の前には、今までとはまったく違う道が広がっている。

「小学生の頃から中国に行くって決めてたから、不安はなくて。とっても楽しみでした」

「ただひたすらに、『お母さん、行かせて! もう私の人生を邪魔しないで!』って願うばかりでしたね」

 

<<<後編 2020/03/28/Sat>>>
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06 自分らしさへの回帰
07 「FTM」の存在を知る
08 やっと手に入れた夫は “バディ”
09 教員としての使命
10 「私は私」と言える人生に

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