INTERVIEW

こり固まった観念を外せば「FTMでバイセクシュアル」だって “アリ” だと思ってる【前編】

ずっと女の子が好きだったが、今のパートナーは男性。「FTMでバイセクシュアルって僕もあまり聞いたことないです」と笑う。気負わない自然体の愛斗さんと話していると、人間の性はこんなにも緩やかで自由なのだと思わせられる。「それでもまだ人にどう思われるかは気になるけど」と率直に語ってくれる言葉に耳を傾けたい。

2017/03/24/Fri
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Momoko Yajima
古川 愛斗 / Manato Furukawa

1992年、神奈川県生まれ。待望の長女として生まれるが、幼い頃から女性である意識はなく、好きになるのも付き合うのもいつも女の子。両親の離婚、父の恋人との同居、高校中退、バイトに明け暮れる日々を経て、21歳でGID診断。現在は飲食店で働きながら、バイセクシュアルの男性と付き合う。

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INDEX
01 内気で泣き虫な子ども
02 セクシュアリティと葛藤
03 中学でのほろ苦い恋
04 カミングアウト
05 両親の離婚と複雑な気持ち
==================(後編)========================
06 高校中退とアルバイト掛け持ち生活
07 居酒屋バイトでの出会い
08 初めての男性の恋人
09 FTMが男性と付き合うということ
10 治療と、今後のこと

01内気で泣き虫な子ども

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そのうち、生えてくるんだろう

小さな頃は、内気で、よく泣く子だった。

気を使って声をかけてくれる子がいても、泣いているので何も答えられない、そんな子ども。

小学校に入る前までは、2つ年上の兄とばかり遊んでいた。どこに行くにも兄と一緒。

兄と一緒にお風呂に入った時に、どうして自分にはおちんちんがないのか疑問に思った。

「そのうちに生えてくるんだろう」

特に根拠はないが、兄は年上だし、いずれ自分の身体にも何かしらの変化が現れるのだと信じていた。
服も兄のお下がりばかり着ていた。

スカートなんて履きたくなかった。

それでも、小学校の入学式ではスカートを履かされた。

「僕だけひとり、スカートなのに足を開いて座っていて(笑)。やめなさい! 足を閉じなさいってお母さんに言われましたけど、そのままずっと開いたまんまでした」

ランドセルの色はピンク。

色自体は女の子としては珍しいものではなかったが、なぜか新品なのに傷みがあったのを記憶している。

「女の子が生まれて買ってあったのをずっと置きっぱなしにしていたようで、すでにボロボロというか、古く見えたんですよ」

「名字も “古川” なんで、それでからかわれたのもあり、学校に入ってすぐに行きたくなくなってしまったんです」
家を出てから学校に着き、1、2時間目まではずっと泣いていた。

「そんなんだから友だちもできないし。陰キャラっちゃ陰キャラでしたね(笑)」

小学校1年生での初恋

小学校に入り少し経った頃、両親が離婚した。

「母が出て行ったんですけど、それからは自分もやんちゃな感じになっていって、学校に行きたくないとは思わなくなりました。友だちができたというのも多少は関係してるのかな」

「でも相変わらず、何かあるとすぐ泣いてましたけどね(笑)」

小学校1年生で、後ろの席の女の子を好きになった。

初恋。

「落としたものを拾ってくれたのがその子で、優しい感じの子でした。小学生の頃は恋愛ってまだよく分かってないし、何でもいいみたいな感じがあるじゃないですか」

だけどその子は、唯一にして初めて好きだと思った子。

「他にも仲のいい子はいたけど、同じようにワーッという感じには、全然話せないんです。秘めた恋(笑)。4年ぐらいずっと片思いしてました」

4年生の時には、隣のクラスの転校生の女の子を好きになった。

「別に付き合いたいとかそういう気持ちがあるわけじゃなくて、ただ好きっていうだけ。ちょっといじめたいというかからかいたくなるので、隣のクラスだけどわざわざ休み時間に行ったりしてました」

男女ともに仲のよい友だちはいたが、基本的に、男子と一緒にいる時には同じようなことをした。

スカートめくりも、“する側” だった。

目立ちたい、見てほしいという気持ちが強かった。

02セクシュアリティと葛藤

女の子を好きになる自分はちょっとおかしい?

友だちにバラされたこともある。

「『お前あの子のこと好きなの?』と友だちに聞かれて、『好きかもね』というような返事をしたら、クラス中に聞こえる大声で、『コイツがお前のこと好きだって!』ってバラされたんですよ」

「恥ずかしくて、即座に後ろからそいつのことをガッと掴んで、廊下に連れ出して説教ですよ(笑)。お前は何を言ってるんだと。その子にも、『違うよ、友だちとして好きっていうことだから』って、一生懸命隠しましたね」

自分の中でも、どこかで分かってはいたのだと思う。

世間では、「同性が同性を好きになるのはおかしい」と見なされることを。

「心の中では、なんで自分は男の子じゃないんだろうって考えたりもしていたんです」

「だけどやっぱり中には嫌なことを言ってくるやつもいるだろうし、周りの目も気になって、女の子が好きだとはあえて自分から言うことはなかったですよね」

「薄々気づいている子もいただろうけど、本当に仲のいい子は、言われたくないんだろうと考えてくれるのか、何も言わずに付き合ってくれていました」

「みんな優しかったし、ポロッと言っても『ふーん』っていう反応で、あっさりした子たちが多かったんですよね」

「女子」を自覚させられる制服や身体の変化

地元の中学校には小学校の友だちがほとんど持ち上がりで入学したため、知っている顔ばかり。

制服の採寸の時に、父に男子の制服の方がいいと伝えてみたが、「ダメに決まってるだろう!」と一蹴された。

「ええー、まじかよー、と思いました(笑)」

制服だから仕方がないと割り切り、3年間女子のブレザーを着た。

もちろん、胸元で結ぶ紐リボンは着けず、スカート丈も長いままで、下には体操服のズボンを履いて通った。

しかし思春期の身体は少しずつ変化する。

生理が始まり、胸がふくらめば、いやがおうにも自分が女性の身体だということを自覚する。

「周りから自分がどう思われるかより、一番嫌だったのが生理ですよね。痛いし、もうサイアク。胸が出てくるのは隠そうと思えば隠せるけど、生理は勝手になっちゃうものだし、いつ来るのかも分からない」

「月いちブルーです(笑)」

下着などは自分で買えるほどのお金がなかったため、祖母か、当時父が付き合っていた恋人が買ってきてくれた。

03中学でのほろ苦い恋

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先輩に告白させられた挙げ句、フラれる

中学では3年間バスケ部に在籍した。

そこで1年生の時、2つ上の女の先輩からアプローチを受ける。

「3年生はもう引退してたんですけど、その先輩は練習に顔を出してたんですよ。たまたま近くの神社のお祭りで会って一緒に回ったんですけど、向こうから手をつないできたんです」

「その時は別にこっちもその先輩のこと何とも思ってなくて、むしろちょっと苦手ぐらいに思ってたんで、びっくりしたし、『おお、これはなんだ』みたいな初めての感覚でした(笑)」

それ以来、一緒に帰ろうと誘われたり、毎日電話をもらったりして、先輩のことを意識するようになる。

しかし仲のいい友だちに話したところ、なんとそれが先輩の耳に入り、直接先輩から問い詰められてしまう。

「『なんか後輩で私のことを好きな子がいるみたいなんだけど、誰?』って。知らないとしらを切ったんだけど、『あんた好きな子いないの?』って聞きだそうとするんですよ(笑)」

「毎回会うたびに追及されるんで、もう最後は言わざるを得ない。薄々、向こうも気づいているんだと思って言ったら、『まあ別に、私も好きだけどね・・・・・・』みたいな感じに言われて」

その日はそれだけを話して帰ったのだが、次に会った時の先輩の態度は妙によそよそしいものだった。

「なんだろうと思って電話したら、『私に告白してきたことも、私も好きだと答えたことも、誰にも言わないでほしい』と言うんです」

「分かりましたと言って、その後も別に何も言わなかったんですけど、何日か経って学校で会ったので挨拶したら無視されて。そこから一切、喋ってくれなくなりました」

「遊びに誘っても断られて、最後の最後にちゃんと聞こうと思って頑張って電話したら、『いや別に、もともと好きじゃないから』って言われて」

「ドーンと落とされましたね(笑)。え? 今までなんだったの?って」

失恋のトラウマと次の恋

「そのまま先輩、卒業しちゃったんですよ(笑)。挨拶しても、“顔見知りの人” レベルまで落ちちゃって、まるで知り合う前の人みたいな状態に戻された(笑)。もうその頃はわけ分かんなかったです」

この経験が小さなトラウマとなり、しばらく「もう恋愛したくない」と思うほどに引きずったが、中学2年生になり今度はきちんとした「彼女」ができた。

「同級生の女の子で僕から好きになったんですけど、最初はその子も先輩と同じようにいい感じに接してくるので疑ったんですよね(笑)」

「友だちから『あの子あんたのこといいと思ってるらしいよ』とは聞いていたけど、先輩で1回失敗してるし、行かねえよって思ってたんです」

「でも先輩と違って優しいし、お互いに意識しているのも伝わって、いい子だなと思って告白したんです」

彼女からは「男の子として見ている」と言われた。「私は、周りは気にしないよ」とも。

「この『私は気にしないよ』ってセリフは歴代の彼女がみんな言うんですよ(笑)。やっぱり僕が一番気にしている部分だったから、みんな安心させようと思ってくれてたんでしょうね」

「彼女、とてもいい子でしたけど、束縛も強かった。女友だちと一緒にいると、後ろから視線を感じるんです(笑)」

「友だちも気を使って離れてくれたりしてた。その子とは2年付き合いました」

04カミングアウト

自然に受け入れてくれた友だち

今振り返ってみても、中学時代に友だちから自分のセクシュアリティを、おかしいと言われたことはなかった。

「女の子のことを好きだと言っても、みんな、いいんじゃない? みたいな感じでしたね」

「今でも付き合いのある友だちは、当時も『別にお前はお前だからいいんじゃない』とか『お前のこと男だと思ってるから何も気にならない』と言ってくれる子たち」

「当時つるんでた男友だちとは、『いつやった?』とか、下ネタも普通にしてました。女友だちもたくさんいて、その子たちにも好きな子の話とか普通にしてました」

レズビアンと思われていたのではなく、それよりも、男の子として扱われていたように感じる。

自分のセクシュアリティに関して嫌な思いをした記憶はない。

「ちょうど『3年B組金八先生』がやってたんですよね。あれで僕も『性同一性障害』という言葉は知った。で、あ、これ俺だわって思ったけど、だからといってそれ以上深く調べてみようとも思わなかった」

「今でも、色んな種類のセクシュアリティがあるけど、あれもイマイチよく分かってなかったりします(笑)」

父への最初のカミングアウト

実は、小学校3年生の時に父に伝えたことがある。

「男になりたい」と。

「パソコンのタッチタイピングがすごく好きで、あれで父と勝負していたんですけど、そこで、『僕が何日間か1位を取り続けたら男にしてください』というようなことをノートに書いて、閉じたパソコンの上に置いておいたんです」

「それからひたすら1位を取り続けたんですけど、数日経っても父が何も言ってこないので、『ノート見た?』って聞いたんですよね」

「『見たけど何?』と言われたんで、いや、そういうことなんだけどと言ったら、泣かれてしまったんです。もともと女の子がほしかったから、お前が生まれた時は嬉しかったのに・・・・・・と言われて」

「自分が親の立場だったら、何言ってんだコイツって思うだろうし、言われた側もきっと意味分かんないですよね。でも泣いたということは、ふざけて言ってるとは思われなかったんでしょうね」

父にしてみたら待望の女の子。そのショックは大きかったろうと思う。

この一件がきっかけで、以降、男になりたいとは口に出して言えなくなってしまった。

05両親の離婚と複雑な気持ち

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母がいなくなった日

小1の時、母が家を出て行った。

父方の祖父母が経営する新聞配達所を一家で手伝っていて、母はそこで従業員の食事などを作る仕事をしていたが、その内のひとりと駆け落ちしてしまったのだ。

「他にも理由はあったみたいですけど・・・・・・よく分かりません。ただ、母が出て行ったその日、何か予感があったのか、僕、家にいたんですよ」

「母も具合が悪くて家にいて、僕は昼寝をしてたんだけど、起きたら母がいない。おかしいと思って母に電話したら『店にいる』と。だけどなんだか変だなと思ってお店にかけたら、今日は来てないと言われて」

「やっぱりおかしいからもう一度母にかけたけど電話に出てくれなくて、そのまま店に見に行ったらいなくて、再度母にかけたらもう電話は繋がらなくなっていて・・・・・・。それが母との最後のやり取りでした」

父からは特に説明はなく、ただ、もう母は帰ってこないと告げられた。

小学校1年生では、まだ感情をうまく整理できるわけもなく、あの頃の自分がどう感じていたのかはよく思い出せない。

「捨てられた」さみしさと怒り

ただ、最初はあっさりしていても、徐々にさみしさは募っていった。

嫁姑の仲が悪かったため、母が出て行った後、祖母からは顔が母似という理由でいじめられた。

離婚後、配達所は廃業し、家も引っ越したが、他の家庭は両親がいるのに自分だけ三者面談もお迎えも父親ということで、さみしさを感じることもあった。

「親父は親父ですごく頑張ってくれていたから、そこまでお母さん、お母さん、とはなっていないんですけどね。ただ、母に対して『捨てやがって』という気持ちはあったかな」

「さみしさが怒りに変わってくるというか。置いていかれた、捨てられたって。母親の愛情を感じ取ることができない時期があったから、母の愛が何なのか分からないんですよね」

実は、別れてから10年経った高校1年生の時、母と再会した。

直接面と向かっては言えなかったが、電話では、当時の自分の抱えていた気持ちもぶつけた。

今も時々連絡は取っているが、たまに会うと、やはり気を使ってしまうのか少し疲れる。

10年の月日は、やはり長い。

父はしつけに厳しく、怒ると手が飛んでくるほど怖いが、普段はとても気さくで人を楽しませようと気を使う、いい父親だ。

今も仲はよく、お互い休みが合えば飲みに行くこともある。

「思い返せば、親父、すげえ頑張ってたんだなと。そこは感謝してます」


<<<後編 2017/03/24/Fri>>>
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06 高校中退とアルバイト掛け持ち生活
07 居酒屋バイトでの出会い
08 初めての男性の恋人
09 FTMが男性と付き合うということ
10 治療と、今後のこと