INTERVIEW

FTMはひとつの性別、ひとつの個性。今を楽しく笑って過ごしたい【前編】

笑顔で現れたのは、どこか沖縄の風のような爽やかさを感じさせる多和田真希さん。撮影場所として希望したのは、江戸川の河川敷だった。車を運転してくれたのは、今お付き合いしている彼女。初めて付き合うストレートの女性だという。笑顔を絶やさない2人の関係は、かなり深い絆と信頼関係で結ばれているよう。どこにでもいる、 “普通の” 幸せそうな若いカップルだ。しかし、今の地に辿り着くには、紆余曲折があった。

2016/02/26/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kazuki Kunio
多和田 真希 / Maki Tawata

1989年、沖縄県生まれ。福祉系大学卒業と同時に理学療法士の資格を取得し、大学卒業後、病院に就職。その後、介護施設へ転職した。大学在学中から性同一性障害(GID)の治療カウンセリングを開始したものの、中断。大学4年生の時、パートナーのひと言がキッカケとなってカウンセリングを再開。2014年に性別適合手術を受ける。NPO法人P-net副代表。

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INDEX
01 女の子が女の子を好きになる
02 最初で最後。男子との淡い恋愛
03 親友への ”想い” を圧し殺した高校3年間
04 親から逃れたくて
05 大きな宿題を抱えた予備校時代
==================(後編)========================
06 自分探しの大学生活
07 キツいひと言がキッカケで
08 初めての、男と男の約束
09 男性として受け入れられるということ
10 若いふたりに突きつけられた現実

01女の子が女の子を好きになる

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やんばるの森のやんちゃな女の子

LGBTERの多くは、幼少の頃から自分のセクシュアリティに違和感を感じて育つという。

しかし、多和田さんには当てはまらない。

高校を卒後し、生まれ育った沖縄を出るまで、ハッキリとした違和感を感じたことはなかった。

平成元年、那覇市にて小学校教師の両親の間に生まれた。

保育園に行くと同時に、親の転勤で沖縄北部の自然豊かな地域、やんばるの森で育つことになる。

「沖縄の大自然の中なので、遊ぶものって、何にもないじゃないですか。だから、ターザンごっこしたり、山の中に入って野鳥観察したりとか、冒険心溢れるやんちゃな子どもでしたね。野生児かってくらい(笑)」

通っていたのは、園児10人ほどの小規模保育園。

男の子も女の子も一緒に、泥だらけになって遊んだ記憶が今でも甦る。とはいえ、どこにでもいる普通の女の子として、何の疑問を持つこともなく育っていた。ただ、ひとつの違いを除いては───。

友達としての ”好き” と、恋愛感情の ”好き” の違い

「小さい頃の写真を見ても、フツーに浴衣とか着てるし、自分は女の子だと自覚していたと思います。ただ、好きになるのは、男の子ではなく、女の子だったのを覚えています。近所の小学生のお姉ちゃんたちが家に遊びに来てくれたりすると、『あ、この子、かわいい』とか『この人、好きかも』とか。今思い返せば、男子が女子を好きになる感覚。けっこうガチな感じだったのかも」

幼い時期とはいえ、そんな感情を持っていたことを今でも覚えている。

が、それが他の女の子とはちょっと違う感覚であることを知るには、あまりにも幼すぎた。

小学校入学と同時に那覇市に戻った。

小学校でも変わらず、女子として生活を送っていたが、小学5年生になったある日のこと。

自分は他の女の子とは違うのかもしれないと思う出来事があった。

「好きな女の子がいて、その子と彼氏・彼女ごっこみたいなことをして遊んでいたときに、『この子のこと、本当に好きかも』って思ったんですよね。それで、別の女の子に『実は、あの子のこと、好きなんだよね』って打ち明けたら、嫌悪感タップリな顔をして『え? 気持ち悪いっ!』って……」

その時、何となく思った。

「こういうことは隠さないといけないんだ」と。

「好きになった子は、美人さんで、めっちゃ、男子にモテる子でした。気持ち悪いって言い放った子は、好きになった子と僕の仲がいいことは知っていました。でも、友達としての ”好き” ではなく、恋愛感情としての ”好き” なんだと気づいたんでしょう。『気持ち悪い』という、そのひと言がショックというか、自分は意味がわからなくて戸惑いました」

それでも、その頃はまだ深刻さはなく「これからは、人に言わないようにしよう」と軽く思っただけだった。

02最初で最後。男子との淡い恋愛

また、やってしまった

小学校を卒業すると、市内の私立中高一貫校に入学。

活発な女の子だった。中学、高校ともにハンドボール部に所属して活躍した。

「中学時代は部活ざんまいでした。沖縄って、ハンドボールが盛んで、めちゃめちゃ強いんですよ。自分たちの代で立ち上げた部活で、いちおう、キャプテンをやっていました」

沖縄では花形スポーツである部活でキャプテンをやっているのだから、目立つ存在。後輩女子からプレゼントをもらうなど、女子にはけっこうモテた。

自身も相変わらず、好きになるのは女性だった。

「中1の時に同級生の女の子を好きになったんです。とてもやさしい子でした」

小学生のときの苦い経験から、女の子を好きだということは言わないでおこうと思っていた。

しかしある日、ふざけ半分で「好きだ」と、またもや公言してしまった。

「その頃は、お調子者キャラだったので、ついノリで『好きだ』って周りに言っちゃいました。そんなにガチなトーンではなかったんですけど。そのことが本人に伝わってしまい、その子は『恋愛感情みたいなのを持たれちゃってるのかな?』って困惑していると、周りの友達から聞きました」

「ああ、またやってしまった・・・・・・」

少し落ち込んだ。

「本気で言っちゃうのはマズいけど、思いは伝えたいという葛藤がありました。だったら、軽いノリで言うならいいんじゃないかと、ガス抜きをしたかっただけなんですね」

クリスマスの夜に告白

中学3年生のクリスマスに、男子と付き合うことになった。最初で最後の男子とのお付き合いだ。

女子が好きだという気持ちを、封印しようと思った反動かもしれない。

「その頃って、これまでで一番っていうくらい、メッチャ女の子してました。さすがにメイクはしてないけど、髪の毛は肩よりちょっと下くらいまで伸ばしてました。ストレートパーマやったり、ヘアワックスも付けて。オシャレに頑張るぞって気合いが入ってましたね(笑)」

そんな時期に、好きな男子が現れ、一目惚れをした。

「恋愛対象だったのかどうかは今でもわからないけれど、小学校の頃から『カッコイイ男の子だなあ』って思うことがありました。中学校の頃は、男性だとゴリラ顔が好みでしたね(笑)。一目惚れした男の子はすごくゴリラ顔でどストライクだったんですよ」

一目惚れした男子は当時、野球部に在籍していたが、中3の最後の大会が終わると、なぜかハンドボール部に入部してきた。

同じコートを男子部と女子部で共有する。毎日顔を合わせる日々が続き、男子への想いはますます強まっていった。

そして、クリスマスイブの夜のこと。

ハンドボール部の同級生が多和田さんの自宅に泊まることになった。

寝る前にガールズトークが始まる。もちろん、テーマは恋バナだ。

「自分に、好きな男の子ができたことを、みんなが気づいてたんですよ。それで、『どうすんの? どうすんの? 告っちゃいなよ』っていう話になって。それで、自分も『じゃあ、告っちゃおっか!』って、勢いでメールしちゃいました」

お目当ての男子に好きな子がいることは、みんなが知っていた。それでもメールしたのは ”玉砕覚悟” だったからだ。

「とりあえず、気持ちだけは伝えましたが、その男の子からは、『ちょっと考えさせて』とだけ返事が来ました」

翌日のクリスマスの日の夜のこと。返信があった。

「いいよ、付き合おっか」

まさかの大ドンデン返し。ビックリしたが、付き合うことにした。

付き合うといっても、まだまだウブな2人。デートは2回ほど地元のショッピングモールに行った程度。手をつなぐことさえなかった。

「自分から告白しておきながら緊張しちゃって話せないし、相手もけっこう寡黙な人だったので、お互いにベンチに座って、ただボーッとしてるだけ(笑)。結局、4か月くらいで終わりました。向こうから別れようって言われて、『うん、わかった』って。アッサリ終わっちゃいましたね」

後にも先にも、男子とのお付き合いはこれっきり。

高校生になる直前に幕を閉じた。あのウブな淡い女子としての初恋は何だったのか、今でも整理がつかないままだ。

03親友への ”想い” を圧し殺した高校3年間

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FTMの同級生の存在

高校生になっても、女性を恋愛対象として好きになることは変わらなかった。それを口外してはマズいという思いも継続していた。

正直な気持ちを抑えなければいけないもやもや感が、次第に大きくなっていった。

「好きになる子は、男の子にも女の子にもいて、『自分はどっちなんだー!』って、ちょっとだけ考えるようになったのが、高校生になった頃かもしれません」

その頃、唯一「親友」と呼べる、いつも一緒に行動する女友達がいた。

親友は吹奏楽部で、多和田さんはハンドボール部。お互い、部活に熱心で忙しかったけれど、学校ではいつも一緒だった。

そんな親友同士の間に割って入ろうとする人物が現れる。

「その当時はわからなかったんですけど、FTMの子が同級生にいました。その子が、親友のことを好きだったみたい。完全に男性目線で親友のことが好きだというのが、見ていてよくわかるんですよ。ちょうど自分も親友のことを『もしかして好きなのかな?』って気になっていた時だったので、ちょっと嫉妬しちゃうこともあった。それで、FTMの子と僕でバチバチって感じになってしまったんです」

告白しない。親友のままで

今となっては、親友との間に割って入った子が、自分と同じセクシュアリティだとわかるが、当時、FTMという言葉は知らなかった。

「沖縄にはなぜかトランスジェンダー多く、ひと学年に1人はそうだろうと思える人がいました。みんなオープンで、ズボンをはいて登校したり、ストレートの彼女がいるのも珍しいことではなかったんです」

ちょうど、自分自身も性自認に関して、もやもやし始めていた時期でもあった。

「男性として生きようと堂々とカミングアウトしているFTMだった彼を見て、羨ましいという気持ちがあったのかも。さらに、親友に告白もしていたので、嫉妬心も相まって、すごく険悪なムードになりました」

しかし、FTMだと公言していた同級生は、親友に告白したものの、叶わなかった。

「親友は告られたときにビックリしたみたいで、拒否しちゃったんですよね。それまでの彼と親友の関係は、告白したことで壊れちゃった。さらに、彼は自傷行為に走るようになってしまった。それを知った親友は、罪悪感に苛まれて悩むことになったし・・・・・・。こんなことになってしまうんだったら、自分は告白しないでおこう、と心に決めました」

またもや本心を圧し殺すしかなくなった。

結局、高校3年間、女性同士の親友として、たくさんの思い出を作った。そして、親友としての付き合いは今でも続いている。

「もしかしたら、彼女は気づいていたのかもしれないですけどね。でも、そのことは今でも怖くて本人には聞けないままです(笑)」

後に、地元の友人たちにカミングアウトしようと決意したとき、スムーズに迎え入れてもらえる環境を整えようと奔走し、大きな力となってくれたのは、この時の親友だった。

04親から逃れたくて

口うるさい母への反発心

大学受験に失敗し、福岡の予備校に通うことにした。

幼少時代に過ごしたやんばるの森、どこまでも続くエメラルドグリーンの海。三線の音が染みる琉球音楽やエイサーなどなど・・・・・・。故郷である沖縄の自然や文化、すべてが大好きだ。なのに、選んだのは、福岡にある全寮制予備校の女子寮だった。

「とにかく、家を出たかっただけです。家族の縛りから逃れたいというか・・・・・・。両親は共に小学校の教師で、妙に教育熱心なところがあったので、当時は『もう、うるさい!』って感じになってて……。家を出たくて、出たくてしょうがなかった」

特に同性である母親は、口うるさかった。

「あれしなさい、これしなさいって、とにかくガミガミ系(笑)。レールに乗せたがっているというか、正しい道、正しい道っていう。とにかく、道を外さないようにって教育されていたのかな。しかも、成績優秀じゃなきゃダメっていう感じ。そういうのに反発して、部活ばっかりの毎日。成績もどんどん落ちていきました」

そんな母親に言われていた言葉で思い出すのは、「もっと女らしくしなさい」のひと言だ。

「そのひと言が、引っかかりました。本当は、女の子らしくするのが嫌だと、もやもやしている中で言われ続けるから、苛立ったり、反発心をさらに増幅させていたのかも」

大きな転機が訪れたのは、その後のことだった。

05大きな宿題を抱えた予備校時代

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男として見て欲しいという気持ち

予備校の女子寮は、100人程度と大きい規模だ。女子寮にいることに、最初は何の違和感も感じていなかったが、またもや、女性を好きになったところで、ハッとした。

「あれ? 自分の居場所は女子寮じゃないのかもと、感じるようになりました。同時に、自分の身体に嫌悪感を抱くようにもなりました。好きな女の子に『男として見て欲しい』という気持ちが初めて芽生えてきたんです。『女子寮にいたくないや』と。女子寮にいる限り、男としては見てもらえないですからね。当たり前のことですけど(笑)」

とはいえ、行くところはない。1年間、女子寮で過ごすしかなかった。

その頃、同じフロアにいる女の子が気になり始めていた。友達としての ”好き” なのではなく、恋愛感情であるということはハッキリしていた。

「僕は男になりたいのか、何なのか、よくわからないなあって・・・・・・、迷いはじめました。それまで自分は、同性愛者、レズビアンなんじゃないかと思うことがあったんですが、それもちょっと違うのかなと、疑問を持っていました」

自分は何者なのか───。ひたすらネットで探してみる。そして、初めてFTMという言葉を知った。

「性同一性障害の本を読み漁って、受験勉強よりもそっち中心になってしまった時期もあります」

「男として見てもらいたいという気持ちが強くなってから、自分はFTMかもしれない、と。その頃から、『可愛い』と言われるより『カッコイイ』と言われるほうがすっごく嬉しく思うようになった」

髪もバッサリ、ショートカットに。見た目も男の子っぽくなっていったのは、ちょうどその頃。

さらに、同じ受験生同士で何でも相談できる友達3人に打ち明けた。

「いいんじゃない!」

自分のもやもやとした違和感を、拒絶されることなく、初めて受け入れてもらえた。

「今、振り返ると自分にとって大きな経験でした。もちろん、好きになった相手本人には打ち明けなかったけれど、その頃から、自分のセクシュアリティを打ち明けても大丈夫な人かどうか、見極められるようになっていきました」

宿題を抱えながらも「なんくるないさー」で受験へ

とはいえ、それで悩みが消えたわけではない。

逆に、大きく膨らんでいった。

「性同一性障害について調べると、小さい頃から違和感を持っている人が多い。でも、自分は成人間際になってから気づいたので、『何でだろう?』とか『性同一性障害ではないのかな?』などと気になっていった。自分がいったい何者なのか。大きな悩みになっていきました」

浪人していた1年間は、あっという間だった。

受験がどんどん迫ってきているのに、勉強に集中できない日々が続いた。

「受験って、けっこう大変じゃないですか。現実逃避するために、もともとあった性自認の悩みを大きくふくらませて、そっちにフォーカスしているだけなんじゃないかって思いもありました」

信頼できる予備校の倫理の先生に相談したところ、メンタルクリニックを紹介してくれたので、行ってみた。

しかし、そこに求めていた答えはなかった。

「『同性愛っていうのも悪くないよ』って諭されて終わった感じです。『あれ? 何も今の悩みが解決しないじゃないか!』って。僕のなかで、ドクターっていうのは、どんな悩みでも解決してくれるという期待があったんですよ。今思えば、GID(性同一性障害)を診断してくれるようなところではなく、普通の心療内科だったのでしょうがないですよね」

悩みは膨らむ一方だったが、勉強以外のことで悩んでいる場合ではない。

「FTXという言葉を知ったんです。身体は女性だけれど、心の性は男性、女性のいずれかを認識していない人なんですが、今の自分はこのXジェンダーなんだと。その後は、大学に入ってからジックリ考えよう、とりあえず受験を終わらせようと、気持ちを切り替えました。悩みは尽きなかったけれど、何とかなるだろうって思って。『なんくるないさー』ですね(笑)」

大きな宿題を抱えたまま、受験に立ち向かっていった。

後編INDEX
06 自分探しの大学生活
07 キツいひと言がキッカケで
08 初めての、男と男の約束
09 男性として受け入れられるということ
10 若いふたりに突きつけられた現実