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ゲイであることも含めて、自分【前編】

明るく穏やかな口調で、自身の経験を包み隠さず伝えてくれる澤村勲李さん。話をしていると、誰もが思わず笑顔になってしまうような温かさがあるが、時折ユーモアを交えながら語られるその人生は、決して平坦な道のりではなかった。家族や自身のセクシュアリティ、現在のパートナーとの出会いなど、澤村さんの強さと明るさのルーツを辿ってみたい。

2018/11/09/Fri
Photo : Rina Kawabata Text : Natsumi Hosokawa
澤村 勲李 / Kunri Sawamura

1984年、滋賀県生まれ。専門学校在籍中よりホテルでのアルバイトを始める。その後、運送会社やコンビニなど、様々な仕事を経験。25歳で上京し、新宿二丁目のバーを経て、現在は大手業務用カラオケ・コンテンツ関連の会社で営業として働いている。

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INDEX
01 厳しい教育方針の父
02 目立ちたがり屋な子ども時代
03 「家族にゲイがいたらどうする?」
04 小さな嘘を重ねる罪悪感
05 密度の濃いコミュニティの中で
==================(後編)========================
06 たった一人で東京へ
07 周囲へのカミングアウト
08 LGBTにとらわれず、相手と接する
09 セクシュアリティはアレルギーのようなもの
10 僕自身を見て欲しい

01厳しい教育方針の父

自分の欲しいものは、自分の力で

実家は設備関係の会社を営んでいる。

もともと物作りが好きだった父が起業し、今は1つ年上の兄も一緒に働いている。

子どもたちに、自分の事業を継がせたがっていた父の思いを知りつつも、自分の将来は別の道に進むと、自己主張したのは高校3年生の時だった。

「人としゃべったり、漠然と接客が好きだっていう気持ちは昔からありました。ホテルの仕事がしたいなって」

進学先に決めたのは、大阪にあるホテル関連の専門学校。
夜間のコースだった。

夜間に決めたのは、学費を昼のアルバイトでまかないたかったからだ。

「両親に実家の仕事を継がないと伝えた時は、『反対もしないけど応援もしないからね、好きにやってください』って言われました」

「自分の欲しいものは、自分の力で手に入れなさい、という感じでしたね。だったら、学費は自分で払ったほうがいいかなって」

親の意見に対する反発は、当時は湧かなかった。

実家から専門学校まで往復5時間の道のりを、1年ほど通っていた。

人に迷惑はかけるな

昔から父と自分は、性格がまったく違うと感じていた。

ハングリー精神が強い父とは、気質が真逆の自分。

教育方針もはっきりしていて、約束を守らなかったり、やらなければならないことを、やらなかったりすると、とても怒られた。

「昔、もう勉強しませんって伝えたら、親父に『じゃあ教科書貸せ』って言われて。渡したら、その教科書を燃やされたんですよ(笑)」

「教科書がない理由を、そのまま学校の先生に話したんですけど、先生もびっくりしますよね」

小学生の頃、兄と外で遊んでていて、帰りの時間が門限よりも遅くなった時は、真冬だったが外でパンツ一丁で正座させられ、水をかけられたことも。

「やることが過激でしたね。親父が言いたいことは、とにかく人に迷惑はかけるな、約束を守れ、っていうことなんですけど」

小さい頃から、両親に対して反発するということはほとんどなかった。

「表面的には聞き分けがよかったんです。でも、なんで本当の気落ちを分かってくれないんだろう、っていうモヤモヤはずっとありました」

心の中にある様々な思いを理解して欲しい気持ちはあった。

けれど、すぐに手が飛んでくる父が怖くもあった。

02目立ちたがり屋な子ども時代

家族バンドでギターを担当

しつけに厳しい家族ではあったが、楽しい思い出も残っている。

3人兄妹の2番目として生まれ、小さい頃は1つ上の兄にくっついて、よく遊びに出かけた。

「兄や近所の子たちと一緒に、学年関係なくみんなでゲームをしたり、ドッジボールをして遊んでいました」

ほかにも、小学校2、3年の頃には、父が音頭をとって家族でバンドを組んでいたこともあった。

「妹がドラムで、僕がギター。親父がベースで、おかんはサポート役として水とか持ってきてくれて(笑)」

「親父の友人の結婚式では、家族バンドで余興で演奏したこともありました」

「ビートルズのコピーをしていました。自分のギターを持って、独学で練習してましたね」

家族でバンドをやろうと音頭をとった父は、仕事とプライベートの切り替えがはっきりしていたタイプ。

休みになったらしっかり休み、休日を家族とフルに楽しんだ。

せっかくだから、変わったことをしてみよう

中学に入ると、今度は友人たちとバンドを組むようになる。

「同級生と一緒に組んでて、そのときも僕はギターをやってました」

「そのうち、ギターだけだと面白くないかなって思って、歌もうたってみたり」

小さい頃から目立ちたがり屋な性格だった。

当時は自分の名前が変わっていると自覚していたこともあり、人がやらないことをしようという気持ちが大きかった。

「昔から、自分ってなんかよくわかんない人間だな、どこか人と違うなって、自分のことを思っていて」

せっかくだから、何か変わったことをしてみようと、中学の音楽祭では指揮者に挑戦したことも。

「恥ずかしいって思いは、あるにはあったんですけど、それよりも僕を見て欲しいって気持ちが強かったですね」

小学校の時からギターを弾いていた経験を買われ、先輩たちのバンドで一緒に、ギターの演奏をしたこともあった。

「その時はすごく楽しくて。でも、バンドをやってるわりには、まったくモテはしなかったですね(笑)」

「ただ、そもそも女性に対してモテたいという気持ちは、その時からなかったんです」

03 「家族にゲイがいたらどうする?」

初恋は小学校の先生

セクシュアリティに関する最初の記憶は、幼稚園までさかのぼる。

「年長さんくらいだったと思うんですけど、テレビを見てて、お笑い芸人さんとかが裸になってるシーンがあって、なんか気になったんですよね」

恋愛感情ではない。

なぜ服を着ていないのか、目の前の光景をとても不思議に思っていた。

「人って普通服着てるもんでしょ、っていう意識がすごくあったので、お相撲さんとかがテレビに出ても、見てましたね。なんで服着てへんねやろ? って」

初めて人を好きになったのは、小学校5年生くらいの時。

隣のクラスの男の先生だった。

「たしか水泳の授業の時。先生も水着に着替えるんで、そこでドキドキして」

この頃から自分は男の人が好きなんだという自覚はあった。

ただ、男が男を好きになることは、いけないことなのではないかという思いがあった。

「踏み入れちゃダメだ、そこの世界には。って、思ってたんです」

「自分の思いが、病気っていうほどじゃないんですけど、ちょっとでも体験してしまったら、もう戻れなくなる気がして」

「もしかしたら、異性を好きになるかもしれないという期待もありました」

ドキドキはするが、やめなければダメなこと。

中学や高校でも、おおらかで優しい年上の男の先生に魅力を感じることはあった。

しかし、周囲の誰にも気持ちを明かすことはできなかった。

ゲイって言っちゃダメだ

男性へのおもいを押し込めたのには、家族の何気ない一言も影響している。

子どもの頃、たまたま家族全員で見ていたドラマの中に、ゲイの人が登場したことがあった。

それを見た妹がぽろっと「ねぇお父さん、うちの家族にゲイがいたらどうする?」と聞いた。

父は、顔色も変えずに「そんなん、縁切るにきまってるやろ」と一言。

「僕、それ聞いた時ドキッとして。やっぱり言わんとこ、家族には言っちゃダメだなと思いました」

両親も兄も、19歳で結婚している。
恐らく自分も、そのくらいで結婚することを家族から期待されると思った。

しかし、それまでに男性へのおもいは治るのか、不安になった。

「自分がやってることは普通じゃない、普通にならなきゃって、この時は思ってましたね」

当時は、ネットもない時代。
自分探しをするための情報も見当たらなかった。

「同性を好きになることについて、ダメだと思う気持ちはありつつも、どこか非現実的なものとして捉えていた部分もあったんですよね」

同性愛はドラマに出てきたり、噂で聞いたりはしていたが、実際にあることなのかわからなかった。

「多分あるんだろうけど、僕見てないし、ドラマだと誇張してるかもしれないしって、そんな風に考えてました」

04小さな嘘を重ねる罪悪感

誰かに言ったら、終わってしまう

自分の本当の気持ちを誰にも言えず、人に小さな嘘を重ねる罪悪感は、常にあった。

「目立ちたくてバンドをやって、僕を見てって思ってるのに、核心部分は隠してるよねって、そんな自分に気づいてました」

誰にも本当のことを言えない。
本当の気持ちを隠しているというモヤモヤ。

友人たちの間で当然のように話される、好きな女の子の話にも、嘘をついて答えていた。

「中学高校って、好きな子の話、めちゃくちゃ出るんです。どんなのがタイプとか」

「芸能人で誰が好きか? って話になると、適当な女優さんの名前言ってました。本心では、好きじゃないんですけど(苦笑)」

親友にも、親にも隠している。
ずっと嘘をついている。

そこに心苦しさはあるものの、誰かに言ったら終わりだとも思っていた。

誰かに言ったら、今までの生活は絶対に終わってしまう。
嫌われて、みんなに自分は同性が好きだと広まって、孤立してしまう。

だから言わないでおこうと心に決めていた。

「将来のことを考えると、不安しかなかったんです。多分僕は、30歳、40歳を迎えても滋賀県で一人暮らしをして、独身なんだろうなって」

「兄貴とか、妹とかの子どもを羨ましそうに見ながら、過ごす人生なのかな、って想像してました」

思っていたより悪くない?

自分のセクシュアリティに戸惑いを持ち、気持ちをおさえてきた中学、高校時代。

卒業後、はっきりと自分は異性ではなく、同性を好きだと確信した。

専門学校に進学した、19歳の時だった。

最初の出会いはネットの掲示板。

「地元のスーパー銭湯に行った時、かっこいいなって思う人がいたんですよ」

「家に帰って、たまたまパソコンで滋賀県エリアの掲示板を開いたら、銭湯での僕のことが書いてあって」

掲示板に書かれている相手の情報を読んでいくうち、スーパー銭湯で気になった人だと判明。

連絡を取り、会うことになった。

「同性愛の雑誌のこととか、いろんな情報を教えてもらえたんです」

「それを聞いて、やっぱりただの噂として聞いてただけの世界じゃないんだって、思いましたね」

これまで非現実的に思えていた世界が、実際に存在していると分かった嬉しさ。

自分はもう異性愛者には戻れないという後悔はあったが、同性が好きだという人が他にもいることに、安心感も感じていた。

飛び込んでみたら、思っていたより悪くない世界だった。

「同性愛って、もっと迫害を受けてて、こそこそしなければならない印象があったんです」

「でも、ぜんぜんそうじゃないし、周りから見たら自分たちって友だちに見えるんですよね」

周りにバレたらどうしようという不安もあったが、想像していたよりも過ごしやすいことに驚いていた。

05密度の濃いコミュニティの中で

職場で必死のカモフラージュ

専門学校は1年でやめた。

19歳の時に家を出る。

専門学校時代からホテルでアルバイトをしていたが、運送会社など他の仕事も経験しながら生計を立てていた。

どの職場でも自分のセクシュアリティが理由で、働きづらくなることはなかった。

しかし、中学や高校時代と同じように、結婚や好きな女の子の話など、異性の話題を振られると困ることは多かった。

彼女について聞かれたときは、カモフラージュのために、知り合いの女性に一緒に買い物をお願いしたことも。

「仲のいい女の子に1日だけ買い物付き合ってもらって、その子を車の助手席に乗せたまま、忘れ物を取りにいくフリして会社まで行ったんですよ」

「それで、その時会った会社の人に、車にいるのが彼女だって、言ってました(笑)」

その頃、滋賀の濃い人間関係の中で、自分の本心を隠していることに対する息苦しさも感じていた。

「彼女のカモフラージュについては、おかんには何も話してなかったんです」

「でも、なんでか僕が車に女の子を乗せていたっていう噂を耳にしたみたいで」

「仕事で荷物を届けても、留守で不在だったら、近所の人が『親戚の人の家に届けたら』って言うくらい、人間関係がすごく濃い地域なんです」

カミングアウトなんてできない

結婚のプレッシャーや、彼女の話題に対する困惑はあったが、だからと言ってカミングアウトをする気にはなれなかった。

当時付き合っていた恋人の中は、周囲に自身がゲイであることを伝えていた人もいたが、たまたま運がよかっただけなのだろうと思っていた。

「確かに受け入れてくれる家族もあるんでしょうけど、僕のとこはダメだろうなって」

「自分の働いている職場でも、やっぱり受け入れてくれるようなことは起こらないだろうなと感じてました」

「この頃は、自分の口からゲイであることをカミングアウトするなんて、想像できませんでしたね」

周りに伝わるのだとしたら、意図していない時に、バレるぐらいしかない、そう思っていた。

自分の将来について迷いを抱えながら過ごす中、転機が訪れたのは25歳の頃。

仕事のこと、セクシュアリティのこと、さまざまなことが原因で精神的に落ち込み、自暴自棄になった時だった。

「漠然と昔から抱いてた、都会で暮らしたいって思いに行き着きました」

「誰もいない土地に行きたい、って本当に思って。じゃあ東京に行こうって」

東京には一人も知り合いはいなかった。

もし上京したら、地元の人間では、自分が東京に住んだ第一号になる。

みんなと違うことができるという好奇心も相まって、滋賀を出ることを決意する。
<<<後編 2018/11/11/Sun>>>
INDEX

06 たった一人で東京へ
07 周囲へのカミングアウト
08 LGBTにとらわれず、相手と接する
09 セクシュアリティはアレルギーのようなもの
10 僕自身を見て欲しい

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