INTERVIEW

生まれ変わっても、また ゲイとして生きたい【前編】

くるくる、くるくる、次々と変わる表情。見ているうちに、どんどん引き込まれ、目が離せない。自分がどのような人間であるのかを包み隠さず伝え、“一糸まとわぬ状態”と表現したくなるほどオープンだ。そんな竹内清文さんには、かつてストレスのために半身麻痺になってしまった過去がある。その過去から、どうやって現在にたどり着いたのか。

2015/09/18/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
竹内清文 / Kiyofumi Takeuchi

1977年岡山県生まれ。大学卒業後、2003年からJICAに勤務。2007年に体調を崩したことから自分の生き方を見つめ直し、2008年に退職。スペースクリアリングのトレーニングを受け、2012年に瞑想の学校であるクレアビジョンに通うなどして研鑽を積み、現在、ガラクタ整理師、スペースクリアラー、ISTプラクティショナーなど、様々な肩書きで活動中。2014年にゲイであることを自身のブログで公表した。著書に『手放せばうまくいく!生き方が見つかるガラクタ整理』『ガラクタを捨てれば、人生はすべてうまくいく!』(ともにPHP研究所)など。

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INDEX
01 良い子の鎧を脱ぐとき
02 イケメン先生の“富士山”
03 やると決めたら、絶対やる!
04 初体験のあとの罪悪感
05 世界の中心でゲイを叫ぶ
==================(後編)========================
06 父親に「裏切り者」と言われて
07 心を偽って、体が発した悲鳴
08 本当の自分を発見するために
09 誰かが変わるきっかけになる
10 もう一回、ゲイでもいいかな

01良い子の鎧を脱ぐとき

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自分の本質を初めて見抜いた人

小学校で、人生において大切な出会いがあった。それは5年生のときの担任、島田美保先生だ。口癖は「言うちゃあ悪いけどな」。そう前置きして、ズバッと本音を言う人だった。

「ある日の放課後、先生に呼び出されて『なんで逃げてばっかりいるの? 逃げてたら、解決にならないよ』と言われました。そのとき、クラスに苦手な男子がいたんですよ。何を言われても、彼には言い返せなかった。言い返さなくても我慢していれば、そのうち卒業するし、いいやって思ってたんですね。でも、その “逃げるパターン” が大人になっても自分のなかにあって・・・・・・。言われたときは気づかなかったけど、先生は僕の本質を見抜いて、真剣に叱ってくれていたんだと、あとになって分かったんです」

解決するために闘うのではなく、争わず逆らわず、“良い子の鎧”で身を守りながら、状況が変わるのをじっと待つ。小学校、中学校、高校を卒業し、大人になり、そのパターンに気付き、その良い子の鎧が自分の鎖になっていると知り、生き方を変えようと思ったとき、ゲイであることを公表することに行き着いた。

「2014年の8月に、ブログに書いたんです。僕は同性愛者、つまりゲイです、と。そのあと、実家に帰っているときに島田先生から電話があって、明日学校に来ないかと言ってくださったんです。帰省していることもブログに書いていたので、きっとカミングアウトのことも読んでくれて、電話帳からわざわざ僕の父親の名前をたよりに、実家の電話番号を調べて、連絡をくれたんです」

家族のためにつくった良い子

久しぶりに訪れた母校。竹内さんは大人になり、島田先生は校長先生になっていた。そして先生は、実は来年退職をするので、その前に言いたかったことがあるのだと言った。

「あなたは良い子だった。勉強もできるし、言われたことは率先してやる。でもね、その良い子はつくられたもの。家族のためにつくった良い子だった。つくられた良い子は、いつか自分の人生に向き合ったときに、それを脱がなきゃいけない瞬間がくるのよね。あなたを見てて、そう思ってた」

そして、ブログを読んだことを話してくれた。

「よくがんばりましたね」

まるで、その言葉が合図だったかように、涙があふれだして、止まらなかった。

いつか壁にぶつかって悩む日がくると、島田先生は見抜いていた。しかし、その壁にぶつかって悩んだとき、今度こそ竹内さんは逃げずに、見事乗り越えることができた。

「あとで『逃げてたら、解決にならない』って言われたことを伝えたら、先生自身は忘れちゃってたんだけど(笑)。でも、先生はすごいですよね。誰よりも先に僕の本質を見抜いてくれていたんだから。で、先生が言うように、脱いで脱いで脱ぎまくったら、こんなふうになっちゃった!」

竹内さんは自分を指差し、キュートな笑顔が弾けさせた。

02イケメン先生の“富士山”

女っぽさをからかわれて

そんな竹内さんが、良い子の鎧を脱ぐ、ずっとずっと前のはなしだ。

人形遊びやゴム跳び。それが竹内さんの小学校時代の遊び。近所に同級生の男子が住んでいなかったこともあるが、確かに、女子と遊ぶほうが楽しかった。

しかし、地域の男子と同様に、ソフトボールクラブに入部することになり、苦しみの日々が始まる。男らしくするのが大の苦手。しかし、地域をあげて力を入れていたスポーツである男子ソフトは、まさに男らしくならねばやっていけない世界だった。

「もう、練習に行くのが嫌で仕方なくて。とうとう練習をさぼって、近所の河原で女子とおままごとしていたら、その日に限って、クラブのみんながランニングで通りかかったんです。笑われるし、からかわれるし、もう最悪でした」

小学生男子は、女っぽい遊び、女っぽい仕草、女っぽい口調の男子をとにかくからかう。その標的にされる辛さのあまり、次第に周りの男の子がやっていることに従うよう、自分をコントロールするようになったという。もう、素の自分を出すのはやめようと。

イケメン先生にドキドキ

しかし、周りの男の子と違う自分に、否が応でも気づいてしまうことがあった。それは、イケメンの先生にドキドキしてしまうことだ。

「がっちり体型のイケメンの先生がいたんです。その先生、水泳の時間は競泳用のピッチリした水着を着るんですよ。それで、背泳ぎのお手本をしてくれるもんだから、股間が水面に出ちゃう感じになってたんです。それを見て、周りのみんなは『富士山だ!』とからかっていたんですが、僕はもう恥ずかしくて。興味はあるんだけど、見れないし、言えなかった。とにかく、自分のその感情を隠そうと必死でした」

学校でなく、病院でばったりとイケメン先生に会ったこときは大変だった。学校で見かけるのとは違う、普段着のままの先生。妙に照れてしまって、刈り上げた髪の毛を必死で撫でつけたりしたものの、正面から先生を見て、話すことさえできなかった。

それはきっと、淡い恋心だったのだろう。

03やると決めたら、絶対やる

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将来は音楽大学に行く

小学校時代、竹内さんはどうしてもピアノを習いたくて、両親を説得したのだという。近所の女子は、みんなヤマハ音楽教室に通っていて、自分も一緒に通いたかったのだ。

「ずいぶん長い間ねばったら、なんとか両親もOKしてくれたんです……OKしてくれたんですが、両親と同じ牛飼いで、ピアノの上手なおばちゃんがいたので、その人に教えてもらうことになったんですよ。僕はヤマハ音楽教室に通いたかったのに(笑)。それでも、やっぱりピアノは楽しくて、両親に将来は音楽大学に行くって宣言したのを覚えてます」

楽しく通っていたピアノは、先生である牛飼いのおばちゃんの妊娠を機に仕方なくやめることになってしまった。しかし、実は30歳で、竹内さんはもう一度ピアノを始めたのだ。

良い子の型への反発

「部屋のガラクタ整理をやっていたら、あ、やっぱり自分はピアノをやりたいんだと気づいて。で、知り合いにピアノの先生を紹介していただいて、もう一度習い始めました。始めたのは3月なんですが、実は5月にバーで発表会をすることを決めてたんです。どうしても5月12日に友だちの前で弾きたいので、先生なんとかしてくださいって頼み込みました(笑)。先生も最初は、無理だから止めようと思ったらしいんですが、僕が笑顔で楽しそうに『なんとかしてください』て言うので止められなかったんですって」

課題曲は『戦場のメリークリスマス』『カノン』『主よ人の望みの喜びよ』の3曲。2ヶ月ちょっとの間で練習を重ね、本番はしっかり弾ききった。

「でも、バッハはあなたに似合わない、なんて言われちゃいました。きっちり正しく弾くほうが好まれるバッハの曲は、自分でも僕には合わないと思う。型にはまるのがダメで。子どもの頃に良い子という型にはまっていたことの反発なんでしょうね」

しかし、驚くべきはその実行力。先に発表会の日程に決めてしまってから、間に合うようにピアノを習い直すとは、まさに型破りである。

04初体験のあとの罪悪感

万能なアノ子への告白

ピアノを楽しみ、ソフトボールに苦しんだ小学校時代。イケメン先生に淡い恋心を抱いたものの、男性が好きだという気持ちを隠したまま入学した中学校で、初めての告白をする。

相手は、勉強ができて、スポーツ万能な、女子。

「同じ卓球部の子を好きになったんです。今思うと、好きというより、なんでもできる子だったから憧れの気持ちが強かったのかも。告白したけれど、振られちゃいました。女の子を好きになって、告白したのは一生で一回だけです。女性との経験もないし。あ、友達と行ったニューハーフバーで、手術後の股間を無理やり触らされたことはありますけど……それだけですね(笑)」

その後、高校時代も大学時代も、気になる男性はいたものの、告白することはなかった。それでも近づきたい気持ちは強まり、相手への思いは日々募る。

「遊んだり、旅行に行ったりして仲良くしてたら、周りから『キヨくん、その気があるんじゃない?』って聞かれたりすることもありました。そんなときは全力で否定しましたよ。いつもより低い声を出したりして。大学時代が一番面倒でしたね。みんな、誰かと付き合ったりするじゃないですか。『付き合ってる人いないの?』とか聞かれたら、付き合うよりも友だちのほうがラクだよね〜って言ってごまかしたりしてました」

セックスは神聖なもの

学校では自分のセクシュアリティをひた隠す毎日。しかし、性への興味が高まる年頃だ。あるとき出会ったゲイの男性と、初対面で初体験をしてしまう。

「罪悪感しかありませんでした。セックスは、付き合って、愛を育んでからするものだと思い込んでいたから。やっちゃいけないことをやってしまったと後悔しました。今考えてみると、周りの同級生の男女だって、いろいろやっていただろうけど、僕のなかでは、もっとセックスは神聖なものだったんです」

もしかしたら、そこにも、良い子であろうとする意識が働いていたのかもしれない。愛のないセックスは悪であると思い込んでいたのだ。

そこで次こそは、ちゃんとした付き合いをしようと心新たに出会いを求め、22歳のとき、生まれて初めてお付き合いできる相手が見つかった。

05世界の中心でゲイを叫ぶ

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大好きな彼との悲しい別れ

初めての恋愛は簡単ではなかった。お互いに好き合っていても、“好き”のテンションが釣り合わず、バランスを崩すこともある。

「僕は大好きだったんですが、相手には僕の気持ちが重かったのかな……、いつしか僕から離れようとしていることに気づいたんです。ある日、地下鉄の駅の広場に座り込んで、話し合った末に、別れることになってしまいました。でも、そこで、僕は謝れなかったんです。負担をかけてごめんねって」

心のなかでは、自分の想いと存在が彼の負担になってしまったのかもしれないと、申し訳なく思う気持ちは強くあった。それでも、謝れなかったのは何故か。

「きっと僕は、悪いことをしてしまった自分を認められなかったんです。良い子や良い人でいなくちゃいけない。学校でも、バイト先でも、良い自分を演じている。そんな人生ってなんなんだろうって、そこで改めて思ったんです。よし、じゃあ、もう本当の自分を出そうと。じゃ、自分のなかで一番言いにくいことってなんだろうと、考えたときに思い当たったのが、ゲイだってことだったんです。それが言えたら、もっと素が出せるんじゃないかって」

そして、彼と別れた数ヶ月後、大学の同級生で一番仲の良い友だちを家に呼んだ。もちろん、カミングアウトするために。

もう、言いたくて仕方ない

「以前から、友だちを家に呼んで、ごはんをつくったりしてたので、そのときも『ごはん食べにくる?』と誘って。友だちが来てくれてから、いつ言おう、いつ言おうと、ずーーーーーっとドッキドキでした。でも、夜の10時になっても、12時になっても言えない。じゃあもう朝になるから寝ようってことになって、電気を消したあとで、やっと、実は話したいことがあるんだけど、と切り出すことができました。朝の4時でした」

友だちの反応は、あっさりとしたもので、「ああ、そうなんだ。気づかなかったよ。まぁ、いいんじゃない」といったものだった。

そこでカミングアウトのエンジンがかかった竹内さん、友だちに「このあと、誰かに言うの? 同じ美術部の仲の良い人たちなら言いやすいんじゃない」と言われ、さっそく家に呼んで、ごはんをつくって、2度目のカミングアウトを決行した。

「もう、そうなると、言いたくて言いたくて仕方なくなっちゃったんです。もう世の中に向けて叫びたいくらいでした。世界の中心でゲイを叫ぶって感じ。そのあとは僕、レインボーフラッグを持って、大学の卒業式に出席するくらいオープンにしてました」

友だちにゲイである本当の自分を受け入れてもらえて、気持ちがラクになった竹内さんだったが、両親へのカミングアウトの難易度はかなり高かった。

後編INDEX
06 父親に「裏切り者」と言われて
07 心を偽って、体が発した悲鳴
08 本当の自分を発見するために
09 誰かが変わるきっかけになる
10 もう一回、ゲイでもいいかな