INTERVIEW

本当の自分に出会えたから、僕は生きることを選んだ【後編】

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2016/07/27/Wed
Photo : Taku Katayama Text : Koji Okano
井上 健斗 / Kento Inoue

1985年、東京都生まれ。2010年バンコクで女性から男性への性別適合手術を受け、翌年には戸籍変更した。「G-pit net works」代表として、タイや日本国内での性別適合手術のアテンド、戸籍変更まで、性同一性障害のトータルサポートや不妊治療のトータルサポートを担っている。他にもFTMの啓蒙イベント「GRAMMY TOKYO」を主催、またトランスジェンダーが自分らしく働ける場所を作ろうと、長野と茨城で稲作を行う「おか米」作りのプロジェクトも立ち上げている。

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INDEX
01 赤いランドセルなんて壊せばいい
02 無邪気な母親と、無口な父親と
03 女なんだから、男を好きにならないと
04 初潮の訪れで暗澹たる思いに
05 性同一性障害という言葉を知って
==================(後編)========================
06 二度の借金、人生のドン底を見つめて
07 性別適合手術と戸籍変更にかけた思い
08 生まれ変わって、新たな自分を生きる
09 初めての結婚、そして父になる
10 死ぬまでたくさん笑えるように

06二度の借金、人生のドン底を見つめて

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本音を隠したい

「高校に入学したら、思いがけない再会が待ち受けていました。中学生の時、密かに思いを寄せていた女の先輩に、学校で遭遇したんです。髪の毛が長くて清楚な雰囲気、自分のタイプど真ん中で、中学の3年間、本当に憧れていました」

卒業後、どこの高校に進学したか知らなかったので、予期せぬ出会いに心から驚いた。

「あまりに驚いて、食べていたパンを廊下に落としてしまったほどです(笑)。でも喜びもつかの間でした。そんなことを考えていないで、やっぱり女の子らしく男の子と付き合わないと。そんなことばかり思っていました」

いっそ男子とSEXしてみたら、”普通の女の子” のような感覚に戻れるのかもしれない。

全く気乗りはしなかったけれど、彼氏を作ってみることにした。

「外見も女の子らしくしたら普通の感覚が戻るかなと思って、髪の毛も少し伸ばして、ルーズソックスも履いていました。自分のことも『オレ』ではなく、『ワタシ』と言うようにして。そうしたらボーイッシュな感じの女の子が好きだと言って、同級生の男の子が告白してきてくれたんです」

陸上部だった彼はお世辞にもかっこいいとは言えなかったが、心根のいい奴だった。

“普通の女の子”になりたかったから、付き合ってみることにした。

「古着の好きな男の子だったんで、よく買い物に行きました。自分もメンズの服を見るのは好きだったので、デートは楽しかったです」

「ただ電車に乗っている時に腕を絡められたり、『お前って可愛いなぁ』と言われながら、頭をなでられたり。彼のラブラブアピールが耐えられない時もありました」

別れ際に数度キスをされたこともあったが、正直「キツイ」という気持ちしかなかった。

極め付けは、初体験を試みた時のこと。

「裸になってこちらに被さってきた彼が本当に嫌だったのか、反射的にボディブローをお見舞いしてしまったんです。彼は『何で?』って顔をしていました。そりゃ、そうですよね」

「けれど、私が単に奥手なんだと思ったのか、彼はその場では気を取り直していました。まだ機が熟していないのかな?くらいにしか、考えていなかったんだと思います」

結局、彼とは長く続かず、別れてしまった。

かといって、憧れの女の先輩に告白する勇気もなく、その片思いは中高足掛け、6年に及ぶことになった。

降りかかる不運

高校までずっと部活でバスケットボールをやっていたこともあって、社会体育について学べる専門学校を卒業後の進路先に選んだ。

同時に実家から出て一人暮らしを始めたが、その一年後に、悲しい出来事が起こる。

「突然、父が亡くなりました。僕が家を出てしばらくして、両親は不仲になってしまったようで、別居を始めたんです。そこから数ヶ月もしないうちに、一人暮らししていた父が、孤独死したという報告を受けて」

「部屋で倒れているところを発見された時には、もう手遅れでした。もともと父は実家の反対を押し切って、母との事実婚に踏み切った身です。父方の親族の不信感が強くて、お葬式に参列することすら、僕は許してもらえませんでした」

さらに追い打ちをかけたのが、母が自分名義で作った借金だ。
50万円のカードローンが2つ。

「母を責めても、『だってお金が足りなかったんだもん、ごめんね』と、子どものような無邪気さで返されるだけでした」

「腹は立ったけれど、母は自分の母に違いないし、子供の名義で借金を作ってもケロッとしていられる、その神経の図太さが逆に羨ましくもあったんです。だって僕は当時、周りの目が気になって、自分が性同一性障害であることすら受け入れることのできなかったんですから」

借金を返すために、卒業まで3ヶ月を前にして、専門学校を辞めた。

アルバイトを何個も掛け持ちし、必死に働いた。

「最終的にはハンバーガーショップのバイトに絞りました。気づいたら月約40万円を稼ぐくらい、働いていました。家には仮眠と着替えのためだけに帰る毎日で」

「母の借金を完済したら、今度は自分で事業を立ち上げたい、と思い、またバイトに精を出しました」

そうして専門学校を中退した2年後。

貯めたお金に、起業のために借り入れた資金を足して、中古外車を改造、ハンバーガーの移動販売を始めた。

ここから第2の人生をスタートさせるつもりだった。

「でも3ヶ月で廃業することになってしまったんです。運転中、僕が疲れからうっかり居眠りをしてしまい、赤信号に気づかなくて。先頭で信号待ちしている車に、背後から突っ込んでしまったんです」

「幸い、相手側は軽いムチウチで、命に関わるようなものではありませんでした。僕も怪我はなかったし。けれど、ぶつかった相手の車は走行不能に。こちらは走行はできるけど、ボンネットが大破してしまって」

「また借金だけが残り、目の前が真っ暗になりました」

07性別適合手術と戸籍変更にかけた思い

本当の自分に

専門学校を辞めて以降、身を削るように働いてきたため、車の事故をきっかけに生きる理由を失った。

「これじゃだめだと思うと同時に、これが本当にやりたかったことなの?とも思いました。でも何がやりたいのかも、分からない」

「こんな状態で借金しか残らないなら、もう死のうかな、と思いました。生きていても意味がないや、って」

人生のドン底を這うような気持ちのなかで、ある結論に思い当たった。

「結局、自分は女でいては駄目なんだ、と思いました。そこが間違っているから、うまく生きられないんだ、と」

「性別を変えよう。そこが自分のスタートラインだと思いました」

当時付き合っていた彼女も、自分の決断を後押ししてくれた。

「専門学校生のときも、ストレート女性と付き合っていました。男よりも男っぽく見える、僕のことを好きだと言ってくれて。3年間、交際しました」

「でも彼女は、僕と付き合っていることを周囲に知られたくなかったみたいで、いつもこそこそ逢瀬を重ねていました」

「その後、ハンバーガーショップで働いているときに付き合うことになった彼女は、僕との交際をオープンにしてくれました。何にも恥ずかしいことじゃない、って言いながら。だから僕も、性同一性障害の事実をだんだん受け入れられるようになったんです」

「性別を変えたいと彼女にも言いました。『じゃぁ一緒に病院に行こう』って返ってきたので、次の日、早速、診察を受けることにしたんです」

男として生きる

診断を経て、男性ホルモンを投与する治療が始まった。

事業の借金返済、日本での治療代、タイでの性別適合手術の代金を稼ぐため、またアルバイトに明け暮れる日々が続く。

「その方が経済的だからということで、彼女と同棲を始めました。彼女もカフェで正社員として働き始めたので、財布を一つにして、お互い頑張って必要なお金を貯めようということになりました」

しかしお互いに多忙すぎたのだろう。気持ちがすれ違い、別れの日が訪れた。

「共同の銀行口座の残高を見て、よしこれで手術ができる、とタイの病院の予約を入れたんです。それが別れることになって、きちんと彼女とお金を分けたら。結果、上半身分の手術代しか残らないことになって、急いで下半身分のキャンセルをしたら、こんな人は初めてだ、とアテンド会社に言われました(笑)」

23歳のときにタイで乳腺切除の手術を受け、帰国後にお金を貯め、24歳で再びバンコクへ。残っていた手術も受けた。

翌年、男性への戸籍変更も済ませ、男としての人生をスタートさせる。

08生まれ変わって、新たな自分を生きる

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250人にカミングアウト

件の彼女と別れた後、面白い体験があった。

見ず知らずのタクシー運転手と1年ほど、一緒に暮らすことになったのだ。

「彼女との同棲を解消したので、実家、母の家に転がり込むつもりでした。母もいいよ、というので、当日トラックで実家のアパートに行ったら、もぬけの殻で」

「母に電話したら『今、別の人と同棲してて』という答え。『じゃぁ、なんで実家に戻っていいって言ったの?』と問えば、『勢いで言っちゃった』とか言われて」

「母はいつもこんな感じです。自分の思うように生きている。普通は振り回されて腹が立つんでしょうが、どこか愛らしく、憎めないところがあって。天国の父も嫉妬するどころか、逆に母らしいな、と微笑んでいるんじゃないでしょうか」

結局、ナベさんという呼び名の母の知り合いのアパートに荷物を置かせてもらうことになった。一度目の手術を終えて帰国してからは、居候も。

再度、タイに向かう折には、選別まで渡してくれた。

「母の人脈のおかげで、不思議な体験をさせてもらいました。ナベさんが性同一性障害の治療を受けている僕を見て、なんとも思っていないふうだったので、世間に対するカミングアウトのハードルがどんどん下がっていきました」

もちろんそれより前に、母にはカミングアウトしていた。

「『よくわかんないけど、あんたの性別なんてどっちでもいいわよ』と言われました。母らしい答えで、思わずほくそ笑んでしまいました」

自分が男として社会生活を歩み出す前に、周りの友達にもカミングアウトしたいと思った。

「風貌も声音も変わったら驚かせてしまうから、きちんと伝えておきたかった。カミングアウトって、自分のためじゃなく、相手のためにすることだと思うんです」

「そのとき携帯のメモリに入っていた電話番号、250人に連絡して伝えました。カミングアウトしてくれてありがとうって泣く子もいて。ほとんどの人は、ありのままの僕を歓迎してくれて嬉しかったです」

事業の立ち上げ

タイや日本国内での性別適合手術をアテンドする会社を立ち上げたい、と思ったのには理由がある。

自分が治療を決意したとき、情報を得るための手段が皆無に等しかったからだ。

「タイでの性別適合手術後に、自分の体験をブログに公表したら、問い合わせが殺到したんです。多くの人が情報が得られなくて悩んでいる。現状を打破するために動かないと、と思ったんです」

2010年、男性に戸籍変更した年から、自らが利用したタイのアテンド会社で日本向きの営業担当としてキャリアをスタートさせる。

2010年に「G-pit net works」を創業。

性同一性障害で悩む人のトータルサポートをすべく、今も日本とタイを行き来する日々だ。

09初めての結婚、そして父になる

国籍を超えて

実は1年前まで、タイ人女性と結婚していた。出会いはバンコクの飲食店でのことだ。

「ウエイトレスで働いていた彼女に、一目惚れしたんです。以来、通い詰めました。で、告白して付き合えることになったんですが、実は彼女に子どもがいることが発覚して」

「けれども、それも障害に思わないくらい好きだったので、むしろ責任をとって結婚しよう、彼女の子供も含めて面倒をみよう、と決意しました」

彼女もこちらの事情に理解を示してくれた。

こうして国際結婚の運びとなり、今まで経験したことのない安らぎの日々が続くのだろう、と思っていた。

価値観の違い

しかし期待に胸を膨らませて始まった結婚生活は、3年で終止符を打つことになる。

原因は価値観の相違だ。

「アテンド業の仕事をしていると、どうしても1年の半分は日本での滞在になります。タイにいる間もお客さんと一緒ですから、帰宅が遅くなることもあって」

「日本人だと勤勉で立派に映ることも、前妻にはそう見えなかった。むしろ家庭をないがしろにする酷い夫に映ったんです。仕事に打ち込んで家を空ければ空けるほど、顔を合わせたら喧嘩ばかりになって」

「最後は仕事じゃなくて浮気しに行っているんじゃないか、とまで疑われるようになったんです。お互いを尊重できない関係ではやっていけない、と離婚に踏み切らざるを得ませんでした」

しかしそれでも、結婚生活は貴重な体験だった。

妻の連れ子は0歳児だったので、その子の3歳までの成長を見届けられたことは、何にも変えがたい喜びだった。

「まるで自分の子のように可愛がっていました。あの子が大きくなって何か困るようなことがあれば、助けてやりたい。今も親心が自分の中にあることが嬉しいんです」

10死ぬまでたくさん笑えるように

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いわれのない中傷

性同一性障害で悩む人のトータルサポートを柱に事業を始めて5年。

喜んでくれる人がたくさんいる反面、ネット上で思わぬ書き込みを目にすることもあり、悩むこともあった。

「事業を始める前に、自らのGID治療の経験をブログで発信したんですが、『おまえが出てきたら、せっかく俺は性同一性障害であることを隠して生きているのに、周囲に認識されてバレるだろ。だから表に出るな』ってコメントがたくさん入って。きっと僕の存在を知ることで、自分の性と向かい合わざるを得なくなり、辛いんだろうと思うんです」

「僕の事業がうまくいけばいくほど、性同一性障害という言葉がポピュラーになっていく。GIDを隠して生きている人にとっては、”己を隠して生きているのに、なぜわざわざ陽の目に浴びさせようとするのか” と憤っていたのかもしれません」

『死んで下さい』『この業界から消えて下さい』とSNSに書かれたこともある。

「性別適合手術のアテンドを事業化することへの反発からくるコメントなのかな、と思いました。GID当事者の悩みに漬け込んで商売することが許せない、なんて書き込みもありました」

「でも僕は、1人でも多くの性同一性障害の方が幸せになるようにと思っているだけなんです。ネット上で中傷する人の気持ちも受け止めたうえで、それでも誰かが情報発信したり、必要な人がより性別適合手術が受けやすくなるように、僕が頑張らないといけないと思ったんです」

自分がやっていることは間違ってはいない。
そう信じている。

LGBTを笑顔に

「一人でも多くのLGBTが自分らしく生きるためには、やはりその存在を知ってもらう必要があります。性別適合手術も、内科や外科の手術と同じくらい、治療の選択肢として考えやすいものになって欲しいんです」

かといって、性同一性障害の人には、必ず性別適合手術が必要とは考えていない。

「アテンドの無料相談をおこなうとき、まず初めに性別適合手術が必ずしも幸せな結果をもたらすとは限らない、ということから説明するようにしています。やはり人それぞれだからです」

「それに僕の理想は、性別適合手術も、ましてやカミングアウトすら必要のない社会なんです。それが実現できたら、多くのLGBTがありのままに、笑顔でいられると思うから」

今、LGBTが自分らしく働ける場所を作ろうと、長野と茨城で米作りを行うプロジェクト「おか米」作りにも力を入れている。

無料カウンセリングをおこなうなかで、LGBTの人たちが自分らしさをさらして働ける場所があまり存在しない、と気づいたからだ。

「少しでもたくさんの人が幸せに生きられるように、そのちょっとしたきっかけを作ることができたら。そう考えて、僕は今、必死に働いています」

LGBTの認知だけに止まらず、より自分らしく働ける場所を提供すること。ダイバーシティが叫ばれるなか、井上さんの活動は社会に一石を投じるに違いない。

あとがき
「カミングアウトの時、伝えられる人の気持ちを波立たせたくなかった」。ネットに上がっている健斗さん情報よりも、ずっと繊細な表情。行動の始まりに気に掛けること。それは、かかわる人の「心地」だった■心配性で前向きな人。人を寄せる魅力、たまにのぞかせる孤独感・・・・・・健斗さんを表現する言葉は尽きない■夢を実現させるほど、つよく吹く風がある。でも、「失敗を恐れていたら、世界は広がらない」。そんなメッセージを感じた。優しく諭されたようで、ス―ッとした。(編集部)