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ゲイであることも、統合失調症であることも、自分の側面の一つ。【後編】

ゲイであることも、統合失調症であることも、自分の側面の一つ。【前編】はこちら

2017/12/01/Fri
Photo : Yu Jito Text : Ryosuke Aritake
藤原 健太 / Kenta Fujihara

1983年、三重県生まれ。幼少期から、成人男性に憧れに近い感情を抱く。高校時代から男性に好意を抱き始め、大学1年の時に自身がゲイであることを認識。高校2年時にうつ病、大学4年時に統合失調症と診断される。大学卒業後、就職を機に京都で一人暮らしを開始。7年間で7つの仕事を経験した後、三重の実家に戻り、現在は障がい者就労継続支援A型事業所で働いている。

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INDEX
01 自分を変えてくれた今の環境
02 居心地がよかった家族の存在
03 仲間に歩み寄れない自分
04 徐々に意識していったゲイであること
05 初めての交際と初めての入院
==================(後編)========================
06 自分自身の性質を伝える意味
07 初めて打ち明けた男性への好意
08 決意のカミングアウト
09 人との交わりの中で抱いた目標
10 ようやく歩き始めた自分の道

06自分自身の性質を伝える意味

精神疾患だと伝えること

自分自身は、統合失調症であることを隠したいとは思っていない。

しかし、両親のことを考えると、無闇に話していいことだとも思えない。

「僕だけの問題ならいいんですけど、家族にも影響することだから」

「実は、弟もうつ状態と躁状態を繰り返す双極性感情障害と診断されているんです」

「弟は躁状態になりやすくて、言葉遣いがきつくなるんですよ」

近所には知っている人もいるだろう。

しかし、自ら広めていくことが正しいのか、判断できなかった。

実情を知ってもらうこと

お笑いコンビの松本ハウスが三重県で開いた講演を、見に行ったことがある。

講演のテーマは、ハウス加賀谷が抱えている統合失調症だった。

「話を聞いていて、ハウス加賀谷さんのことを、相方の松本キックさんがすごく理解していると感じたんです」

「人生においても相方というか、自然体で支えてくれる人なんだろうなって」

「松本キックさんみたいな人がいたらいいな、って思ったんです」

松本ハウスの話に感動した自分は、質問コーナーで手を挙げていた。

指名され、「僕も当事者なんです」と話し始めていた。

「会場にいる人には知られてもいいや、って思ったんです」

「この講演を聞いてから、考え方が変わった気がしています」

統合失調症に関しても、セクシュアリティに関しても、人に理解されていくことを願った。

「人ってイメージで判断しちゃうところがあると思うし、僕もそういう部分はあります」

「未知のものって怖いから、どうしても印象で捉えてしまいますよね」

「でも、実情を知る機会を増やして、イメージで判断することを減らしていけたら、何かが変わるのかなって思うんです」

「だから、LGBTERでも話をしたいと思いました」

今はそう思えているが、社会に出た頃は、隠したい気持ちと打ち明けたい気持ちのバランスが取れていなかった。

07初めて打ち明けた男性への好意

初めてのカミングアウト

京都で働き始めて5~6年が経った頃、当時の職場の先輩に恋をした。

「年下の先輩で、ひょろひょろしていて、タイプではなかったんです」

「でも、仕事が丁寧で、人柄も良くて、いつの間にか好きになっていました」

「先輩に対しては、ゲイであることを隠したい気持ちより、自分を知ってほしい気持ちが勝ったんです」

告白するため、仕事終わりに「話があるんで、ご飯一緒に行きませんか?」と聞いた。

先輩が誘いに乗ってくれて、二人で回転ずしの店に行った。

「先輩から『大事な話って何ですか?』って、何度も聞かれたんです」

「でも、他のお客さんも多くて、『ここでは言えません』って引き延ばしました(苦笑)」

食べ終わってから、近くの公園に移動した。

何度も言おうと試みたが、なかなか言葉が出てこなかった。

「先輩には彼女がいたし、関係が壊れることが嫌だ、と思ってしまったんです」

意を決し、「誰にも言いませんか?」と念を押して、気持ちを伝えた。

「先輩に彼女がいることは知ってますけど、実は僕はゲイで、先輩のことが好きです」

拒絶されることを覚悟していた。

しかし、先輩から返ってきた言葉は意外なものだった。

「藤原さんとはご飯を食べに行ったり、いままで通りの付き合いしかできませんけど、いいですか?」

思いの暴走が生んだ別れ

恋は実らなかったが、拒絶されなかった。

初めてのカミングアウトは、想像していなかった結末を迎えた。

告白した後も、先輩は変わらずに友だちとして接してくれた。

鴨川の河原で、仕事の愚痴や将来の話をする時間が楽しかった。

「ただ、否定されなかったことがうれしくて、好きって気持ちがあふれてしまったんです」

「二人で会う時には、僕から『手つなぎましょうよ』とか言っていたんですよね(苦笑)」

とうとう先輩から、「飯も誘わないでくれ」と言われた。

「・・・・・・何とも思っていない友だちから、何度も『好き』って言われたら、しんどいですよね」

当時の職場は一人で仕事を任されることが多く、風邪をひいている時に出勤しなければならないこともあった。

「仕事の辛さと先輩とのことで、ここにはいられない、って思って休みをもらいました」

そのまま休み続け、結局その仕事は辞めることになった。

「仕事を辞めて、先輩の連絡先も消しました」

08決意のカミングアウト

予想外の弟のリアクション

先輩との関係が終わり、仕事を辞めた時、実家に帰省した。

家族にカミングアウトするのは、今のタイミングだと思った。

夕食の後、両親と弟が揃っている時に「話を聞いてくれないかな」と声をかけた。

「家族全員の前で、ゲイだって告げたんです」

「弟からは、『知ってたよ』と言われました」

当時、日常をブログに綴っていた。

そこに「職場の人を好きになった」と書いていた。

そのブログを弟が読んでいて、「今の職場って男の人しかいなかったよな?」と思ったという。

「弟にブログを読まれていたことも知らなかったので、驚きました(笑)」

「母親は『いつからそう思ってたの?』と聞いてくれたんですけど、父親は何も言わなかったです」

受け止めきれなかった父の言葉

カミングアウトした翌日、父と2人でドライブに出かけた。

「車の中で『昨日言ったこと、理解できた?』って聞いたんです」

「父親には、『健太はアブノーマルな状態だから、治療しなさい』って言われました」

「伝えたらわかってもらえると思っていたので、その言葉がショックでした」

感情に任せて「ここで下ろして!」と、強い口調で言い返してしまった。

翌日、京都に戻ることを決めた。

家を出る時、母から「病気のこともわかってるのに、父さんがあんなこと言ってごめんね」と言われた。

「この時、一番悲しかったのは母親だったなって、今は感じています」

高校2年でうつ病と診断された時、初めて母の涙を見た。

もう母の涙は見たくないと思っていたのに、再び母を悲しませてしまった。

「今だったら、父親の言葉を受け止めた上で、自分のことを説明できると思います」

「カミングアウトから4年くらい経つけど、今は父親との関係も良好ですよ」

「わかっているのかいないのか?? たまに『健太はこの家の跡取りだからな』って言われますけど(苦笑)」

人と交流する楽しさ

京都に戻ってから、知り合いのレズビアン女性が営むレストランを訪れた。

「父親に言われたことを話していた流れで、大阪でHIV予防を啓発している団体を紹介してもらったんです」

「さっそく次の日に訪ねたんですけど、その時に初めて自分以外のゲイの人と出会ったんです」

ゲイだと自認してから10年以上経って、初めて当事者と知り合った。

それまでは、ゲイ同士のコミュニティが形成されていることも知らなかった。

「先輩に告白するまでは、積極的に人と関わろうとは考えていなかったです」

「でも、先輩に恋をして、交流する楽しさや温もりを知った以上、また経験したくなるんですよね」

そのタイミングで当事者の知り合いが増え、世界が広がった気がした。

「病気のこともセクシュアリティのことも言いたくなかったのは、人を信じていなかったからだと思います」

「相手を信じるようになったことで、返ってくるものも大きかったです」

先輩や家族にカミングアウトしたことで、受けたショックもあった。

しかし、カミングアウトが、人とのつながりを感じるきっかけにもなった。

09人との交わりの中で抱いた目標

子どもが好きという気持ち

最近、新たな目標ができた。

「保育士になりたいと思っているんです」

2017年夏、父方の祖母が94歳で亡くなった。

葬儀で親戚一同が集まった時に、初めて従兄弟の子どもと遊んだ。

「その子が、すごく懐いてくれたんですよ」

「『遊ぼうよ』って言ってくれて、嬉しかったです」

同じ時期に、高校の部活仲間と会う機会があった。

同級生が連れてきた子どもと、初対面ながら楽しい時間が過ごせた。

その経験から、保育士としての将来を考え始めた。

「子どもが好きなだけでは務まらないと思うけど、楽しいと思える気持ちは必要だと思うんです」

職場の上司や就労相談支援員に話すと、「保育士として働くかどうかは別として、資格はとったら」と言ってくれた。

四年制の大学を出ているため、資格取得のための試験はすぐに受けられる。

しかし、保育士としての知識もスキルも伴っていないため、しっかり学びたいと考えている。

心から楽しめている今

保育士を目指す過程で、幼い頃の習い事が役立ちそうだ。

「ピアノは少し弾けて楽譜も読めるし、書道をやっていたから、人が読める字も書けます」

「土台ができているから、ゼロから始めるよりスムーズだと思うんです」

「保育士になるためにいろんな習い事に通っていたのかな、っていい方向に解釈しています」

始めたばかりのボクシングも、新たな目標のために欠かせない。

「子どもたちと全力で遊ぶには、体力がいると思うので、ボクシングもすごくいいと思って」

「今は、大抵のことが楽しく感じられているんですよね」

「躁状態に入っているわけではなくて、冷静に楽しめていることがわかるんです」

ボクシングが起爆剤となり、さまざまなことに積極的になれている自分がいる。

病気もセクシュアリティも、隠していても仕方ないと吹っ切れた。

「いままでは周りに嫌われないようにいい子でいよう、って考えていました」

「でも、今はほぼ本音で話せています」

10ようやく歩き始めた自分の道

「辛い時は辛い顔をしていい」

「今回、自分の過去を話しながら整理することで、わかったことがありました」

「ずっと、自分がゲイであることを気にして殻に閉じこもって、悩んできたと思っていたんです」

「だけど実際は、セクシュアリティ以前に、人との距離の取り方がわからなくて閉じこもっていたんだなって」

幼い頃から、「近すぎるから、もうちょっと離れて」と言われることが多かった。

距離の測り方がわからず、パーソナルスぺースに踏み込んでしまっていた。

一方で、人に嫌われないように、無理をしている部分もあった。

人と話しを合わせて、目立つようなことはせず、 “いい子” として過ごしてきた。

「無理に自分を良く見せようと思う必要はないんだって、この歳になってやっとわかりました」

就労相談支援員から、「辛い時は辛い顔をしていいし、嫌な時は嫌な顔をしていい」と言われたことがあった。

「そのひと言で、自分の気持ちに正直になろう、って思えたんです」

今は、無理やり友だちを作ろうとは思っていない。

「敵を作ろうってことではなくて、仲良くなりたい人と仲良くなればいいんですよね」

自分の気持ちを信じること

ゲイであること、統合失調症であることは、自分の一つの側面でしかない。

「僕もたまにゲイであることを意識しすぎて、一面しか見えなくなることもあります」

「でも、いろんな側面が重なって、自分として受け止められたら、もっと生きやすくなるのかなって思うんです」

ゲイだと自認しているが、それがすべてではないと感じ始めている。

「多分、僕は男女問わず、人が好きなんだと思うんです」

「女の人に性的な欲求は抱かないけど、女の人が嫌いなわけじゃない」

「人が好き、って気持ちも思い込みかもしれないけど、思い込まないと始まらないじゃないですか」

「何か一つでも信じるものがないと始まらないので、僕は人が好きなんだと信じています」

生きていれば、いくらでも進む道は修正できる。

それなら、まずは自分の選んだ道を信じたい。

僕は今、ようやく歩き始めたところだ。

あとがき
歩いてきたこれまでを丁寧にたどってくれた健太さん。“あの日” の気持ちを鮮明に。健太さんの話しには、誰かへの感謝と反省のようなものが必ず添えられる。それはとても温かい。時間を共にした人の記憶の中でも、同じ温度で刻まれているように思えた■息が切れたらひと休み。休憩中に見た空のこととか、雨粒のこととか、話したい。変化のタイミングになったら、行き先はどこでも「行ってらっしゃい」と見送って、「お帰りなさい」と迎えよう。(編集部)

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