INTERVIEW

ゴールはここじゃない これからを生きるために【前編】

ズッシリと重そうなリュックを背負ってきた山﨑健吾さん。聞けばジムで筋トレをしたのちに、ここへやってきたのだという。「身長はどうやっても伸びないけど、筋トレはやったぶんだけ体を変えられるから」と、胸を張って見せてくれた。自分の体と向き合い、その変化や成長を楽しんでいるのが伝わってくる。しかし、二十歳までは自分自身に向き合うことができず、殻に閉じこもっていたことを山﨑さんは告白してくれた。では、どのように、今に辿り着いたのだろう。

2015/10/13/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
山﨑 健吾 / Kengo Yamazaki

1988年、東京都生まれ。高校卒業後に印刷会社で働いた後、数度の転職を経て、現在は障碍者のための就労移行支援事業に従事。18歳で性同一性障害の治療のためのカウンセリングを受け、のちにホルモン治療を開始。その後、性別適合手術を受け、23歳で戸籍変更を果たす。KNG名義での音楽活動にも力を入れており、2014年には子どもを授かることができない複雑な想いを込めた曲『幻』を発表した。

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INDEX
01 レゴとシルバニアファミリー
02 レズビアンではなくトランスジェンダー
03 心の支えは、睡眠薬と“自殺ノート”
04 20までに注射、30までに戸籍変更を
05 男として会社で働くということ
==================(後編)========================
06 解雇の理由は“性同一性障害だから”
07 彼女との結婚までの距離
08 等身大の想いをリリックに込めて
09 今を“消したい過去”にしないように
10 人とつながって、広がっていく未来

01レゴとシルバニアファミリー

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男の子と女の子、それぞれの遊び

男の子はミニカーやブロック遊び、女の子は人形遊びやお絵描き。明確な区分はないが、男の子用と女の子用、遊びにもどちらのためのものなのかというイメージはある。

消防車を作ったり、宇宙ステーションを作ったりするレゴブロックは、男の子の遊び。愛らしいウサギやクマの人形でままごとをするシルバニアファミリーは、女の子の遊び。ぼんやりと、そんなイメージがあるだろう。

山﨑さんは、そんなふたつの遊びを一緒に楽しむ子どもだった。

「レゴで救急車を作って、担架で運ばれるのがシルバニアファミリーのクマだったり。ヒーローものやロボットものが好きだけど、ぬいぐるみも好きでした」

押し付けられた女の子の型

しかし、小さな子どもであれば女の子が男の子の遊びを好んだとしても、自身も周りも違和感などは感じないはずだ。性差が生じ始めるのは、やはり学校に通うようになってからだ。スカートとパンツ、“くん”と“さん”、赤いランドセルと黒いランドセル。子どもたちは無理矢理にどちらかに当てはめられてしまう。

「スカートをはくのが嫌だったし、ブルマも水着も嫌だった。高学年にもなると、女の子に対して友情ではない感情が芽生え始めて、余計に自分が女の子の型にはめられることに抵抗がありました。6年生になったら、女性用の下着を身につけるのすら嫌で、夏場は、暑いからという理由でトランクスをはいていました」

徐々に芽生え始める恋心。そして、周囲の女の子が男の子に興味をもつのに、自分は女の子が好きなのは何故、そんな違和感も同時に湧いてきた。

そんなとき、お父さんが家族共用のパソコンを購入した。早速、自分のこの違和感の理由を検索してみる。そして行き着いたのは“同性愛”という言葉だった。

「性自認が女性で、女性が好き。だから僕は同性愛者なんだと。そのときは、そう思っていました。でも、掲示板やチャットで、他のレズビアンの方と話すなかで、アレ、なんか違うなと感じたんです。でも、違和感が残る理由はわかりませんでした」

02レズビアンではなくトランスジェンダー

男子に対する劣等感

中学校入学。思春期ど真ん中。しかし、だからこそ、残り続ける違和感は膨らんでいく。女子と遊ぶことにも違和感が生じ、男子と一緒にいることにも違和感があった。どちらにも入ることができない。そんな状態だった。

「今思うと、男子に対して劣等感というか……引け目を感じていたのかもしれません。なるべく関わらないようにしていたんです」

そして、中学では違和感を膨らませる要素として、制服があった。丸襟シャツにリボン、ブレザー、スカート。フェミニンな丸襟が嫌で、角衿シャツを着たこともあった。

ちょうどそのころ、テレビドラマ『3年B組金八先生』で性同一性障害をテーマにした回が放送された。上戸彩演じる鶴本直が、自分がトランスジェンダーであることに悩むが、クラスのみんなに支えられ、新しい人生に向けて歩み始めるというものだ。

「観たときは、自分はコレじゃないって思いました。鶴本直は、あまりにも深い苦悩を抱えていたので、自分の感覚とは違うなって。でも、どうやら自分はレズビアンではないなっていうことにも気付いていて。今度は、トランスジェンダーというよりも、自分は男装を好むトランスベスタイトなんだということで落ち着いたんです。そこからレズビアンではなく“トランス”なんだという意識を持ち始めました」

トランスジェンダーとして目指す方向

あるとき、ネットで知り合ったトランスジェンダーの人たちと会う機会があった。様々な話をするなかで、やはり自分はトランスジェンダーなのだと納得することができた。

レズビアン、トレンスベスタイト、トランスジェンダー、ネットで自分に当てはまる言葉を探して右往左往していた中学生時代。ようやく、答えが見つかったという感覚だった。

「自分はトランスジェンダーであると理解すると同時に、自分の目指す方向が見えたのでスッキリしました。男として生きていくために何をすべきなのか。僕の場合は、カウンセリング、注射、手術という流れが見えたので」

自分が何者かを理解したことで、ようやく周囲と自分との違和感は消えつつあった。しかし、自分の心と身体との違和感は、まだ消えないままだった。

03心の支えは、睡眠薬と“自殺ノート”

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ひとりぼっちの学生生活

男性に対する、ぬぐいようのない劣等感。高校は女子校を選んだ理由も、それだった。女子校であれば、自分は女性とは違うという意識をもっていれば自我を保てる。しかし、男性がいると、どうにもいたたまれなくなってしまうのだ。

「いつもひとりでいました。特にいじめられているわけではなかったんですけど。話しかけられたら普通に話すけれども昼飯はひとりで食う、みたいな。友だちと呼べる人もあんまりいませんでした」

誰にも話せない想いを抱えながら過ごす毎日。その想いを受け止めたのは“自殺ノート”だった。生きるのが辛いから、いっそ死にたい。そんな気分になるほど落ち込んだときに書く、日記のようなものだ。

「中学生2年生から高校1年生くらいまで書いてましたね。あとは、ネットで睡眠薬と安定剤を買ってみたりして。本気で死ぬ気はなかったので、大量に飲んだりはしませんでしたが、効果の強いものを飲んで寝て、翌朝遅刻してしまうことや、学校で安定剤を飲みすぎて、どうやって帰ってきたのか覚えていないことがありました。“自殺ノート”を書いて、薬を飲んでいれば、心が落ち着くような感覚があったんです」

孤独な自分を殺す疑似体験

女性のカテゴリーに入れられていながらも、彼女らと同じように生きることはできず。男性のカテゴリーに入るべきだと思いながらも、社会的な区分に加え、自ら抱く様々なコンプレックスから入っていくことはできない。

どこにも入れない孤独。誰にも話せない孤独。

山﨑さんは、“自殺ノート”を書くことで、大量の睡眠薬を所有することで、孤独な自分を消そうとしていたのかもしれない。今の自分を否定することで、新しい自分を生み出せると信じていたのかもしれない。

しかしやがて、“自殺ノート”を手放すことができた。同じくトランスジェンダーの人と会うことができ、想いを共有することができたから。

そして、高校で始めた軽音楽部では、メンバーにカミングアウトすることもできた。ようやく、自分らしくなれる場所が見つかったのだ。

04 20までに注射、30までに戸籍変更を

家族へのカミングアウト

トランスジェンダー同士で情報交換をするなかで、山﨑さんのなかで治療に向けての道筋がハッキリと浮かびあがってきた。カウンセリングを受けるには、親の承諾が要る。そこで、高校2年生のときに家族へのカミングアウトを決意した。

「まずは、母に伝えました。伝えたいことを手紙に綴って、それを読み上げるかたちで。僕は3人兄弟の末っ子だし、母親とはMr.Childrenのライブへ一緒に行くくらい仲がよかったので、そのぶんショックだったらしく、『わかるけど、わからない』と言われてしまって……。それでも、どうしてもカウンセリングを受けさせてほしいと伝えました。母も、僕が言っても聞かない性格だとわかっていたので、半ば諦めたようなかたちで承諾してくれました」

お兄さんは「そんなもんだと思ってたよ」と軽く受け入れてくれたが、お姉さんはわかったともわからないとも言ってくれなかった。お母さんとお姉さんは、かわいがっていたからこそ、受け入れるのには抵抗があったのかもしれない。

男になるための人生設計

それでも、山﨑さんには明確な計画があった。そのためのカミングアウトだった。

「18歳でカウンセリングを始めて、20までに注射して、23までにオペをして、30までに戸籍を変えようって決めたんです。結局は、もっと前倒しになっちゃったんですけどね。実際にカウンセリングがスタートして、セカンドオピニオンの前に、母親にもクリニックに来てもらいました。このまま治療を進めていいのかという医師の質問に、母親は『本人が望むのであれば』と答えてくれました。受け入れざるを得なかったのかもしれませんね……明らかな反対はありませんでした」

そして、お父さんには手紙を渡した。翌日返ってきた手紙には「どうなっても、お前であることには変わりがない」と書いてあった。

「そのときは感動したんですが、結果的に両親は離婚しちゃって。もともと、家にはあまり帰ってこない人だったし、本心ではどう思っているのかはわからないのですが、僕のことを想って、そんな返事をくれたのかなと」

家族全員に想いを伝え、男として生きるための道筋を、山﨑さんは辿り始めた。

05男として会社で働くということ

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トランスジェンダーと履歴書

高校を卒業し、ホルモン治療を開始すると同時にフルタイムで働き始めた。大学進学という選択肢は山﨑さんの頭のなかにはなかった。高校からそのまま女子大に上がることも、男性のいる共学の大学に入ることも、考えられなかった。

会社に入っても男性はいるが、働くことで収入が得られれば、押し寄せる劣等感にも耐えられると思ったのだ。

しかし、仕事探しにも困難があった。まだホルモン注射の回数は少なく、身体は女性のままだが男性の格好をしている。名前は変えたが、戸籍は変わっていない。

履歴書には、どう書けばいいのか?

男性として生きようと決めたが、女性として生きてきた過去がバレたら就職できないかもしれない。そんな気持ちから、履歴書には女子校と分かる母校の名前を書かなかった。

そして面接のとき、不運にも履歴書にある高校名にツッコミが入った。

「この高校には、どういう経路で通っていたの? と聞かれて答えられなかったんです。そしたら履歴を詐称しているんじゃないかと怪しまれてしまって。そこで、自分は性同一性障害で、現在治療中であることを正直に話したんです」

バレた。就職できないと思った。

しかし、面接で語られた事実はその場に居合わせた社長、専務、部長だけに留めた状態で、その印刷会社で働くことが決まったのだ。

男として働く毎日が始まった。

スキンシップでハラハラ

「男性の多い職場で、男として働くのは、思っていた以上に大変でした。もともと身体は小さいほうでしたし、『ヤマちゃん、すごい細いよね、本当に男なの?』なんて聞かれることもありました。そのたびに『え、なんですかソレ? ゲイってことですか?』なんてトボけてました。そのころはまだオペもしていなかったので、膨らみを抑えるシャツを着ていたとはいえ、胸もありましたし、身体を触られることが怖かったですね」

職場での男性同士のスキンシップは思っていたより激しかった。ミスをしてしまったときには、冗談半分に「しっかりしろよ」と股間を掴まれることもあった。

「股間に擬似的なものを仕込んでいたのでバレなかったんですが、常にハラハラしていました。相手は、そんなつもりはないんですが。職場では、ちゃんと男として扱ってもらっていたんだと思います」

性同一性障害に対する会社役員の理解もあり、現場の環境も悪くなかった。しかし、退職を決めた。いよいよ性別適合手術を受けることを決心したのだ。

後編INDEX
06 解雇の理由は“性同一性障害だから”
07 彼女との結婚までの距離
08 等身大の想いをリリックに込めて
09 今を“消したい過去”にしないように
10 人とつながって、広がっていく未来