INTERVIEW
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最期を迎える時、「めっちゃいい人生だった!」って思いたいから。【前編】

待ち合わせ場所に、大きく手を振りながら現れた松江研さん。ハツラツとしていて、こんがりと焼けた肌が似合う松江さんは、幼少期をアメリカで過ごした帰国子女。幼い頃からオープンマインドかと思いきや、心を閉ざしていた時期もあるという。「今はハッピーに過ごせてる」と言えるのは、ひょんなことから、ありのままの自分をさらけ出す勇気を持てたから。

2019/10/16/Wed
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Ryosuke Aritake
松江 研 / Ken Matsue

1983年、神奈川県生まれ。父、母、姉との4人家族で育ち、6歳の時、アメリカに移住。現地の学校で過ごし、中学校に上がるタイミングで帰国。思春期の頃から、自身の恋愛傾向に違和感を覚え、社会人になってからゲイであることを自認。現在は外資系企業に勤めながら、経営大学院に通い、ビジネススキルを高めるとともに、東京レインボープライドの運営などにも携わる。

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INDEX
01 幼いながらに抱いたマイノリティ意識
02 許されなかった “自己主張”
03 偽りの自分と出会えない運命の人
04 自分の意見を主張できる国
05 ようやく見つけた「恋愛ができない理由」
==================(後編)========================
06 ゲイの自分が初めて抱いた恋愛感情
07 人にウソをつき続ける人生
08 カミングアウトで再認識した “幸福”
09 知ってほしいのは、僕らがいるという事実
10 「自己肯定感」が「愛」を育む

01幼いながらに抱いたマイノリティ意識

自由奔放な両親

神奈川県藤沢市に生まれ、小学校1年生の6月に、家族でアメリカに渡った。

日本文化を研究していた父が、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で、教鞭をとることになったのだ。

「両親はめちゃめちゃ自由で、好きなことをやってる感じの人たちです(笑)」

父は「和菓子を勉強したい」と、1カ月間、和菓子店に修行に出向いたことがある人。

「幼い頃から、やりたいことをやってるな、って印象(笑)」

母は、アメリカで突然「子どもたちに習字を教える」と、一念発起。

「母は英語が話せなかったんですけど、周りの家にチラシを配って、始めてましたね」

「結構ぶっ飛んでますよね(笑)」

両親から「勉強しなさい」と、厳しく言われるようなことは、一切なかった。

「子どもにはやりたいことをやってほしい、って意識があったみたいです」

あだ名は「ライスボール」

移住先のサンタバーバラは、アメリカの中でも特にアジア人が少ない地域。

「父は英語ができたんですけど、母も姉も僕も英語ができなくて、最初は戸惑いました」

「でも両親は、日本語で授業をする補習校ではなく、現地の学校に姉と僕を通わせたんです」

教師が話す英語は理解できず、隣の席の子が教科書をめくったら、自分も真似してめくるだけ。

ランチタイム。クラスメイトのお弁当はサンドイッチだが、自分は母が握ってくれたおにぎり。

「いつしか、『ライスボール』ってあだ名で呼ばれるようになりました」

「『何食べてんの?』って、ちょっとバカにする感じで言われて、すごく嫌でしたね」

日本から持っていっていた『ゲゲゲの鬼太郎』の人形も、現地の子には受け入れられなかった。

「毎日、1歳上の姉と『ドラえもん』を見ながら、『日本に帰りたい』って言ってました・・・・・・」

当たり前になっていく日常

子どもの順応性は高いもので、渡米して3カ月も経つと、英語が理解できるようになる。

「環境にもだんだん慣れてきて、『Hey, I’m riceball』とか、言えるようになりました(笑)」

「それに子ども同士だから、一緒に遊べば、言葉が通じなくても仲良くなれましたね」

仲良くなった子が宿題を教えてくれたり、「これは日本語でなんて言うの?」と聞いてくれたり、自然と人間関係が構築されていく。

「姉と一緒に、テニスとフィギュアスケートを習ってました」

「野球もやったんですけど、スライディングとかでドロドロになるのが嫌で、3日で辞めたんです(笑)」

「その時は自覚してなかったけど、割と女子っぽいところがあったのかな」

時間が経つと、アメリカでの生活は日常になっていく。

しかし、心の片隅には、ほんの少しのマイノリティ感を覚える。

「自分は日本人だけど、外国で英語を話してる。でも、見た目は周りの白人の子たちと違うから、自分って何者なんだろう、って感じてましたね」

02許されなかった “自己主張”

魔の3年間

小学校を卒業するタイミングで、父の仕事の任期が終了。

姉だけがアメリカに残り、家族3人で日本に戻ることに。

「その頃の僕は、『俺の話を聞け!』みたいなタイプだったんですよ」

「アメリカでは、自分の意見を主張することが良しとされてたんです」

教師や友だちに、「何も言わないと、研がいる意味がないんだよ」と、教えられてきた。

「でも、日本は “調和” を重んじる文化だから、帰国後、学校で自分は浮いてましたね」

積極的な自分は、教師から好かれるタイプだったが、クラスメイトからは「あいつ調子に乗ってる」と、煙たがれる。

「それがきっかけでいじめられるようになって、中学時代は魔の3年間でした」

時に上履きを隠され、時に教科書を汚された。

「親には言えなかったです。せっかく日本に帰ってきたのに、心配かけたくなかったから」

その反面、被害者意識も持っていたように思う。

「いじめにあってるのは、海外に連れていったり日本に戻ったり、両親が僕を振り回すせいだ、みたいに思ったこともありました」

屋上から見えた景色

いじめが続くと、徐々に自分自身を抑えるようになっていく。

「最初は言い返すこともあったけど、だんだん洗脳みたいになっていくんですよ」

「自分がいけないからいじめられるんじゃないか、みたいに考えるようになりました」

中学3年になると、生きていたくない、と思うようになってしまう。

「夏休みに、15階建てのビルの屋上に上がって、フェンスを乗り越えたことがあるんです」

屋上から下を見ると、人は簡単に死ねることを実感した。

「その時に、もうちょっと戦って、それでもダメだったらここに帰ってきたらいいや、って思ったんです」

「今死んだら、たくさん愛情を注いでくれた両親に申し訳ない、って気持ちも湧きました」

「あと数カ月もすれば高校生になれるし、頑張ってみよう、って吹っ切れましたね」

自分を知り、相手を知る

「今だから思うことだけど、中学生の3年間があって良かった」

「あの時期があったから、強くなれたし、人の気持ちがわかるようになったんだと思います」

「それに、自分の好きなこととか嫌いなこと、やりたいことを理解できました」

中学校の3年間、ほとんど人と関わらなかったからこそ、自分と向き合う時間が持てた。

自分が何者なのか、自分は何が好きか、じっくりと内省する日々。

「自分自身を知ると、人との向き合い方も変わりました」

「なんでこの子たちはいじめをするんだろう、って分析できるようになったんです」

自分を主張するだけでなく、相手を理解し、順応することも大切だと知る。

「アメリカで良しとされていたことも、そのまま違う文化に持ってくるだけでは、ダメなんだなって」

03偽りの自分と出会えない運命の人

仮面をかぶった生活

高校は、選択科目が多く、第二外国語の授業を取れる公立校に進んだ。

「オープンな校風で制服がなくて、帰国子女の多い学校だったんです。アメリカっぽいところに行きたい、って気持ちがあったんですよね」

「入学する時点で、演じるというか、自分を作ってたところがあります」

中学3年で、客観的にいじめを分析した時、明るくて面白く、勉強もスポーツもできる子が人気者だということに気づく。

「そのポジションを確立すればいいんだ! と思って、明るく面白く振る舞いました」

仲良くしてくれる子は増え、クラスの中心的なポジションに立つことができた。

「でも、本当の自分を出せる相手は、なかなかいなかったです」

「中学でいじめられてた」と言ってしまえば、またいじめられるのではないか、と不安だった。

「『悩みとかないでしょ?』って言われて、『な~い』って答えるけど、家に帰って落ち込んだり(苦笑)」

仮面をかぶって生きているような感覚で、中学時代とは違う葛藤に襲われる。

楽しくない恋愛

高校生になると、友だちに恋人ができ始める。

周囲は「好きな人と出会うと人生バラ色で、何をしても楽しいよ」と、浮足立っていく。

「高校1年で、みんなと同じように女の子とつき合ったんです」

「すごくかわいい子で、好きだと思ったから、自分から告白したんですよ」

「でも、いざつき合い始めるとつまんなくて、全然バラ色じゃなかった(苦笑)」

周りの男の子は「手をつないだ」「神社の裏でチューした」と、盛り上がっている。

しかし、自分は、彼女に触れたいとも、キスをしたいとも思わない。

「手をつないでもドキドキしなくて、むしろ手汗の方が気になっちゃう」

「なんかちょっと違う」という曖昧な理由で、彼女に別れを告げた。

「高校1年から社会人になるまで、いろんな女の子とつき合ったんですよ」

「でも、どの恋愛も楽しくなくて、まだ運命の人に出会ってないんだ、って思ってました」

高校3年での初体験も、まったく興奮しなかった。

「彼女を前にしてもなんとも思わないし、体も反応しなくて(苦笑)」

「当時は、中学の辛かった経験のせいで、人を好きになれなくなってるんじゃないか、って考えてました」

自分は恋愛感情が欠落しているんだ、と結論づけた。

埋もれていた本当の気持ち

高校で所属したテニス部には、男性の先輩がいた。

「めっちゃかっこいい人で、その先輩と話すとドキドキしたんですよ」

「女の子よりその先輩に好かれたい、って気持ちは強かった気がします」

先輩が、夢に出てきたこともある。

「まさか男性を好きになるなんて思ってないから、自分では憧れと捉えてました」

アダルトビデオを見ると、女性より男性を見ているような感覚もあった。

「女の子が1人で出てる作品より、男女ものの方が興奮したんですよ。でも、自分が男性を見て興奮してるとは、思ってもみなかったです」

04自分の意見を主張できる国

再びのアメリカ

高校3年の9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起きる。

「世の中はなんでこんなに荒んでるんだろう、と思って、国際学に興味を持ちました」

国際学部のある大学を目指し、見事合格。

「カリフォルニア大学と提携している学校で、アメリカで取った単位を移行できたんです」

「だから、前半2年間は日本、後半2年間はアメリカの大学に通って、学びました」

大学3年で向かった場所は、幼少期を過ごしたサンタバーバラ。

「サンタバーバラ校は国際学が進んでいたし、キャンパスが海のすぐ近くだったんです」

「その頃はサーフィンをしてたんで、ここ以外にはないなって」

主張を受け入れてくれる街

10年弱の時が経っても、アメリカの文化や空気はしっくりきた。

「それぞれが好きなことをやっていて、自分らしくいれるな、って強く思えました」

「意見が違えばとことんディベートして、『その考えもいいよね』って言えるところが、アメリカ人のすごいところ」

その頃には、明るい自分が、仮の姿ではなくなっていた。

「演じてるって思ってたけど、いつの間にか素の自分になっていて、『誰もわかってくれない』って悩みはもうなかったです」

「アメリカは居心地が良かったけど、ここで生きていこう、って気持ちにはならなかったですね」

アメリカ生活の経験を活かし、日本をもっと良くしたい、と考えるようになる。

「アメリカみたいに、自分の意見を言えるようになればいいのに、って感じてました」

正義感が導き出した就職先

国際学では、世界で起きている紛争や貧困の問題を取り扱う。
解決に導くためには、まず世の中の人が事実を知る必要がある、と感じた。

「国際学と並行して、メディア学も勉強するようになりました」

「でも、学べば学ぶほど、すべて金で操作されているように見えちゃったんです」

「利益を追求するために人を蔑ろにして、金を悪く使うから、紛争が起きるんだ! みたいに憤ってました」

就職活動時にも企業はほとんど受けず、公共教育機関である大学に就職した。

「今思うと、ひどいこじつけで、浅い考えですよね(苦笑)」

05ようやく見つけた「恋愛ができない理由」

目標を掲げづらい職場

大学では広報部に配属され、交通広告やホームページ、学内広報誌の制作を任された。

「新卒で入って、最初にもらった広告予算が3億円だったんです」

「何をしたらいいかわかんなくて、不思議な世界だな、って思いました」

予算は潤沢にあるが、定量的に売り上げが評価されるわけではない。

「ホームページのアクセス数とかは見ますけど、厳しく追及されることはないです」

「もっと新しいことがしたい、と思っても、承認を取るプロセスが多すぎて、新人の僕は相手を説得するまでに至らなかったです」

「基礎的なビジネススキルは身についたけど、やりがいは感じられなかったですね」

一夜の大事件

「でも、大学職員をしてる間に、プライベートでいいことがあったんです」

自分自身はゲイなのだ、と自認する事件が起こる。

「働き始めた年に、男友だちから合コンに誘われたんです」

「当時は彼女がいたけど、数合わせで行くことになったんです」

盛り上げ役に徹し、女性陣といい関係になることもなく、終電を逃してしまう。

「それで、誘ってくれた友だちの家に泊まることになって・・・・・・やっちゃったんです(笑)」

家に着くと、友だちから「布団1個しかないけどいい?」と言われ、「大丈夫」と答えた。

1つの布団で一緒に寝ていると、アプローチされ、流れに任せて関係を持った。

「拒否感はまったくなくて、むしろ、これだ!! みたいな感覚」

「女の子とはキスしても反応しなかったのに、キスするだけで絶頂みたいな(笑)」

その友人のことは、もともとかっこいいと感じていた。

「自分はゲイかもしれない」

「次の日の朝、超気まずくて、黙って帰りました(苦笑)」

別の機会に会っても、お互いに何もなかったかのように接した。

「その友人とは一度きりで、関係が発展することはなかったです」

メディアを通じて、 “同性愛” “ゲイ” といった言葉は知っていた。

「自分とは全然関係ないものだと思ってました」

「でも、自分はゲイかもしれない、ってわかって、うれしかったです」

自分が恋愛できないのは、中学の辛い経験のせいでも、運命の人に出会えていないからでもなかった。

そもそも、恋愛感情を抱く相手が違ったのだ。

 

<<<後編 2019/10/19/Sat>>>
INDEX

06 ゲイの自分が初めて抱いた恋愛感情
07 人にウソをつき続ける人生
08 カミングアウトで再認識した “幸福”
09 知ってほしいのは、僕らがいるという事実
10 「自己肯定感」が「愛」を育む

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