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「個人の尊重」って、誰もが重苦しさを感じずに生きられる社会にすること【前編】

法律の知識を駆使して、いろいろな人をサポートする弁護士という仕事を生業にしている内田和利さん。中学生の頃に思い描いた夢を追い求め、現実のものにした内田さんだが、「プライベートの将来像は見えなかった」という。自分がゲイなのだとはっきりと受け容れられたのは、2017年初夏のこと。そう思えるようになるまでは、変わりたい自分と変われない自分の葛藤の日々が続いた。

2019/03/09/Sat
Photo : Rina Kawabata Text : Ryosuke Aritake
内田 和利 / Kazutoshi Uchida

1981年、神奈川県生まれ。横浜市で生まれ育ち、中学生の頃から同性に対して興味を持つようになる。同じ頃、弁護士という目標を抱き、専修大学法学部を卒業後、司法試験に合格。相続や離婚、不動産関係の案件に加え、LGBTQに関する法的問題や格闘家の契約関係などを扱う。

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INDEX
01 うまく感情を出せない少年
02 隠してきたものが明かされる時
03 10代で思い描き、突き進んだ夢
04 認められなかった好きの気持ち
05 満たしたい欲求と認められない思い
==================(後編)========================
06 本来の自分であるためのカミングアウト
07 変わるための祈りと抑圧
08 自分はゲイだと知ってもらうこと
09 個人をサポートし、社会を変える仕事
10 目指したいものは “個人の尊重”

01うまく感情を出せない少年

存在感の薄い子ども

幼い頃は、口数が少なくおとなしい子どもだった。

「家の中では活発だけど、外に出るとすごくおとなしくなっちゃう子でした」

小学1年生の時、クラスメイトの女の子が早退した日があった。

帰り道が同じだったからか、その女の子と一緒に早退した。

「驚いた母が『うちの子が帰ってきたんですけど』って、学校に電話をしたんですよ」

「そうしたら、担任の先生に『いますよ?』って言われたらしくて(笑)」

「いてもいなくても気づかれないくらい、存在感が薄かったんです(笑)」

言えなくなった気持ち

口数の少なさは、父との関係が大きく影響しているかもしれない。

父は酒が入ると怒りやすくなり、手をあげることもあった。

「普段は真面目な人なんですよ」

「でも、お酒を飲んだ父の地雷は、どこにあるかわからないんです」

3歳上の兄が野球の練習から帰宅し、何気なく「疲れた」と呟いたことがある。

そのひと言に父が反応し、「『疲れる』なんて言うなら、辞めちまえ!」と怒鳴り始めた。

「兄もつい言っちゃっただけだろうし、そこまで怒んなくていいんじゃないかなって」

「それでも父は怖いし、逆らえないって気持ちがありましたね」

父が帰ってくる足音が聞こえると、ドキッとした。

「父が怒るたびに、母がかばってくれるんですよ」

「そうなると父の怒りは母に向くので、それはそれで子どもながらに嫌でしたね」

「だんだん、自分の気持ちを口にすると悪いことが起こるかもしれない、って考えるようになりました」

責められる母を見るくらいなら、自分の気持ちを抑え込む方がラクだった。

唯一安全と思える場所

父が出かけている間は、1人で踊り出すような無邪気な子どもになれた。

母には、素直にいろいろな話ができた。

「母はおおらかで朗らかで、情にもろい人でしたね」

「子どもの僕にとって、唯一安全だと思える場所が、母のいるところでした」

母の隣以外は、家の中も外も安全とは言えない。

「母以外の人に気持ちを伝えることは、できなかったですね」

「思っていることを話す訓練ができていなかったし、自分に対して自信もまったくなかったです」

周囲から発言を制限されたわけでも、頭ごなしに否定されたわけでもない。

自分自身をさらけ出さないように我慢しているうちに、感情を出せなくなっていった。

02隠してきたものが明かされる時

おとなしい子グループ

クラスの中では、おとなくし目立たないタイプの子だった。

授業中に、手を上げることもできない。

「手を上げて、先生に当てられたりしたら大変ですよ」

「クラス中の注目を浴びて自分の考えを言うなんて、当時の僕にしたら大事件です(笑)」

仲良くなる友だちも、同じようにおとなしいタイプの子が多かった。

しかし、本当の気持ちは、別のところにあった。

「本当に仲良くなりたかったのは、みんなの中心にいるような活発な子でしたね」

「でも、おとなしい子の方が安全に感じたから、活発な子に話しかけたりもしなかったです」

この世の終わりのパン事件

小学5年生で新しく担任になった先生は、給食の残飯ゼロを目指していた。

与えられた給食は、すべて自分で食べなければならないルール。

「小学生の僕は、ロールパンやコッペパンのパサパサした感じが苦手だったんですよ」

「喉を通る時に嫌な感じがして、なかなか食べ進められなかったです」

食後の歯磨きの時間になっても、1人だけ食べ続けていた。

目の前のパンを消す方法を、ひたすら考える日々。

行きついた答えは、机の天板下の物入れに隠すこと。

「ほぼ毎日のようにパンが続いて、そのたびに机の下にポイッて入れてました(苦笑)」

「だんだん入らなくなるけど、子どもだから捨てるって発想に至らないんですよ」

ある日の掃除の時間、クラスメイトが机を倒してしまい、隠し続けたパンが姿を現した。

クラスではそれなりの騒動になり、翌日から学校に行けなくなった。

「今では笑い話ですけど、当時はこの世の終わりくらいに考えてましたね(笑)」

「行きたくないというより、勝手にお腹が痛くなっちゃうんですよ」

「だから休むんだけど、下校時間ぐらいになると治るんです」

心配した母は、いろいろな病院に連れていってくれた。

しかし、いくら診断してもらっても、体に異常を見られない。

ある病院で、医師に「今はそうしてていいけど、後で自分に返ってくることはわかっておいてね」と言われた。

「本心を見破られたようで、すごくドキッとしましたね」

「この頃には夏休みに入っていたんですけど、休みが明けても行かないままの状態はどうなんだろう、って揺れ動きました」

夏休み明けの始業式の日、仲のいい友だちが迎えに来てくれた。

「行くよ」と無理やり連れ出してくれたことが、復帰のきっかけとなる。

「いざ学校に行ったら、自分で考えてたほど騒がれなくて、また通えるようになりました」

和太鼓がもたらしたもの

夏休みが明けた後、地域の和太鼓グループの演奏を聴く機会があった。

「お腹の下から響く音がすごくかっこよくて、やりたいって思っちゃったんです」

「家に帰って、母親に『太鼓やるから!』って話しましたね」

それから10年以上に渡り、続けていく趣味になる。

練習に参加するごとに太鼓の技術が身につき、自信がついていく。

「グループ内で、だんだん自分の気持ちを口に出せるようになったんです」

「頭ごなしに否定されることはなかったから、感情を出しても大丈夫かも、って思い始めました」

長く口を閉ざしてきた少年は、思春期に入り、変化の時を迎えた。

03 10代で思い描き、突き進んだ夢

「間違ってる」と指摘できる仕事

中学生で、弁護士という夢を抱く。

「松本サリン事件があって、被害者の方がまるで犯人のように報道されていたんですよね」

「それを見て、警察やマスコミが間違えた時に、外側から『間違ってるぞ』って言える仕事がしたいと思ったんです」

社会のことはよくわからなかったが、すべてが一色に染まっていく怖さを感じた。

さまざまな職業を調べ、弁護士という仕事を見つける。

「難しさもよく知らずに、『僕は弁護士になる!』って周りに言いまくりましたね」

「とりあえず司法試験に受かればいいんだ、って簡単に考えてました」

弁護士のドラマを見ては、イメージをふくらませた。

「自分の事務所を構えたら、名前はどうしよう、とか妄想が広がりました(笑)」

お年玉で六法全書を買い、何の気なしにパラパラと眺めた。

「見たって意味わからないから、今思うともったいない買い物でしたね(笑)」

逆算して選んだ進路

当時の司法試験は、一次試験と二次試験の2つに受からなければならなかった。

しかし、大学で必要な教養科目を履修すると、一次試験は免除となる。

「中学生の時に試験の制度を知って、大学進学を決めました」

「でも、英語が苦手だったから、一般受験は避けたかったんです(苦笑)」

高校生になり、英語を使わずに大学に入る方法を探し、専修大学法学部に指定校推薦の枠があることを知った。

学校案内を取り寄せ、オープンキャンパスに赴き、専修大学に進むことを決意。

無事に入学でき、弁護士という夢に一歩近づいた。

04認められなかった好きの気持ち

仲良くなりたい人

話は、小学生の頃に戻る。

高学年になった頃から、スポーツができる男の子の存在が、気になるようになった。

「その頃は、仲良くなりたいだけかな、って自分の気持ちを深くは考えてなかったです」

中学生になり、バスケットボール部に入る。

「ただ、部活自体は続かなくて、数カ月で退部しました」

「最初は筋トレばかりでボールを触らせてもらえないし、試合は土日なんですよね」

週末は和太鼓の練習が入っていたため、バスケ部と両立することが難しかったのだ。

「1年半続けてた太鼓を優先して、バスケは辞めよう、って決めました」

友だち以上の感情

中学では、同じクラスになった野球部の男の子に、憧れに近い感情を抱く。

「その男の子と仲良くなって、2人で遊びに行ったり家で勉強したりしてましたね」

ある日、その子に彼女ができた。

「喜んであげるべきなのに、すごくショックなんですよ」

「遊ぶ時間が減るからじゃなくて、彼女ができたこと自体に寂しさを感じたんです・・・・・・」

彼女に、彼を取られたような気分だった。

「野球部の彼が、仲のいい友だちとして絡んでくれるのはうれしかったです」

「でも、この関係が違うものだったら良かったのに、って思いましたね」

自分は同性のことが好きなんだ、と気づいてしまった。

男友だちと話している時、何気なく「内田は好きな子とかいないの?」と聞かれた。

「本当の気持ちは言えないけど、何か言わなきゃいけない雰囲気になるんですよ」

「だから、適当に女の子の名前を出して『あの子いいよね』とか言っちゃうわけです」

絶望的な気づき

それまでを振り返ると、性的な興味は男性に向いていたことを自覚した。

「道端に落ちているエロ本を持ち帰って、気になったページの角を折ってたんです(笑)」

「そのページを見返すと、女性と男性が絡んでいるページだったんですよ」

女性だけが写っているページには、興味が湧かなかった。

意識はしていなかったが、裸の男性を見て、いいなと思っていた。

「でも、その気持ちを、そのまま受け入れることはできなかったです」

テレビを見ていると “ホモ” がネタ的に扱われていることが多かった。

「ホモは笑いの対象になるものなんだ、って思ってました」

「だから、自分もそうなんだと思った時は、絶望しましたね」

「絶対にこの気持ちは、誰にも言っちゃいけないし、言えないって思いました・・・・・・」

05満たしたい欲求と認められない思い

目で追ってしまうスポーツマン

同性に好意を向ける自分は受け容れられなかったが、好意や性的な興味は絶えずあふれてきた。

高校に入っても、気になる男の子は現れてしまう。

「サッカー部とか野球部とかバスケ部とか、気になる子は何人もいました(笑)」

「スポーツをしていて、日焼けしてる子が好きでしたね」

気になる男友だちから「一緒に帰ろう」と言われるだけで、ワクワクする。

「やっぱり別のやつと帰るから」と悪気なく約束を破られると、落ち込んだ。

「楽しみにしてた予定がなくなって、勝手にフラれた感覚でしたね(苦笑)」

同性愛者であることからは目を背けた。

「自分が同性愛者だと思うとショックだったから、考えないようにしてました」

いいなと思う人がいても、気持ちを伝えることはなかった。

あふれ出すゲイ雑誌への興味

同じ時期、近所の書店の成人誌コーナーに、ゲイ雑誌が置かれていた。

好奇心にかられ、その雑誌を手に取り、ページをめくった。

「見た瞬間に、これだ! って思っちゃいました」

「その日は買う勇気がなくて、棚に戻したけど、気になってしかたなかったです」

書店に通い、そのたびにゲイ雑誌を立ち読みした。

いつしか見ているだけでは抑えられなくなり、買う決心をして書店に向かう。

「1冊だけ買う勇気はなくて、買いたくもない雑誌を重ねて隠しながらレジに持っていきました(笑)」

「この日は、とにかく早く帰って、家でゆっくり見たかったです」

「ただ、兄と一緒の部屋だったから、買ったはいいけど隠し場所がなくて(苦笑)」

高校生なりに隠し場所は考えたが、隠し通せていたかどうかは、わからない。

「変われるんだったら変わりたい」

「同性愛者であることは認められなくても、雑誌を買って、欲求は満たしたかったです」

この欲求も、自分の中に隠さなければいけない、と考えていた。

「一生誰にも言えないんじゃないか、って悩みはありました」

なりたい職業は決まっていた。

しかし、私生活での将来像は、少しも見えなかった。

気になる人がいても、その人とは結婚・出産という一般的な幸せの形は望めない。

「自分はこのままでいい、とは思えていなかったです」

「結婚して家庭を作るみたいなことをしたい、って思ってましたね」

「変われるんだったら変わりたい、って気持ちがありました」

 

<<<後編 2019/03/12/Tue>>>
INDEX

06 本来の自分であるためのカミングアウト
07 変わるための祈りと抑圧
08 自分はゲイだと知ってもらうこと
09 個人をサポートし、社会を変える仕事
10 目指したいものは “個人の尊重”

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