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自分らしく生きるため、治療・改名・再スタート!【後編】

自分らしく生きるため、治療・改名・再スタート!【前編】はこちら

2020/06/04/Thu
Photo : Mayumi Suzuki Text : Shintaro Makino
津留 一輝 / Kazuki Tsuru

1984年、福岡県生まれ。三人姉妹の末っ子として育つ。中学で陸上と出会うと、持ち前の運動神経が開花。中学で全国大会、高校でインターハイに出場する。小学校の教諭として8年間勤務、その間にトランスジェンダーと自認した。退職後、役者を志して上京。ホルモン治療に踏み切り、胸を張って男役として活躍する。改名も認められ、新しいスタートを切ったばかり。

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INDEX
01 名づけ親はふたりのお姉ちゃん
02 スカートも赤いランドセルもイヤ!
03 陸上に打ち込んだ中学生のころ
04 スカートの下はズボンかスパッツ
05 恋愛にはまったく興味が持てなかった
==================(後編)========================
06 初めての交際は、あっさり薄味
07 小学生のキャンプイベントに参加して方針転換
08 男か女か分からないからスカートを
09 これだ! ぼくはトランスジェンダーだ!
10 治療を始めて、堂々と男役を演じる

06初めての交際は、あっさり薄味

副寮長に立候補

体育の先生を志し、福岡大学スポーツ科学部に進学する。住まいは学生寮となった。

「家から通えないことはなかったんですけど、父親から『大学生なんだから実家にいるな』といわれて・・・・・・(笑)」

寮とはいっても、国際交流会館という留学生も受け入れるグローバルな施設だった。

「ひとつのフロアに25室くらいあって、男子、女子がそれぞれ2フロアありましたから、100人ほどが住んでたことになりますね」

留学生は30人ほど。韓国、台湾から来た学生と仲良くなった。

寮のおじさん、おばさんと親しくなり、2年生のときには副寮長に就任した。

「目立ちがたりなんです(笑)。はい、やります! と立候補しました」

副寮長として、留学生歓迎会などのイベントも取り仕切った。

「寮は通常、2年間しかいられないんですけど、副寮長の特権を生かして4年間、居座りました(笑)」

選手と学連の二足のわらじ

部活は、もちろん体育会の陸上部だ。

「部員が200人もいる大所帯のクラブでした」

練習は、短距離、長距離、跳躍、投擲の4ブロックに分かれて行う。それぞれが50人ずついる計算だ。

「レベルもさらに上がって、コーチや先輩が作る練習メニューに、がむしゃらについていく感じでした」

元オリンピック選手の監督の指導は厳しく、目の前の課題に必死に取り組む毎日だった。

「練習と並行して、学連の活動にも参加しました」

九州学生連合は、いろいろな大学から集まったメンバーが陸上大会の運営をサポートする団体だった。

「大会のポスターを作ったり、バックアップの仕事が主でした」

陸連の事務所は、寮から自転車で行ける距離。

「とにかく面白い人というか、変わり者ばかりが集まった濃いメンバーでした」

同学年のメンバーは8人。みんなと話をするのが楽しくて、自然と学連の活動に力が入っていく。

砲丸投げの選手から告白された

初めて男性とつき合ったのも大学生のときだった。

「同じ陸上部の砲丸投げの選手から告白されました」

「特に彼のことが気になったわけではありませんが、いわれたから、ま、いいか、という感じでオッケーをしました(苦笑)」

しかし、初めての交際はしっくりとこなかった。

「一緒にご飯を食べる程度のつき合い方でしたね。ベタベタしたことは、まったくありません」

正直なところ、手をつないだ記憶もあやふやだ。

「いいヤツだな、とは思いましたけど、好きではなかったですね」

周囲からは、彼氏彼女と見られていたが、それもあまり気持ちがよくなかった。

「それでも、1年くらいはつき合いましたね。あっさりとした、味の薄い1年でした」

自分からお別れをいって、交際は終了する。

07小学生のキャンプイベントに参加して方針転換

キャンプネームは「とんこつ」

予定どおり、大学で教職を取り、中学か高校の体育教師になるはずだった。

ところがーーー。

「知り合いに誘われて、阿蘇で行われた1週間のキャンプボランティアに参加したんです」

集まったのは、たくさんの小学生。初めて親元を離れて、キャンプを体験する子どもたちだ。

「そこではキャンプネームで呼び合うんですけど、ぼくの名前は『とんこつ』でした」

当時、ラーメン屋でバイトをしていたことから自分で命名。とんこつ先生は、すぐに人気者になった。

「覚えやすいんでしょうね。ねえ、とんこつ、これはどうしたらいいの? そんな感じで呼ばれました(笑)」

大人には小さなことでも、子どもには大きな感動になる。

「最初は心細くてメソメソしてた子が、だんだん楽しそうになって、最後は別れるのが悲しくて号泣するんです」

そんな素直な姿を見ていたら、子どもたちと一緒に過ごせる仕事がしたくなった。

「小学校の先生に将来の目標を変えました」

働きながら試験勉強

大学は卒業したが、小学校の教員免許を取るために勉強をし直す決心をする。

「そのときに県立総合スポーツセンターの仕事を紹介されたんです」

事情を説明すると、「応援するよ」といってもらえた。

「センターで働きながら、通信教育を始めました」

スポーツセンターの仕事は、県立の体育館や野球場の管理だった。

「庶務、会計、指導員の手配とか、いろんな仕事を担当しましたね。自分で指導員をすることもありました」

センターには2年間、お世話になり、社会経験を積んだ。

そして、目標だった教員採用試験を受験。結果はA〜E評価のE。つまり、最低だった。

「これじゃあ、採用は無理、と思って、家に閉じこもって試験勉強に集中しました」

ところが、それが裏目に出て、ノイローゼに。

「すぐに方針を変えて、アルバイトをしながら、ゼミナールに通い始めました」

バイトはスーパーの「寿司部」。寿司を作りながら、勉強をする毎日となった。

08男か女か分からないからスカートを

新米教師としてデビュー

ある日、地元の小学校から、まさかの採用通知が届いた。

「しかも、3年生の担任という話でした」

初めての教壇。新米の自分には、分からないことだらけだった。

「宿題の出し方も分かりませんでした」

保護者から「こんなにたくさん宿題を出して、どういうつもりだ!」と、怒鳴られたこともあった。

「それから、ほかの先生の授業を見学させてもらったりして学んでいきました」

初めての授業参観では、こんなことがあった。

「授業が始まっても、席についていない子がいたんです」

話を聞くと、友だちと喧嘩をしてトイレに閉じこもってしまったという。

「その子のお母さんも来ていたので、慌てましたよ」

すぐにトイレに飛んでいった。

そして、個室のドアに懸垂をして、上から覗いて「見っけ!」。男の子は笑顔で教室に戻ってくれた。

「その様子を見ていたお母さんが、この先生なら大丈夫、と喜んでくれました」

初めて知ったセクシュアリティの壁

最初の小学校は、翌年度に教諭として採用される関係上、1年で異動せざるを得なかった。

「次の学校は、1年生の担任を任されました」

ある時、指導教官の先生から、思いもよらない言葉を突きつけられた。「津留先生、その格好じゃ、どっちか分からないよ」。

どっちか分からない?

「男か女か分からないからスカートを履け、という意味だったんですよ。驚きました」

「どっちか分からないと、生徒たちによくない」とも。

「え、これじゃ、ダメなの? 自分じゃダメなの? 泣きたい気持ちでした」

これまでセクシュアリティで悩んだことも、傷ついたこともなかった。
初めて受けた理不尽な仕打ち。自分の人格を否定されたも同然だった。

「驚きは、すぐに怒りに変わっていきました」

仕方なく履いたスカート。強要されるフルネームの名札。すべてが嫌になった。

「この学校はダメだ、と見切りをつけました」

自分を認めてくれる職場にいきたいという気持ちが膨らむ。

「1年間は我慢して、でたらめな理由をつけて異動願いを出しました」

09これだ! ぼくはトランスジェンダーだ!

トランスジェンダー当事者の話のすべてに納得

次の職場は、一転して人権教育に力を入れる小学校だった。

「教員研修ではいろんなレクチャーを受けましたが、そのなかに性的マイノリティに関する講座があったんです」

登壇したのは、トランスジェンダー当事者としてLGBTが暮らしやすい社会を作ろうとしている活動家だった。

「あ、これもそう。その内容も同じ。これだ、これだ、これなんだ、と話に引き込まれました」

聞く話のすべてが腑に落ちた。

初めて聞くトランスジェンダーという言葉が、ズバリ、自分を指しているとしか思えなかったのだ。

「何も調べ直す必要もありませんでした。自分は間違いなくトランスジェンダーだと確信したんです」

自分のこと、LGBTのことを理解すると、自分を無理に変える必要がないことも分かった。

「自分らしく生きて、自分を分かってもらおうと考えるようになりました」

先生の仕事に疲れてしまった

3校目の小学校には、6年間、勤めた。

人権教育に力を入れているとはいっても、先生たちの保守的な組織の中ではすっきりとしないことも少なくない。

「女扱いされることが多いんですよね」

トランスジェンダーと自認したことで、自分の反応も過敏になったのかもしれない。

「同寮の結婚式が困りましたね。諦めて、化粧をしてスカート、ハイヒールを履きましたけど・・・・・・」

それが自分らしい姿でないことは明らかだった。

「けっこう似合うじゃん!」と、茶化され、早く帰りたくなった。

「赴任してきた女性の校長先生には、自分のことを素直に話しました」

女子トイレに行くことに抵抗がある、というと、一応は理解してくれた。

「それと、先生の仕事って、ものすごく忙しいんです」

こんなに働かなくてはいけないのか、と思うと、辛くなってきた。

「しんどい思いをして続けても、子どもたちに失礼かな、と」

今が辞めどき、という思いが次第に強くなる。

台湾旅行と東京での一人暮らし

33歳のとき、ついに退職を決意。自由になる時間がたっぷりと目の前に広がった。

「学生寮で知り合った友だちを訪ねて、1カ月間、台湾を旅しました」

「旅行中に知り合った食堂のお母さんに自分の悩みを話したら、すぐに受けとめてくれたんです」

「うれしかったですね」

台湾ではこれまでにはない、晴れ晴れとした気持ちになった。

教職の後に目指した仕事は、エンターテイナーだった。

「人前で発表したり、歌ったりするのが好きだったんです。それに、目立ちたがり屋だし(笑)」

教員仲間と一緒に、体験者の話をもとにして平和劇を作ったこともあった。

「そのときに役を演じるのが楽しいと感じました」

役者になろうか、と考えていると、映画製作会社の求人が目に止まった。

「応募すると採用になり、すぐに上京しました」

短期間のうちに、東京での一人暮らしが始まった。

10今は、堂々と男役を演じる

ホルモン治療に踏み切る

ところが、いざ現場で演技をしようすると、大変なことに気づいた。

「女性の気持ちが分からないんですよ」

監督や演出家は、「化粧をしてみたら? スカートを履いてみたら?」とアドバイスをくれたが、それは自分の心と矛盾している。

思い切って、「男優としてやっていきたい」と意思表示することにした。

「最初のうちは、まわりも『今日は男役? 女役?』などと、混乱しましたね(笑)」

同じ頃、FTMの人と知り合った。

「その人は、つらいけど女優としてやっていくという考えでした。尊敬できる人です」

その彼と役者仲間と初めてレインボープライドに参加。LGBTの友だちができるようになった。

「最初は治療を受ける気はなかったんですけど、いろいろな話を聞くうちに、気持ちが変わっていきました」

そして、2019年6月。ホルモン治療に踏み切った。

「それまでは声を出すと女だとバレるような気がして、気持ちが萎縮してました」

「今は、堂々と男役のセリフをいえます」

家族、仲間に認めてもらった

教員を辞めたとき、「男に生まれたかった」とお母さんにぼやくと、「ごめんね」と謝られた。

「そのときに、両親が男の子を望んでいたと知らされたんです」

2020年1月、申請していた名前の変更が認められる。

女性名は長い間、コンプレックスだった。

「新しい名前をつけるとき、まず、『一』を使おうと思いました」

「何でも、一番が好きなんです(笑)」

そして、姓名判断を調べるなどして、「輝」を選んだ。

「一番に輝くって、新しいスタートにふさわしいでしょ」

「やっと名前を変えたよ」と、LINEで報告をすると、お父さんは「よかったな。お前が元気でいることが一番だ」と喜んでくれた。

そして、「今日はじいちゃんの命日だ」と、教えてくれた。

「ぼくが大好きだった祖父のことです。なんだか、生まれ変わりのような縁を感じました」

祝福してくれたのはお父さんだけではなかった。

「ふたりの姉は、弟ができた、と喜んでくれました(笑)」

20歳の姪っ子は、「全然、変わらん。何が変わったの?」と。

「5歳の甥は、そもそも、ぼくのことを男だと信じてたみたいです(笑)」

幼なじみも、近所のおじさんも、学連の仲間も、みんなすんなりと受け入れてくれた。

「お前はお前だよな、といってくれます。本当にありがたいことです」

理解してくれる家族や友だちに恵まれ、カミングアウトは自然に進んでいる。

夢はハリウッドデビュー

実は、ちょっと気になっている女性がいる。

「東京に来て知り合った人です」

初めて、「愛おしいな、大切にしたいな」と感じた人だ。

治療を始める前に出会ったが、最近はその人に対する気持ちが深まってきたように感じる。

「これからどうなるかは、まだ未知数です」

性別を変えることも頭にはあるが、そこまでしなくても、と感じている。

「少なくとも今は必要ない。今後、状況が変わったときに考えます」

役者としては、まだ1年。学ぶことが多い。

「この役はお前にやらせたい、と演出家にいわれるような役者になりたいですね」

夢はでっかく、ハリウッドだ。

「今まで、とにかく目の前のことに懸命に取り組んできました。悪くいえば、不器用に・・・・・・」

かつて目指したオリンピックの夢は叶わなかったけど、今度こそ大きくジャンプして、夢をつかみたい。

あとがき
誰かをねたんだり、うらやんだり、そんなことには馴染みのない一輝さん。純真な人だ■目指す姿は、オリンピック出場から役者へと変わっていった。歳を重ねても、夢中になれるものをもっている。夢をもつことに否定的な人もいるだろう。認めてしまったら、自分の価値観が揺るがされるから■一輝さん、あなたにはただ前を見て進んでほしい。自分を信じて歩き続けてほしい。「一番に輝くって、新しいスタートにふさわしいでしょ」。未来は今日もはじまる。(編集部)

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