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世界中の景色を見て、男だ女なんてどうでもいいと【後編】

世界中の景色を見て、男だ女なんてどうでもいいと【前編】はこちら

2017/09/02/Sat
Photo : Taku Katayama Text : Junko Kobayashi
辻 奏子 / Kanako Tsuji

1987年、大阪府生まれ。幼少期から同性が好きだったが、LGBTについて知ったのは大学時代の生の倫理学の授業。胸に対する違和感があり、就職後、乳房摘出手術を受ける。2016年、7年半のOL生活にピリオドを打ち、ピースボートで世界一周の旅へ。2017年春に、スタッフとして再び参加するクルーズには母親が乗船。LGBTの子どもを持つ親に向けた情報発信もしたいと考えている。

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INDEX
01 女の子が好きなバスケ少女
02 好きな女の子を追い続けた学生時代
03 誰にも失恋を相談できない!?
04 生の倫理学で受けた衝撃
05 親へのカミングアウト
==================(後編)========================
06 乳房摘出手術へ
07 私も家族も悩んでいた
08 日本の社会に適応したい
09 会社を辞めてピースボートの旅に
10 世界の景色の先に、見えてきたもの

06乳房摘出手術へ

見るのはいいけど、自分の胸は嫌

関東に引っ越し、社会人としての生活が始まった。

「すぐ、新宿のナベシャツのお店に行きました!」

「キツイんですけど、胸がつぶれて、すごーいと感動でした」

大学のゼミの先生から教えてもらったNHKの「ハートをつなごう」という番組をよく見ていた。

番組に出ていた杉山文野さんが、タイで乳房摘出手術を受けたことやそれまで悩んだことを知り、いつか自分もと思う気持ちが強くなってくる。

「当時つき合っていた人がソフトボールをやっていて、社会人のソフトボール部に入りました」

「そこには乳腺だけではなく、子宮卵巣を摘出していたり、ホルモンを打っている人がいたんです」

「手術を経験した人が身近にいたことで、自分も手術をする方向に気持ちが固まっていました」

乳腺だけではなく、子宮卵巣もと思った時期もあったが、リスクを考えた。

会社では女性として働いているので、外見の変化を気づかれることもある。

「最初は普通に通勤していたので、ナベシャツを着て会社に行った時は ”痩せたね〜” って言われちゃいました。その時は、そう痩せたんですって乗り切りましたけど」

周囲の目が気になりもしたが、どうしても胸の手術はしたかった。

「自分のルックスが許せないんです。人の胸を見るのはいいんですけどね(笑)」

同棲していた彼女についてきてもらい、手術のために病院を訪れる。

簡単に手術できると思っていた

その病院を選んだのは「ハートをつなごう」に出演していた、精神科医がいたから。

「当然手術前に診断があって、話を聞いてもらえると思っていたんです」

「それがいきなり ”手術いつにする?” と聞かれ、あまりにも簡単にできそうで戸惑いました」

”親には言ったの?” と聞かれたが、親には何も話していない。

そこで親に連絡する。

「私の持論は、大切な人は全て受け入れてくれる。だから母親はOKしてくれると思っていました」

娘からの相談に、母親が難色を示す。

「ショックを受けたみたいで・・・・・・」

ピアスを開ける時も ”親からもらった身体だから、自分でよく考えて決めなさい” と言われたことを思い出した。 

「振り返れば、親も可哀想ですよ」

「ねいきなり手術するから同意書をお願いと言われ、そもそも “待って” という気持ちだったと思います」

母親の反応を知り、しばらく手術の話は保留となる。

「親にもらった身体だし、大切な人はわかってくれると信じたかったので、親に隠れて手術するって選択肢はなかったです」

07私も家族も悩んでいた

大切な人が受け入れてくれない

就職してから、少しばかりの金額を同封した手紙を、両親あてに毎月送っていた。

「気持ち程度のお金で、小遣いにしてくださいという感じで自己満足です」

母親に手術のことを相談後、父親にあてた手紙を書いた。

「ずっと自分の胸に違和感があったから、手術をしたいですという内容でした。父親にもいつか気持ちが通じると思って書いたのですが、全く違いました」

その手紙を読んだ父親の反応は、母親から電話で聞いた。

「手紙を読む父親の手が震えていたみたいです・・・・・・」

そして ”手術をするならもう俺は会わない。

大阪に帰って来た時にお前たちが会うなら、どこか外で会ってくれ” という絶縁ともとれる思いを聞かされた。

「父の言葉を聞いた母親もショックだったみたいです」

母親は家庭を大事にする人。そんな母親にとって、家族の絆が切れてしまうことは絶対に避けたかったのだ。

「手術をすれば縁が切れる。手術をしなければ、私が苦しむ。母親として、やめさせた方が良いのか、進ませるべきか、どうしたものかとかなり悩んだみたいです」

このやりとりをきっかけに、セクシュアリティは当事者だけではなく、家族もまた同じように悩むことを知った。

母親が出した結論

「母親は社交的で、友だちが沢山いるんです。私の手術の話を一人で抱え込むことができなかったみたいで、親戚や友人たちに相談しまくったんです」

「私が知らない人にも、勝手にカミングアウトされちゃいました(笑)」

父親と娘はこうなっています。母親としてどうしたものか、とみんなに相談。

「母親としては、やはり反対すべき」「身体がどうなっても、母親として認めて応援すべき」など、さまざまな返答があったようだ。

「いろいろな人と話したことで、一人で悩まずにすんだみたいです」

手術の話しに結論が出ない間も、両親への毎月の手紙は欠かすことなく送っていた。

手紙では手術について触れないようにしていたが、電話で母親と話す時は、やはり手術をしたいと告げていた。

「ある日母親と電話で話していて ”もう手術していいよ。私が全部責任をとるから” って言ってくれたんです」

「すごくおしゃべりな母親なので、隠し事はできない人なんですけど 『普通の生活でお父さんがあんたの裸を見ることはないから、私がだまっていれば親子の縁が切れることはない。私がしゃべらないという選択肢を取ります』と」

「最終的には、お父さんも死ぬ間際に全部知っていたと言ってくれると思うから、手術やり」と許してくれた。

最初に切り出してから1年近く経っていたが、やっと認められた嬉しさがこみ上げてきた。

08日本の社会に適応したい

自分だけの悩みではない

母親の許しを得て、晴れて乳房摘出手術を受けることになる。

長女は最初から ”やりたいようにやってみぃ” と言ってくれた。

次女は ”ほんまにやるん?変わるってどうなん?” と摘出後の身体のことを心配してくれた。

そして、わざわざ大阪から上京し、手術をする病院の診断に一緒に行ってくれた。

「”胸をとったら生理どうなるんですか?” とか ”ホルモン的にどんな影響ありますか?” とか、先生に直接聞いて、だいぶスッキリしたみたいです」

「最後は ”先生イケメンやからあそこでやり” と言ってくれたんです(笑)」

母親もまた、次女が直接話しを聞いてくれたので安心できた。

手術を許してくれた親には、感謝することばかりだ。

「ありがたいというか、凄いと思います。普通に男性のことを好きになって、結婚したら考えなくても良いことで悩ませて・・・・・・」

「どういう気持ちだったんだろうって」

制服のスカートが嫌とか、カミングアウトできないとか、社会の中で生きづらさは感じる。

しかし、全て自分のことだ。

親にはこんな自分がいるために、要らぬ心配をかけることになった。

親の悩みを知ったら、自分の悩みが小さいとすら思えてくる。

「ごめんねと、ありがとう。です」

自分の胸がなくなって

乳房摘出手術をしてから、男とか女とかのこだわりがなくなってきた。

男として生きることにそれほど重きを置いてないのか、それ以上の手術や手続きが必要だと思わなかった。

「日本の社会に上手く適応したいと思うんです。会社とのやり取りで、ごちゃごちゃするのも嫌ですし」

女湯や女性用トイレに入るのも平気。

「女湯は、胸がないから周りから不思議に思われるかもしれないけど、下がついていなければ大丈夫です」

トイレは、女性用の方が綺麗だからそちらに入るという感じ。男性用トイレに行きたいと思わない。

「ピースボートに乗船した時 ”男はそっち、ちゃう” と言われたら、女です!と言っていました」

性別について聞かれたら、女と答える。

性別を尋ねられるのも構わない。

「社会は、見た目で男性女性を判断しますよね。私もそうです」

「そこから否定されたり感情論になったら別ですけど、わからないことを聞かれるだけだから普通に女だと答えます」

相手が見たいように見て、接したいように接してもらえばいい。

違和感があった胸をとってから、達観するような気持ちになった。

「今なら男性ともおつき合いできるとさえ思います。結局は相性ですよね」

09会社を辞めてピースボートの旅に

嫉妬するなら行けば良い

2016 年、7年半勤めた会社を辞めて、ピースボートで世界一周の旅に出た。

もともと旅が好きでパートナーと、車で日本中を旅した。

「日本はもう行き尽くしたという感じで、世界の景色を見たかった。お金もたまったし」

というのは建前で、ピースボートに乗船するのはパートナーと離れるためだ。

「一緒に住んでいたんですけどすごく自由な人で、やりたいことがあれば長期間でも、どこかに行ってしまう人だったんです」

そんな気ままな生活を羨ましいと思いながらも、普通のOLをしていた自分にできるわけがない。

「羨ましいのに、自分はできない。そんな気持ちが、相手に対する妬みに変わり、ケンカばかりしていました」

パートナーが長期不在になっている時に、レズビアンの友だちから「仕事辞めて、ピースボートに乗れば」と言われる。

「何いってんねん、って聞いた時はあり得ないと思ったんですが、その言葉がずっと頭に残っていて・・・・・・」

「自分で縛っていた世界から、自分を解放したい。そうやっても、なおパートナーと上手くやっていけるのか試してみたいと思いました

「自分の価値観が変わることで、本当の意味で相手を大切にできるのかな?なりたいなっ、て思ったんです」

そしてついに、パートナーに相談しないまま乗船を決める。

自分の中にやりたい、という気持ちがあることはわかっていた。

「でも、普通に会社勤めをするというレールから飛び出すことが、なかなかできなかったんですよね」

パートナーを置いての出港

パートナーに決心したことを話した。

心のどこかに、乗船を反対して欲しい気持ちがあった。

しかし、報告すると「いいね、行っておいで」と言われた。

「一緒にこれからもやって行こう、みたいなのが欲しかったんです・・・・・・」

「相手は、それぞれが自由に生きる中で、お互いを必要とする関係を求める人だってわかっていたんですけどね」

一緒に住んでいた家はどうするか尋ねたら、またこちらに戻りたければ戻ればいいとの答え。

「7年も住んで、荷物もいっぱいあるし、今まで一緒に住んでいたのに他人事かよです(笑)」

彼女との将来が見えなかった。

ピースボートを引き止められなかったら別れようと心に決めていた。

「駆け引きみたいなことはせず、ずっと一緒にいたいという気持ちを素直に伝えればよかったですけど、できなかったんですよね」

埼玉に住んで7年。すっかり関東での生活に慣れ、関東の方が心地よくなっていた。

会社も楽しかったし、同僚にカミングアウトしなくても生活できていた。

仕事を辞めたら、家もなくなり、関東の拠点を失うという葛藤があった。

しかし、相手を妬む生活は嫌。そのおもいが勝った。

会社を退職、世界一周ピースボートの旅に出ることに決めた。

10世界の景色の先に、見えてきたもの

もっとセクシャリティの情報発信を

乗船したのは世界の景色を見たかったから。

船ではLGBTの話しをする気もなく、普通に友だちになれればいいやと思っていた。

「ところが、たまたまスタッフの人から ”私もビアンで彼女いたことあるんだよ” と声をかけられ、おぉそうなんやって(笑)」

カミングアウトをするつもりはなかったのに、その人と3ヶ月半の船旅を共にしながらセクシュアリティについて語り合った。

パートナーと上手くいかないのは、自分が悪いという思いばかりだった。

しかし、話すうちにどちらか片方が悪いのではなく、互いのコミュニケーションがとれていないからだということにも気づけた。

「その人とは、寄り添いながら生活できそうで心が揺れました。でも、前のパートナーと一緒に生きたいという気持ちは、船を降りてからも抱えていて・・・・・・」

「この優柔不断さは、LGBTを超えた私の恋愛観のせいですね(笑)」

ピースボートの魅力は、さまざまな人が乗船し、たくさんの情報に触れられること。

その環境下でどう過ごすかは、自分次第。

話したくなければ、話さなければ良いし、自分が過ごしたいようにできる。

ピースボートに乗っている時に、自分の生い立ちや、セクシャリティについて対談する機会をもらう。

「それが、自分を振り返り、整理することにつながったんです」

「自分が大学の講義で初めて知ったように、セクシャリティの情報を発信することで、現在進行形で悩んでいる人はもちろん、身近にいる人を理解するきっかけになると思ったんです」

一人でも多くの人にLGBTの存在を知ってもらいたい。

悩みを軽減するために、自分が経験したことを発信したいと思った。

子どもをもつ親に対しても同じだ。少しでも救われる人がいればと思う。

今おかれた環境で、幸せに生きる

2017年春には、スタッフとして再度ピースボートに乗船。その船には母親が客として参加した。

「母親は単純に世界一周をやりたいだけなので、私から何かを求めようとは思っていません」

「ただ、タイに寄港して、MTFの人の講演を聞く機会があるので、それを母親がどうキャッチするかなと」

あまり期待しないと言いながら、船上でLGBTに関する親子対談ができれば良いと画策している。

「子どもから、手術をしたいと言われた時の率直な気持ちとか、子どもがいる方に聞いてもらえたらラッキーです」

「まあ、対談とか何もできなくても全然OKですけどね」

今の自分を見つめると、性自認すらよくわからない。

「FTXか?どれなんだ?という感じですが、まあそれでいいかと」

他人が自分のことをどう捉えるかは、相手に委ねられている。

だから、できることは “自分がどのように伝えるか“ だけ。

「性以外の話しでも同じことだと思うんですよね。どんな人とも自分らしく接することで、相手と人間関係が構築できるなら、それで十分だと思う」

自分を認め、大切な人たちと楽しく暮らす。

「おかれた環境で、幸せに生きようと思えばいくらでもできるんです」

全てを受け入れてくれる家族やパートナーの存在が、自分を強く “らしく” いさせてくれる。

大切な人としっかり理解し合おうとする生き方が、幸せな関係へ導いてくれる。

あとがき
奏子さんの話しが色づいた。「授業で知ったLGBT、そこから生きることが見えてきた」。一人じゃないと知ったのだ■大人になって、世界の景色を探しにでかける今の奏子さんを、おさない奏子さんは想像できなかっただろう。でも「隠さずにいたかった」と、勇気をもって動いたことから始まった■友だち、先生、家族、大切な人に聞いてほしい気持ち・・・。悩んで苦しいときも、あなたは決して一人じゃない。誰かに打ち明けて!「助けて」って知らせて。(編集部)

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