INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

正直に生きたい。性同一性障害が与えてくれた人生【後編】

正直に生きたい。性同一性障害が与えてくれた人生【前編】はこちら

2017/08/26/Sat
Photo : Rina Kawabata Text : Junko Kobayashi
井上 燈 / Inoue Tomoru

1984年、神奈川県生まれ。駒沢女子大学人文学部卒業。兄2人に続き、待望の女の子として誕生した。幼稚園の頃から、女の子が好きなことを周囲に公言。区分すればFTMだが、身体が女という状態に不都合は感じていない。近々会社を辞め、鹿児島に移住し整体の勉強をすることを計画中。

USERS LOVED LOVE IT! 13
INDEX
01 4歳で「僕、結婚しない」宣言
02 「女の子が好き」を隠さない
03 定まらない性自認
04 箱(身体)が女という状態
05 親からの愛情が足りていなかった?
==================(後編)========================
06 どこか空虚感のある学生生活
07 人生に影響を与えてくれた彼女
08 揺らぐ自尊心
09 一つくらいは母親の誇りになりたい
10 素直に生きる

06どこか空虚感のある学生生活

LGBTコミュニティとの出会い

中学2年生の時、レズビアンについてネットで調べていたところ、コミュニティにたどりついた。

そこから毎晩チャットをするようになった。

チャットで知り合った人に、新宿二丁目に連れて行ってもらったこともある。

「自分では行けないところに入れたことが嬉しくて、テンションが上がりましたね!」

世代も地域もタイプも異なる多くの人と知り合えた。

さまざまなLGBTの人たちと、早い時期に出会えたことは良かったと思う。

「いろんなセクシュアリティがあるんだ、とわかったんです。自分はおかしいとか、普通にしなきゃダメだと悩むことがなかったのは、二丁目での経験が大きいかもしれません」

中学生でLGBTの世界を知ったことは、セクシュアリティについて他人からあれこれと言わせない自信につながった。

一方で、ネットの世界にのめり込んでから、夜更かしが多くなり授業中は寝てばかり。

そして、ネットや二丁目で人と交わる以外は、活力のない生活が続いた。

「今思い返すと、あの頃は何をするにも性別を理由に諦めることが多かったように思います。社会に出て性別の壁に耐えながらやっていけるとは、とても思えなかったんです」

フリーターになろうと思った

将来に夢も希望も持てなかったし、自分には何ができるのかわからなかった。

勉強をしても無意味だと思えた。

なんの目標もないまま、高校はヤンチャな生徒が多い高校に進学する。

「仲が良い友だちもできず、授業中は相変わらず寝てばかりでした。唯一活動したのは、担任が顧問をしていたバスケ部の練習だけでしたね」

バスケ部の女子部員から何度もアプローチされ、お付き合いも経験する。

「僕が誰かに好きになってもらえるなんて考えもしなかったので、お付き合いすることにしたんです」

正直な話し、好みのタイプでなかったので、恋愛というより家族愛のような付き合いだった。

部活を引退した高校3年生から、居酒屋でバイトを始めた。

バイト仲間と仲良くなって、いつも遊んでいた。

「バイトをして、家には帰らずそのまま店に泊まって、たまに学校に行くみたいな生活です」

そんな生活をしていた自分に、大学を卒業して会社勤めをする姿は想像ができなかった。

何より「女性社員」を強いられる会社勤めは絶対に耐えられないだろうと思った。

「だから、フリーターになろうと思いました」

フリーターで適当に生計を立てて、一生孤独でひっそりと生きていくイメージしかもてなかった。

社会にフィットしない感覚

ところが、母親にせめて大学には行って欲しいと言われ、大学に進学することになる。

「受験勉強はした記憶がないので、推薦だったのかな。進学する人は稀な高校だったから、条件を満たせば合格できたんです(笑)」

受かったのは女子大。

入学前はさすがに悩んだが、意外にも女子大の生活は快適だった。

「意気った男子学生がいないから、僕にとっては平和でしたね」

「たまたま小学校の同級生がいて、昔からのキャラのまま大学生活をスタートすることができたのは本当にあり難かったです」

大学でもバスケ部に入り、男ものの服に金髪という出で立ち。

ギャルばかりの女子大で、男っぽく目立つ存在となった。

「テスト前になると女友だちが自らノートを貸してくれたり、学食でランチを食べている時は口をふいてもらっていました」

もともと甘え上手だったが、そのキャラがさらに加速するキャンパスライフだった。

しかし大学生になっても、なんとなく日々を過ごす生活は変わらなかった。

“自分は自分だ“ とおもいを貫いてきたが、どこか社会にフィットしていない感覚が常にあった。

「大人になっても辛いことしか待っていないって気持ちは、変わりませんでした」

07人生に影響を与えてくれた彼女

好きになった人と初めてつき合う

部活の帰り、みんなで入った居酒屋で可愛い店員に目を奪われる。

「何故かみんながその子と普通に話していて。実は少し前に入部した後輩で、僕だけが認識していなかったんです(笑)」

部活で会う度に、その後輩との距離が縮まった。

あまりにも仲がよくなり、これ以上はダメだと思い、高校からつき合っている彼女と別れる。

そして後輩に、自分は恋愛対象として君のことが好きだと告白する。

「なんと、その子も意識してくれていて、自分から好きになった子と初めてつき合うことになったんです」

「自分にそんな日が来るなんて、奇跡でした!」

「その子はコミュニケーションが得意じゃなくて、誰とでも自由に話す僕とは真逆なタイプだったんです」

「口数は少なくても気遣いや優しさを知ると、とても愛おしくなったんです」

それまで相手に甘えるタイプだったが、その子に対しては “愛おしい” という気持ちが芽生えた。

「自分のことを男として見てくれて、彼氏として付き合ってくれたことが何より嬉しかった」

人から愛されたことで、自分の人生にはじめて希望を持てるようになった。

生活が変わりはじめた。

内面ナルシスト

もともと自分のことが好きな内面ナルシストだったが、彼女と付き合い始めてナルシストに磨きがかかった。

「結婚や恋愛は無理だと思っていたんです」

「それが僕を愛してくれる女性が現れて、あきらめていたものが、頑張れば手に入るとわかったんです」

友だちは人として自分を好きになってくれたが、恋愛とは違う。

家族からの愛は足りていなかった。

いつもどこか乾いていた心に、水が染み込むように彼女の愛が満たしてくれた。

「彼女と過ごす中で、僕の意識は大きく変わりました」

「ちゃんと就職をして、彼女を幸せにしたい。ふたりの子どもをつくること以外の、全てを叶えたいと思ったんです」

幼い頃から諦めていた結婚したいという感情が、初めて芽生えた。

半同棲を経て彼女と一緒に住むことになり、そのことを母親に伝えた。

「『その話しは聞きたくないから、もうしないで』と早々に話しを打ち切られましたね・・・・・・」

いい顔はしなかった母親だが、新しく借りる部屋の保証人にはなってくれた。

「母親にしたら、女の子と同棲しても、僕が娘であることは変わらないので許してくれたんだと思います」

同棲した4年間は、ほぼ毎日お弁当を作ってくれた。

彼女はいつも献身的だった。

「そのままのあなたでいい」と、治療や性別変更を望むこともなかった。

ところが、そんな付き合いが終わりを迎える。

彼女はもともと、男性を恋愛対象とするストレートの女性だった。

互いの将来を考えるようになり、このまま一緒にいるか一般男性と人生を歩むか、期限を決めて話し合った。

彼女の存在に甘えて、性別や将来のことをうやむやにしている自分に気づいた。

彼女が出した答えは「他の人とつき合ってみたい」。

付き合いはじめてから6年の歳月が経っていた。

08揺らぐ自尊心

名前をかえて、胸オペも

彼女と別れたことで、心にポッカリと穴があいた。

高校からずっと彼女がいたので、一人になると心の支えを失ったように思えた。

何をどうしたら良いのかわからない。30歳を目前にして、暗闇に放り出されたようだった。

「ちょうど仕事が忙しくて休みなく働いていた頃でもあって、いろいろな事が重なり疲れてしまったんです」

20歳を過ぎると、身近なFTMの友だちが次々と治療を始めた。

性別適合手術を終えて、戸籍を変える人が増えていった。

「当時の僕に、焦る気持ちは全くなかったです。自分には合わないと思っていたので、治療は一切考えていませんでした」

しかし、一人になってみて覚悟を決めないといけないと思った。

彼女に守られていた自分、性別を言い訳に未来に目を背ける自分は、もうやめようと思った。

一般男性との人生を選んだ彼女・・・・・・。それも一つのきっかけになったのかもしれない。

改名と、胸オペを決意する。

「おかしなもので、それまですごく自信を持って生活してきたのに、ホルモン注射を開始すると、その自信がどこかにいってしまったんです」

ホルモン注射が身体に合わないこともあり、投与量を調整してもらうなど治療そのものにも苦しんだ。

今までは不安になっても、話を聞いて応援してくれる彼女がいた。

その彼女もいなくなり、自信をなくして精神的に不安定になった。

いよいよ母親を説得

改名や胸オペをする上で、最大の難関は母親だった。

勝手に治療を進めるのは有り得ないと考えていたため、母親に話そうと思った。

「母親は形式的な人だから、診断されたらさすがに認めてくれるだろうと、性同一性障害の診断書を持って説明しました」

それまで、娘を望む母親と衝突しながらも確信的な話しは避けてきた。

しかし、身体にメスを入れることになると、母親がどうしても許さなかった『娘』という枠からいよいよ外れることになる。

「はじめは、『そんなことない!あなたは違う!』と激しく否定していましたね」

母親は、娘が男として生きたいと望んでいることは、もちろん気づいていた。

しかし、見て見ぬふりをして、出来ることならうやむやにしたかったのだ。

母親は、父親のことで心がボロボロになり、鬱病を患っていた。

さらに、娘からも勝手な事情をぶつけられ、女性としても母親としても本当に苦しい時期だったと思う。

母親の気持ちは、痛いほどわかった。

「やり取りをする中で、母親が言った『産みそこなって、ごめんね』という言葉は胸に刺さりましたね」

母親は自分の産み方、育て方を責めた。

父親と不仲で、子どもに愛情を傾ける余裕がなかったことも原因だと後悔していた。

「ゆっくりと時間をかけて話し合いを繰り返すうちに、徐々に母親の気持ちに整理がついて、改名も胸オペもできたんです」

最近、2番目の兄に子どもが産まれた。

「めちゃくちゃ可愛くてよく会いに行くんですが、母親が僕のことを『トモルおじちゃんが来たよ〜』って、孫に紹介するんです」

自分に気を遣ってというより、自然にそう口にしている。

昔より雰囲気が柔らかくなり活き活きとしている。

そんな母を今は自慢に思う。

今では「あなたが幸せならいいんじゃない」と言ってくれるまでになった。

09 一つくらいは母親の誇りになりたい

唯一母親が褒めてくれたこと

いつからか、40歳を過ぎたらマッサージをやってみたいと思っていた。

父親と折り合いがつかなくなった頃、母親は猛勉強をして税理士になった人だ。

そんな母親の背中を見て、自分も年齢に囚われない仕事をしたいと思うようになったのかもしれない。

「母親は身体が疲れやすく、僕がいつもマッサージをしていました。滅多に褒めることはない母親が、僕のマッサージだけは上手だと言ってくれていたんです」

「将来は、私のお抱えマッサージ師さんだね」という母親の言葉が、頭のどこかに残っていた。

都心のオフィス街で働き、日々の生活に疲れを感じていた時に、幼い頃の母親とのやり取りを思い出した。

「母親は60歳を過ぎているので、10年後、20年後にマッサージができるようになっても遅いんじゃないか。そう考えてハッとしたんです。やるなら今だと」

母親の期待に何一つ応えることができなかった自分だが、マッサージで恩返しをすることはできるかもしれない。

「険悪な関係のままだったら、そんなことを考えるなんてあり得なかったです。今、母親と良好な関係になってきて、やっと大事にしたいと思うようになったんです」

マッサージは、頑張りたいと思っていても頑張ることができない人を、元気にできる。

東日本大震災のボランティアを経験し、お金でははかれない尊いものがあると身をもって感じてもいた。

「困っている人がいるなら、できる範囲で助けるって当たり前のことだし、自分の性分にも合っているんです」

鹿児島での生活

今年、ある決断をした。

会社を辞めて、整体を勉強するために鹿児島に引っ越すのだ。

そのことを母親に話すと「あなたみたいな人を雇ってくれる会社はそうそうないんだから、ちょっとの事は我慢したら」と言われた。

「でも、『マッサージのことは、昔から話していたもんね』と言ってくれたんです」

幼い頃のやり取りを、母親も覚えていてくれたことが嬉しかった。

「母親はあまり親らしくない人だと思うんですけど、社会人として女性として凄いと思うし尊敬しています」

今まで、神奈川と東京に住んだことはあったが、地方に住むのは初めて。

鹿児島に行ったら、今のように性別に関係なく自由に振る舞うことは難しいかもしれない。

「新しい環境で、どう感じるかはわかりませんけど、今まで通り僕自身が変わることはないと思います。いろいろ、折り合いをつけてやっていくのでしょうね」

東京を離れることで、一人暮らしの母親のそばにいられなくなる心配はある。

しかし、元気なうちはお互いにやりたいことをやっていけたら良いと思う。

10素直に生きる

モヤモヤっとした気持ち

今まで自分のセクシャリティを隠さずに生活してきた。

今の職場は、治療をはじめてから転職した。

「自分勝手な話なんですけど、今まで性別隠してこなかった分、実は僕が女であることを逆に隠しているようで居心地が悪いときがあるんです」

職場の社長は、自分の戸籍上の性別を知っている。

会社としては他の社員には話さない方針で、自分のことを男性だと思っている人ばかりだ。

「わざわざ仕事に持ち込む話でもないのはわかるし、世の中には、LGBTの人が普通にいることを理解できない人もいるということもわかるんですけどね・・・」

ある時、同僚と厄年の話しをしたら「井上さん、その年齢は女の人の厄年ですよ」と言われた。

「この人マジで僕が男だと信じているんだ!と、なんだか衝撃的でした」

戸籍が女性だとオープンにしても、環境は変わらないと思っている。

それで去る人がいても仕方がないとも思う。

「治療をはじめる前に勤めていた会社では、当たり前のようにセクシュアリティをオープンにしていました」

「その時の社長は、『その性別は個性だから大事にしなさい』と言ってくれていました」

しかし、なぜか今の職場では全てをさらけ出すことを躊躇する自分がいる。

そんな不可解な気持ちを抱える場面が増えてきた。

自分の気持ちに素直であること

今のところ性別適合手術の必要性は感じていない。

また結婚をしたいと思う相手と出逢えたら手術をするかもしれない。

「会社では男性だと思われているから、ただの男性でいなければならない。それって、自分らしいのかな、自分がなりたかった自分なのかなって・・・・・・」

「今まで経験したことのない気持ちなので、戸惑っています」

男性でいなければならないと意識する自分にぎこちなさを感じる。

そのせいで、女性との距離感がわからなくなってしまった。

「治療はもちろん後悔していないです。トランスしていく過程で仕方のないことなのかな」

退職して新しい生活が始まることもあり、幸せに生きるとはどういうことかを考える。

「自分にとっては、気持ちよく生きることが一番幸せなんだと思います」

やりたいことをして、行きたい場所に行き、会いたい人に会う。

「素直であることって実は難しいんですよね。でも、自分に嘘をついたり、逃げたりせずに、自分の気持ちに正直に生きたいんです」

これまで、味わいたくないおもいを噛み締めてきた。

しかし、だからこそ経験できたことは計り知れないし、人とはひと味ちがうこの人生は贅沢だと思える。

誇りにも思う。

社会人になって10年。子どもの頃は全く想像ができなかった生活だ。

偽ることなく生きてきた自分が抱える戸惑いや、恋愛に対する臆病な気持ちは、新しい地に行くことで変わる気がする。そこでどんな出会いがあり、自分がどう変化するか、これからの人生にわくわくしている。

あとがき
初対面でも物怖じしない、相手の懐にスッと入っていける明るさ。別名「甘えん坊」は、ともるさんの強みだ。人懐っこさは、優しく寄り添ってもらうための防御反応とも言える。いつかの淋しさや不安も透けてみえたから・・・そんなことを考えた■正直に生きると決めたときから、ともるさんは新しい道を歩いている。誰かに説明するための目標は、もういらない。お母さんがくれた後押しは、お母さんを幸せにする手技へ。(編集部)

関連記事

array(1) { [0]=> int(25) }