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悩める若者に伝えたい。「手を差し伸べたい大人も、たくさんいるよ」【後編】

悩める若者に伝えたい。「手を差し伸べたい大人も、たくさんいるよ」【前編】はこちら

2020/02/22/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Ryosuke Aritake
増原 ひろこ / Hiroko Masuhara

1977年、神奈川県生まれ。小学生の頃から、同性に恋心を抱く自分に気づき、22歳の時にカミングアウト。大学院生時代に1年ほどパリに留学し、修了後はジュネーブ公館、会計事務所勤務などを経て、LGBTコンサルタントとして起業。プライベートでは、2015年に東小雪さんと渋谷区同性パートナーシップ証明書交付第1号となり、2017年にパートナーシップ解消。勝間和代さんとの交際、別れを経て、現在に至る。

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INDEX
01 親の期待に応えられない優等生
02 女の子に対する明確な好意と疑問
03 本音で話せない自分への罪悪感
04 パリで見つけた私の居場所
05 すれ違ってしまった母娘の気持ち
==================(後編)========================
06 ようやく動き始めた時間
07 本当にやりたいことを模索する日々
08 レズビアンとしての活動と私らしさ
09 同性パートナーとの出会いと別れ
10 救いたいのは、今苦しんでいる人

06ようやく動き始めた時間

世の中に発信していきたいこと

1年間のパリ留学を終えて、帰国。

「パリで心持ちは変わったから、日本でも会う人全員にカミングアウトしました」

「以前みたいに、隠すことはなくなりましたね」

「でも、日本にいると同調圧力を感じて、もうちょっと息がしやすい社会にしたいな、って思い始めたんです」

その頃、橋口亮輔監督が手掛けた映画『ハッシュ!』を見る。

「カンヌ映画祭にも招待された映画で、当時としてはものすごく先進的な作品でした」

子どもを産みたい女性が、ゲイカップルに「つき合うとかではなく、子どもが欲しい」と申し出るストーリー。

「同性カップルでも子どもを持つことを考えていいんだ、って気づかされました」

「そして、いろんな家族の形があることを伝えたいな、って思ったんです」

学園祭実行委員の友だちにかけ合い、学園祭での橋口監督の講演を企画。

その講演は実現し、アルバイトとして携わっていた文芸誌『三田文学』に、講演録を掲載した。

映画祭のボランティア

「帰国してから、LGBTに関してすごく調べたっていうわけでもなかったんです」

「でも、何かやりたいな、って気持ちはあって、できることから始めていきました」

インターネットで情報を探し、「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(現レインボー・リール東京)」の存在を知る。

もともと映画が好きだったため、当然のように興味を抱く。

「帰国した翌年の2002年、『東京国際レズビアン&ゲイ映画祭』にボランティアとして参加しました」

「日本でLGBTに関するイベントに参加するのは初めてで、映画祭の前夜祭は恐る恐る行きました(笑)」

「でも、そこで友だちができて、映画祭も楽しかったですね」

少しずつ少しずつ、自分を取り巻く環境が変わっていく。

07本当にやりたいことを模索する日々

再びフランス語圏へ

大学院修了が間近に迫っても、やりたい仕事は見つからない。

「同期の女の子たちは銀行とか、割といいところに就職が決まってました。私は、みんなと同じような仕事がしたい、とは思えなくて、猶予期間が欲しかったんです」

パリでの生活がよみがえり、またフランス語圏に住みたい、という思いが湧く。

「パリ、ジュネーブ、マダガスカルの在外公館職員の募集があったので、応募したんですよ」

「第二希望のジュネーブに決まって、2年間、スイスで過ごしました」

「ジュネーブでも女性とつき合えて、恋が実ることもあるんだ、って実感していきましたね」

衝動の坊主頭

2年間の任期を終えた2005年。帰国後は、フランス語学校の受付を務める。

「セクシュアリティに関する活動をしたい気持ちはまだ持ってたけど、何をしていいかわからなかったんですよね」

「うーん・・・・・・って考えてたら、衝動で、頭を坊主にしちゃいました(笑)」

髪を五分刈りほどの坊主にし、後頭部に「QUEER」と剃り込みを入れた。

「すごく悩んでたわけじゃなくて、表現の仕方がわからなくて、頭に行っちゃった(笑)」

「『QUEER(クイア)』はもともと侮蔑語だけど、LGBT当事者が抗議活動の中で取り返した言葉だから、好きなんです」

「今は割とおとなしめな格好してますけど、魂は『QUEER』です(笑)」

当時は実家に住んでいたため、母は娘の坊主頭をひどく嫌がった。

「母から『家から駅までは隠しなさい』って言われたし、私も地元では素直に隠してました」

「いざ坊主にしてみると、自分でもイタイと思ったというか、恥ずかしさがあって(苦笑)」

「でも、1回坊主にしたことでスッキリしましたね」

現実的な将来への道

約3カ月間、坊主頭を楽しみ、心も落ち着く。

将来を現実的に捉えるようになり、会計事務所への就職を決める。

「男性と結婚して専業主婦になる道は自分にはないな、って思ったから、稼げる仕事に就きたくなったんです」

会計事務所で働きながら試験を受け、税理士を目指す日々。

「やってみると簿記が面白くて、試験も楽しめましたね。でも、続けていくとやりがいが感じられなくなって、環境を変えたくなっちゃって」

4年間ほど務めた会計事務所を退職し、新たな道を探し始める。

08レズビアンとしての活動と私らしさ

突き詰めたい「自分らしさ」

新たに働き始めた職場は、中小企業や店舗のブランディングを行う会社。

コンサルタントのアシスタント業務をする中で、気づかされたことがある。

「コンサルタントが講演で、『自分らしさを伝えていきましょう』って、話してたんです」

「私の自分らしさってなんだろう、と思ったら、活動したい気持ちにまた火がついて」

1年弱でブランディングの会社を辞め、本格的に活動に向けて動き出す。

「仕事を辞めてから、クイアムービーの『ハーヴェイ・ミルク』や『トーチソング・トリロジー』を見て、さらに触発されたんですよ」

「ハーヴェイ・ミルクに感化されたし、パリで得た主張する精神もあって、活動するなら名前も顔も出したかったんです」

「公的にもカミングアウトして、匿名じゃない形でやりたいなって」

その頃、当時の東京都知事の同性愛者差別発言が、問題視されていた。

「Twitterでデモを呼び掛けている集団があって、そこに参加したのが最初ですね」

10年越しの味方

顔も名前も出して活動するからには、親に黙って始めるわけにはいかない、と感じる。

「親とセクシュアリティに関して話すのは10年ぶりだから、いろいろ考えたんですよ」

「『活動したい』って書いた手紙を置いて、3日くらい旅に出ようかな、とか(笑)」

「最終的には、両親を温泉に誘って、旅行先で『こういう活動をしようと思ってるんだ』って、話しました」

恐る恐る切り出す自分に、父も母も「いいんじゃない」と、言ってくれた。

「また修羅場になったらどうしよう・・・・・・って考えてたから、拍子抜けでした(笑)」

「母は10年の間に、ネットでLGBTのことを見たり、調べたりしてくれてたんでしょうね」

10年越しで味方になってくれた母から1つだけ、「活動はいいけど、仕事はちゃんとしてね」と、釘を刺された。

“レズビアン・アクティビスト” の名刺

以前勤めていたブランディングの会社の隣には、ITベンチャー企業が居を構えていた。

「もともとそこの社長と仲が良くて、仕事を辞めてからも何度か会ってたんです」

ある日、社長から「仕事辞めて、何やってんの?」と聞かれる。

「活動しようと思ってて」と、 “レズビアン・アクティビスト” という肩書の自作の名刺を渡した。

「社長はさばけた人で、『ふ~ん、いいけど、ちゃんと仕事してね』って、迎えてくれました」

再就職したかたわら、初めて抗議デモに参加した団体の運営にも関わるようになっていく。

「私の活動は、デモ行進のアテンドや、政治家を呼んだイベントの運営から始まりました」

「Twitterでも実名で発信するようになって、ネットワークも広がっていったんです」

09同性パートナーとの出会いと別れ

別れを宣言する責任

セクシュアルマイノリティが生きやすい世の中にすべく、活動を続ける中で、ある女性と出会う。

後に、渋谷区同性パートナーシップ証明書を共に提出する東小雪さんだ。

「小雪ちゃんとは『一生一緒にいようね』って約束していたし、いつか結婚式もやりたいな、って思ってたんです」

2012年、ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドに「同性同士の結婚式は可能か?」と問い合わせたことをきっかけに、2人は世の中の注目を集め始める。

「成り行きで目立っちゃっただけで、最初は式を公開するつもりはなかったんです。でも、活動家同士のカップルだったので、あえてメディアで発信しちゃおうかって」

結婚式を機に、レズビアンカップルとして世に出ていくことが増えていく。

2015年には、渋谷区同性パートナーシップ証明書交付第1号カップルに。

「小雪ちゃんとはすれ違っちゃって、『夫婦としてはうまくいかないね』って、2017年に別れました」

「2人で公の場に出ていたので、別れる時もきちんと報告する責任があるかな、って考えたんです」

「報告の仕方は、すごく悩みましたけどね」

自然体でいるための選択

2019年には、交際を発表していた勝間和代さんと別々の道を歩み始める。

「私は、関係を隠したりせずに恋人と街で遊んだり旅行したりしたいタイプです」

「だから、自然体の2人でいようと思うと、カミングアウトしないわけにいかなかったんです」

「かといって、私も勝間さんもカップルで活動しよう、という意思はあまりありませんでした」

関係は公表したものの、2人の生活はあくまでプライベートのもの。

「別れる時も、あまり細かく報告しなくても良かったかな、って部分はありますね」

「週刊誌にはあることないこと書かれていて、それには傷つきました(苦笑)」

自分自身の生き方で示す

顔も名前も隠さず、表に出て行う活動には、いい面も悪い面もある。

「私は、レズビアンの存在も同性カップルの姿も、可視化したいんです」

その人の周りに当事者がいなければ、セクシュアルマイノリティはいないものと扱われてしまう。

自分がメディアに出ることで、街中にもあたりまえのように存在するんだ、と気づいてもらいたい。

「そのためにはいろんなやり方があるけど、私は自分自身が前に立つ活動を選びました」

「自分なりのやり方で、セクシュアルマイノリティの声を届けていきたいんです」

「賛否どちらの意見も聞こえてきますが、まだ実現したいことがあるから、気にしすぎても良くないかなって・・・・・・・」

10救いたいのは、今苦しんでいる人

エンパワーメントの連鎖

セクシュアルマイノリティをサポートする活動の原点にあるものは、学生時代に抑制してしまった感情。

「10歳から22歳まで、悶々と長いトンネルの中にいた経験、当時の悩みは、無駄ではなかったです」

「あそこまで悩まなくていい社会にしたい、って思えるようになれたから」

形は違えど、同じような辛い経験をしている人はいるだろう。

自分の周りでも、差別やアウティングの問題は根強く、当事者の自殺もなくならない。

「無数の人たちが苦しんでいる状況で、私は今苦しんでいる人たちを救いたいんです」

そのため、レズビアンである自分が元気で幸せな姿を見せることで、誰かの救いや支えになりたい。

「思いを持って活動すると、思いの強い人とつながれるし、喜びも増すんですよね。その関係をプラスにするため、できるだけ前向きでいたいな、って思ってます」

なるべくネガティブな面は見せない。活動そのものが、力や自信につながるから。

「前向きな姿を見せて、他者をエンパワーメントすることが、自分をエンパワーメントすることにもつながるんですよね」

時間を要する “意識” の変革

企業に赴き、LGBTと社内、ビジネスとの関連性について、講演することも多い。

「約9年間活動してきて、企業や社会が変わってきている実感はあります」

「やっぱり同性パートナーシップ制度ができたことは、大きな動きでした。ただ、変わり始めているのは規模の大きな企業が中心で、中小企業の変革はこれから」

個人の意識を変えていくとなれば、なおさら時間も労力もかかる。

「 “事例” はすぐに作れるけど、 “意識” を変えるには時間がかかりますね」

セクシュアルマイノリティという存在を浸透させるためにも、情報を伝え合っていってほしい。

「私は大人に対して話すことが多いので、その人たちは子どもや孫、甥っ子、姪っ子とか、身近な子どもに伝えてほしいです」

大人の意識が変われば、子どもたちも自ずと影響を受けていくのではないだろうか。

「もし、悩んでいる若い当事者がいたら、『1人じゃないよ。手を差し伸べたい大人もたくさんいるよ』って、伝えたいです」

目標は「幸せな長生き」

いずれは、1人ひとりが大切にされる社会にしていきたい。

「活動を始める前から抱いている思いで、今でもこの思いがベースにあります」

期待を寄せてもらうことこそが、理想の社会を作るための活動の原動力。

「活動する中で鍛えられたので、期待してもらえると気合が入ります。プレッシャーにはならないですね」

「この先、何があるかわからないけど、60歳になっても活動を続けているイメージはあります」

プライベートをしっかり充実させながら、仕事も活動も続けていきたい。

「そして、すっごく長生きしたいんです(笑)。少なくとも100歳までは生きたいですね!」

「見たい映画や本も、行きたい場所も、やりたいこともたくさんあるから、時間もお金も確保しなきゃ(笑)」

「幸せに長生きしたいですね」

あとがき
冷たい雨の降る日、隔てのない笑顔で現れた増原ひろこさん。これと決めて進む強さ、細かいことは気にしない大らかさ。お話は明確でわかりやすかった■批判者ほど声が大きいけれど、どんなこともエネルギーにかえて、立ち続けてくれる。「ひろこさんの存在で希望がもてた」。たくさんの人が取材でそう語った■あの頃、今の姿を想像できたかな? 20年前のひろこさんに会えたら伝えよう。「あなたの未来には、手を差し伸べてくれる大人がたくさんいるよ」。(編集部)

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