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女性として凛として強く生きていくために、私はファッションで魔法をかける【後編】

女性として凛として強く生きていくために、私はファッションで魔法をかける【前編】はこちら

2017/11/16/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Momoko Yajima
森 宏樹 / Hiroki Mori

1996年、東京都生まれ。フィリピン人の母と日本人の父を持つ。8歳から15歳までゴルフを続け、一時はプロも目指そうとするも断念。中学1年生で性同一性障害を知り、自分はMTFだと思いいたる。中学2年の時に友人、両親にカミングアウトし、高校3年生で女性の服を着て生活するようになる。現在、神奈川大学経営学部に通う3年生。

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INDEX
01 フィリピン人の母と日本人の父
02 オカマとからわれるも、スポーツは得意
03 「ああ!自分はこれか!」
04 性同一性障害をカムアウトする決意
05 両親からの非難と、フィリピンでの受容
==================(後編)========================
06 初めて女性の服を着た日
07 「好きなかっこうができる!」ヒールで走り出す
08 受験から大学生活へ、目まぐるしい日々
09 進路に立ちはだかる高い壁
10 LGBTが自然体で受け入れられる社会に

06初めて女性の服を着た日

ファッションに目覚めた高校時代

入学した高校は共学だったが、男女比が9対1と、女子が圧倒的に多い学校だった。

外国にルーツを持つ子も多く通う高校で、フィリピン人やフィリピンとのハーフの子も多く、そういう子たちとはすぐに仲良くなり、割と早い段階でカミングアウトすることができた。

相変わらず制服は男子の制服で、男子生徒として学校生活を送っていたが、校則はそんなにうるさくなかったので、髪は少し伸ばすことができた。

それに、仲の良い友だちの間では自分のセクシュアリティを明らかにできていたので、これまでのように秘密にしなくてはいけない環境に比べたら、断然、気持ちは楽になった。

ちょうど高校に入った頃に、長年続けていたゴルフを辞め、生活の中にぽっかり時間もできていた。

ゴルフの次にのめり込んだのは、好きだったファッションの世界。

VOGUEやBAZZAR、ELLEなどモード系ファッション誌を読み漁り、パリコレやヴィクトリアズシークレットのファッションショーなどの動画を見ては、憧れを募らせていった。

憧れのスカートに、ヒールを履ける喜び

鏡の前に立ち、背筋を伸ばす。

モデルのウォーキングに「こういう歩き方するんだ」と刺激を受け、見よう見まねで練習してみる。

憧れたのは、冨永愛などのクールなモデル。

凛とした佇まいでスッとウォーキングする姿は最高に格好よかった。

強烈に憧れて、何度も何度も、動画を見返した。

「こんな風になろう!」

夢見る時間は楽しかった。

高3になり、女友だちと一緒に女性の服を買いにH&Mに行った。

初めてのことで、なにより緊張して、怖かった。

目当ての服を見つけたが、自分でレジに並ぶ勇気がなかったので、女友だちにお金を渡して買ってきてもらうほどだった。

最初に自分が女性の服を試着した瞬間のことは、今でもよく覚えている。

レザーのショートスカートに、ヒールの靴。

全身黒系のモード系でまとめ、鏡の前に立つ。

「ふふふ。ずっと鏡を見てました」

友だちが「これ着てみなよ!」と持ってきてくれるものを次々に試着。

「着たの、着たの、どう~? みたいな(笑)。うれしかったですね」

一番気に入ったのは、レザーのショートスカート。

これだけ買って帰り、お守りのように持っていた。

「もうね、眺めてるだけで嬉しい(笑)。鏡見て、足なげーって思って(笑)」

07「好きなかっこうができる!」ヒールで走り出す

やっぱり好きな人に見てもらいたい

「その日」は突然、やってきた。

高校の友だちと原宿やお台場に遊びに行くことになり、意を決して女性の服を着て行ったのだ。

実は、その日は4人で遊びに行くことになっていた。

その中には好きな男の子も。

彼は2つ年下の、ドイツからの交換留学生だった。

欧米人だからだろうか、年齢が若いのに見た目には30歳ぐらいに見えるのもギャップがあっておかしかった。

彼も自分がトランスジェンダーだということを知っていたので、「じゃあ、せっかくなので着てみようかな」と思ったのだ。

これまでも初恋は小学校高学年であったし、中学校でもクラスメイトに片思いしていたことはある。

でも行動に移すことはなく、ただただ、姿を眺めているだけだった。

それが、初めて、一歩踏み出したのだ。
高校3年生の冬のことだった。

もう男の服は着られない

ずっと大切にしていたレザーのタイトスカートを履くときが来た。

コートも買った。

ちょっと丈短めで、足がきれいに見えるようなライン。

それにヒールの靴も買っておいた。ふつうのところを探しても大きなサイズはあまりないので、やはりH&Mで揃えた。

化粧も、いろんなものを参考にして頑張った。

みんなの反応は良好。

「えー、いいじゃん、似合ってるよ」

初めて女性の服で外を歩き、開放感でいっぱい。

楽しかった。

「好きな格好ができるー!って、ヒールで走りました(笑)。舞い上がってましたね」

家族にはまだ見せられないと思ったので、誰にも気づかれないよう素早く家を出た。

大きめの袋をかばんに入れておき、帰りは近くの公衆トイレで着替えて自宅に戻った。

「その日はすっごい嬉しくて、もう男の服は絶対着ないって決めました」

この日以降、本当に私服でメンズの服を着ることはやめ、今日にいたっている。

08受験から大学生活へ、目まぐるしい日々

恋するパワーは勉強にも効果あり

彼とはその後もいろんなところに遊びに行った。

日本語を教えてほしいというLINEがよく来ていたので、時間が合えばたまに会っていた。

「一通りのデートスポットは回ったと思う(笑)」

彼は16歳の時点で、ドイツ語、英語、ロシア語の3か国語が話せる人だったので、お互いの会話は、英語ベースの日本語だった。

当時の自分の英語力は、自信を持ってできるとも言えないが、できないとも言えない、そんな感じ。

でも、コミュニケーションは取れるし、単語を日本語に訳すことはできた。

この時、高校3年生で受験生だったが、予備校は行かず、赤本や参考書を買って自力で勉強していた。

「勉強? できてない、できてない(笑)。バカだもん~」

しかし、彼に日本語を教えることは、自分の英語の勉強にもなるのだった。

「あと、『受験頑張ってね』とかLINE来ると、やっぱり頑張っちゃう(笑)」

自分を奮い立たせ、なりたい自分へ一歩近づく勇気を与え、勉強を頑張るエネルギー源にもなる。

恋の力のなんとすごいことか。

当時、姉が国際協力の仕事をしていて憧れはあったが、まだ明確な将来の夢や目標は持てなかった。

ただ、親や先生の勧め、そして周りの友だちが大学に進学することもあり、自分も大学へ進む道を選んだ。

気後れしてしまう大学の雰囲気

大学では女の子の友だちが1人だけできた。

サークルには入っていないので、高校の時のような仲の良い友だちを作るのも難しい。

ゼミには所属していても、あまり仲良くなれる雰囲気ではなく、先生にも話せるような人はいない。

片道2時間かかる大学には、毎日用を済ませに行っているような感じだ。

ジェンダー論などの授業でもあればおもしろいのかもしれないが、ジェンダーの歴史を日本の地域論の中で触れる授業ぐらいしかない。

誰でも参加できるような他大学のLGBT関連のインカレサークルもあることは知っているし、興味もあることはある。

とは言え、自分の中ではどうしても、「あるんだ・・・・・・」程度で終わってしまう。

ただ、20歳になる節目に、LGBTのカミングアウトをする撮影プロジェクトに参加した。

「記念にやってみるか、って感じの、軽いノリでしたね」

結果としてそこで、受付をしていたパンセクシュアルの女の子と仲良くなるなど、新たな出会いもあった。

今年に入って始めたバイトもあり、学校生活と両立させるのはかなりハード。

正直、多忙だが、そろそろ卒業後の進路を考えなければいけない時期にもさしかかっている。

09進路に立ちはだかる高い壁

女性としてのプレーが難しいとゴルフを断念

そう言えば、8歳から15歳まで続け、一時期はプロを目指していたゴルフは、なぜやめたのだろうか。

「ゴルフをやっている時から自分の性自認にはなんとなく気づいていて、プレーの参考にするのはみんな女子プロ」

「動画も女子ばかり見てたので、私も気分は女子プロみたいになってたんです」

「でも大会に出るとなると、女子としてプレーできるわけじゃないので、それで一気に “違う!” みたいな感じで、一気に気が失せちゃって」

中学でのカミングアウト以来、自分が女性だという意識がはっきりするにしたがって、男性側に入れられることに抵抗感が強くなってきた。

老若男女ミックスでよいコンペはおもしろかったが、男女で分けられる大会に出るのは気が引けた。

「本当は、将来的にも女性としてプレーしたかったんです。でも、すごく遠い未来まで考えちゃって」

「最終的に性転換して女子で大会に出るとしても、もともとの男性ホルモンの量のことまで言われると思うんです。陸上のセメンヤ選手を見ててもそうじゃないですか」

女子として競技に参加し、オリンピックはじめ数々の大会で素晴らしい成績を収めていたセメンヤ選手は、インターセックスという医学的に男女どちらの特徴も持つことで物議をかもしていた。

「ああ、やっぱりこうなるんだ、って思ったら気持ちが一気に萎えちゃったんですね」

それに、インターネットで調べてみると、ゴルフのクラブハウスには性差別的な慣習が残っているところが多いようで気になった。

「見た目が女の子でも、手術して完全に性転換している状態でも、戸籍が男性だったら男子の方を使ってください、って言われるみたいで」

ゴルフ自体は好きだったし、できれば続けたかった。

だが結局、女性として扱ってもらえない以上、ずっとやっていくことはできないと、やめた。

「働く」を叶えるうえでの戸惑い

現在は、新宿二丁目にあるミックスバーでバイトをしている。

それまで飲食やイベント会場の設営の仕事など、結構バイトの面接は受けていた。

今さら男扱いされてもと、女性として雇ってもらえるところを探した。

しかし面接で落とされることが続き、中には「あなたみたいな人は初めて」と、どう扱って良いのか分からないといった反応を受けることもあった。

「ふつうのバイトに落ちてたから、最後、二丁目にかけてみようかなって、ネットで探して受かったのが今のバーです。それはありがたかったですね」

大学3年生のいま、今後の進路を考え始めているが、正直、どんな仕事に就きたいかなど、具体的な目標はまだ見えていない。

女性として働きたいという思いは強く、それをきちんと受け入れてくれる会社がいいと思っているが、まだまだ社会のハードルは高い。

きっと就活でもネックになるのだろう。

「どの会社がLGBTに寛容かとか、まだきちんと調べていないので、これからですけどね」

戸籍の性別を変えることも考えているが、手術は経済的にも身体的にも負担が大きい。

そのためまずは精神科医にかかってGIDの診断を受けて、ホルモン治療から始めていきたいところだ。

手術は25歳ぐらいまでにできたらいい。

遅くとも30歳までには絶対やりたいと思っている。

10LGBTが自然体で受け入れられる社会に

学生時代にみんながLGBTを理解してくれていたら

13人に1人。

社会の中に性的マイノリティがどれぐらいいるかを表わす数字だ。

学校にも、社会にも、私たちの周りに必ずいるはずなのだ。

「でも、学校にいる間はほとんど見かけなかったですよね」

見かけなかったということは、それだけ息をひそめていた子がいるということ。

「卒業して久しぶりに会ったら、あ、ゲイだったんだ~って子は何人かいましたね」

「向こうも私のこと、やっぱりトランスジェンダーだったんだね、とか。卒業してからそういうことはありましたね」

最初の頃は化粧も未熟で、髪も伸ばせていなかったから、「あいつ男?」という声が聞こえてくる度にショックを受けていた。

自撮りした画像がおもしろおかしくSNSで拡散されたこともある。

学校にいる時、もっと周りの子たちがLGBTについて理解してくれていたら、と思わないではない。

「でも、今はもう、どうとでも言えば?って感じ(笑)」

「文句言わせねえぞって、威圧しながら歩いてるから(笑)」

正直、今もまだ気持ちに波はあるけれど、それでも誰にも言えなかった時よりいい。

カミングアウトして本来の女性の姿で生活している今の方が、だいぶ生きやすいのだと思う。

学校で多様性についての教育を

社会に望むことがあるとすれば「単純に、理解を持ってほしい」、ただそれだけだ。

「まだ頭が柔らかい子どもたちに、幼稚園や小学校の頃から、こういった多様性のことを道徳の授業とかで触れてほしい」

「やっぱり大人になるにつれて価値観が固まり、先入観を持つようになると思うから」

「上の世代を変えていくのは無理だと思うけど、下から変えていけば、社会が変わっていくんじゃないかな」

本当は、できればおおごとにせず、自然に受け入れてほしい。

「今はまだ、大きく取り上げないといけない時期なんでしょうけど、最終的には、『ああ、そうなんだ』で終わってほしいんですよ」

「『ふーん』で、あっさり終わってほしい」

個人的な経験から、高校や大学というのはとてもカミングアウトしにくい時期だと思っている。

自分も両親にカミングアウトすることで反発にあい、つらい時期があったからなおさら、絶対にカミングアウトしなければいけないとは言えない。

でも。
あえて言いたい。

「私の記事がたとえば高校の先生の目にとまって、もし学校の授業で使ってもらえたら」

「悩んでるLGBTの子の背中を押すきっかけになればいいな、と思うんです」

不安も心配事も尽きないし、落ち込んだりへこんだりもあるけれど。
それでも、自然体で、ありたかった姿で生きられている今を、自分自身を大事にしたい。

鏡の中に映る、強く、凛とした、クールな自分を見つめて。
負けないよ。

胸のうちで呟きながら、今日も颯爽と歩こうと誓っている。

あとがき
繊細な揺れが見え隠れした森さんのインタビュー。抱える気がかりは、中身も重さもみんな違うけど、なぜか他人のそれは見えにくい。自分だけがツキから見放されたと感じた10代を思い出す■「貴重な体験だったので、ちょっと恥ずかしかったですが、MTFだからっていう引け目を感じることは少なくなりました(笑)」。取材の後にメッセージを寄せてくれた森さん■紡ぐ言葉が自分だけの呪文になる。いつか消えない魔法になっていく。(編集部)

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