INTERVIEW
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女性として凛として強く生きていくために、私はファッションで魔法をかける【前編】

12㎝のヒールを履いて、すらりと長い手足をしなやかに動かして歩く。ほりの深い顔立ちに切れ長のアイメイク。スーパーモデルの冨永愛に憧れていたというのもうなずける雰囲気の持ち主だ。反面、話していると、すごく気の小さい、自信のなさも感じる不思議なバランスの人だ。大好きなファッションは、自分が強く前を向いて歩くための鎧。強く、美しく、生きていきたいと願う森さんの等身大のいまを見つめてみたい。

2017/11/14/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Momoko Yajima
森 宏樹 / Hiroki Mori

1996年、東京都生まれ。フィリピン人の母と日本人の父を持つ。8歳から15歳までゴルフを続け、一時はプロも目指そうとするも断念。中学1年生で性同一性障害を知り、自分はMTFだと思いいたる。中学2年の時に友人、両親にカミングアウトし、高校3年生で女性の服を着て生活するようになる。現在、神奈川大学経営学部に通う3年生。

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INDEX
01 フィリピン人の母と日本人の父
02 オカマとからわれるも、スポーツは得意
03 「ああ!自分はこれか!」
04 性同一性障害をカムアウトする決意
05 両親からの非難と、フィリピンでの受容
==================(後編)========================
06 初めて女性の服を着た日
07 「好きなかっこうができる!」ヒールで走り出す
08 受験から大学生活へ、目まぐるしい日々
09 進路に立ちはだかる高い壁
10 LGBTが自然体で受け入れられる社会に

01フィリピン人の母と日本人の父

頑張り屋でパワフルな母

家族のことを話す時、とにかく母はすごい、と思う。

言葉が分からない状態で幼かった姉を連れてフィリピンから来日。

一生懸命、勉強して日本語一級を取得。タガログ語と日本語の通訳にまでなった。

いまはそれだけでなく、日本語適応指導という、学校で外国にルーツを持つ子どもたちに日本語を教える仕事をしている。

対象は小学生から中学生、最近は高校生もいる。

外国籍の子はいきなり日本の授業に参加できない子も多いので、まずは言葉のハードルをクリアさせる、大切な仕事だ。

詳しくは知らないが、父とはフィリピンにいる時に知り合い、姉が生まれたようだ。

15歳年上の姉は5歳の頃まで母とフィリピンで過ごしていたと聞く。

逆算すれば、母は20歳の頃に姉を産んだことになる。

パワフルで、頑張り屋の母は、気がつくと父の代わりに家計を支える存在だった。

「父はずっと家にいて、何しているのかよく分からない。いっとき会社を経営してたみたいだけど、今は交流がほとんどないし、謎です」

姉とは年が離れているため、お姉ちゃんというより、小さなお母さん。

自分が生まれた時、姉はもう高校受験生。

小学校に上がる頃には成人して家にいないことも多かったので、ほとんど自分は一人っ子のような状態だった。

「すごいしっかり者で、いつも私と母が姉に怒られてます(笑)」

幼少期のもやもや「あなたは男の子なんだから」

小さな頃から仲のよい友だちは女の子ばかり。

遊びも女の子と同じことをしていて、男の子と交じって遊ぶことはほとんどなかった。

それなのに、幼稚園のプールの授業では、仲のよい女の子の友だちと更衣室が別にさせられてしまう。

友だちは、バイバーイと手を振り女子更衣室へ。

「あれ? なんで私こっちなんだろう?」

幼心にそう思った。

どうも、ナヨナヨした男の子、という印象だったのだろう。

小学校に入ってからは、親にも先生にも「男の子なんだから」と言われることが増えた。

覚えているのは、図工で小さな椅子を作った時のこと。

最初は他の女の子と似た感じの、ピンクなど暖色系の色を選んでいたのだと思う。

それを見た先生がかけた言葉は、「森くんは男の子だから、こっちの色の方がいいんじゃない?」。

「結局、そう言われて色を変えて、黒と黄色のミックスになりました。ハチみたいでしょ(笑)」

プールで男の子の海水パンツをはくのも恥ずかしく抵抗があったが、従った。

髪の毛は短かく切りそろえ、一人称は「ぼく」。

服は母が用意した男の子のものを着て行った。

「でも本当は、男の子の服を着るのは嫌だったんです。自分で選ぶとしたら、本当は女の子の服の方がよかった」

02オカマとからかわれるも、スポーツは得意

女の子のように丸みを帯びた身体にはならない

小学校に入っても友だちは女の子ばかり。

しかし、徐々に自分の身体が他の女の子とは違うことにも気がつき始める。

高学年にもなれば、女の子の身体つきはふっくらと変化し始め、男子もそれを意識するようになる。

小学校6年の時、クラスメイトの女の子のお尻が大きくなってきたのを見て、男子がからかった。

「ケツでか!」

その場面を目撃していた先生が「女の子はこれから身体が丸みを帯びてくる時期なんだよ」と。

その男子生徒に説明したのを見て、思った。

えっ、あたしは?
あたしの身体は?

結局、自分の身体は女の子のように丸みを帯びていくことはなかった。

友だちから疎外されることもなく、みんな一緒に遊んでくれたが、仕草や話し方が女の子っぽいせいか、「オカマ」といじられることはよくあった。

「男子からも女子からもあったけど、やっぱり男子からいじられることは多かったですね」

「一番言われたのは走り方かな。内股とか、手の振り方とか」

それでも足は速く、徒競走はずっと1位だった。

「だから『走れるオカマ』って言われてました(笑)」

今だから明るく話せる。

でも、当時はやっぱり、オカマ、オカマと言われるのは、いい気はしなかった。

宮里藍に憧れてのめり込んだゴルフ

足が速いのもあるが、スポーツは好き。

プロゴルファーの宮里藍に憧れて、8歳からゴルフを始めた。

「藍ちゃんのプレーをテレビで見て、すごい!おもしろそう!って」

最初は父に手ほどきを受け、打ちっぱなしへ。ゴルフのおもしろさにハマり、学校帰りと休日は練習に明け暮れた。

自分用のゴルフクラブを揃えてもらい、コースにも出た。

「単純に、打っててボールが飛ぶのが楽しかったんですよ。自分の球すじが、左に行って右に向かって、そしてまた真ん中に戻る、みたいなのを見ているのが楽しかった」

スコアや順位を上げたいというより、ただもう、打っているのがひたすら楽しかった。

その頃、同世代はみんなサッカーで、ゴルフをする子は周りにまったくいなかった。

「走れるオカマだし、ゴルフやってるし、不思議だよね、って小学校の頃から言われてました(笑)」

「珍獣みたいな感じで見られてたと思う」

03「ああ!自分はこれか!」

初めて見る、MTFのトランスジェンダー

物心ついた時から自分は “女の子” という感覚は消えなかったが、当時はまだ、性同一性障害という言葉も知らない。

自分が何者か分からない中で、もやもやした日々を過ごしていた。

そんなある日、自分のセクシュアリティをハッキリと自覚する出来事があった。

「中学1年生の時、“元男だけど女にしか見えない” みたいなテレビ番組の企画で、タレントのはるな愛さんと佐藤かよさんを見たんです

「こういう人いるんだ~!って、思いました」

テレビでは「性同一性障害」という言葉も紹介されていたので、インターネットで検索して調べたところ、自分に当てはまることばかり。

ああ、自分はこれだ。

ストン、と腑に落ちた。

自分は性同一性障害であると自覚すると、これまでの様々なことに納得がいった。

しかし同時に、「この身体は嫌」と強く思うようにもなった。

「はるな愛さんのプロフィールに性転換したことが書いてあって、その時初めて、ああ、身体って変えられるんだ、私も変えたい、って思いました」

ただ、手術や治療によって身体を変えられると知ると同時に、自分はもともとの女の子ではないのだということを思い知らされた。

「それまでは、身体はまあ男なんだろうな、というのはあったけど、気持ちは全然男になれなくて」

「『男、男』って言われても、えーって思ってたんだけど(笑)」

改めて突き付けられる現実に、やはり少し落ち込んだ。

少しずつ、女子の側に寄せていく

中学校は校則が厳しく、身なりについては細かい規定が定められていた。

特に髪型は、もみあげ禁止、前髪は眉上、後ろの髪も襟につかない長さ。かなり短髪にしなければならなかった。

そして制服のブレザーは、もちろん男子のものだった。

「本当はスカートがいいな、って思ってたけど(笑)」

いつもそう思いながら、親にも先生にも自分の性に関する違和感を言葉にして伝えたことはなかった。

仕方がないと、あきらめ、従っていた。

「言いなりになってただけ」

と振り返るが、実際のところ、周りの反応が怖くて言えなかった。

しかし、性同一性障害だと気づいてから、少しずつ自分の中で変化も生まれてきた。

とにかくインターネットで情報をあさり、いろんなことを知った。

そして知れば知るほど、気持ちは高まっていく。

「そこから、まず文房具を女子っぽい方に寄せていきました(笑)。ハンカチの色もなんとなく女子っぽい色、暖色系にしてみたりして(笑)」

目立たないところから、ちょっとずつ。

ずっと抑えてきた気持ちがむくむくと起き上がってくるのを感じつつ、だんだんと隠していることが辛くなり始めていた。

「言わなきゃいいんだろうけど・・・・・・。なんだろう、自分のキャパがオーバーしちゃう感じもあって、その時は誰かに言いたかったんだと思う」

04性同一性障害をカムアウトする決意

自然体で受け入れてくれた友だち

「私、性同一性障害なんだよね」

初めてカミングアウトしたのは中学2年生の時。

相手は小学校から仲よくしていた女友だちだった。

「それなに?」と聞かれたので、これこれこうだよと、ネットで調べたことを伝えた。

友だちは「へぇ~、いいじゃん!」と言ってくれた。

「『だって別に、今までも女の子っぽかったじゃん。走れるオカマだったしね』って(笑)」

最初のカミングアウトの相手が、そう、自然に受け入れてくれたのはとても助かった。

スッキリと、胸のつかえが取れた感じがした。

その後、もう1人、中学で仲良くなった女の子にも伝えた。

一応、内緒にしてねとお願いはしたが、友だちの態度や言動が変わることもなく、むしろさらに仲良くなった。

「言いふらしたりもしなかったし、ほんと、中2にしては珍しいですよね。いい友だちだ(笑)」

友だちへのカミングアウトで肯定されたこともあり、女の子として生きていきたいという思いは、どんどん強くなっていった。

それなら、母も認めてくれるのではないかと思った。

置き手紙での告白と、母のパニック

中学2年生も終わる頃、母に伝える決意をする。

「やっぱり最初に家族に知らせるなら、お母さんかなって」

しかし、直接、面と向かって言う勇気はなかった。

そこで手紙に気持ちをしたためて読んでもらうことにした。

手紙には、自分が性同一性障害であること、そして、将来的には女性として生きていきたいことも書いた。

手紙は、朝、部屋のベッドの上、母の見えるところに目立つようにポンと置いた。

「気づけ~!って(笑)。ドキドキでした」

母は読んでくれるだろうか。読んでどんな反応が返ってくるだろうか。

考えると怖かったが、その手紙を置いて、学校に行った。

そして、学校から帰ると、母がいた。

「まあ、反対されましたよね(笑)」

母は怒っていた。

「『なにこれ!!』って、超怒ってて。だんだんカッーっとして、途中からタガログ語になっちゃったのは覚えてる(笑)」

手紙を書くのに気力を使い果たしていた自分には、母の怒りに対して反抗する力は残っておらず、ひとまずその場は、怒られて、終わり。

母へのカミングアウトは、失敗に終わった。

そしてほどなくして、東日本大震災が起こった。

05両親からの非難と、フィリピンでの受容

父から受けた「お前は人間じゃない」という言葉

震災があった後のある日、父に手紙のことがバレた。

恐らく母が言ったのだと思う。

両親と自分との話し合いがあり、父にも、自分は性同一性障害なのだと、いずれは女性として生きていきたいと告げた。

父にしてみれば、自分の理解できないことが一気に押し寄せ、パニックになったのだと思う。

左の顔面をグーで殴られたのだ。

父からは、「お前なんか人間じゃない!」という言葉が投げつけられた。

「『ふざけるな! お前がこんなだから地震が起きたんだ!』って。えっ!なにそれって(笑)」

その後も父は何か言っていたと思うが、もう覚えていない。

とにかくひとり部屋に戻って、ボーっとした。

両親の激しい抵抗を受け、さすがに2対1で責められた時には言わなければよかったと思った。

それでも「言えた」という達成感は確かにあった。

「とりあえず、伝えておいた方がいいと思った人には伝えたし、もう隠さなくていいんだって」

「言った後の方が気持ちは楽になりました」

父はそれ以降この話題に触れることはなく、現在までほとんど会話はない。

フィリピンで受け入れてもらう経験をして

両親へのカミングアウトをした年の夏、母の生まれた国、フィリピンへ行った。

最初は反対していた母も、その頃にはある程度理解してくれていて、フィリピンの親戚たちには母から話してくれた。

「そしたら親戚たちがみんな、いいよいいよ、いいじゃんそれで、って言ってくれたんですよ」

すごくホッとした。

親戚が受け入れてくれたことで母も吹っ切れたのか、さらに態度が柔らかくなった。

フィリピンの人たちは、国全体で見てもとてもおおらかだと思う。

だが、LGBTについて受容する向きもあるが、やはりキリスト教国として、同性愛やLGBTを悪として見なす空気もあり、同性婚は法律で明確に禁止されている。

厳格なカトリックの家庭では、自分の子どもがセクシュアルマイノリティだと分かると、親子の縁を切るところもある。

実際、フィリピン人のいとこは自分とは逆のFTMのトランスジェンダー。

それを知った敬虔なカトリック教徒のおばはショックで入院し、数年前に、親子は完全に離れ離れになった。

また、去年訪れた時には、9歳のいとこがゲイなのではないか、どうしたらいいかと、おじから相談を受けた。

「私は日本から来て、しかも自分の子じゃないから、みんなまだ認めやすかったのかもしれないですね」

「・・・・・・自分の子どもだったら受け入れがたいのかも」


<<<後編 2017/11/16/Thu>>>
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06 初めて女性の服を着た日
07 「好きなかっこうができる!」ヒールで走り出す
08 受験から大学生活へ、目まぐるしい日々
09 進路に立ちはだかる高い壁
10 LGBTが自然体で受け入れられる社会に

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