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性同一性障害を受け入れ、自分らしく生きる【前編】

30歳を過ぎるまで、肉体的にも社会的にも女性として生きてきた和泉さん。「女性の気持ちも男性の気持ちもわかるから、『自分』に生まれてよかったなって、今では前向きに考えられています」と、屈託のない笑顔で語る。常に心の片隅にモヤモヤとした悩みを抱きながらも、和泉さんは前向きに人生を歩んできたという。そんなポジティブシンキングの秘訣を、存分に紐解いていきたい

2017/11/19/Sun
Photo : Rina Kawabata  Text : Mana Kono
和泉 遥大 / Haruto Izumi

1974年、神奈川県生まれ。幼い頃から性別に違和感を抱きながらも、20代後半まで性自認を模索しながら過ごす。30歳を過ぎてから自身がFTMだと気づき、タイでSRSを受ける。現在は、箱庭心理セラピストとしてサロン「RELAX&箱庭セラピーゆくい」を運営するほか、インターネットラジオ「ゆめのたね放送局」のパーソナリティも務める。

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INDEX
01 「女の子が好き」って言っちゃいけない
02 男の子がうらやましい
03 ハーレムだった女子大生活
04 カミングアウトされる側にも、葛藤はあるはず
05 恋愛は素晴らしい
==================(後編)========================
06 レズビアンではなく、FTMなのかも?
07 アラサーだけど、「男」としては1年生
08 男女どっちつかずなところが僕の個性!
09 感情をまっすぐ表現できるようになった
10 マイノリティでも人生を楽しめるはず

01「女の子が好き」って言っちゃいけない

初恋は女の子

「女の子を好きだと自覚したのは、かなり早かったです。幼稚園くらいの頃かな」

初恋の相手も、もちろん女の子。

でも、当時はそれがそんなにおかしいとは思っていなかった。

「その時はちょっと引っ込み思案だったから、好きな子のことを『かわいいな』って思いながら、いつも遠目に見てる感じでした」

小学生になってからも、女子たちの輪になかなか入れない時もあり、周囲から一歩引いたような存在になっていたと思う。

「その頃になると、みんな好きなアイドルの話や、恋バナとかするようになるじゃないですか?ストレスも感じました」

でも、当時女子たちの間で流行っていた「光GENJI」などには、まったく興味を持てなかった。

どちらかといえば、女性アイドルの方が気になっていたから。

「そのあたりから、恋バナをするなら、好きな相手は男子じゃないといけないんだな、ってなんとなく学んでいきました」

「だから、女の子が好きだってことは言っちゃいけないんだろうなって、子どもながらに感じ始めてましたね」

「好きな男子のタイプは?」と聞かれても、気になっている女子を頭のなかで男子に変換して答えていた。

「でも、だんだんそうやって変換するのも面倒になってきたから、恋バナが始まったら輪からスーっと離れるようになっていったんです」

とは言え、恋バナ意外には問題なく友だちと交流できていた。

スカートは嫌、キュロットはギリギリセーフ

母はとても多才で、絵を描くのも手芸も、なんでも器用にできる人でした」

その影響があってか、小さい頃は絵を描くのが好きで、“画家になりたい” は、いくつかある夢の一つだった。

父はあまり威厳のあるタイプではなく、親というより長男のような人だった。

「背が高くて、スレンダーな姉もいます。僕は小さい頃から背も低かったので、いいところは全部お姉ちゃんに持ってかれちゃった感じですね(笑)」

幼い頃は、親に言われるままに服を着ていたが、だんだんとスカートに抵抗を覚えるようになっていった。

「百歩譲って、キュロットまでは履いていたんです。でも、物心ついてからは学校の制服以外でスカートを履くことは一切ありませんでした」

学校の友だちとは、男女まんべんなく仲良くしていたと思う。

「ただ、女子は小学校高学年くらいになると、徐々にグループで集まるようになるじゃないですか」

「僕はあれが性に合わなかったから、中立の立ち位置を取っていました」

02男の子がうらやましい

男子へのライバル意識

中学生になっても性自認がはっきりしていなかった。

なんとなくモヤモヤを感じながらも、自分では「ボーイッシュな女子」だと思っていた。

「だから、制服のスカートを着るのもそれほど嫌ではなかったし、ルールに抗ってまで制服を着ないという選択肢もありませんでした」

だが、その頃になると、肉体にも変化が出てくる。

体が全体的に丸みを帯びてきたり、胸が出てくることも好ましく思えなかった。

むしろ、背が高くて筋肉質な体型の男子たちをうらやましいとさえ思った。

「男子のそういう体型を『かっこいいな』と思うことはあったんですけど、恋心とは全然違うものでした」

そして、男子に対して憧れ以上にライバル意識を抱くようになっていく。

女子たちが男子に熱い視線を送っているのを見るのが、何より苦しかったから。

女の子に好きになってもらえる、男子がうらやましかった。

「多分、自分も女子にそういう目で見られたかったんだと思います」

「女の子に恋愛対象として見られたかったし、そう見られている男子をうらやましく思っていました」

中学時代の恩師

中学生の時に通っていた個人塾の先生が、自分にとっては恩師のような存在だった。

「自分では楽観的な性格だと思っていたんですけど、きっと傍目には何かにじみ出ているものがあったんでしょうね」

セクシュアリティの悩みというよりは、思春期ならではの危うさを抱えていたのかもしれない。

「先生に直接相談したわけではないんですけど、自然と僕のそういう異変に気がついてくれたみたいなんです」

「家にいて落ち着かなければ、うちに来てもいいのよ」と、声をかけてもらった。

そうやって気にかけてくれた先生には、感謝の気持ちしかない。

「先生はとても特別な存在でした」

「僕が今セラピストをやっている上で、考え方の基盤になったような人だったんです」

その先生がいなければ、もしかしたら荒んだ思春期を送っていたかもしれない。

03ハーレムだった女子大生活

自分はレズビアンなんだろう

高校までは広島の学校に通っていたが、大学は関西の女子大に進学。

それと同時に、一人暮らしもスタートさせた。

「志望校の中で、合格したのがたまたま全部女子大だったんです」

「今でも、『女子大はつらかったんじゃない?』って聞かれたりもしますが、僕としては、逆にハーレムで最高でした(笑)」

「だから、4年間ずっと楽しんで生活してたし、これといった大きな悩みもなかったと思います」

周囲に男子もいなかったから、万々歳の環境だった。

「共学じゃなかったので、男性を意識しないですんで、すごく楽でした」

「ただ、あとあと戸籍を変えて就活した時に、履歴書に『女子大』とは書きにくくて、色々ごまかしたりもしましたけどね(苦笑)」

なんとなくではあるが、キャンパスには自分と同じような雰囲気をまとった学生もいた。

「きっとセクシュアルマイノリティだろうなとは思いつつも、勇気がなかったから自分から声をかけたりはできなかったんですけど・・・・・・」

もちろん、当時はまだLGBTという言葉もさほど一般的ではなかったし、自分自身、まだまだ知識も乏しかった。

「だから、『女の子なのに女の子が好き』ということで、短絡的に自分はレズビアンだろう、と思ってたんですよね」

「だから、僕はまさか自分がトランスジェンダーだとは考えもしなかったんです」

当時は、今よりもさらにセクシュアリティの線引きが曖昧だったし、インターネットもあまり普及していない時代。

自分と同じように誤った性自認をして、どこかしっくりこない当事者も多かったんじゃないかと思う。

学生時代、7年間ずっと片思いしている女性がいた。

「さすがにもう自分の中で終止符を打ちたい、踏ん切りをつけたいと思って、彼女に告白したんです」

しかし、彼女から返ってきたのは、「和泉が男だったらよかったのに」という言葉だった。

「向こうは向こうで、よく考えた上で言ってくれたと思うんだけど、当時の僕は『付き合えない理由はそこなの?』と思ってしまって、すごくショックでした」

「消化のしようもないし、本当につらかったです・・・・・・」

性格のように変えられる部分ならばともかく、性別というどうしようもない要素を突かれてしまったから、どうしても受け入れられなかった。

だが、そうした失恋のショックを友人に相談するにしても、性指向について話さなければ始まらない。

「それで、親しい友だちにもカミングアウトしました」

「その勢いで、もう家族にも言っちゃおうって思ったんですよね」

04カミングアウトされる側にも、葛藤はあるはず

家族へのカミングアウト

家族にカミングアウトしたのは、大学を卒業して少し経った頃だった。
                    
「話そうとは思ったものの、直接顔を会わせてだと言いにくかったので、手紙を書いたんです」

当時はまだ自分のセクシュアリティに気づいていなかったから、手紙には「じつは、女の子が恋愛対象なんです」とだけ綴った。

親からの返事には、「そういう悩みをひとりで抱えていたのに、気づいてあげられなくてごめんね」と書かれていた。

この文面だけ見れば、一見前向きに受け入れてくれているように感じられるかもしれない。

「でも、家族には家族なりの葛藤があったと思います」

まだ一般的にLGBTが認知されていない時代だったから、きっと家族もどう受け止めればいいか悩んだだろう。

「姉は、『あんた、前からずっとそんな感じだったもんな』って、軽く言ってくれましたが、両親は戸惑いもあったはずです」

「しかも、僕は昔から男子に対するライバル意識がすごく強かったから、家族は僕がただの男嫌いだと思ってたらしいんですよね」

だから、最初は「男嫌いなのを勘違いして、自分を男と同化しているんじゃないの?」と言われたりもした。

「そうじゃなくて・・・・・・って思ってはいたんですけど、その時は自分でもまだうまく説明できなくて」

核心の部分はうやむやのまま、その後の数年間を過ごした。

もっと家族に相談すればよかった

「その後、性自認が明白になって性転換手術を受けようって決意した時も、家族には全部事後報告だったんですよね」

どのような道を選ぶかは全部自分ひとりで考えた。

家族には「こうするから」としか伝えていなかった。

「ほとんど相談せずに決めていたから、家族からすれば置いてけぼりにされた感覚が強かったんじゃないかな」

「それに、最初は『女の子が好きかも』って言ってただけだったのに、数年たって突然『自分は男です』って言われてもね」

「普通は急展開すぎてびっくりしちゃいますよね・・・・・・(苦笑)」

30年以上、「娘(妹)」として接してきたのに、急に「息子(弟)」だと突きつけられて、戸惑ってしまう気持ちもわかる。

「家族も家族で大変だっただろうなって、今だからこそわかります」

今となっては、申し訳ないことをしてしまったと思う。

「名前を変える時にも、元の名前をつけてくれた親には相談せず、自分で勝手に変えちゃったんですよね」

「親にも『こんな名前はどうかな?』ってちゃんと相談して、いい意味で家族を巻き込んだらよかったかなって、後々反省しました」

「当時は、自分のしたいことだけが頭にあって、家族のことまでは考えられなかったんだと思います」

今では、そんな家族も自分の性をなるべく尊重しようと努力してくれている。

たとえ性別が変わっても、親からすれば、いつまでたっても子ども。

子どものままなのかもしれない。

05恋愛は素晴らしい

はじめての彼女

大学を卒業してから、はじめて恋人ができた。

「その頃になって、ようやくネットでセクシュアルマイノリティが集まるサイトを見つけたんです」

「『こんなサイトがあって、こんなにもいろんな人がいるんだ!』って、すごく衝撃を受けたのを覚えています」

そこからはネットを通じて友人もでき、頻繁に他県に足を運んだりもしていた。

「そのうちに好きな子ができて、お付き合いをしたのが20代半ばくらいでした」

「ただ、当時はなぜだか恋人とのスキンシップが苦手だったんですよね・・・・・・」

彼女のことは好きだったものの、深いスキンシップまで及ぶには抵抗があったのだ。

「自分でも理由はわからないんですけど、もしかしたらそこまで踏み込むのが怖かったのかな」

「まだ子どもだったのかもしれないですね」

とはいえ、相手からすれば、求められないことで寂しさがつのりもしただろう。

どうしてもその問題をクリアにできず、彼女とは徐々に関係がうまくいかなくなり、1年ほどで別れてしまった。

恋愛から学んだこと

初恋人とはうまくいかなかったものの、新たな一歩を踏み出したことは、自分にとって大きな自信となった。

「コミュニティサイトの存在を知って、その中では自分のことを躊躇なく話していいんだ、って知れただけでもかなり変化がありました」

好きな女子のタイプや、気になっている女子の話。

今までずっとできなかった恋バナを、ようやく自分も堂々と話せるようになった。

「はじめて彼女ができて、恋愛はええなあって思えるようにもなりました」

「誰かとお付き合いするということは、自分の中ですごく大きな経験になったと思います」

これからも、誰かを好きになって、自分も愛されたい。

そう強く感じるようになった。

「それまで、ひとりでもあんまり寂しいって思ったことはなかったんですよ」

だが、恋人ができてはじめて、「寂しいってこういう感覚なんだ」と痛感した。

「恋愛って、すげえなって思いましたね(笑)」

もちろん、楽しいだけが恋じゃない。

「でも、たとえ困難があっても、それをひとりじゃなくて誰かと一緒に乗り越えていく方法も学べたと思います」

「結局、人を癒せるのは人しかいないんだなあ、って気づいたんですよね」


<<<後編 2017//11/21>>>
INDEX

06 レズビアンではなく、FTMなのかも?
07 アラサーだけど、「男」としては1年生
08 男女どっちつかずなところが僕の個性!
09 感情をまっすぐ表現できるようになった
10 マイノリティでも人生を楽しめるはず

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