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MTF当事者の生の声に触れて、ありのままの私を解放できた【後編】

MTF当事者の生の声に触れて、ありのままの私を解放できた【前編】はこちら

2022/11/12/Sat
Photo : Ikuko Ishida Text : Chikaze Eikoku
﨑村 陽菜 / Haruna Sakimura

1970年、東京都生まれ。9歳で性別違和を自覚。インターネットのない時代、まだ「LGBTQ」という文字列すら浸透していない10代から30代を乗り越え、コスプレを通じて本当の自分を取り戻し始めた。40代で水商売を経験し、女性として生きるように。現在、介護職に就き奮闘している。

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INDEX
01 いじめられっ子だった幼少期
02 放送委員と水泳に打ち込む思春期
03 音響の専門学校に進学
04 憧れの放送業界へ
05 MTFコスプレイヤーとの出会い
==================(後編)========================
06 夜の世界に飛び込む
07 人生の中でいちばん働いた5年間
08 親と職場へ性同一性障害をカミングアウト
09 介護の現場で働く今
10 今まで出会った人、これからを生きる若い人に知ってほしいこと

06夜の世界に飛び込む

女性の洋服を買い集めるも、着て行く勇気はまだ持てない

「女性の洋服もコソコソ買ってみたりしたんですけど、やっぱり外に着て行く勇気はなくて・・・・・・」

「夜中こっそり玄関を出て、少し歩いたらパパパーッてすぐ戻ってました(笑)」

女性として外に出たい気持ちはあったものの、まだホルモン治療も開始していない。
コスプレではない化粧も、まだ習得できていない。

「昼間だとやっぱ、堂々と外に出られるレベルでもなかったので・・・・・・」

流れを変えたくて飛び込んだ「夜の世界」

40代のころ、思い切って夜の世界へ飛び込んだ。

「そのころの仕事はヤマトだけになっちゃってたんです。なんとか生活できるだけのお金稼いで、でもこのままじゃいけないなって思って」

「それでインターネットで検索かけて、ニューモ(newmo)っていうニューハーフの求人サイトがあるんですけど、そこから応募しました」

向ヶ丘遊園のニューハーフバーに、週1で働くようになる。

「ここで流れを変えなきゃなって気持ちが強くなってきたんです」

「あとは手術にしてもホルモンにしても、そういうお店で働けば何か情報が入るんじゃないかなって思って」

最初は勇気がいったが、自分の人生を変えたい一心で思い切って踏み出した。

ネットに書かれていない情報や、それ以上に詳しい情報がほしい。

「お金を稼ぐためもあったけど、自分のことをもっと深掘りしたかったんです」

最初は接客も苦手だった

仕事に慣れない半年から1年の間は、お客さんとお話しすることすらままならなかった。

「本当にその当時は何話したらいいかわからなくて、お客さんによく怒られてましたね(苦笑)」

なかなかうまくしゃべることができずに、お客さんから「何か話せよ」「面白い話ないの」と叱られてしまう日々がしばらく続いた。

お店は席には着かず、カウンター越しにお酒を提供してお話しするガールズバーのような形式。

だから余計に、話術を磨くことは必須だった。

「でも、好きな格好ができることが嬉しかったですね。やっぱり」

「自前でよかったので、ドレス着てもよし、普段着でもよしって形だったんです」

07人生の中でいちばん働いた5年間

キャストと内勤を兼ねるように

あるとき、オーナーとママさんからの相談でされ、新しい業務を担当することになる。

「人が辞めたりして、私に白羽の矢が立って。キャストしながら内勤もやるっていうことになったんです」

小さいお店ならではの “兼業” が、そこからスタートした。

「仕事は大変だったんですけど、楽しかったですね」

「バースデーイベントは特に大変でした。キャストのファンが多いから、そういう日は鬼のようにシャンパン出るんですよ」

2、30本は空くそれらを飲みながら、内勤をすることもあった。

「主役を潰すわけにはいかないんで、代わりに飲みながら内勤してました。数字狂わないよう必死でしたもん、酔っ払いながら(苦笑)」

当時は、細かい計算をエクセルではなく、ひたすら電卓と紙の伝票でこなす。

「間違えたら怒鳴られるんで、命がけでした(苦笑)」

「私は変じゃない」。嬉しさと安心感

寝る時間も惜しみながら掛け持ちの仕事は大変だったが、生活はとても充実していた。

「化粧とか服装とか、女性のお客さまからもアドバイスをもらえたりしたんです」

「こうした方がいいよ、この色使った方がいいよって。それが楽しかったし、助かりましたね」

また、偶然にもママとチーママが自分と同じ中学の出身で、実家が近所だった。

「特にママさんの実家は、私の実家のマンションのふたつ隣のマンションだったんです」

「だからすごい可愛がってもらって」

自分と似た人がいる嬉しさと、その人たちが同じ中学出身で身近な存在だったという安心感は、何物にも代えがたいものだった。

「私は変じゃないんだって思えました。すごい居心地よかったです」

心身の限界で、やむなく水商売を引退

徐々に出勤日数を増やし、最終的には週5でお店に入るようになった。

「お店のオーナーからマネージャー就任の打診があったんです。給料もお手当もつけるから、週5で働いてくれないかって」

「どうしてもきついときは早退したり、たまに『すいません、具合悪いんで休みます』って会社に連絡することもありました」

「なんとか怒られない程度には調整して、水商売の方に力入れてたんですけど・・・・・・」

昼は9時から5時までヤマトの仕分け作業、そのあと夜の仕事に向かう。

「帰ってきてちょっと横になって洗濯機を回して、洗濯が終わったらお店行って、って感じでしたね」

閉店は朝の4時で、睡眠時間はほとんどない。

「店閉めたあとソファで少し寝させてもらって、昼仕事あるときはまた家戻る生活でした」

「アルコールもあるし、眠気飛ばすために強強打破2本、レッドブル1本、リポビタンD突っ込んでました(苦笑)」

「それでもダメだったらお茶割りの緑茶をもらったりして。あのときは本当に異常な生活でしたね・・・・・・」

心身が限界を迎え、申し訳ないと思いながらも、5年間勤めた店を辞めた。

「辞めるときにチーママのお客さんがシャンパン5、6本空けてくれたんです」

「もう最後、本当にベロベロになりましたけどね(笑)」

08親と職場へ性同一性障害をカミングアウト

昼の職場で初めてのカミングアウト

水商売で働いていた43歳からホルモン注射を開始し、変わっていく顔つきや身体に自信がついていく。

そんな中、生まれて初めてのカミングアウトは、意外な形で成功した。

「当時髪の毛をもう伸ばしてて、顔つきもだんだん女性っぽくなってて」

そんな自分を見たヤマトの女性社員から、ある日「あれ? お化粧しないの?」と訊かれる。

「『あ、ばれたな』と思ったんで、そのときに打ち明けました」

「私ね、心は女性なんだ」と伝えると、あっさりと「うん、わかってたよ」と返事をされた。

「もう嬉しくて泣きそうになりましたもん」

「やっぱり気持ちがすごい楽になりましたね。わかってくれる人がいるんだって思うと」

両親へのカミングアウトは性同一性障害に関する書籍を添えて

「45歳くらいのとき、両親へ直接カミングアウトする前に、性同一性障害に関する書籍を添えて手紙を送ったんですよ」

まずは産んでくれたことへの感謝を書いて、「話し合う前に本を読んでほしい」と手紙で伝えた。

「お互いに知識ないとフェアじゃないじゃないですか。知らないと一方的な思い込みで、ああだのこうだの言われちゃうんで・・・・・・」

ただ、髪も伸ばしていたし、顔つきも変わっていたので、実家に帰って会うたびに、両親は察していたと思う。

「もう、両親が反論できないような状態に持っていかなきゃダメかなって。私、意志の弱いところがあるんで、やっぱ強く言われると押されちゃうんです」

その後、実家に帰って直接話しをした。

「ずっと黙ってたんですけど、実は・・・って、涙ボロボロ流しながら話しました」

男性として生まれてきたのに、実は女性だった。
この事実を告げたら両親がとても心を痛めるのではないかという、罪悪感もあった。

「10年前だったら勘当してた」

泣きながら伝えた私に、両親は「わかった」と肯定してくれた。
「ただ10年前にカミングアウトしてたらたぶん勘当してた」とも。

「社会の流れもあるし、両親も年を取って考え方もすごい柔らかくなってましたね」

ただし、将来的に手術をすることを告げると、「やってもいいけど、個人的には反対だ」と父親は言っていた。

「手術のリスクが心配だったんでしょうね。あとは睾丸摘出手術をすると筋力が落ちて力が出なくなるので、仕事ができなくなるんじゃないかって」

両親とも終始冷静に受け止めてくれた。

09介護の現場で働く今

日中も女性として生活するように

普段から女性として生活するようになったのは、ヤマトを辞めてからだ。

「服装はちょっとずつユニセックスに変えていって、5年以上ホルモン治療をやってると胸も目立っちゃうんで下着も着けるようになりました」

10年以上続けたヤマトは、一昨年の2021年10月に辞めた。

「ずっとパートを続けてたんですけど、上司がえこひいきをするんですよね。お気に入りの人は、能力が高くなくても上げちゃうんです」

「辞める1年か2年前に昇格試験も受けたんですけど、落とされたんです。それで頭に来て、髪染めました(笑)」

本来なら就業規則違反だが、自分がいないと仕事が回らないことを自覚していたので、堂々といられた。

介護の現場で働く今

現在は介護職に携わり、持ち前の明るさや大らかさで利用者さんにも慕われ、充実した毎日を送っている。

「私が職場行くと、雰囲気変わるってよく言われるんですよ(笑)」

水商売のお店でも、どこの職場でも「あなたがいるとガラッと雰囲気が変わってキャストのみんなも落ち着く」と言われていた。

天性の明るさは、介護の現場でも武器になっている。

「ある女性のご利用者さんは、他の女性職員が排泄介助しようとすると暴れ出しちゃうんですけど」

「でも私に変わると大人しくなって、猫なで声で『はい』って言って素直にトイレに移動してくださるんで、それを見てる他の職員の方が『なんで?!』って驚いたりしてて(笑)」

10今まで出会った人、これからを生きる若い人に知ってほしいこと

今悩んでいる若い人たちへ

現代の中学生・高校生のトランスジェンダーが苦しんでいる現状を俯瞰して、いろんな思いを巡らせている。

「情報はなくても困るし、多すぎて氾濫して間違ったものに辿り着いちゃうのも良くないですよね。正しい道に行けないですから」

より質の高い情報、そして何が正しいのか・良いか悪いか、見極める目を養ってほしい。

「トランスジェンダーにしてもやっぱりいろんな人がいるので、いろんな人に会っていろんな人の意見を聞いてほしいです」

「ネットは本当のことだけ載ってるわけじゃないので。やっぱり直接、生の声を聞いた方がいいと思います」

悩みに悩んでうつになったりパニック障害になったり、精神疾患を抱えてしまう子たちを、心から危惧している。

「どうしようもなくなって自殺してしまう子は後を絶たないので・・・・・・思い詰めすぎるのもよくないんですよね」

「好きなものに打ち込んだり、そうやって自分のメンタルを守ることが大事です。それでうまくやりすごすしかないですね」

自分が水泳に救われたように、今悩んでいる人にも夢中になれるほど好きなものを見つけてほしい。

ありのままの自分で生きて

ネット環境が整備されていなかった昔は、情報もなく、ありのままの自分を封印するしかなかった。

だからこそ、過去に出会った知人たちに、知ってほしいことがある。

「両親や今まで交流のあった学生時代の人とか、友人、家族の友人にも、実は私、こうだったんだよって伝えたいです」

本当の私を、あのときの葛藤を、今からでも知ってもらえたら嬉しい。

「LGBT以外の人にも、本当にやりたいことがあった、自分は本当はこうしたかったっていうのはあると思うんですよね」

「それを今からでも遅くないんで、スタートしてほしいです」

包み隠さず、ありのままで生きたいし、生きてほしいと願う。

「恋愛にしても、性別適合手術にしても。一度きりしかない人生ですからね、輪廻転生なんかあるかわからないですし(笑)」

「だったらもう、後悔しない生き方を選ぶべきですね」

 

あとがき
若草色のカットソーがお似合いの陽菜さん。緑色は調和をあらわし、心をリラックスさせてくれる色だ。そう、陽菜さんはどんなカメラにも写しきれない穏やかさにあふれている■取材後、「いろんな世代の人に記事をみてもらって、いい影響を与えることができるといいな・・・」と思いながら帰途についたという。思い通りに進めない日もあったけれど、つらさも問題も新しいなにかのきっかけに変えて歩いてきた。陽菜さんの笑顔がいまも心をあたためる。(編集部)

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