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FTMとしての自分の経験が、同じ悩みを持つ人の役に立てば【後編】

FTMとしての自分の経験が、同じ悩みを持つ人の役に立てば【前編】はこちら

2018/01/15/Mon
Photo : Taku Katayama Text : Ray Suzuki
星 晴樹 / Haruki Hoshi

1992年、栃木県生まれ。国際自動車・ビューティー専門学校美容師学科卒業。美容師を経て現在は居心地のいい憩いの場のようなカフェのオーナーを目指して修行中。高校3年からGIDカウンセリングに通い、治療を中断する時期を挟みながら、2016年改名。「自分の経験が悩みを抱える人の役に立てば」と講演活動等も開始。

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INDEX
01 4人きょうだいの末っ子として可愛がられて
02 スポーツの才能が開花、野球部と陸上部で活躍!
03 失恋で、男性になりきれない自分に気づく
04 男性とは付き合えないと実感
05 暗黒の高校時代をサバイブする
==================(後編)========================
06 自分の “正体” と向き合って
07 暗いトンネルを抜けて、明るいところへ
08 周りの目と、家族の関係と
09 早過ぎた姉の死をきっかけに、FTMをオープンに
10 暗黒時代の自分に伝えたいアドバイス

06自分の “正体” と向き合って

自分もGIDとして、病院に行こう

さらにネットで調べているうちに、地元で自分と似た境遇の人と出会う。

同じようにGIDで1歳年下、すでに病院でカウンセリングを受けているという。

「すごく早くて、すごいな、と衝撃を受けました。じゃあ自分もカウンセリングを受けたいな、となって」

調べると、当時の埼玉医科大学病院に該当する診療科があった。

相応の治療費がかかることを考えると、今から貯金に励まなくてはいけない。

GIDの子の中には、親がお金を出して通院させるケースもあると聞くが、それだけは嫌だった。

「絶対に嫌だった。なぜなら自分の問題だから。親にお金を出してもらうのは筋が違うんじゃないかって、当時から思っていたんです」

誰かに頼るわけにはいかない、自分で稼がなきゃ。

高3になると、学校には内緒で、調理のアルバイトも始めた。

そして、栃木から埼玉まで新幹線に乗って、カウンセリングにも通い始めた。

毎日が一生懸命だった。

嫌なやつらは相手にしない。

そのほうが体力も無駄にしないからと、毎日思っていた。

セクシュアリティのことを打ち明けたリアルな友だちは、ごくわずかだった。

高校卒業後は、美容師を目指す

周囲から孤立し、悩みに悩んでしんどかった一方、高校時代は、何より派手な髪型で目立っていた。

今ならそれを、ネタにして笑うことができる。

「コテも使って、ワックスでカチカチにして、髪型だけはシュッとしていて、ちょっと目立ってたんで『なんだアイツ』ってなってたと思います(笑)」

「制服は女子用だからバランスがとれてないですよね。それに、普段は根暗なのに、走ると早いし、やっぱり『なんだアイツ』っていじめられました(笑)」

かっこいいヘアスタイルにこだわって、セットをキメて登校していた高校時代。

いや、中学時代からそうだった。

「中学生の時に自分で髪の毛をセットして、『けっこういいね!』って言われて以来、美容師になるのもいいなって、ずっと思っていました」

高校を無事卒業し、美容師になるため専門学校へ。

すでに、カウンセリングも受け始めている。

きっと、順風満帆だ。
目標に向かってまっすぐ一直線。

それは最短距離のはずだった。

07暗いトンネルを抜けて、明るいところへ

GIDの診断が出ない!? 治療中断へ

アルバイトにも励み、GIDのカウンセリングにも通って2年目を迎えていた。

すべてが順風満帆に思えたが、その航海には暗雲が立ち込めていた。

「実はカウンセリングを2年ほどやったんですけど、診断を出してもらえなかったんです」

理由は、未成年だったこと。

今後、手術をしたいという意思を示したものの、病院側にとっては、親の承認がないことや金銭的な問題がネックとなっていたようだ。

貯金をしているのかについても突っ込まれ、違和感も覚えた。

「せっかく通院しているのに、なんだか自分がビジネスの一環として扱われているんじゃないかと嫌な気持ちになってしまい、2年通った通院をやめてしまったんです」

とにかく、いったんリセットだ。

「その後しばらくの間は、自分でも自分の体やこれからについて、考えない時期があったんです。避けていましたね」

彼女がいたから、おしゃべりになれた

一方、専門学校は充実していた。

好きな服を着て、好きな髪型にしていた。
ありのままの自分が受容されていると感じられた。

この頃、中学時代の失恋に発し、暗黒の高校時代に覆いかぶさった「根暗のトンネル」から、ついに抜けた気がした。

きっかけは、彼女ができたこと。実習でペアを組む相手だった。

「最初は目も合わせられなかったんですが、話してみて音楽やファッションの趣味が合うというか、フィーリングが合うというか」

「放課後遊ぼうよ、ってしているうちに仲良くなって、付き合ってみるか、ってなって」

9歳年上の彼女は、シングルマザー。とにかく明るい性格の人だった。

「けっこうしゃべるタイプで、つられて一緒にしゃべるようにトレーニングされた、みたいな感じです(笑)」

「彼女は最初から、自分のことを男性として見てくれましたね」

徐々に、本来の朗らかさを取り戻していた。

08周りの目と、家族の関係と

今はカフェ経営が夢に

専門学校を卒業、ついに念願の美容師として、地元で働き始める。

しかし、現実とのギクシャクに、またもや遭遇してしまう。

「当時はまだ改名もしていなくて、ホルモン療法もしていない状態でしたから、やっぱり女性としての扱いをされてしまいますよね。お客様もそうですし、会社やスタッフからも」

それが耐えられなくなった。

仕方のないことだが、この時は辛かった。

苦い思い出だが、今はもう美容師という職業に未練はない。

現在の夢は自分の飲食店を開店すること。目指すはライトな定食系カフェだ。

気軽に来てもらえる雰囲気の、憩いの場、交流の場を作りたいと考えている。

母は大事な調整役

振り返れば成人式の日も、飲食店のアルバイトに黙々と励んでいた。

「振袖のパンフレットが実家に届くんですけど、見るなりふざけて『こんなの誰が着るんじゃい』ってやって、ゴミ箱にポイっと捨てていました(笑)」

「だから、両親から着せたいともいわれませんでした。今となっては、ちょっと親不孝だったかなとも思います」

両親が振袖を勧めなかった理由は、もう一つあるかもしれない。

高3の時、家族の前で感情が爆発したことがある。

「学校に行きたくない気持ちがまた募ってしまって・・・・・・。『制服が嫌なんだ!』『病院に行っているのも実は自分のセクシュアリティが原因なんだ!』 『学校になんてもう行きたくない!』と大爆発しました」

じっと耐えて秘めてきた、溜まりに溜まった18歳の思いの丈をぶちまけた。

父も母もびっくりしていた。

母はただ、涙を流していた。

「あの時は、母のなかで整理がつかなくて泣いていたと思うんです。父はほぼ無言に近かったですね」

「その後も話し合いを重ねるというほどではなく、今もほどよい距離をとっている感じです」

兄たちも、今ではいつの間にかセクシュアリティについて理解している。

「遠回しに母が家族のみんなに言っています。母は大事な調整役なんです」

09早過ぎた姉の死をきっかけに、FTMをオープンに

言葉にしなくてもわかっていてくれた姉

ふたりの兄の上には、姉がいる。

「母が僕を生んだ時、産後の肥立が悪く、生死の境をさまよったことがあるんですが、その時に姉が学校を休んで、僕の面倒を見てくれたみたいなんです」

面倒見がよく、あちこちに連れ出してくれた姉の思い出はいっぱいある。

だが4年前、姉に癌が見つかり、半年もしない間に亡くなってしまった。

まだ39歳の若さだった。

生前の姉には、自分のセクシュアリティのことを打ち明けてはいなかった。

「でも、専門学校の頃でした。姉がスーツを買ってくれるというんです。『好きなの買いなさい』って」

「ネクタイとメンズスーツを買ってくれました。言葉にはしないけど、わかってくれてるんだって気づきました」

姉にはもっと、感謝の気持ちを伝えたかった。

年の離れた自分に向けてくれた優しさもそうだし、セクシュアリティについても、言葉にして突っ込むようなことはしなかった。

ただただ理解してくれていたことに感謝している。

あまりにも早過ぎた姉の死が、人はどう生きるべきかを、真剣に問いかけていた。

その答えは、ある行動を促すものだった。

「自分もなにかせずにはいられない。そんな衝動に駆られました」

FTMとしての自分の経験が、誰かの役に立てば

誰かの役に立ちたい。

自分の経験が、誰かの役に立てばと思った。

「周りの友だちや、ネットで関わりのある人が日頃から不安に思っているのも見ていたし」

そんな時に、「OUT IN JAPAN」のプロジェクトを知る。

本当の自分を、メディアにさらけ出した。

これを皮切りに、これからは同じ悩みを抱える人たちの役に立ちたいと思ったのだ。

「ちょうどホルモン治療を始めて、自分にも自信がついてきた時でした。人としゃべれるようになっていたし、このタイミングで、自分のできることでなにかをしていきたい、という気持ちがとても強くなったんです」

治療は再開し、ホルモン治療に移行した。

声変わりが始まり、筋肉がついて来て、たくましくなった。

それを一番喜んでくれたのは、あの年上の彼女だった。

そんな彼女とも昨年別れ、今は別々の道を歩み始めている。

10暗黒時代の自分に伝えたいアドバイス

自分のできることを着実にしていく

星晴樹。改名したのは、去年の4月だ。

着実に歩みを進めている。

「晴樹がいいって自分で決めました。漢字の読みの響きが好きですね。あまり人と話せなかった、けっこう根暗な自分だったから、晴れるという字はみんなの中心にいるような、太陽のような存在になりたくて」

「そして、樹木の癒しですね。そんな人間になれたらいいな、という思いを込めました」

改名はしたけれども、両親やきょうだいには、前の名前で呼ばせている。

いちおう家族会議を招集して報告はしたのだが、否定されることもなかった。

「いきなり変えるのも大変だから、『無理のない程度で、前の名前でいいよ』って言ってます。理解しろ!っていうのは無理だと思うんです」

家族とのほどよい距離は、いまも保たれている。

そして、今年の8月には講演会の演者として登壇した。朝4時半までかかって、パワーポイントで資料を作り上げた。

「僕の生い立ちから改名まで、お話をさせていただきました。自分をさらけ出して、みんなの前で話すことは初めてでした」

あの頃の自分に伝えたいアドバイス

辛かった時期があるから、いまの自分がいるはずだ。

高校3年間、歯を食いしばって負けなかった自分をほめてやるべきだろう。

「暗黒時代」と、今はネタとして言えるようになった。

あの頃の自分に、今、かける言葉がある。

「高校の頃、周りを敵でしかないと思っていました。凝り固まってガッチガチだした。でも、自分で思っているほど、周りは悪い人ばかりじゃないよ!」

「そんなに周りのことを気にしなくても大丈夫!だから、もっとリラックスしていいんだよ、力まずに!って言いたいですね」

抱え込み過ぎずに、周りにもっと相談してみたらいい。

「今はそうやって、毎年毎年本当の自分に近づいている気がします!!」

あとがき
晴樹さんがネタにできるという暗黒時代。「男の子が思い荷物を持ってくれたり、車道から避けて歩かせてくれたり・・・ダメでしたね(苦笑)」。男性とのお付き合いを試みるものの、“ごめんなさい(><)” と締めくくるFTMの方は少なくない■今は十分に光合成をしながら、枝を伸ばし、葉を広げる爽やかな「晴樹」さん。その「樹」には、木陰をもとめて人が集い、人が出会っていく。天国のお姉さん、お願いします。鳥になって「(品種)晴樹」の種を遠い街まで運んで下さいね。(編集部)

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