02 女子中のバレー部で活躍
03 幼なじみに誘われて、ダンススタジオへ
04 初めての女子とのつき合いは、ケンカ別れ
05 ふたりめの恋人は同級生
==================(後編)========================
06 大学に入って受けた男子の洗礼
07 レズビアンとは自認できず、迷ってFTX
08 ダブルダッチで世界チャンピオンに輝く
09 ニューヨークで知った自由な社会
10 日本に帰って、天職を発見
06大学に入って受けた男子の洗礼
競技者を目指して体育大へ
高校卒業も近くなり、進路について考える時期となった。
「ダイレクトメールで送られてくる色々な学校のパンフレットを見るうちに、トレーナーを養成する専門学校にいこうかな、と思い始めました」
しかし、同じスポーツに携わっていても、トレーナー、裏方だ。
いろいろと考えるうちに、自分がなりたいのはトレーナーではなく競技者だ、と考えがまとまる。
「次に思いついたのが、ダンスの専門学校でした。でも、親が反対で、それなら体育大にいったら? という話になりました」
日本体育大学体育学部健康学科を受験、見事に合格した。
「つき合っていた子も同じ大学を受験したんですけど、落ちてしまいました」
男子よりカッコよくなりたい
いざ、大学のキャンパスにいってみると “超ビビった”。
「男子がいるんですよ(笑)。男子が近くにいる生活に慣れていないし、理解できなくて、どうしたらいいんだって感じでした。男子の洗礼でしたね」
突然、現れた大きな男たち。
何を話したらいいかも分からない、「おい、お前、やってみろよ」的なノリにもまったくついていけない。まるで宇宙人に囲まれた違和感だった。
「体力の差も歴然でした。それでいて、自分としては、絶対に女子女子したくないって思ってて、男子のノリについていきたいっていう気持ちもあるんですよ」
「カッコいい自分でいたいっていう気持ちが強かったですから」
幸いなことに、授業は男女別々だった。男子と交流しなくてはいけないのは、サークル活動など限られた場面だ。
「髪を染めて短くして、ボーイッシュな服を着ました。目標はBボーイでしたね(笑)。どうすれば男子よりもカッコよくなれるかって、そればかり意識してました」
その頃は、男子よりもカッコよくなることが、男子に対抗する術だと信じていた。
07レズビアンとは自認できず、迷ってFTX
セクシュアリティの悩みが浮上
自分のまわりに男子という宇宙人が現れたことで、セクシュアリティに関する悩みが浮き上がってきた。
「それまでは、女の子と仲良くしているのが普通だったのに、それが普通じゃなくなったんですよ。あ、普通じゃないんだ。どうしたらいいんだ? って感じでした」
セクシュアリティについての情報も気になって調べるようになった。ドラマ「ラスト・フレンド」が話題になっていた頃だ。
「自分は男になったほうがいいのか、って悩んだこともありました。そのときの性自認は、FTXでした」
自分がどういう人間なのか、何でこういう格好をしているのか、自分でも説明がつかなかった。
「過去に女の子とつき合っていたことも、人に話せませんでした。男とつき合ったほうがいいんだろうな、という気持ちも沸いてきて・・・・・・」
「恋愛相談をするときも、相手はちょっとだけ気になる男子でした」
悩みが深くなり、高校からつき合っていたカノジョとも別れてしまった。
「気になっていた男の人を好きになろうとしたんですけど、それもうまくいきませんでした」
レズビアンと確信はできない
気持ちを切り替える突破口は、友だちへのカミングアウトだった。
「初めて打ち明けたのは、サークルで同期の女の子でした。メチャ、かわいい子で、実は最初に会ったときから好きになったんですけど(笑)、アプローチしきれなかった子でした」
大学2年のとき、勇気を振り絞って、「私、女の子が好きなんだよね」とカミングアウトした。「1年のとき、ムチャ、好きだったんだよ」と1年遅れの告白もする。
「そうしたら、彼女も、私も好きだったんだよ、っていってくれたんです。じゃあ、つき合えばよかったねって、笑い話になりました」
その後、もうひとり、打ち明けることができる相手が現れた。
「後輩だったんですけど、身なりでFTMかもって思いました。だから、話しやすかったですね」
共感してくれる人がいることで、ひとりで悩んでいた気持ちが一気に楽になっていった。
「少しずつまわりに自分のことを話せるようになりましたけど、相手もそういう人っていうのが大前提でした。男子には、いえる人はまだいませんでした」
LGBTについての知識は増えていったが、自分がレズビアンだという確信は、まだ持てずにいた。
08ダブルダッチで世界チャンピオンに輝く
チームワークのスポーツ
大学時代のビッグイベントといえば、ダブルダッチとの出会いだ。
「最初はダンス部に入るつもりだったんです。でも、オープンキャンパスにいったときに、部活のオリエンテーションを担当している人と話したら、ダブルダッチが面白いよっていわれて」
何。それ? と思ったが、世界大会にも出場していると聞いて、とりあえず見学にいってみた。
すると・・・・・・。
「パフォーマンスを見た瞬間に、カッケー! なんだ、アレ! 縄の中で踊ってるじゃん!ってビックリしました」
それまで知らなかった世界のドアがバーンと開いた瞬間だ。
即、入部を決意。先輩に、同期5人のチームメンバーを決めてもらって、さっそく練習に取り組んだ。
「男女混合でできるスポーツって少ないじゃないですか。チームのメンバーはお互いに思いやりが必要で、特に縄を回している方は、跳ぶ人のことを考えて通してあげなきゃダメなんです。それが醍醐味ですね」
縄を回すふたりの息が合い、ジャンパーたちと意思が共有されたときに優れたパフォーマンスが生まれる。
まさにチームワークのスポーツだ。
「キッズでもすぐに跳べるようになるし、誰でもレベルに合わせて楽しめるところも魅力です。近いうちにオリンピック種目になると思いますよ」
2度目の挑戦で頂点に
チームの成果はすぐに現れた。
新人だけの大会で関東1位となり、全国大会でのエキシビション出演が叶った。
「メンバーがよかったんでしょうね。大学2年生のときに、全国大会で3位までに入って世界大会に出場したんです!」
舞台はニューヨークのアポロシアター、最高のステージだ。これまでにない緊張感のなかでパフォーマンスを披露した。
「家族もみんな、見にきてくれました。結果は20チーム中6位でした。優勝を目指していたんで、悔しい思いしかなかったです」
無念を晴らしたのは、2年後だった。
関東1位、全国1位の実力を引っ下げてニューヨークに乗り込み、ついに世界大会優勝を勝ち取ったのだ。
「本当にうれしかったですね。やってやったぞ! っていう気持ちが爆発しました。本当にヤバかったです(笑)」
優勝した夜は、チームのメンバーと一緒にニューヨークで大騒ぎした。
「たった3分のパフォーマンスで、人を笑顔にできるってすごいことだなって実感しました。たくさんの拍手をもらって、本当に幸せでした」
それは人前に立つことの楽しさを心から実感した体験でもあった。
人に元気を与えることができるパフォーマーが、自分に合っていると確認することもできた。
09ニューヨークで知った自由な社会
プロのダブルダッチャーを目指す
大学卒業が近づいたが、就職する先ははっきりしていた。
目指したのは、プロのダブルダッチャーだ。
「知っているチームが、シルク・ド・ソレイユのオーディションに合格したのも刺激になりました。プロになって大会を開くのが目標でしたね」
卒業後、大学のチームとは別のメンバーで新しいチームを結成。アルバイトをしながらチャンスを模索する。
「1年間、自称プロで頑張ったんですけどね。だんだん、メンバー同士の仲が悪くなってきて、解散しちゃいました」
ひとりでできるスポーツではない。どうしよう? と悩んでいるときに、厚木市の市役所で人材募集をしていると親にいわれた。
「スポーツ課というところで、市営体育館の管理や運営をする仕事でした」
気は進まなかったが、受けてみると内定をもらうことができた。
「このままブラブラしていてもしょうがないし。でも、公務員になるのかぁ、という気持ちでしたね」
こんなチャンスを逃す手はない!
市役所で働き始めるまでに時間があった。
その期間を利用して、思い出のニューヨークに3カ月間の短期留学をすることを思いついた。
「最初の1カ月は語学学校に通って、その後は現地の日本人学校でボランティアをすることになってました」
日本人学校には、ダブルダッチの先輩が働いていた。しばらくすると、園長先生から「もっとダブルダッチに力を入れたいから、ここで働きなよ」とオファーがあった。
「幼稚園から小6までの子どもたちが通う学校でした。保育をやったこともなかったんで不安だったけど、園長先生や先輩に、大丈夫だよと背中を押されました」
憧れのニューヨーク生活が目の前にぶら下がっている!
こんなチャンスを逃す手はない!
さっそく親に連絡をして、ビザ申請のための書類を取り寄せた。
「公務員とは大違いで、すっかり浮かれちゃいました(笑)」
パートナーとマンハッタンで共同生活
学校はニュージャージーだったが、アパートはマンハッタンにした。
「環境が変わったんで、自分も変わるチャンスだと思って、男性とつき合おうと思いました」
ひとりでバーに行って、恋を探したが、ときめく相手には巡り会わなかった。そうするうちに、日本人の女性と出会った。
「同じ年でしたけど、アメリカの大学を出ていて、言葉も離せるし、アメリカのこともよく知っている人でした。すぐに一緒に暮らすようになりましたね。教育現場ということもあって、恋愛のことは隠しましたけど」
ニューヨークで暮らしてみると、その自由さに感動する。
「自分の個性を主張するのが当たり前で、服装も髪型もみんな好きにしているんです。それを否定する人もいないし、みんなが受け入れてくれる。自由ってこういうことなんだなって思いました」
セクシュアリティについてもおおらかだ。
レインボープライドに参加し、LGBT系のクラブにも出入りした。自分がレズビアンであることにも気後れしなくなった。
10日本に帰って、天職を発見
暗闇フィットネスが楽しい
ニューヨークでの生活も4年半。自分の将来を考え直す時期がきた。
「子どもたちと折り紙を折ったり、ピアノを弾いて歌を歌ったりしましたけど、やっぱり保育じゃないな、と心のどこかで感じてました」
パートナーは妹さんの結婚式に出て、「やっぱり男性と結婚したい」といって別れてしまった。
「大学院に行きたいと思ったんですけど、お金や語学力を考えると厳しいかな、と」
29歳で帰国。次の仕事を探すことになる。
「帰ってきて、友だちと連絡を取り合っていたら、高校のバレー部のキャプテンだった子がライザップの立ち上げの仕事をしていることが分かったんです」
さっそく会ってみると、「これからスタジオレッスンが始まるんだよ。スタッフを募集しているんだけど、どう? 合っていると思うよ」と誘ってくれた。
「すぐに履歴書を渡して、採用してもらいました。私って、本当にご縁にすがって生きてるんです(笑)」
与えられた仕事は、暗闇フィットネスのインストラクター。マイクをつけてステージに立ち、参加者を鼓舞しながら一緒に汗を流す。
「パフォーマンス性があって、めちゃめちゃ楽しい仕事でした。これが天職だと思いましたね」
人の前に立って試技をする快感は、ダブルダッチで覚えた喜びに通じていた。
隠したい気持ちはなくなった
職場の後輩と2年半ほどつき合ったが、今は特定のパートナーはいない。
「ニューヨークでセクシュアリティに関する考え方が変わりましたね。隠したいという意識がなくなって、積極的になりました」
将来はいいパートナーを見つけて、できれば海外で結婚できたらいいと思う。
中学、高校、大学、そして日本を飛び出したとき、そこにはいつも新しい出会いがあり、新しい自分を見つけられた。
今、あるがままの私で生きている。
「もし、悩んでいる人がいたら、自分に素直になってもいい、と声をかけたいですね。何かいわれたとしても、世界はそこだけじゃないですから」
絶対、どこかに分かってくれる人がいる。
「大丈夫だよ」
それがメッセージだ。