INTERVIEW

“良い子” の殻を破って、本当の自分を取り戻す【後編】

“良い子” の殻を破って、本当の自分を取り戻す【前編】はこちら

2016/10/30/Sun
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Koji Okano
結城 陽 / Haru Yuki

1985年、神奈川県生まれ。女性として生まれながら、性指向が同性であることに幼い頃から思い悩む。大学在学中には女性として就職活動をおこない、大手スポーツ用品販売会社に内定。現在も関東近県で正社員として勤務する。2012年、タイにて性別適合手術を受け、戸籍も男性へ変更。パートナーとの入籍も済ませ、この秋には挙式予定である。

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INDEX
01 どうして男性器がないんだろう
02 男でも女でもない
03 抑えきれない同性への恋心
04 いい子でいたいから、苦しい
05 やっぱり女の子が好き
==================(後編)========================
06 バスケットボールが紡いだ恋
07 カミングアウトの代償
08 性同一性障害だと気づいて
09 性別適合手術を後押ししたもの
10 広い世界が人を変えてくれる

06バスケットボールが紡いだ恋

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一緒にいるだけで

「意を決しての女子高生デビューは、3か月で終わりを告げました。制服を着るのは高校生である限り仕方がないと思ったけど、長く伸ばした髪の毛は嫌で、ばっさり切りました」

女性らしさを追求するのは、自分に向いていないと思った。

しかしこの時点でもなお、まだ自分が女性であることには、それほど違和感はなかった。

悩みが深かったのは、今までと同様「好きになる相手の性別」だ。全くもって、男子が好きになれない。

恋心を抱くのは、女子ばかりだ。

「それでも部活の練習で忙しかったので、中学生の時ほどは悩んでいる時間がありませんでした」

「あと部活の先輩に恋をしていました。ショートカットの可愛い女性で。練習に行けば、ずっと一緒の空間にいられる。それだけで幸せでした」

合宿や遠征試合もあり、そんなときはより長く一緒にいられた。もちろんバスケットボールに打ち込んでいることが大前提だけど、好きな先輩の存在は大きかった。

「ちょうどこの頃に『3年B組金八先生』で、上戸彩が鶴本直を演じていたんです。性同一性障害という言葉を知りました」

「でも『そういう人いるんだな』くらいの感想で、自分の問題としては捉えていなかったです」

ちょうど「iモード」が出はじめた頃。携帯電話で検索していたら、レズビアンの出合い系サイトも目に止まった。

「こういう人たちがいるんだ、と思いました。でも混ざりたいというよりは、怖いという思いの方が強かったです」

「オナベバーのサイトも見つけました。でも写っていた人の姿がたまたま好みではなかったのか、そうなりたいとは思いませんでした」

性自認は、引き続き女性だった。

やっと出会えた

東海大学の体育学部に進学した。

体を鍛えること、筋力トレーニングに興味があったことが動機で、体育大を選択してもよかったが、一般教養、他のことも学びたいと思っての決断だった。

「バスケットボールサークルにも入りました。それと高校生の時に続いて、今度もまた女子大生デビューしようとしたんです(笑)」

「髪を伸ばして化粧もし、丈の短いホットパンツも履きました。女性誌を読んで、いろいろ研究もしました」

この時もまだ、女の子を好きになる自分に向き合えずにいた。

周りと違うことを認めたくない。男の子と付き合わないと、という脅迫観念が続いていたのだ。

「同じクラスの男子から好意を持たれて、何度かデートもしました」

「初めての体験だったので、戸惑いました。高校生時代のボーイッシュな写真を見せて ”こんな時もあったんだよ!こんな自分でも好き?こんなんで大丈夫?” って、確認をとったり。それでも自分のことを好きだと言ってくれました」

「とても優しい男の子でした。けれどやっぱり好きになることはできなくて。3回目のデートで、付き合えないと本心を打ち明けたんです」

そんな時、同じサークルでバイセクシュアルの子と出会った。

「同級生にボーイッシュな女子がいて。その子と知り合って『身近に自分と似た人がいるんだ。こんな人生でもいいんだ』って価値観が変わりました」

そして、ついに初めての交際を経験する。

相手はそのバイセクシュアルの女の子だ。

「自分と同じような境遇の人がいると思って接近したら、急速に仲が深まって。その女の子は僕のことを『かわいい』と言ってくれました。だから自分は女子大生らしさをキープしたままでした」

「彼女が男で、僕が女の役割のような感じでした。彼氏ができて嬉しい、 恋愛ができたって思えました」

自分が女か男かは関係なく、ただ恋人ができたことが嬉しかった。

愛する人に女の子として大切にされることに、この時は、なんの違和感もなかった。

07カミングアウトの代償

母親の反対

「僕と彼女が友達の一線を越えて、あまりに仲が良く見えるので、周りの友達にカミングアウトしないわけにはいきませんでした。伝えた友達も好意的に受け止めてくれたので、ますます幸せな気持ちでいっぱいになりました」

あまりに毎日が楽しくて有頂天になっていたのかもしれない。女として彼女と結婚したい。

何の知識もないのに、そう考えていた。

「実家から大学に通っていたのですが、外泊が多くなったので、ある時、母に『彼氏ができたの?』と聞かれました」

「女の子との付き合いを隠さずに話したら『お母さんにはよく分からない感情だわ。ちゃんと育ててきたのに』と猛反対されました」

実は厳密に言うと、母親へのカミングアウトはこれが初めてではなかった。小学生の時にミニバスケの女子の先輩が好きで、そう話したら『単なる憧れだから、心配しなくていい』と諭されたことがあった。

「彼女との交際を反対されても、僕は諦めませんでした。母に何を言われようが、外泊をやめることはなかったです」

恋の終わり

行動を改めない娘の将来を思っての行動だったのだろうか。

数日後、母親は勝手に彼女に電話をかけ「うちの子を巻き込まないで欲しい。別れて欲しい」と告げた。

「外泊する時は相手の連絡先を知らせておく、というのが我が家のルールだったんです。馬鹿正直に伝えてしまったから、悲劇が起こったんです」

彼女は「辛い」という言葉だけを残して、自分の元を去っていった。

「母の身勝手な行動が許せなくて、口論の日々が続きました。こんなに母を憎んだのは始めてです」

「母は女子大生らしい服装で出かけていく僕を見て、ようやく年頃の女性らしくなってきた、と喜んでいた矢先、付き合う相手がそれでは、という思いが強かったようです」

しばらくすると口論にも疲れ果て、冷戦状態に。

「もう二度と、母に恋愛の話しはしない、と心に誓いました」。

08性同一性障害だと気づいて

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環境の変化

彼女と別れて、ふと我に返った。

どうして自分は女子大生らしい格好をしているんだろう、と。

「彼女から『可愛い』って言われて嬉しかったから、女子っぽくしていただけだったんです。やっぱり僕には向いていない、ボーイッシュな格好にしようと思いました」

自分の好きな服装で学校に通うようになると、何かが吹っ切れたかのように、行動的になれた。

一度、リアルな恋愛を経験したことも、自信に繋がったのかもしれない。

「レズビアンのコミュニティサイトに、写真をアップしてエントリーしました。仲間ができて、新宿2丁目へ行くようになったんです」

「衝撃でした。世の中には女性でありながら女性を好きになる人が、こんなにたくさんいるんだって。性同一性障害、FTMにも初めて出会いました」

2丁目で出会ったバイセクシュアルの女性との交際も体験した。

「まだ性自認も性指向も固まっていなかったので『私ってFTMかな?』と、彼女に聞いたことがあるんです」

「GID当事者は、幼少期から自分の性自認に悩む人が多いから、君は違うよと言われました」

確かに最近まで、自分が女性であることに強烈に悩んだこともなかった。初めての交際相手には女性扱いされて嬉しかった。

ただ今は男の格好の方が楽だし、昔から好きになるのは皆、女性だ。

その後バイセクシュアルの彼女とは別れて、サークルの後輩、女の子と付き合うことになった。彼女は結婚願望が強く、時折、子供が欲しい、とも主張した。

「実際にホルモン治療している人にも出会いました。性別適合手術を経て、戸籍変更できることを知ったのもこの頃です。一度、病院で診てもらおうと思ったんです」

男になりたい

診断の結果は、GIDだった。

まだ学生だったので、金銭面でホルモン投与を受けることは難しかったが、カウンセリングに通うことにした。

治療を経て、自分の身体がどうなるかも不安だったからだ。

「大学3年生の成人式には振袖を着ました。最後の親孝行と思って。これを脱いだら『将来は男になりたい』と、両親に伝えるつもりでした」

母親は大号泣した。

やっと娘が成人したという喜びから一転、どん底に突き落とされるような気分を味わったのかもしれない。

「また『自分の育て方が悪かった』と叫んでいました。そして『女の子らしい時期もあったじゃない』とも。混乱した様子で、クリニックにも怒鳴り込むような剣幕でした」

「母に初めての恋愛を壊されて以来、自分の性の話をすることはなかったけれど、大学の途中からは男性の下着を履いて洗濯にも出していたので、気づいているのかなと思っていたんです」。

父には母へ話すより前にカミングアウトしていた。

「混乱する母の様子を想像できたので、そんな時、父に母を支えてもらえるようにと思い、先に話しておきました」

「朝、新聞を読んでるのを見て話したら『おー、そうか』とだけ言いました。父は元々、事なかれ主義ですが、子どもの自主性を尊重してくれる人でもあるんです」

09性別適合手術までの道のり

女性のまま社会へ

親へはカミングアウトした。

しかし治療の副作用や母親の反対、費用の問題などもあって、簡単には性別適合手術には踏み切れなかった。

「大学4年生になって、就職活動を始めないといけなくなりました。女性のリクルートスーツを切るのに抵抗はありましたが、今は仕方がない、と諦めることにしました。」

実は就職活動の当初、自分の苦悩の経験を生かしてLGBTに関わる仕事をしたいと考えた。

しかし反対したのが、普段は全肯定してくれる父親だった。

「まだ時代がそこまで追いついてきていない。まずは一般的な会社で仕事した方がいいんじゃないか、と言われました」

大手スポーツ用品販売会社に内定を得た。ただ、自分がGID だということは伝えておきたかった。

内定を取り消されるかもしれないと思ったが、「仕事に支障がなければ問題ない」との返答で、無事、入社することができた。

一人暮らしを始めたことで母親とのいさかいもなくなり、肩の荷が下りた。

「店頭に制服で出ないといけないのですが、首元にリボンをつけることだけは逃れることができなくて」

「化粧はしたくなかったから。すっぴんで女性の制服を着てる僕を見て、お客さんも不信に思うんですよね。『あんた女じゃないだろ』って言われることもあった。女性として働かないといけない自分が、本当に嫌でした」

強い決意

「同じ職場の人や親しい先輩や同期には、カミングアウトして受け入れてもらっていました。そんな中、27歳のとき、後輩の女性と付き合っていました。静岡へ転勤になっても、遠距離恋愛してたんですけど。向こうに彼氏ができて、別れることになってしまったんです」

もう、こんな悲しい思いをしたくないと思った。自分が男じゃないからいけないのだ、とも。

次に誰かを好きになるときは、いつでも結婚できるような自分でありたい。

「『ホルモン投与を始めて、性別適合手術を受ける』と、両親に伝えました。母は赴任先の静岡にすぐに飛んできて『考え直して欲しい』と懇願してきました」

「NOと言えば、諦めるまでここに居座りそうなほど、母は追い詰められていました。ノイローゼのような状態だったかもしれません」

「そんな母を安心させたのが『LGBTの親の会』でした。実際に当事者家族に触れたこと、知識を得たことが良かったようです」

就職後、まめに貯金して手術の費用も貯まった。

ホルモン治療、タイでの性別適合手術、改名、戸籍変更。27歳で全て済ませた。手術のためのタイ渡航には、2週間の有給休暇を使った。

「母は手術の直前まで引き止めたそうでしたが、タイからの帰路、空港から実家に直行したら、『無事でよかった。よくがんばったね』と言ってくれました。27歳の1年間で、親子の距離が一気に狭まった気がします」

10広い世界が人を変えてくれる

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1人の男として

タイでの性別適合手術のために、溜まっていた有給休暇を消化した。

手術自体はうまく行ったが、帰国してすぐ、術後の出血とは別に、無意識に尿が漏れていることに気づいた。

「数日後に目覚めたときには、ズボンの中も、ベッドの上も、完全におねしょをした後の状態でした。その日から、オムツなしでは生活できなくなってしまったんです」

地域の泌尿器科を2つ、大学病院を1つ回っても、尿漏れの原因はわからなかった。いろいろな薬を処方されているうちに2年が過ぎた。

「それでも治らないので、本やインターネットで調べているうち『膀胱膣ろう』という病名を知りました。自分の症状と酷似していたので、都内で女性特有の病気に特化した病院を探しました。そこでの診察で初めて、膀胱と膣の間に穴が空いていることが確認できたんです」

病名がわからないまま、オムツをして過ごした2年間は苦痛以外の何者でもなかった。

「当たり前のように毎日を送れないこと、性別適合手術をして生理がなくなったにも関わらずオムツを常に交換しながら暮らさねばならなくなったことに、相当なストレスを感じました。たとえば 男子トイレは個室にもゴミ箱がなく、オムツはおろか、ナプキンすら捨てることができないからです」

その心労に加え、ちょうど職場で仕事量が増えた。

心身ともに疲れ果てた末に鬱病を発症、1年を休職することになった。

「膀胱膣ろうは、日本でも専門的に診れる病院が少ないんです。だから本格的な治療までに時間がかかった。ようやく手術し、完治に至りました」

性別適合手術後のアクシデントを乗り越えて、現在も新卒で入社した会社で、正社員として働いている。

職場に男性として受け入れられることで、より自分の能力が活かせるようになった、と痛感している。

3年前に入籍もした。

妻は今の職場のパートさんの妹だ。自分がFTMであることを知った上で交際を重ね、結婚してくれた。

「妻のいとこがFTMと付き合っていたことがあるそうです。免疫があったから、出会った時から全く違和感なく僕を受け入れてくれたんです」

「結婚することを告げたとき、母親は大喜びでした。『もし向こうの親御さんにダメだと言われたら、頭を下げる覚悟ができている』とも言ってくれました」

今年の10月に両家の親族と親しい友達を呼んで、ハワイで挙式をあげた。

いい子って?

仕事とは別に、LGBTの啓発活動に関われないか、とも考えている。

「中学生の頃、女の子を好きになる自分が何者か分からず、苦しかった。その経験を生かしたいんです」

「たとえばLGBTに理解のある先生がいるだけで、救われる子どもがいるんじゃないかって。教師への働きかけに興味があります」

もうひとつ、自身の経験から思うことがある。

「小さい時って、やっぱり親や先生に褒められたい、いい子だと言われたいって思うじゃないですか。僕はその気持ちが強すぎて、自分を律しすぎて、GIDだと気づくのが遅くなったんだと思います。『女が女を好きになるなんて、気持ち悪い、間違ってる』って言われるのが怖くて」

「でもそれは子どもの世界が、学校と家の往復だからなんですよね。どうしても先生と両親が “絶対に正しい人” になる」

「だから小さい頃の自分に言ってあげたいですね。『世界は広いんだよ』って。『大人になったら、いろんな “いい子” のなり方があるんだよ』とも」

両親や教師の目にいい子と映る子ほど、実は心のうちに大きな悩みを抱えていることもある。大人はそんな子どもの闇を、どうやって解決していけばいいのだろうか。結城さんの体験は、そんな問題提起もはらんでいる。

あとがき
好きな人に想うフワっとした感覚も押し込めて、どうにか乗りこなそうとした『女の子』時代。「でも、『男』の性に引き戻される感覚だった・・・」。取材中、潮風を見つめるハルさんには、それも今は昔■「何か特別な活動をしているわけではありませんが、ごくごく一般にも存在しているということを伝えたい。誰かの勇気にと思います」。堅すぎない丁寧さ、深い配慮をもつハルさん。そんなハルさんが社会で過ごす毎日は、きっと誰かのお手本になっている。(編集部)