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摂食障害で苦しんだ、こんな僕でも楽しく生きているのだから【後編】

摂食障害で苦しんだ、こんな僕でも楽しく生きているのだから【前編】はこちら

2017/07/30/Sun
Photo : Mayumi Suzuki Text : Junko Kobayashi
芳賀 裕希 / Haga Yuki

1986年、福島県生まれ。郡山女子大学食物栄養学部卒業。中学生で摂食障害となり、入院、通院生活をおくる。食べ物に悩まされた経験から、栄養士の資格を取得。大学卒業後、オーガニックレストランで見習いとして働くが、東日本大震災がおきる。摂食障害が大きな悩みであったので、性同一性障害に向き合い性別適合手術をうけるのは、20代後半になってから。現在は介護施設に勤務し、利用者がおいしく食べられるよう、調理法などを工夫した献立を提供している。

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INDEX
01 サンタにお願いするのはチンチン
02 女子が好きなのに、僕は女
03 壮絶な摂食障害の始まり
04 食べることへの罪悪感
05 摂食障害と診断されて
==================(後編)========================
06 食べることが怖い僕が栄養士に
07 そして、あの震災がおきた
08 まわりは、僕が性同一性障害とわかっていた
09 食べるものが男性にしてくれる
10 苦しんでいる人に、僕の姿を見せたい

06食べることが怖い僕が栄養士に

コミュケーションは手紙

精神的にも不安定な日々を過ごしていた自分の気持ちは、会話より書くことの方が表現できた。

「母さんや保健の先生に、直接言えないことも手紙なら書けるので、ごめんなさいとかその時の思いを書いて渡していました」

母親からも手紙で返事がきた。

摂食障害になったことで、両親がケンカをしていたことがある。

最近、その時の母親の手紙を読み返す機会があった。

そこには、母親の「心配をかけてごめんね」という自分に対する優しい言葉が溢れていた。

摂食障害で登校できなくなったときに、毎日手紙を書いて家に届けてくれた友人がいる。

同じソフトボール部の女子で、今でもその子とは連絡を取り合う親友だ。

「僕がいろいろなことを乗り越えられたのも、家族や親友の存在が大きいです」

「当時は自分のことが精一杯で、周りのことまで考える余裕がなかったんですけど、本当に僕は恵まれています」

いろいろな人にサポートしてもらい、なんとか中学校は卒業した。

高校、そして大学に進学

高校でもソフトボール部に入部した。

「高校生になったんだからちゃんとしなくちゃと思い、食べたものをもどさないように、もどさないようにと意識していました」

母親が作ってくれたお弁当なら大丈夫と言い聞かせ、毎日食べるようにしていた。

体力がついて、朝から夕方までみんなと同じように過ごすことができるようになった。

「ソフトボール部に好きな先輩がいたので、ソフトボールの練習をしているのが楽しかったです」

3年生になると、ソフトボール部のキャプテンをつとめるようになる。

9人ぎりぎりのチームで、3年生は自分と同級生だけ。

「弱いけど、精一杯やろうという雰囲気で和気あいあいとやっていました」

いつも食べ物のことを考えていたり、カロリーの本を読んでいたので栄養学に関心が出てきて、栄養学科のある女子大に行くことを決意する。

「栄養学を学んで、摂食障害を治したいと思いました」

女子大に入学することに抵抗がなかったと言えば嘘になるが、栄養学科は女子大にしかなかったので学びたい気持ちの方が優先した。

大学は寮生活になった。

実家にいるときは、摂食障害がひどくなると母親が「また入院しなきゃいけなくなるよ、しっかりしなさいよ」と声をかけてくれた。

しかし家を離れ、自分の体調に気をかけてくれる人が周りにいなくなった。

食べることにどんどん制限をかけるようになり、みるみるうちに体重が落ちしまった。

「中学生で入院した頃と、大学に入学した頃の体調が一番ひどかったです」

「勉強したい気持ちはあったんですけど、体力がないので授業中もほとんど寝てしまい、いつも寒がっていました」

少しでも食べると運動しないといけないと思うので、低体重だったのにいつも走っていた。

実家を離れ、食生活が乱れる様子を一番心配していたのは母親だった。

定期的に会う度に、痩せている自分を見るのが辛かったと後に話してくれた。

07そして、あの震災がおきた

がっちりスケジュールを組んだ生活

大学生活にも慣れ始め、普通に生活ができるようになっていった。

食事の時間や量をコントロールする。

朝ごはんを食べたらジョギングをして、お昼は家で何時にどんな物を食べるか、という細かな決まりも作っていた。

「その頃人前で食事をするのが嫌で、寮にいても食堂ではなく、自分の部屋に運んで食べていました」

「苦痛になるほど、決まりごとばかりだったけど、それを崩すと不安になってしまうんです」

食事以外にも起きる時間やランニングのスケジュールを決めて、朝起きて走って、食べたら走るという生活をしていた。

「スケジュールに従っていると落ち着くことができるんです」

「でも、就職を考えなければいけなくなり、こんな生活しかできない僕が仕事なんて到底ムリだと思いました」

当時、コンビニでアルバイトをすることはできていた。アルバイトをしている間は、食べ物のことを考えずにすんだから。

働いている時間が充実し、何かに一生懸命打ち込んでいる自分も好きだった。

「あまりに居心地が良くて、大学を卒業してもこのまま勤めさせてくださいとオーナーにお願いしたんです」

「でもオーナーの奥さんから『せっかく大学を出たんだから、ちゃんと就活しなさい』と厳しく言われてしまい、ショックだったんですけどしぶしぶ就活を始めるんです」

そうは言っても昼は家で食事をしていたし、生活のリズムを変えずに働ける会社はなかなか見つからなかった。

「・・・・・・やっぱり女として働くのは嫌だ。そんな気持ちもありました」

卒業後の進路に迷う中で、縁あってオーガニックレストランの見習いをすることになる。

被災者の前でも食べ物を考えてしまう

大学の同級生は管理栄養士の資格を取得して、それぞれ専門の道に進んでいった。

自分は体力的にも難しく、管理栄養士はあきらめたが栄養士の資格は取得することができた。

見習いとして働くことになったオーガニックレストラン。

食べ物の陰陽やヨガなど興味があったことを学びながら働くことができた。

「見習いを始める時に、オーナーに摂食障害のことは伝えました。それと、実は女として生きづらいということも話しました」

「もともと色々な人が集まる店で、LGBTの人もいたので、特に驚かれることもなくすんなり受け入れてもらうことができました」

「じゃあ、みっくんと呼ぶからと言ってもらえて、すごく嬉しかったですね」

周りの人たちの理解と働きやすい環境のおかげで、昼ごはんを家で食べなくても、玄米食のまかないをスタッフと一緒に食べることができるようになった。

順調に働いて2年が経った3月11日、東日本大震災が発生する。

「レストランは全壊して、スタッフはバラバラになってしまいました。僕が住んでいたアパートも半壊してしまい、なんとか実家に戻ったんです」

幸い実家の辺りは被害が少なかったので、被災者に食事を配達するボランティアをすることができた。

目の前には全てを失い、今日食べる物に困っている人が溢れていた。

「それなのに、僕は相変わらず食べ物のことばかり考えているんです」

「あれも食べられない、これも食べられないとか、そんなことしか考えられない自分が本当に情けなかったです」

08 まわりは、僕が性同一性障害とわかっていた

人生を変えた、ある人との出会い

震災を機に、実家に帰って生活していることを聞いた中学時代の保健の先生が、「実はFTMの人がいるから会ってみない?」と連絡してきた。

「その時、ハッとなったんです。そしてすぐ、会いたいですと答えたんです」

なぜ、このタイミングで会おうと思ったのかわからない。

思えばお世話になった中学校の保健の先生は、その時から自分が性同一性障害ではないか、と問いかけをしてくれていた。

「中学校の時にちょうどテレビで金八先生が流行っていて、美裕希みたいな子がドラマになっているよ、と教えてくれたことがあったんです」

「でも、摂食障害で必死になっていて、それどころじゃなくて・・・・・・」

先生の紹介で会った人は、性別適合手術を受けていたFTMだった。

実際に会い、色々な話しを聞くうちに突然スイッチが入った。

「その人はフリーカメラマンをしていて、結婚もしている方でした。僕も結婚がしたい!その人のように男として生きたい!と思ったんです」

保健の先生は、中学校の頃からずっと自分を心配してくれ、FTM作家の虎井まさ衛さんの講演会に行き「こういう子がいるんですけど、どう対応したらいいんでしょう」と聞いてくれていた先生だった。

虎井さんから「その子は将来、性別適合手術を受けることになりますよ」という返事が先生にあったそうだ。

「予言されていました。先生は、自分のせいで性別適合手術を受けることにまでなってしまい、両親に対しても申し訳ないと謝るんですが、とんでもないです」

自分にとって、忘れることができない恩人だ。

自分が、自分らしく生きることが両親も喜ぶと先生に伝えている。

一気に性別適合手術へ

FTMの先輩に会ってからは、驚くほどトントンと話しが進んだ。

性同一性障害の診断を受け、ずっと嫌だった胸の手術をした。

「手術前にネットで調べて、麻酔をしたまま起きなかった人の話しを知り、もしもの時のために親に遺書を書いたんです」

遺書に書いたのは、今まで見守ってくれた感謝の気持ちと、こんな中途半端な状態で別れなくてはいけないことへの謝罪。

手術の日に、もし目覚めなかった時は両親に渡して欲しいと、看護師さんへお願いした。

手術は無事に終わり、両親が遺書を読むことはなかった。

「一番コンプレッスだった胸がなくなり、本当に嬉しかったんです」

「2015年12月に手術が終わって、夏には上半身を脱ぐことができたので、その頃は毎日プールに行っていました(笑)」

胸オペから1年後、性別適合手術を受けた。

手術を受けることは、まず母親に話した。

「僕は、戸籍変更までして男になりたいと伝えたら『うん、いつかそう言うと思ったよ』って答えてくれたんです。『でも自分のお金でやりなさい』って(笑)」

「さんざん苦労をかけた上に、そんな風に受け入れてくれて、僕は本当に頭が上がりません」

父親も驚いたが、それまでの自分をずっと側で見ていてくれたので理解してくれた。

手術当日は両親が付き添ってくれた。

「僕は周りの人に恵まれました。自分で追い込んでいただけで、そんなに苦しむことではなかったのかなと、最近は思えるようになったんです」

無事に性別適合手術を終え、戸籍を変更した。

名前は、自分がお腹にいる時に男の子だと思った両親が予定していた名前、「裕希」しかなかった。

09食べるものが男性にしてくれる

食べることが楽しくなる

胸オペを決めた頃から、自分の中の何かが大きく変わり始めた。

今までの自分とは、もう違う。

今度こそ食べることに対して、本当に変わろうと強く思えるようになった。

「忘れもしません。胸オペをした日、とにかく痛くて痛くて。でもうれしかったんです」

「夕食は、そぼろご飯と父がご褒美として買ってきてくれたジャイアントコーンを食べました」

「それまでの僕なら恐怖心がわくんですけど、“ 大丈夫、今までの僕じゃない。僕は男なんだから” と、一人前の食事を全部食べることができたんです」

それまでは朝は食べず、昼はわずかな量、夜に1日分をしっかり食べるというスタイルだった。

それが、朝も食べて、お昼も普通の量、夜は自分の好きな物をゆっくり食べることができるようになった。

「そんな風に変わったことを、母さんも喜んでくれますが、僕自身が一番驚いているんです」

何度このままではいけないと思い、変わろうとしてきたことだろう。

ことごとく失敗してきた自分が、男になることで今までとは全く違う生き方をするようなった。

一番変化したのは、恐怖でしかなかった食事に対する向き合い方だ。

「食べた物が、どんどん男性にしてくれると思えるんです。筋肉になり、ひげやすね毛になると思うと、一食もおろそかにできないんです」

そんな気持ちで食事ができるようになるとは、昔の自分では想像すらできなかった。

男としての生活

しっかり食べることができるようになった。

胸オペをしてから6キロくらい体重が増えた。

体重が増えることが嫌ではなく、男性らしい身体に変化することを喜んだ。

「鏡を見るのが好きになりました。胸もないし、筋肉もついてきたので、母さんに『見て見て、これ筋肉ー!』とやっています(笑)」

運動すると体力もついてきて、記録ものびる。

走ると自分が風になったようで、心地よい。

男性としてマラソンやスノボーの大会に出場して、そこそこの成績を残せるようになったことがさらに自信につながってくる。

「全てが良い循環になっているんです。格好良く言うと、食事を含め自分で管理できているって感じです」

周囲の理解もありがたかった。

地方はLGBTへの偏見が強いと言われることもあるが、自分の場合はカミングアウトしてもさほど驚かれなかった。

みんなが、男の子っぽい女の子として、ずっと見守っていてくれたからだ。

「あー、だからそうだったんだ」と納得し、「みーちゃん」という呼び名を「ゆうきくん」にしてくれる。

「名前を呼ばれるたびに、うれしくて仕方がなかったです」

いろいろな人に恵まれて、ここまでくることができた。

心に余裕ができてきたのか、大きな変化もある。

「頭の中は食べ物がほとんどだったんですけど、ホルモン注射の影響なのか、気になる女性のことばかり考えるようになったんです(笑)」

今までは好きになった人に、おもいを伝えることができなかった。

恋愛ができればどんなに素敵だろう。

男性としての人生が確実に始まっている。

10苦しんでいる人に、僕の姿を見せたい

一緒に食べることが恩返し

数年前から、高齢者介護施設(グループホーム)で勤務するようになった。

利用者さんは、生活スタイルも好みもそれぞれ違う。

食べ物の効能や、栄養バランスは大切だが、利用者さんには好きなものを好きなだけ食べて欲しいと思っている。

「食べることで悩んだ僕が伝えたいのは、楽しく、美味しく食べることが一番大切だということです」

食べることが恐怖だった時代、自ら進んで人と一緒に食事をすることはなかった。

学生時代も女子はおやつを持って集まることが多かったが、自分は食べないから誘われないことがあった。

「せっかくの誘いを断ってしまって、友だちから誘われなくなるのは自業自得ですよね」

「今は、当時の友だちにカミングアウトしていますし、手術を終えてからは一般的な食生活が送れていることも伝えています」

「都合が合えば、一緒に食事を楽しんでいます!」

中学時代の保健の先生や男として生きるきかっけをくれたFTMの先輩とも、定期的にランチやお茶会をしている。

自分の葛藤を知り、支えてくれた人と一緒に美味しい食事ができることは、何よりの恩返しでもある。

家族との食事も同じだ。

過食嘔吐を繰り返している時に、母親を泣かせたことを今でも思い出して心が痛む。

「マザコンなんです(笑)一番大切なお母さんを悲しませてきたので、これからは僕が幸せになって、恩返しする番です」

「どんどん幸せの連鎖をつなげていくんです!」

自分が誰かの道筋になれば嬉しい

摂食障害は辛い記憶だけれど、性同一性障害として生まれ、男として生まれ変わった。

今は全てのことを良かったと思える。

「SNSでブログを書いているんですけど、摂食障害でどうしようもなかった僕が、こんなに幸せに生活できているということを、今悩んでいる人に知って欲しいんです」

「自分を見て欲しい。誰にでも変化する時がくるから大丈夫!ということを伝えたい」

食べることが恐怖でしかなかったのに、食べることが楽しみになり、生きるために食べること、食べることが幸せをつないでいくと、実証できている。

「一番僕らしい生き方ができているんです。今までの人生でムダなことは一つもなく、全てが僕らしく生きるために必要だったんです」

そして、性同一性障害で生まれたことを誇りに思っている。

「普通に生まれて、普通に恋愛して、普通に食事がしたい・・・・・・。何でこんなことで悩まなきゃいけないんだと、これまでずっと思ってきました」

「でも、性同一性障害で生まれ、摂食障害を経験したからこそ得たものがあり、出会えた人がいるんです」

「これからが僕の人生の本番です。できることが一つずつ増え、やりたいことが次々と思いつきます」

将来への夢を語れるようになった自分を見て欲しい。

性同一性障害や摂食障害で悩んでいる人は、辛く苦しく未来のことは考えられないかもしれない。

しかし、こんな自分でも変われたのだから、いつかきっと変われる日がくると伝えることができたら嬉しい。

「自分から動き出して幸せをつかみ取ります!例えば、僕のひょっとこを観た人が笑ってくれる。そんな相手の笑顔にすごく幸せを感じます。僕が幸せになって、周りも幸せになってもらえたら・・・・・・ひょっとこの力も借りて(笑)」

あとがき
性別適合手術のもしもに備えた裕希さんの遺言状(一部)■「・・・お父さん、お母さん、本当に申し訳ありませんでした。最悪の親不孝。お父さんとお母さんの子で良かった。僕は、僕として生きられて本当に良かった。毎日毎日、幸せだと感じる心があり、毎日毎日今よりもっと進もうとする両足があり、毎日毎日何かをつくり上げようとする両手があり・・・」■手紙が宛先を失って良かった。ひょっとこのお面をつけておどける裕希さんに出会えて良かった。(編集部)

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