INTERVIEW

真っ暗闇のなかの一点の光に。【後編】

真っ暗闇のなかの一点の光に。【前編】はこちら

2016/12/31/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
杉山 文野 / Fumino Sugiyama

1981年、東京都生まれ。日本女子大学付属の幼稚園から高校までを卒業し、2000年に早稲田大学教育学部に入学。2004年には同大学院教育学研究科に進むと同時に、10歳から始めたフェンシングで日本代表に選出される。2006年に自叙伝『ダブルハッピネス』(講談社)を出版。2007年大学院卒業後に渡英し、世界一周旅行をスタート。2009年に帰国後は大手外食系企業に就職し、3年間勤める。現在は飲食店を経営しながら、2013年から「東京レインボープライド」の共同代表を務め、ゴミ拾いボランティア「グリーンバード」などさまざまな活動に参加し、さらに各地で講演を行っている。

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INDEX
01 自分を呼ぶ言葉がない
02 両親へのカミングアウト
03 すべては自分の気持ち次第
04 自分と向き合い切ること
05 カミングアウトは点でなく線
==================(後編)========================
06 ”いない人” にならないように
07 ひとりの普通の社会人として
08 誰もが垣根を越えて集える場所
09 広がっていくLGBTの活動
10 ”For Minority” は “ For Everybody”

06“いない人” にならないように

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自分の経験が誰かの参考になれば

「若いLGBTの方や、特にトランスジェンダーでFTMの方は、僕の本を読んでいてくれて “兄貴” と慕ってくださいます。たまに、僕のことを成功者であり強い人だと思っている方もいます」

「でも全然そんなことない」

「お金がなくて不安だし、人間関係がうまくいかないこともあったし、死にたいと思うこともあった。いろんなことがあるけど、逃げずに一つひとつ、痛い思いをしながらも、向き合ってきたからこそ今があるんです」

「その経験があるから、いろんな人から相談を受けた時に、明確な答えは出せなくても自分はこうだったよと話してあげることができる。自分の経験が、次世代の方たちが生きていくためのひとつの参考になったらうれしいです」

メールなどで相談してくる人のなかには、リストカットを繰り返す人や自殺してしまった人もいる。

以前は、「僕はちゃんと対応できていただろうか」と自分を責めることもあった。

しかし、自分は無力だと責めるよりも、次に何ができるのかを考えようと思うようになった。

人の目に見えるところで活動を続けていこうと。

希望がなければ

「これだけLGBTという言葉が広まっていても、トランスジェンダーといえば世の中のイメージ的にはMTFの方が中心で、逆はメディアにもあまり出てきません。表に出てこないと、いないことになってしまう」

「LGBTがトランスジェンダーがFTMが、”いない人” にならないように、ここにいることを知ってもらえるように、活動を続けたい」

ゲイであることを公表してサンフランシスコ市会議員に当選した初めての公職者であり、映画『ミルク』のモデルにもなったハーヴェイ・ミルク。

彼のスピーチに、有名な言葉がある。

“希望のない人生は生きるに値しない”
“あなたが彼に希望を与えなければいけない”

「恥ずかしいんですが、僕は、希望になりたいと思っています。真っ暗闇のなかでは頑張れないけど、一点の光があれば、あの光が差す場所まで頑張ってみようと思える。希望があれば、人は頑張れる。僕が、その一点の光になれたら」

「でも、決して僕がみんなの代表者になるということではありません。『アイツにできるならオレにもできるかも』、そんな風に思ってもらえるようなひとりになれたらいいなと思っています。そうすることで誰かがハッピーになれたら、僕自身もハッピーになれるから」

07ひとりの普通の社会人として

普通だからこその強さ

今でこそ、LGBTに関するさまざまな活動を通して、その名を知られてはいるが、世界一周旅行から帰国したあとは、普通の社会人として大手外食系企業に勤めていたこともある。

その経験は、今、大きく生かされている。

「手術を受けたあと、帰国したら何をしようかとタイの病院のベッドの上で考えていました。本格的に活動家になったほうがいいとか、NPOを立ち上げてほしいとか、ジャーナリストがいいんじゃないとか、実家のとんかつ屋を継げばとか、いろんなことを言われました(笑)」

「でも、このまま活動を続けていくよりも、セクシュアリティをオープンにしながらも、いわゆる普通の会社員になったほうが、社会に対するメッセージが強いのではないかなと思ったんです」

そして始まった社会人生活。

飲食業界内でも特に厳しいと言われる会社で、休みもないまま朝から次の日の朝まで働き通して、とにかくなんでもやった。

あまりに厳しくて、あの会社じゃ3日どころか3時間ももたないと言われているなか、気づいたら2年が過ぎていた。

仕事の評価が自信に

「働いてみて一番よかったのは、自分が何もできないのがわかったことです。以前の僕は、本を出して、テレビに出て、拍手をいただく機会も増えて、自分は特別な存在で、なんでもできるって勘違いしていたんです」

「社会人としての知識も経験も何もなかった。電話のとり方もメールの送り方も知らなかった。上司からは死ぬほど怒られたし、死ぬほど情けない思いもしました。でも、2年経ったあたりから、できないなりに分かることも増えてきて、少しずつ仕事で評価されるようになったんです」

「今まで性別のことで評価されても自信を得られなかったのに、会社で働き始めて、性別のことを考える暇もないくらい必死になって、仕事のことで評価された時には、すっごいうれしかったし、自信にもなりました」

「でも、働いている間にも講演の依頼をいただいていて、ずっと断り続けていたんです。皿洗いのような誰でもできる仕事のために、僕しかできない講演を断るのも、そろそろ限界かもしれないと思って」

頭は丸坊主、手は水仕事のせいで荒れ、腕は腱鞘炎になり、過労のためげっそりと痩せていた。

それでも、杉山さんは誇らしげに語る。

「3時間でも3日でもなく、3年。3年勤めました。たった3年で偉そうなことは言えませんが、ちゃんと筋を通して、引き継ぎをして、次のステップに移る事ができた。死ぬほど怒られた上司には今でも仲良くしてもらっています(笑)」

08誰もが垣根を越えて集える場所

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飲食店の立ち上げ

退職してからは、まちづくりをコンセプトとしたNPO法人「シブヤ大学」の代表から誘いを受けて、小さなバーの立ち上げに加わることになった。

店の営業は20時から2時。帰宅して6時に寝ても、12時から20時まで講演をしたりテレビに出演したりできる。

そうして、昼は活動家、夜はバーの運営と二足の草鞋を履く生活が続いた。

そんな時、実家のとんかつ屋の地下で店をやらないかという話が、お父さんから持ちかけられた。

そこで、学生時代にバーでアルバイトをしていた仲間と一緒に、カフェバーを始めることになったのだ。

しかし、ビルの建て替えの予定があることから、リフォームに予算がかけられない。ほとんど自分たちの手で改装するしかなかった。

オープンまで日がないなか、人手が足りず進まないリフォーム。

そこでSNSで助っ人を求めたところ、たくさんの人が手伝いにきてくれた。

なかには、長崎から東京に出てきたついでにと、手伝ってくれた人もいた。

そして無事、オープンに至った。

いろんな交流が生まれる場所

「スタートしてみたら、店のアルバイトとして集まったのはLGBTの人が多かった。やはり一般的な店だとセクシュアリティをオープンにして働くのはハードルが高い」

「僕の店だったら、その点は心配いらないし。僕自身は仕事さえしてくれれば、性別はなんだっていいよって感じでした」

「でも、そのアルバイトの子たちが、仕事を通して自信を取り戻していく姿を見て、働くことって大事だなと改めて思いました。そして気づいたんです。僕は、飲食店をやりたいというよりも、いろんな人が垣根を越えて集う場所をつくりたいんだと」

「ゴミ拾いも、パレードも、飲食店も同じ。いろんな人が集まって、いろんな交流が生まれる場所なんです」

地下のカフェバーはビルの建て替えにより閉店してしまったが、今度は新宿のゴールデン街に別のバーを立ち上げ、さらにLGBTが暮らしやすい社会を目指すNPO法人グッドエイジングエールズとタッグを組んでレストラン「irodori」をオープンした。

レインボーフラッグを掲げてはいるが、フレンチ出身のシェフがつくるアジアン料理を誰もが気軽に楽しめる店として、おひとりさまやカップル、子供連れのファミリーなど、幅広い人たちから愛されている。

09広がっていくLGBTの活動

東京レインボープライドの代表に

「2014年は『irodori』のオープンと『東京レインボープライド』の開催がほぼ重なって、ちょっと大変でした(笑)」

2013年から「東京レインボープライド(当時は、東京レインボーウィーク)」の共同代表を務めている。

それまでは、パレードなどLGBTに関わるイベントはゲイの人が代表を務めることが多かったようだ。

「LGBTも男社会の傾向が強く、レズピアンよりもゲイが、FTMよりMTFが強いという雰囲気がありました。そこで、Tである僕と、LとGが副代表になるのがバランスがよいのでは、ということになって」

「僕が代表になった年に、『irodori』がオープンして、翌年のイベントの準備をし始めたところで、渋谷区のパートナーシップ証明書の話が持ち上がって。なんだか、てんやわんやしていましたね(笑)」

著書を出版したあと、「会いたい」というメールが山のように届いた。

すべてに対応することが不可能だと思い、「グリーンバードで掃除をしている」とブログで書いたことから、たくさんの当事者がグリーンバードの活動に参加するようになったのだ。

そんな当事者の姿を目の当たりにした渋谷区長(当時は渋谷区議会議員)の長谷部健さんが、「こんなに身近に当事者の方がいるのなら、何かできないか」と始めたのが、2015年に施行された渋谷区のパートナーシップ証明書だったのだ。

すべての主張を聞くこと

「そして、証明書の検討委員会に参加することになったんです。そこで僕は、意見を述べる時に初めて “僕たち” という言葉を使いました。今までは、LGBTや性同一性障害といってもいろいろだし、僕が代表するわけにもいかないと思っていたんです」

「でも、委員会に当事者として参加しているのは僕だけ。そこでは、『僕はあくまで一当事者なんで他のことはわかりません』等と言うエクスキューズはもう許されず、コミュニティを代表した発言をしなければならないと思いました」

「『代表者ぶるな』とお叱りを受けそうなので避けてきたんですが、一度そういう立場になった以上は、責任を持って発言しなければと。そのためにも自分の意見を言うというよりは、いろんな人の意見を広く集める窓口にならなきゃいけないなと思っています」

LGBTコミュニティにもさまざまな主張がある。

それを集約するのは決して容易ではない。

しかし、あえて代表という立場に立っている。

「選択肢が少なかった時代では、圧倒的なカリスマリーダーがいて、コミュニティを率いて行くというスタイルがよかったのかもしれませんが、今はAからZまでさまざまな主張があって『Aでいくぞ』と推し進めようとしてもB以降の人はついてこないのではないでしょうか」

「AからZまで、すべての主張を聞いて、進めていかないと」

「みんなの100点ではなく、それぞれの60点を目指す。満点を目指して一歩も進めないくらいなら、60点でいいから半歩でも先に進めたいんです」

「そのために、みんなの間に入って、バランスを取るような役割ができたらいいなと思います」

10“For Minority” は “For Everybody”

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LGBTなんて言葉はいらない

「僕は活動家になりたくてなったわけじゃないんです。ただ「普通の人」でありたかった。なのに普通でありたいと思えば思うほど『活動』になってしまっただけなんです」

「就職したのは、セクシュアリティをオープンにして普通に働いている人がいなかったから。僕が普通の会社に就職して、ロールモデルになればいいと思ったこともひとつの理由でした」

「LGBTにとって本当に暮らしやすい社会は、LGBTなんて言葉のいらない社会だと思います」

今は、ダイバシティの名の下に、LGBTフレンドリーな社会になりつつあるといえるかもしれない。

しかし、まだLGBTの存在すら知らない人がいることも確かだ。

「今はまだ、LGBTという言葉を使わなければ。僕もLGBTのひとりとして活動を続けなければいけないと思っています。ダイバシティを目指す、今の世の中の流れにのって、どんどん広げていかないと」

ふたつのハッピーの正比例

「誰にも言えないセクシュアリティの課題を抱えているLGBTがマイノリティだと言うのならば、誰もが人に言えない悩みくらい抱えているのでは。それって果たしてマイノリティなんでしょうか」

「僕は、マイノリティの課題に向き合うのはマジョリティの課題に向き合うことだと思っています。”For Minority” は “For Everybody” だと思って、活動を続けています」

「マイノリティに優しい社会は、きっとマジョリティにとっても優しい社会だと思うので」

社会のために──。

多くの人の希望を背負って、ひたむきに前へと進もうとする、いかにも活動家らしい言葉。しかし、最後はやはり杉山さんらしい言葉で締めくくってくれた。

「でも、やっぱり自分のことが大事です(笑)。世界平和を考える前に、まずは隣にいる人を幸せにしなければと思うんです。それができないのにその先の幸せなんてないし、隣の人を幸せにするには自分が幸せでないと。僕はいつだって、すべての活動は自分のためにやっていると思っています。自分のハッピーと社会のハッピーが比例していけば、一番うれしいですね」

あとがき
一昨日も昨日も会ったような親しみを抱えて、取材場所にやって来た文野さん。誰もが顔を上げて、肩を並べて歩き出せることを、いつも信じているように思えた■でも、「先のことを考えるのが苦手、それにこの先について不安な気持ちもあります」と口にした横顔は、特別ではない35歳の青年だった■暗く不安な夜も、見上げた空で輝き、自分のいる場所を見失わずにいられる「星」。そう例えたら、文野さんはきっと苦笑いして、私たちにやんわりと訂正を依頼するだろう(編集部)