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夫はFTMのトランスジェンダー。でも、私は「好きになった人が好き」なだけ【後編】

夫はFTMのトランスジェンダー。でも、私は「好きになった人が好き」なだけ【前編】はこちら

2017/05/05/Fri
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Momoko Yajima
池田 えり子 / Eriko Ikeda

1989年、東京都生まれ。中学高校と女子校、女子大と進み、一般企業への就職を経て高校の英語教諭に。大学在学中に学内初となるLGBTサークルを立ち上げる。FTMトランスジェンダーのパートナーと出会い、2015年8月に入籍。現在は放課後NPOアフタースクールにて勤務しながら、LGBT支援活動も積極的に行っている。

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INDEX
01 夫となるFTMパートナーとの出会い
02 「L」なのか「B」なのか――性指向の揺れ
03 女子校で男女の壁がなくなったのはいいけれど
04 初めてできたのは女性のパートナー
05 女子大への進学と、LGBT活動
==================(後編)========================
06 一番の難関である、母へのカミングアウト
07 バイセクシュアルならではの悩み
08 母の理解を得るまで
09 信頼できる大人として、子どもに関わる仕事を
10 スタンダードな家族の形ではないかもしれないけれど

06一番の難関である、母へのカミングアウト

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「普通に戻っちゃった」という感覚

もともとレズビアンコミニティにいた時にも、ふと「自分はずっと女性を好きでいるのだろうか」と考えたら、それも少し違う気がしていた。その矢先に男性を好きになったので、100%自分はレズビアンではないのだろうと思っていた。

母には「彼氏ができた」と告げた。もちろん前に付き合っていた女性のパートナーのことは言わずに。母は「あらそう」という感じだった。

ただ、当たり前のように恋愛話ができたり、親に話せることに、なんとなく「あれあれ?」と感じた。

「“どこからどう見てもおかしくない” ことへの戸惑いはありました。何と言えばいいか・・・・・・、感覚的には、“普通に戻っちゃった” って感じですかね」

「パートナーが女性だった時は、やっぱり必死に情報を集めたり隠したりしていたのに、パートナーが男性になった瞬間になんにも苦労がなくなっちゃって」

「『あれ? 前はすごい大変だったのに、いきなり何かが変わっちゃった』って(笑)」

それまでずっと、自分で目の前のドアを叩かないと開かなかったのに、異性と付き合うだけで、なんの説明もいらないほどスムーズに事が進むことは、大きな戸惑いだった。

「否定も肯定もしない」母の言葉

母に伝えたのは2013年。

レズビアンカップルとしてディズニーシーで結婚式を挙げたことで有名になった、増原裕子さんと東小雪さんの結婚式に友人として参加したことがきっかけだった。

「すごく素晴らしい結婚式を目の当たりにして、これは隠す意味が分からないと強く感じるようになりました」

「それで、当時はおふたりがメディアにたくさん出るようになっていたので、このふたりの結婚式に行ってきたという話を母にしたんです。そしたら母はびっくりして。どこで知り合ったの?と」

母からは、「えり子もこうなりたいの?」と聞かれた。

その言葉には、どこか友だちを否定されたような響きがあった。

大きな悲しみを感じ、もうこれは隠していられないと思った。

「当時、私は彼女がいたんですけど、『実は自分は男性も女性も好きになる人で、今は女性とつき合っている』とメールで伝えました」

「そしたら母からは『否定も肯定もしないでおくわ』と返ってきました」

母は、頭では世の中には同性愛者というものがいることは分かっている人だと思う。

だが、世の中にはやっぱり男性と女性がいて、その間に子どもが生まれて家族ができるという考え方でもあった。

「自分自身のセクシュアリティに気づいた時から、家族で理解してくれる人はいないかもしれないと思っていました。だからやっぱり、家族へのカミングアウトは自分の中で一番の難関でした」

07バイセクシュアルならではの悩み

付き合う相手の性によって生活が変わる

否定も肯定もしないと言いつつ、それ以後、母からは「やっぱり家族のために諦められない?」「それって憧れとかじゃなくて?」などと聞かれるようになる。

「やっぱり、女性が女性を好きになる感覚がわからないと。私が過去に男性と付き合えた事実があるので、いつか男性の相手に戻るだろうと思っていたんだと思います」

「それと私が子どもがすごく好きだったので、いわゆる “普通の” 結婚をするだろうと思っていたと思います」

男性も女性も好きになるということは、母にとっては一縷の望みであったのかもしれない。

バイセクシュアルには、「付き合う相手の性によって自分の生活が変わってしまう」側面があると思う。

そこに悩んでいるバイセクシュアルも多いのではないだろうか。

「LGBTのコミュニティの中でも少数派だし『どっちでもいけるんでしょう?』とか『得だよねとか』言われることがあります。得って・・・・・・まあ、ポジティブに考えたら確かにそうかもしれないけど(笑)」

「逆に私から言えば、『どうして一方の性しか愛せないの?』という感じではあるんですけど」

ただ、男性も女性もどちらも愛せるというセクシュアリティは、LGBTの中でも、少し居心地の悪さとして感じることがある。

「なんか、申し訳ないという感じ、ありますね(笑)」

「私もSNSとかで彼氏、彼女との写真を当たり前のように投稿しているので『両方好きな人なんだね』と理解してくれる人が多いと思うんですけど、確かに面と向かったカミングアウトをすることは少ないので、混乱する友だちもいたかもしれません」

「『結局、どっちが好きなんだろう』みたいな」

「好きになった人が好きなだけ」

「セクシュアリティを聞かれたらバイセクシュアルって答えてますけど、ただ私は、とにかく、好きになった人がたまたま女性だったり男性だったり、トランスジェンダーだったり Xジェンダーだったりするだけで、本当に “好きになった人が好きなだけ”。これは講演などで人に伝える機会があったら話しています」

「今のパートナーはFTMだし、ちゃんと言うならおそらくパンセクシュアルなのかもしれないけど、もうそういうカテゴリは本当に面倒くさいので(笑)」

「60代、70代の方にパンセクシュアルって言っても、何?パン?おいしいの?って感じでしょうし、伝わらないじゃないですか(笑)。だから便宜上、LGBTの中で分かりやすい『B』を使うことにしています」

カテゴリ分けで安心するという面もあるので、ある程度は大事だと思う。だが、中にはカテゴリに分けられたことで窮屈感を覚える人もいるだろう。

それこそ、バイセクシュアルがLGBTコミュニティの中でもちょっと申し訳なさを感じてしまうとか、そういう気持ちも生まれてしまうから。

「好きな人が好きだ」が一番、自分にしっくりくると思っている。

08母の理解を得るまで

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トランスジェンダーの彼を受け入れてくれた母

「いま、母は理解をしてくれています。やっぱり少しずつ自分がこういう活動をしているという話もしてきましたし」

ただ、やはり一番大きいきっかけは、現在のトランスジェンダーのパートナーとの結婚だった。

「最初に母にパートナーを紹介する時、彼を色眼鏡で見られてしまうのが嫌だったので、とりあえず何も言わずに会わせました。そしたら本当に母も、パートナーのことを『いい子だね』と、彼自身のことを好きになってくれて」

彼は身長も175cmと背が高く、見た目は本当に男性だ。母にしてみれば、見かけがふつうの男女という安心感もあったのだと思う。

「母からは『いい人見つけたね。結婚しちゃえばいいじゃん』とも言われて。おっと、みたいな(笑)」

「パートナーにも『結婚しちゃえって言われた!』って報告しましたよね(笑)。当時はまだ彼も戸籍を変えてなかったので結婚できないと思いつつ、ふたりで笑いました(笑)」

彼と付き合って割と早い段階で、母には切り出した。

「『実は彼はトランスジェンダーで、もともと女性で生まれて、男性に移行しようとしていて、これからおっぱいを取ったり子宮の手術をしたりして、徐々に戸籍も男性に変えようとしているところなんだよ』と伝えました」

母は当然、すごく驚いていた。

だが、それで母の態度が変わったかというと、その時は特に変わらなかった。

彼自身のキャラクターを好ましいと思っていてくれたのが功を奏したのだと思った。

パートナーと家族の狭間で

「それで、私も彼も一生のパートナーでいたいという気持ちが固まって、じゃあ結婚の話をしなきゃ、というところで・・・・・・そこからが戦いでした」

母に結婚したいという話をすると、「いやいや・・・・・・」という反応が返ってきた。

「まだ若いじゃない」
「えり子は子どもが好きだから、いいの?」
「何で男性を好きになれるのに、わざわざ・・・・・・」

母は決してパートナー自身のことを否定したわけではないのだけれど、生まれたかった性に生まれなかったことを100%受け入れているわけではないパートナーにとってはショックも大きかった。

「彼も『俺が普通の男性だったら何の問題もなく結婚できたんだよな』って落ち込んでしまって。彼のケアもしつつ、母は母で葛藤しているし・・・・・・」

母とパートナー、ふたりの気持ちに挟まれて、誰の気持ちを大事にしたらいいのか悩む、つらい時期だった。

「私もどうしても母に冷たく返しちゃうんですよね。なんでそういうこと言うの!なんでわかってくれないの!って」

何度も心が折れそうになったが、自分の中では「もし親と縁が切れたとしても、この人といたいという気持ちは変わらない」という思いは強かった。

だからとにかく、「ふたりが一緒にいて幸せな姿を見せられたら、いつかわかってくれる」という希望を捨てずに、母とは何度も話した。

そしてある日、母が「わかったよ」と言ってくれた。

母も、ふたりが何があっても一緒にいたいという気持ちが強いのを感じて、この子たちはもう変わらないと思ったのだろう。

「私、号泣です(笑)。もう、吐きそうでした(笑)」

この期間、約半年。早い方だと思う。

「たぶん母も、父がいない分、父親と母親の両方の責任を果たさなきゃという気持ちがあったと思う。母も知り合いや友だちに話して、何とか自分なりに消化してくれたんだろうと思うので、本当に感謝です」

その後は、母が祖母や親戚に話してくれたり、積極的に動いてくれたおかげでトントン拍子に進んでいった。

2015年に入籍し、2016年には式を挙げた。あの、増田裕子さんと東小雪さんのウェディングドレスをまとって。

09信頼できる大人として、子どもに関わる仕事を

教育現場に飛び込んで

大学卒業後は一般企業に就職したが、「子どもに関わりたい」と学校という教育現場を目指す。

その根底には、自分自身が学生時代に頼れる大人がいなかった、という思いがある。

「だからこそ、子どもたちが何かあったときそばにいたい、力になりたいという気持ちが強いんだと思います」

苦手だった英語を教えようと、通信で英語の教員免許を取得。高校で英語の教員として3年間勤めた。

生徒たちの無邪気さと、“大人と子どもの狭間” で揺れ動く危なっかしさも感じつつ、子どもたちと触れあう時間は本当に楽しいものだった。

「全然飽きませんでしたね。やっぱり、子どもっておもしろいです」

自分自身、高校は一番悩んだ時期。

学校には必ずセクシュアルマイノリティの生徒もいるはずだ。

LGBTに関するニュースがあれば、授業で触れたり、折々、セクシュアルマイノリティに対して理解があることを示してきた。

在職中に相談を受けることはなかったが、それでもできるだけ身近な存在として生徒のそばにいようと努めた。

「子どもたちも、言えなかったり、正しい知識がなかったりするだけで、セクシュアルマイノリティの子がいないわけがないんです」

「だから、いかに周りの大人が気づいてあげられるのか、情報を与えるのかが大切で。やっぱり教育は大事だと、本当に思います」

夢は、「多様な大人のいる学校」を作ること

この春、楽しかった学校現場を離れ、学童保育事業を行うNPOに転職した。

「子どもの “居場所づくり” をしてみたいんです。学校でも家庭でもない、子どもが一番子どもらしくいられる時間を、一緒に過ごしてみたいなと思って」

「学校、家庭、地域の人々で一緒に子どもたちを見ていけたらと思っています。今度のNPOでは地域の人との関わりも多い。“第3の大人” の役割が、これからの社会ではすごく大事になってくると思います」

最終的な自分の目標は、「学校を作る」ことだ。

「思い描いているのは、教師だけをやってきたというよりも、世界一周してきたとか、そういう多様な経験をしている先生が集まった学校です」

「子どもたちにとって、人生のお手本となるような素敵な大人がいて、本当に個人個人を尊重できる学校がいいなと」

「やっぱり子ども時代に出会う大人ってすごい大事だと思うんです。自分がつらい時にもそういう大人がいたらよかったなと思います」

広く浅くの友だちづきあいで、苦しくても明るく振るまっていた思春期。先生からも「お前は何も苦労していない子」と思われていたことを大人になって知った。

「そういう風に見えていたのは仕方ないけど、やっぱりつらい思いはしてきたので、先生は何も分かってないなって、ショックでした」

「だから私はそういう先生にならないって、いい反面教師にしましたけどね(笑)」

10スタンダードな家族の形ではないかもしれないけれど

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子どもを持つ、ということ

「子ども」については、パートナーともよく話をしている。

選択肢としては、第三者から精子提供を受けるのと、特別養子縁組で養子を迎えるのとの2つがある。

「私も産める体でいるので産んでみたい気持ちはありますけど、もし産めなかったとしても大きくマイナスに捉えたりはしないと思います。私自身はそんなに血縁が一番という考えがないので、養子縁組でもいいと思っています」

ただこれは本当にパートナーの気持ちを尊重していきたいところだ。

「精子提供なら誰からもらうかを考えなければならないんですけど、パートナーが、やっぱり自分が精子提供できないことをすごく気にしているので、できれば知り合いからではない方がいいと」

友人、知人、見知らぬ第三者、親族など、様々なパターンが考えられる。

しかし精子提供による出産に対して気持ち的にハードルの高さを感じてしまうのなら、養子を迎える方がフェアな気もしている。

「周りに第三者から精子提供を受けて子どもを持ったり、養子を迎えたという人がいないので、ちょっとまだイメージがつかないのもあります。でも、ゆくゆくはという感じでいますね」

「本当に、こればっかりはタイミングもあるし、私たちも知識が少ないので、焦らず、情報を得つつと思っています」

「社会が変わる」は「個人が変わる」こと

結婚相手がトランスジェンダーであることに、自分は何の違和感もないし、法律的にも何の問題もない。

しかしまだいまの世の中では多数派でない以上、混乱する人もいるだろう。

これからの社会が、どのように変わっていったらよいのだろう。

「実際、私としては本当に生活に支障はないんですね。でもそれもパートナーが戸籍を変えてくれたから。それがなかったら結婚もできていないですし」

「私より、パートナーの方が大変かもしれないです。トランスジェンダーの人が生きていくには、やっぱりカミングアウトしなければならない状況が出てくるので、それを考えると難しさがあるなと思います」

「社会から見たらただの男女の夫婦になってしまったんですけど、私は『普通』より、『変人』と言われた方が嬉しいタイプなんだと思うんですよ(笑)。それが自分らしさとも思うので」

「なので、できる限りこうやって話をして、いろんなカップルがいる、夫婦がいる、いろんな形があるということを伝えていきたいです」

社会を変えるのはとても難しいことだ。

「社会を変える」とは、「個人を変える」ということだから。

「これは私の言葉じゃないんですけど、ある先生が、『マイノリティ問題というのは、マイノリティが問題なんじゃなくて、マジョリティが問題なんだ』とおっしゃっていて、本当にその通りだと思います」

「マイノリティ問題は、マジョリティが当事者意識を持って取り組まないと解決していかないことだと思うので、そういう意味でも、知ってもらうきっかけになるのなら、とにかく自分も発信していきたいと思っています」

あとがき
「泣ける場が欲しかった・・・・・・。頼れる大人がいなかった」。気づきが多いほど、自分よりも先に生きる人を頼りにしたい。えり子さんの言葉にうなずいた■雨模様の取材。雨降りは、つい “あいにくの“ と口にしてしまう。でも、虹色にパイピングされた傘を開いて、柔らかく笑ったえり子さんがいた■すこし昔。うつむいた時、足元にあった水たまり。今は、それも軽く飛んでみせる人だ。あの頃から水面には、未来の愛しい人が見えていたのかもしれない。(編集部)

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