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男らしさ、女らしさも、いらん。LGBTは自分のなかの一部に過ぎない【後編】

男らしさ、女らしさも、いらん。LGBTは自分のなかの一部に過ぎない【前編】はこちら

2017/05/10/Wed
Photo : Taku Katayama  Text : Ray Suzuki
小川 瑛人 / Eito Ogawa

1988年、兵庫県生まれ。それぞれの個性が輝く生き方を応援しながら、外国人留学生サポート、韓国語サポートなどをビジネスの柱とするライフスタイルアドバイザーとして2016年開業。屋号はEIGHTORY。24歳のとき親友にカミングアウト。オーストラリア滞在中に一時帰国し、乳房切除手術を受けた。世界の好きなところにいつでもいられる仕事持ちになりたいと目下奮闘中。

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INDEX
01 ライフスタイルアドバイザー、小川瑛人
02 待望の長女として生まれて
03 心の中がずっとザワザワしていた
04 初めての彼女と、家族のこと
05 女性になろうとした短大時代
==================(後編)========================
06 ついに限界が来て、親友にカミングアウト
07 24歳、止まっていた時計が動き出す
08 ロードムービーのようなワーホリ・デイズ
09 そして、男になる
10 LGBTは自分のなかの、ごく一部に過ぎない

06ついに限界が来て、親友にカミングアウト

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来世があったら、男になりたい

「ここ数年だと思うんですよね、いろいろ可視化されてきたのは」

あの頃、5年前でもまだ、今ほどには情報がなかった。
ネットで検索しても、系統だった情報がよくわからなかった。

「とにかく今後の人生は隠して生きることに徹せなあかんかな、って。だからもし来世があれば、生まれ変わって男になりたいって思っていました」

しかし、隠せば隠すほど、思いは先鋭化していく。

「自分は男になりたい」と、思った。

「男になりたいのには、気づいてたんです。短大時代はとにかく隠すことに必死だったんですけど・・・・・・」

震えて泣きながら告白

ついにカミングアウトするときがやってきた。

24歳のときだった。

大学卒業後、やりたい仕事も特になく、漠然とした食への興味からデパ地下のお惣菜屋さんでアルバイトを続けていた頃のこと。

「23歳、24歳くらい、みんなが結婚出産するころに、ついに限界が来てしまって」

みんなの会話に、いよいよついていけないレベルになる。

「ウソもいえないくらいの会話になってきたんです。親友と一緒にいても、なんかこう、楽しくない気持ちになってくる。でも大好きな2人やし、友だちとして一緒にいたいのもあったし・・・・・・」

親友の1人には、「瑛人の心のなかには何かがある」と、見透かされたような、鋭い指摘をされていた。

「『ほんとうにやりたいことってなんなん?』って聞かれたときに、心のなかでは「男になりたい〜」って叫んでたけどね」

それを口に出して実際に言ったらどうなってしまうのか、ふと考えた。

「もし2人に嫌われずにいけたら、めっちゃ幸せやなって。一方で、もし拒絶されたらどうしようとも考えました」

「でも、これ以上隠していてもしんどい。罪悪感ですね。今までずっと申し訳ない。2人はいつもいろんなことを隠さず言ってくれていたのに、自分だけ一番大事なことを言えてない。だから、言おうと思って」

勇気を出して、まず親友の1人に言うことにした。

彼女の家まで送る車を、公園の脇に止めて切り出した。

「身体もぶるぶる震えながら、そのとき僕、なんていったか覚えてなくて」

5年が過ぎた今だから、じわじわ思い出せるようになってきた。

「ウチな、病気やねん」

性同一性障害をよく知らなかった当時、つい、こう口にしてしまった。

「なんの病気なん?」

「・・・・・・性同一性障害」

答え終わると同時に、大声で泣いてしまった。

「今から思えば、めっちゃおかしいな、ってネタになっています(笑)」

07 24歳、止まっていた時計が動き出す

親友の受容に涙があふれて

そのとき親友が返してくれた言葉にも救われた。

「『ほんまに言ってくれてありがとう。あと、死なずに生きててくれてありがとう』って。それでまたワーっと泣いてしまって」

言えなかったことを、初めて言う。

その緊張と恐怖、そして受け入れてくれたといううれしさ。

すべての感情が押し寄せて、涙腺が崩壊した。

だが打ち明けた親友も、もうひとりの親友も、どうやら薄々気づいていたようだ。

「瑛人が言いたいタイミングもあるだろうし、言いたいタイミングになったら聞こうって、話してたんよ」と明かされた。

「『これから瑛人は男として生きていったほうが絶対いい。どんな瑛人でも瑛人は瑛人だから。嫌うなんて絶対ないから』って言ってくれて」

本当の自分になる。

それを受け入れてくれる友がいる。

もう、恐れることはない。心の重荷が軽くなっていく。

「そこからですね。一気にバーンって開けてきた。このあとすぐにもうひとりの親友にも同じように話して。震えながら泣きました(笑)」

英語しゃべりたい!

止まっていた時計が、再び時を刻み始めた。

人生の歯車が回り始めた。

というより、回し始めたのは自分自身だった。

カミングアウトしたときに改めて、これから男になって人生を歩むと決めた。

「じゃあ次、何したいんかな?となったときにシンプルに、あ、英語しゃべりたい、って思いました」

「じゃあどうしたらいいんやろ、海外行ったほうが絶対早い。というわけで数ヶ月後には行ってきます!となったんです」

もともと海外が好きで、デパ地下アルバイト時代はアメリカ旅行を数回楽しんでいた。

スポーツ心理学や自己啓発、経営学などをテーマとした趣味の読書から次第に、アメリカへの興味を募らせていった。

「アメリカってフレンドリーで、オープンで、自由な感じが僕のなかでは好きななところ。でも外国人と話したいけど、通じない。これは英語の勉強せなあかんなって」

そして選んだのが、オーストラリアでのワーキングホリデーだ。

カミングアウトしたことで「したいことをする!」と、具体的に目指すものが見えようになった。

わかっていたけど見て見ぬ振り、心の奥底に押し込めていたものを、これからは直視できる。

向き合える。

ただ、お父さんを始めとする家族へのカミングアウトは、この時点ではまだ終えていなかった。

ここから約8か月後、オーストラリアから一時帰国して親友の結婚式に出席する、そのタイミングでするつもりだった。

08ロードムービーのようなワーホリ・デイズ

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FTMを最初からオープンに

2012年8月、ケアンズに初上陸。

親友へのカミングアウトからわずか4か月後のこと。

「最初はまだ手術もしていなかったから、女性として見られるし、語学学校の先生もsheって言ってくるんですよ。でもそれは仕方ないことやなって思ってました」

語学学校を修了したあとは、日本料理レストラン、ストロベリーファームで働いた。

滞在先は各地のシェアハウス。

さまざまな国からワーホリに来る人々と出会い、深い友情を結ぶことになる。

各国の友人たちと街から街へ。

まるでロードムービーのような暮らし。ゆったりと時間が流れるオーストラリアが大好きになっていた。

「仲良くなった友だちには、少しずつカミングアウトしていって。やっぱり、自分の大切のことを知ってもらった方がいいなあって感じました」

世界中のいろいろなバックグラウンドを持つ人と出会えるスケールの大きな国で、本当の自分のことを、もう隠さない。

隠す必要はなかった。

「オーストラリアの良さを1つ挙げるとすれば、なんだろう、うん、自由な感じ。オーストラリアにいたときのほうが、気持ちがオープンでいられます」

「LGBTのことでいえば、けっこう同性愛者の方も多く、街で見かけるし、バーもある。でもやっぱり差別は多いと感じます。日本もそうかもしれないけど、オーストラリアもまったく気にしないわけではなくて」

認める人は認めるし、人によっては認めない、そう感じた。

お母さんにカミングアウト

男として生きると決めた2012年は、いわば瑛人元年だ。

「過去の僕を、誰も知らないオーストラリアに行って、一から作り直してみた。そのうえで、やっぱり自分はこっちの方が心地よかったと」

オーストラリアでも、男になりたいことにブレはなかった。

「だから、このことは大切な家族にも知らせないと、手術には進めないと思ったんです」

2013年4月、親友の結婚式に出席するため、一時帰国。

このときに、離れて暮らしているお母さんにカミングアウトした。

「『そんなんで悩まんでええわ。なんでもっと早く言わんかったんや』って言われました」

そしてお母さんは、気遣ってくれた。

「『度合いがある、グラデーションがある』って言ってくれたんです。そのとき僕は『度合い』の意味が分からなかったけど、あとあと勉強していくなかでいろんなセクシュアリティがあることを知りました」

お母さんがそれを前から知っていたのかはわからない。

「『いろんな度合いがあるんだから、ちゃんと病院で診てみてもらってきいよ。あんたがどこまで望んでるかは、お医者さんにしっかり話しいよ』って言ってくれたんです」

そのあとお母さんからメールが届いた。

「お母さんが気付いてやれんでごめんな、って書いた長文が送られてきたんです」

さあ次は、大好きなお父さんにもカミングアウトだ。

09そして、男になる

もう、どっちでもええわ

お父さんにも話した。

でも、理解するのに時差があると感じた。

「性同一性障害とか、そういうものがあることは知っていたけど、まさか娘が、と思っているような感じでした」

「最初は僕を、息子として見てくれ、って思っていたけど、『お前はとうちゃんの可愛い娘やからな』って言われて・・・・・・」

今もずっとそう言われ続けている。

「だから違うって!」と反論もした。

しかし、どうでもよくなってきた。

「冷静に考えれば、お父さんからしたら僕は娘やろうなって。そこを別に強制せんでもええかと」

「お父さんを尊重したいし、もう娘でもええわ、どっちでもええわって」

お父さんからすれば、息子だろうが娘だろうが、子どもであることには変わりがない。

貯めていてくれた結婚資金を、手術代に使っていいと渡してくれたことは、ほんとうにうれしかったし少し切なかった。

兄たちの反応も安心できた。

保育士をしているすぐ上の兄は、同僚のFTMを紹介してくれた。今もいい相談相手、大切な友だちだ。

そんなふうに家族への告知を済ませ、オーストラリアへ戻った。

胸オペをしてオーストラリアに戻る

オーストラリアにいるときから、日本の病院をいくつか調べていた。

オーストラリアに戻ったら、車を買ってロードトリップしながら、南を目指す計画があった。だから手術を、早く終わらせたかった。

2013年10月、手術は無事に成功した。
年内にはオーストラリアに戻っていた。

ふたたび仲間と合流し、ストロベリーファームで働く日々を送った。

以前よりも気持ちが楽になっていたのは、胸オペをしたからだ。

「『男の子に戻る』って表現される方も多いと思いますが、僕は敢えて『男になる』って言いますね」

『男の子に戻る』では、わかりにくいのだ。

「子どものころからどれだけ『自分は男なんだ』と思っていても、オギャーと産まれたときに女性と見えていたら、やっぱり女性として育てられる」

「それは仕方のない、当たり前のことのような気がするんですね」

言葉尻や概念の差異にとらわれ過ぎると、本当に大切なことを見失ってしまう。

そんなことに、足をすくわれたくない。

2014年、ワーホリを終え、オーストラリアから帰国。
日本で、ホルモン治療を開始した。

10LGBTは自分のなかの、ごく一部に過ぎない

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男らしくとか女らしくとか、いらん

日本に戻ったとき26歳になっていた。

「これからは男っぽい仕事をしてみよう」と、ガテン系の仕事を敢えて選んだこともある。

「でもあわなくて(笑)。家具の組み立ての仕事やったんですけど、周りがみんなゴリゴリしていてガサツ過ぎて、これは違うなって」

やってみてこそ、わかることがある。

ひとつの結論が、自然と出てきた。

「男らしくとか女らしくとか、いらんなって思うようになったんです。ほんまにいらんし、そこにこだわりすぎたら生きにくい」

「今は自然体ですね。無理して相手に合わせなくてもいいし、生き苦しくしているのは相手じゃなくて自分だと気付きました」

「男性はお酒めっちゃ飲むじゃないですか。それにあわせようとしたこともあったけど、自分はお酒嫌いやな、お酒よりもカフェ派やなって(笑)」  

今は、ありのままの自分でいることの大切さを、身をもって感じている。

自分で自分を認める、自分で自分を受け入れる。

それができるようになったと思った。

LGBTだからなに?

「LGBTって特別なことではないんです」

「むしろ身近な存在だってことや、LGBTを知ることで救われる人がたくさんいるってことも伝えたいと思っています」

「でも、それは自分のなかのほんの一部分でしかない。だからなに?って話なんです」

「言葉尻を捉えて当事者同士で叩き合うのを見かけるけど、そんなんこともどうでもいい。そんなん言うヒマあったら、自分の人生もっと磨いていこうっ、て思います」

少しずつLGBTという意識がなくなってきたのだ。

今、ライフスタイルアドバイザーとしての経験を積んでいる最中。

「信念をずっと持っていれば、いずれ結果は出てくる。倒れないように生きるんじゃなくて、何回倒れても起きあがる人になること。そこで勇気を与えられる人になりたい。最近の自分のなかでは、それがしっくりきてますね」

LGBTのカテゴリ分けはもはや不要の境地にいる。なぜならそれは、グラデーションだから。

あとがき
取材の終わり頃、瑛人さんは「当事者同士で叩き合うのを見かけるけど・・・」と平らな声で語った。自分が少しでも知っている事柄について、他者が違う方向だと知ると批判の対象になることが。人間心理なのか?■“ The 男性 ” なんてナイナイ! 例えば、甘いものが好き、珈琲にはミルクたっぷり、お酒は嫌い・・・。「そんな男の子はいっぱいだ!」と話した。どこにもない男像なんて空想はけちらして、瑛人さんのまま行く。まだまだ進む。ほんの夢の途中だから。(編集部)

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