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男らしさ、女らしさも、いらん。LGBTは自分のなかの一部に過ぎない【前編】

24歳まで、自分の本当の性に目や耳を塞いでいた。隠して生きていくつもりだった。しかし結婚や出産といったライフイベントを経験していく友人たちと、話が合わない。もう限界だった。カミングアウトによって「男になりたい」自分と向き合ったら、本当にしたいこともすぐに見えてきた。約2年のオーストラリアでのワーキングホリデーを経て26歳で帰国。今は、いかにありのままの自分でいるかが大切かを、痛感している。

2017/05/07/Sun
Photo : Taku Katayama  Text : Ray Suzuki
小川 瑛人 / Eito Ogawa

1988年、兵庫県生まれ。それぞれの個性が輝く生き方を応援しながら、外国人留学生サポート、韓国語サポートなどをビジネスの柱とするライフスタイルアドバイザーとして2016年開業。屋号はEIGHTORY。24歳のとき親友にカミングアウト。オーストラリア滞在中に一時帰国し、乳房切除手術を受けた。世界の好きなところにいつでもいられる仕事持ちになりたいと目下奮闘中。

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INDEX
01 ライフスタイルアドバイザー、小川瑛人
02 待望の長女として生まれて
03 心の中がずっとザワザワしていた
04 初めての彼女と、家族のこと
05 女性になろうとした短大時代
==================(後編)========================
06 ついに限界が来て、親友にカミングアウト
07 24歳、止まっていた時計が動き出す
08 ロードムービーのようなワーホリ・デイズ
09 そして、男になる
10 LGBTは自分のなかの、ごく一部に過ぎない

01ライフスタイルアドバイザー、小川瑛人

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やっぱり戸籍も変えていきたい

現在は、フリーランスのライフスタイルアドバイザー。

個人事業主として、2016年12月に起業したばかりだ。

男性として生きていくことを選んでから、5年が経った。

それまでは、自分がほんとうにしたいことに、向き合えずにいた。

しかし、今は違う。とにかく、真剣だ。

手探りでライフスタイルアドバイザーとしての経験を積みながら、オーストラリアで習得した英会話を活かし、大手外資系ホテルのスポーツクラブでアテンダーもしている。

しかし軸足は、前者に移しつつある。

「やっぱり本当に自分がしたいことに時間を費やしたいんです。それに、戸籍を変えるためでもありますね」

ホルモンバランスの乱れに悩まされて

乳房切除の手術は、2013年10月に済ませた。

「正直、戸籍変更はもう必要ないか、と思っていました」

「でも最近、自分の身体のことだし、やっぱり健康が一番大事と思うようになって。実は僕、ホルモン治療から2年経ったあとでも生理が来たりしてたんですよ」

やはり、性別適合手術(SRS)のことが、頭をよぎる。

「ホルモン注射のタイミングがずれると、ホルモンバランスが崩れてしまう。それがすごい嫌だし、すごいストレスになる」

「SRSをするのかしないのか、正直どっちがいいかまだわからないんですけど、とりあえず今は、お金を貯めてSRSやって、というふうに考え始めているんです」

02待望の長女として生まれて

明るくて活発な小学生時代

4人きょうだいの3番目、長女として生まれた。

「幼稚園のときから僕、目で追ってしまうのが女の子ばかりやったし、可愛いなと思う子も女の子ばかりやった(笑)」

小学校に行くときは、ふだんからずっとTシャツとズボンを着ていた。

しかし上が兄ふたりだったから、両親にとっては「待望の女の子」。

「親も女の子っぽいものをやらせたかったんでしょうね、ピアノを習っていたんです。で、発表会のときだけお母さんに『お願いやから、このスカートはいて』って言われて、白いタイツとスカート渡されて」

「うわーって思ったし、僕『こんなん、嫌やわ』って言って抵抗しました。それが小学校低学年のころ」

「そしたら『仕方ないな』っておかあさんに最後に渡されたのが、青色のキュロット(笑)」

このときは母の願いを受けキュロットをはき、精一杯の譲歩をした。

しかし翌年からはもう、母のお願いを拒絶するようになる。

「学校では、明るくて活発、スポーツが好きで、よく遊ぶ子だと言われていましたね」

「もちろんリカちゃん人形を持っていた覚えはなく、家では兄とテレビゲームやミニ四駆で遊んでました。どうやったら速くなるかとか、考えてましたね」

胸を叩いても、つぶれへんし

でも、屈託なく過ごしていたのは、小学校低学年までだ。

小学校高学年になると、第二次性徴が訪れる。

嫌で嫌で仕方がなかった。

「5年生くらいでしたかね。胸が最初にふくらんできて、すごい嫌だった。自然学校とかあるでしょ、そのときのお風呂の時間も、他の子とずらしたかった」

身体の変化には、違和感しか感じなかった。

「校舎の裏で、ひとり自分の胸を叩いてました。もう、つぶしたくて」

校舎の裏に行けば、誰も見てないだろう。しかもボール除けの緑のネットが張られたところなら隠れられる。

そう考えたのだ。

でも、今になって思えば、その場所は誰からも丸見えだったらしい。

「はたからみたら、あれ、ゴリラやんって(笑)。どこも隠れていないのにネットの後ろで隠れている気持ち」

「胸も引っ込むと思ってた。でも、いくら叩いても胸はつぶれへんし、そのころから姿勢も悪くなってしまった」

屈託のない子ども時代が、終わりを告げようとしていた。

03心の中がずっとザワザワしていた

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制服のスカートが嫌だった

地元の中学校に進学する。

そこには、制服のスカートが待ち構えていた。もちろん嫌だった。

「仕方ない、って感じでしたね」

諦めの胸中で、スカートをはくしか選択肢はなかった。

「ずっとボーイッシュだったから、友だちからは『小川さんのスカート姿見られるのは楽しみやわ』と言われたりして、そのことがすごい嫌やな〜、とも思ったけどみんな一緒やから逆に大丈夫か、と思って」

「まあスカートをはいたりもしてたんですけど。でも心の中は、ずっとザワザワしていましたね」

それでも、自分のことを「性同一性障害だ」と明確に意識するのは、まだ何年も先、短大を卒業してからのことになる。

バスケのボーイッシュなところが好き

子どもの頃からスポーツが得意だ。小学生のときは陸上部で活躍、マラソンでは市内外のいろいろな大会にも出場した。

だから中学校でも、部活は迷わずスポーツを選んだ。

バスケ部だった。

「中学生になってバスケを始めて。バスケの格好ってボーイッシュじゃないですか。それがすごく自分にあっているというか、それが一番心地いいと思って」

自分が一番、自分らしくいられたのが、バスケ部だったのだ。

「制服も嫌だったんですけど、授業も嫌だった。だから、部活の時間は解放というか、発散されてましたね」

自分は「それじゃない」と言い聞かせて

「性同一性障害については、自分でもよくわからなかったので、そういうのは深く考えませんでした」

「ただ、やっぱり性指向というか、自分が見てしまうのは、女の子が多かったですね。保育園のころから(笑)」

自分は人と何か違うのではないか。

自分の性のことについて、なんとなく感じ始めていた。

しかし当時は、それを直視することが怖かった。

「パソコンが家に1台あったんですけど、検索したくても履歴に残るのがものすごく怖くて。自分のなかでも、性同一性障害だなんて思い違いだ、って言い聞かせていたような感じでした」

心のなかのザワザワは止むどころか、次第に大きな音になってゆく。

04初めての彼女と、家族のこと

愛情表現はストイックに

高校時代も、ルックスは颯爽とボーイッシュ。

バスケ部に入部してほどなく、初めての “彼女” ができた。

お互いに気があると、すぐに察知し合えた。セクシュアリティのモヤモヤを告げることはなく、ただ、その子のことが好きだった。

「お付き合いすることになったんですけど、周りからすると、すごく仲良くしてるなって見えたと思います」

しかし彼女のことを思うと、心の中に激しい葛藤が渦巻いた。

「この先も自分がこのままだったら、この子のことを傷つけてしまう。この先はないんや、と自分で思い込んでいました」

「どうせいつかは別れるんやな、って思うとそれだけで苦しくて辛くて、でも誰にも言えなくて・・・・・・」

まだ、性同一性障害のことを詳しく知らなかった。

自分らしく生きていける方策を、なんら知らなかったのだ。

思いをひたむきに突き詰めると、答えは自ずとストイックになってしまう。

「あのころの僕はかなり浮き沈みがあった。考え始めたらそれが態度に出てしまい、彼女を傷つけてしまったんです」

彼女とは、少しずつうまくいかなくなった。

「辛かったですね、周りに話せないし。でも、明らかに気づいてしまった。自分がなにか、ほかの人とは違うってことに」

そのあとも数人の女の子とつき合ってみたが、同じことの繰り返しだった。

「でも、自分のことをレズビアンだとは思っていませんでした。なぜなら自分は男だという認識があったから」

心の奥底では「自分は男なんだ」と自覚し始めていた。

お母さんと、2人のお父さん

父親は2人いる。ひとりは血のつながったお父さん。
もうひとりは、お母さんの再婚相手であるお父さんだ。

「一番目のお父さんも二番目のお父さんも大好き。血のつながりとか、そんなん関係なくどっちも大好き。2人とも本当に優しいんです」

現在は、一番目のお父さんと一緒に暮らしている。

2番目のお父さんは、昨年の秋に急逝してしまった。

「急なことだったので、残念でしょうがない。だから余計に、今のお父さんに恩返しがしたい、という気持ちがあふれるようになったんです」

母親は、『女子』だと思う。

「今思えば、お母さんは『ザ・女子』です(笑)。けっこう強い母なんですけど、いつまでも美を求めているような。着物が好きで、着付け教室を開きたいって言っていたし」

「しつけも厳しくて『女の子らしく』っていうのはけっこう言われました。でも、自分のなかでストレスになるほどではなかったです」

多感な時期に両親が離婚したが、それが原因で心が塞ぐようなことは決してなかった。

親がそれぞれ幸せならそれでいい。

そういう思いで、お父さんとお母さんを見つめてきた。

05女性になろうとした短大時代

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本当の自分を隠すためにする女装

高校卒業後は、自宅から近い短大に進学する。

「バスケに打ち込んでいたので指定校推薦。10月には決まっていました」

バスケのトレーナーになりたい、体育系の大学に進学したいという思いもあったが、積極的にはなれなかった。家から近いこともあり推薦で短大に決めた。

専攻は人間健康学の食コースだ。高校時代から続けていた、たこ焼き屋さんでのアルバイト経験も、背中を押した。

「何も固まってなくて、将来どうしたいかもぜんぜん見えてなくて」

それでも短大の2年間は、ある種のチャレンジそのもの。
なぜなら、女子として生きてみよう、と思い、それを実践したからだ。

小学生時代からの大親友2人とも、進路が別々になることがひとつのきっかけだった。

それなら、一度リセットしてみよう。

ちゃんと女の子として生きよう。本当の自分は隠そう。

そう決めたのだ。

「この2年間が、自分史上一番、女の子でした(笑)。髪の毛も伸ばしましたし、化粧もしましたし、まつげエクステもしましたし、スカートもはきました」

女子大生ファッションを選んでくれたのは、女の子らしい服装が好きな大親友の2人だった。

「なにを選んでいいか僕はわからないから、一緒に買い物行って選んでもらったんです。ブリブリな下着を選んでくれましたよ(笑)」

「今となってはただのネタですけど、それで隠せるんならと必死。あれは洋服って言うより、衣装でしたね」

本当の自分を隠そう、隠そう、とばかり考えていた。

「ボーイッシュな格好をしていたらバレてしまう、と思っていたから、隠すことしかフォーカスしていなかったんです」

「バレるって言葉をつかうくらいだから、カミングアウトするつもりも全然なくて、隠して生きようと決めていました」

あの頃は、あえて女子っぽく振る舞う選択肢しかなかった。

「・・・・・・でもそれでは、精神的にはズタズタですよね」

不本意な自分として生きることは、とても辛かった。

大好きなおばあちゃんに会いにいくと「女の子らしくなったなあ」とうれしそうに迎えてくれた。

「だけど心の中ではグサグサきました。だから余計に誰にも言えない・・・・・・」

女の子のフリをして生活するあいだ、男性との交際にも挑戦した。

相手の性格もよかったし、好きになれるかな、とも思った。

「でもやっぱ無理なんですよ。告白されるまではふつうに友だちだったのに、  “彼女”として接してこられることがすごい嫌で、早々に別れました」

恋人として男性と親しくなることは、違和感でしかなかった。

それからは授業が終わると、すぐ帰宅。

短大の2年間は、そんな日々を送っていた。

「大学用の “衣装” を脱ぎ捨てて、すぐバスケの格好に着替えたら、あとはコタツでぐうたら(笑)」

もちろん女性を好きになることは、封印していた。

それでも好きになってしまうのだから、辛かった。

そんな自分を、思わず重ね合わせて見ていたのが、2008年に放映されたテレビドラマ『ラスト・フレンズ』だ。

「僕らの時代は、『金八先生』も観てたんですけど、『ラスト・フレンズ』の瑠可(ルカ)がドンピシャなんです。あれはかぶりましたね」

上野樹里さんが演じた岸本瑠可は、外見や性別で判断されることを嫌うモトクロス選手。

性同一性障害を誰にも相談できずに抱えており、同級生の女の子に恋心を抱くという設定だ。

自分を投影し、共感できる対象があることは、心の支えになった。

ドラマのモチーフになるほど、性同一性障害は広く認知されつつあった。


<<<後編 2017/05/10/Wed>>>
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06 ついに限界が来て、親友にカミングアウト
07 24歳、止まっていた時計が動き出す
08 ロードムービーのようなワーホリ・デイズ
09 そして、男になる
10 LGBTは自分のなかの、ごく一部に過ぎない

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