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人と違う自分を、スゴイと思える。【後編】

人と違う自分を、スゴイと思える。【前編】はこちら

2017/07/13/Thu
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Ray Suzuki
林 亜由未 / Ayumi Hayashi

1988年、大阪府生まれ。セクシュアリティで活動するときは「林もやし」とも名乗る。大学では美術を専攻。専門学校職員、IT企業などを経て現在は就職活動中。2009年から2014年までインターネットラジオ「林もやしのセクシュアルマイノリ茶」を月2回のペースで配信。2009年から2015年まで関西レインボーパレードの実行委員として運営に携わる。2017年春からyoutubeでレズビアンの日常を描くオリジナルドラマを発表している。

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INDEX
01 カミングアウトは、ミクシィだった
02 ボーイッシュで、グループ嫌いな女の子
03 仲良しの女の子が、気になる存在に
04 私の中に潜む闇を、隠し続けて
05 初告白と、LB高校生オフ会を招集!
==================(後編)========================
06 人と違う私って、スゴイ
07 SNSカミングアウト後の反響と解放感
08 家族にカミングアウトは、結果オーライ
09 「自分らしく、ありのままに」を実践する
10 自信喪失を乗り超えて、ドラマで再起動!

06人と違う私って、スゴイ

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女の私を選んでくれたことが自信に

彼女ができ、セクシュアルマイノリティの仲間とも出会い、充実していた高校時代。

好きになる相手について悩むことは、ほとんどなかった。

「悩むのとは逆に、優越感に思ってしまったんです。なんでなんやろう。きっと、人と違うことを、スゴイと思ったんやと思います」

彼女ができたこと、彼女の存在が大きかった。

「彼女のこと、めっちゃ好きだったんですよ。男女が付き合うのが普通なのに、女の子と付き合えてる」

「それって、スゴイ。みたいな優越感があったんだと思う」

「普通は男女が付き合うべきものっていう考え方がありますが、彼女は、男ではなくて、女の私を選んでくれた。そのことに、自信を持っちゃった。だから悩まなかったんだと思います」

選ばれたこと、恋が実ったことが、大きな自信に繋がった。

「当時は幸せだったと思う。あまり将来のことは深く考えていなかったけど、彼女ともっと一緒にいれたらいいね、みたいなことは言っていました、月並みですけど」

「当事者だから辛い」はナシでいこう

大学は国立の京都教育大に進学、美術領域を専攻。

なんとなくだが、将来は広告制作などクリエイティブ系の仕事に進みたいと考えていた。

「まじめに通学して、1、2回生でほとんど単位を取りました。3回生で教育実習、4回生で卒業制作ですよ」

「大きいものを作りたくて、最終的に木材工芸に行き着きました。木材を組み合わせて、建築とも違う、立体物を作りましたね」

性指向について、ミクシィでカミングアウトしたのが、2回生のとき。続いてインターネットラジオの配信も、月2のペースで始めた。

もともと音楽系のボランティアをやりたくて探している過程で、「インターネットラジオ、やってみいひん?」という男子と出会ったのがきっかけだった。

「自分が人と違って喋れることってなんだろう。あ、そうだ、セクシュアリティのことだ、って」

インターネットラジオ、というメディアはいろいろ都合がよかった。

「ゲストに呼ぶ当事者の方って、たぶん顔出しできないだろうから、ラジオはいいだろうっていうのと、そういう人はインターネットを使っているから、聞いてくれそうだっていう利害が一致したんです」

しゃべることも好きで、楽しかった。

自分の番組には、込めていた思い、ポリシーがあった。

「当事者だから辛いという話は、したくなかった」

「苦労話だけでなく、ほかの話をカバーしたり、こんなこともあったけど、今楽しい!みたいな感じで終わらせたいと思って、やっていました」

07SNSカミングアウト後の反響と解放感

偽らなくてもいい解放感

女の子を好きになると公表したら、いろいろとさらに楽になっていった。

当初の狙い通り、自分のことを “ネタ” にして話せる人が増えたのもよかった。

「それまで隠さなきゃいけなかったから、『今、彼氏おるの?』と聞かれて『おらん』みたいに返してたけど、『彼女やで』って言えるようになって、一番楽になった」

「解放された感がありましたね」

友だちの反応は、思ったより平常だと感じたほどだ。

「もともとボーイッシュなせいか、『そんなにびっくりしないよ』『見たままちゃう?』『薄々気づいてた』とかでした」

中身は自分のままで、変わらないのだから、そうなのだろう。

「カミングアウトしてからは、好きだと思ったら、自分から積極的に言えるようになったし、向こうからも言われるようになった。だから、ちょっと遊んじゃった(笑)」

自分のようにボーイッシュなタイプより、フェミニンなタイプが好みだ。

でも、細かなこだわりがあるわけではない。

関西レインボーパレードードに参加

ミクシィの日記や、インターネットラジオ配信。

いずれも、LGBT活動をするぞ!と意気込んで始めたというより、できることを始めた、という感じ。

どこか、趣味や遊びのような感覚だった。

しかし、このインターネットラジオから、新たな繋がりが生まれる。

ラジオを聞いた「関西レインボーパレード」の実行委員会メンバーから、連絡があった。

2009年の「TOP☆STAR(トップスター)」として参加しないか、というオファーだった。

「TOP☆STAR(トップスター)」とは、「関西レインボーパレード」の共同代表であり、表に出て顔を出して広報活動をするセクシュアルマイノリティ当事者のこと。

当時は、活動の象徴的な存在として、パレードに華を添える役目も期待されていた。

そんな「トップスター」の名称がちょっと照れ臭かったが、もちろん承諾した。

「あの頃は、そもそもレインボーパレードを全然知らなくて。実行委員の方とお話ししても、あまり実感がわかなかったんです」

「でも準備をちょいちょい手伝ったり、顔出しの広報もしながら、少しずつ実感がわいていった感じです」

パレード当日。御堂筋には800人もの参加者が集まった。

「私がやっていたのはこういうことなんやって、そのとき初めてリアルに感じて、すごく感動しました」

「自分の周りに、仲間がこれだけたくさんいるんやって思いました」

その感動は、パレードの連帯感によるものだけではなかった。

「LGBTやセクシュアルマイノリティを啓発する活動があるんや、と。自分はネットラジオを遊び感覚でやっていたけど、こういう本格的な活動があるんやなって」

「おもしろそうだと思いました」

そして翌年、関西レインボーパレード、略して「関パレ」の実行委員になった。

08家族にカミングアウトは、結果オーライ

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結果オーライです

2009年、初参加の関パレで務めた「トップスター」。

パレードの広報担当として顔出しで活動に取り組んだ。

これが、家族へのカミングアウトのきっかけになった。

「いい機会だなと思って、家族全員、父、母、兄に言いました」

でも、「自分はレズビアンです」という言い方はしたくなかった。言葉や言い回しを、自分なりに選んだ。

やはり、緊張した。

「私は今、女の子が好きで、彼女がいます。たぶん結婚はしないかもしれないけど、今はこんなことやってます、というような言い方にしました」

「こういうこともやってます、って言いながら、関パレの冊子を見せて、社会的に意義のあるような、説得力のある言い方にしたつもりです」

「でも、やっぱり親はびっくりしましたね」

当然のように、驚いた両親。

だがお父さんは、なにも言ってこなかった。腹に飲み込んでくれたのだろう。

「わりといい父で。受け入れてくれました」

一方、お母さんは、動揺が隠せなかった。

「落ち込んでしまって、『やっぱり私の育て方が悪かったのではないか』と嘆いたり、『男の子と付き合う楽しさも知ってほしい』とか。まあ、どこの家庭でもよくある反応らしいんですけど」

ただ、やがて母も受け入れてくれたのが、わかってきた。

「よく彼女を実家に呼んだりしてたので、『あの子もそうなん?あの子も?あの子も?』って気づいて、驚いたらしくて(笑)」

「時間とともに消化してくれたみたいです」

今では、家族は大事な理解者だ。

「『亜由未のことは、お父さんもお母さんも応援してるからね』って、言ってくれます」

結果オーライだ。

内定者研修でもカムアウト

大学4年の5月には、大阪の専門学校の内定をもらっていた。

学生を募集する部署に勤務することも決まっていた。

最後の学生生活を送る年は、インターネットラジオ、関パレの実行員と、LGBTの活動にも打ち込んでおり、充実感があった。

内定した専門学校にも、自分のことをちゃんと言おう。そう思った。

「1泊の内定者研修があって、“自分を振り返る時間” というプログラムがあったんです。そこで『もう、言おう』って思いました」

“自分を振り返る” というフレーズに、思わず反応した。

正直にカムアウトしたくなった。

「だって自分を振り返ったら、それは大きなことだし、そこはずっと働く場所だし」

「ラジオもパレードもやっていて、自分にとっては大きなアイデンティティになっていました」

研修は予定通りに終了。

しかし翌年の3月、入社のわずか1週間前に、予想もしない事態に見舞われる。

09「自分らしく、ありのままに」を実践する

新卒就職先の無理解

入社1週間前、直属の人事担当から突然の連絡が来た。

そして、活動について「いつまでするのか」と尋ねられた。

「『生徒募集の仕事として顔出しでやるのだから、学校としては困ります』とも言われたんです」

ほかにも、「保護者に説明できない」「生徒も勧誘するんじゃないか」など、相手側の思い込みの強い、不躾な言葉を突きつけられた。

「は? なに? 勧誘?! みたいな(笑)」

「『宗教みたいもんやと思ってる』とも言われました」

世間一般の認識レベルに改めて驚き、失望も感じた。

「全然納得がいかなくて」

「だって、私がやっているのはボランティア。これがもし地雷撤去のボランティアだったら、すごく賞賛されるだろうに、人権啓発、LGBTの何がいけないのか」

しかし、そこでへこんでいる場合ではなかった。

うまく、スルーしたのだ。

「そのときは、『はい辞めます』って言いました。でも実際には、辞めませんでした」

関パレのフェスタ化を実現

専門学校の職員として、新卒から5年、勤務した。

仕事自体は楽しかったし、生活も充実していた。

仕事以外の時間は、大学時代と変わらず、インターネットラジオと関パレの活動に打ち込んでいた。

2009年から参加して以来、7回の関パレを経験するなかで、関パレを巡る変化も感じていた。

「どのタイミングからかはよくわからないけど、認知度が、かつてよりも一気に上がった気がします」

若い世代にSNSが浸透しているせいか、パレード参加者の年齢層が若返っていると、回を重ねるごとに感じられた。

「大御所が手がけるイベント、というイメージも強かったと思うのですが、年々若い子や大学生が増えてきて。私も友だちを呼んだり」

「2013年までは、歩くことがメインのパレードでした。2014年ごろから、公園やステージでブースを設けて、その周りをパレードするスタイルに変わったんです」

開催形式を変える提案をした。

文字通りのパレードから、フェスタへと発展。

「私ひとりではないですけど、女の子ばっかりの仲間たちがいて、みんなアグレッシブで(笑)」

仲間たちのあいだで、それまでのパレードとは「別のことをやろう」という気運が高まっていた。

「お祭りみたいなのがいいよね」という意見が多かった。

そして、フェスタ形式で開催することになったのだ。
開催テーマは、「自分らしく、ありのままに」。

「そのあと、“アナ雪” ブームですよ。タイミングばっちり(笑)」

約800人だったパレード参加者は1000人に増え、フェスタの来場者数は、約6000人に膨らんだ。

「ゲイリブによる啓発運動、デモ活動としてのパレードだった関パレが、形を変えたということもあるし、より楽しむ場所として人が集まるようになったんかな、と思います」

思い出すにつけ、この頃は本当に充実していた。

10自信喪失を乗り超えて、ドラマで再起動!

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もう、疲れたし

やがて訪れた2015年は、節目となった年、といえるかもしれない。

専門学校を退職。

縁あって、セクシュアルマイノリティの啓発活動をしているNPO法人に入職した。

「でも、私の力不足で、3ヶ月で辞めることになって・・・・・・。期待を超える働きができませんでした」

試用期間の3ヶ月、がんばったつもりだった。

だが、自分のパーソナリティ、自分らしい部分が、業務で求められるふるまいと、微妙にズレていたのかもしれない。

ずっと前向きで、結果オーライと明るく構え、楽天的にやってきたはずだった。

でも、今回のこの経験だけは、精神的にこたえた。

「ラジオもパレードも、いろんな経験をして、議論もしてきて、自負があったのに、人が思う足元にも及ばなかったみたいで」

いちばん辛かったのは、自分のふるまいや言葉が「当事者を傷つけている」という指摘だった。

まさか、自分が人を傷つけているなんて。

今までやってきたことが、誰かを傷つけることだったなんて。
もっと言葉を選ばなきゃいけないんだ・・・・・・。

「すっかり自分に自信がなくなっちゃいました」

精神的に萎縮してしまった。

自信喪失だ。

「セクシュアリティの説明なんか、私がしてはダメなんだって思ってしまいました」

そういえば、関パレの活動でも、言葉の定義には悩まされた。

L・G・B・Tという4文字の名称では、含まれない人たちがいる。
どんな少数派も排除してはいけない。
どんな指向も排除してはいけない。
だから、取りこぼしのないように。

そのために議論があり、建設的に、解決策を見いだしてきた。

だが、精神的な落ち込みは、それまでの行動パターンをも変えてしまう。

「昔は人前で話すことが得意でしたが、全然喋れなくなっちゃって。だから、活動は一旦止めようって」

「もう、疲れたし」

そして、関パレの実行委員を辞めた。

ドラマ作品をネットで公開中!

今年の4月、自らがオリジナルで制作したドラマ『day by day』をyoutubeに公開した。

主役は、クラスメートの女子に恋心を抱く女子高校生。

スマホのアプリでの出会いなど、イマドキのリアルな事情も絡めて、「LGBTのささやかな日常」を描いている。

役者やシナリオのスタッフは、SNSで募った。そこには、自分と同じようなレズビアンの子たちも混じっている。

週末を利用して撮影。映像編集も、好きな作業だ。

表立った活動から離れて、2年が経過しようとしていた。

その間、新たに勤めた会社を、退職していた。

「今、ドラマやりたいなって、ふと思って。時間もあったし、今やりたい、やろう、って感じで、すぐに踏み切れました」

それは、コミュニティに入らなくてもできることだった。

「そもそも、やりたいことをやろうって思いました」

「映像が好きっていうのもあるけど、もし取りこぼしても、文句を言われないことをやろうって。創作物だから、表現の自由だし」

あえてイベントと比べてみる。映像作品なら、後に残せる。

イベントは参加者にしか伝えられないけど、映像なら、家から出られない人にも、遠くに住む人にも、見てもらえる。

「ネットのほうが、本当に辛い人なんかがこっそり、見たりするのかなって思いますし」

正直、パレードやフェスタからは、まだ距離を置きたいのが本音だ。

それに、その頃は就職活動中の身でもあった。

「現状や事実を把握することがまず大事だなって思っているんです。だから、マーケティングリサーチの仕事にエントリーしました」

この2年、いろいろ考えてきたけど、やっと自分らしい表現の仕方を、再び手にしたと感じている。

既存の仕組みや組織には、とらわれない軽やかさがある。
そんな林さんの表現のスタイルは、実は一貫して変わらないのだ。

あとがき
「悲しい話は、ハイ!もう終わり(笑)」。家族の話しが落ち着くと、もやしさんは潤む目のまま笑顔で仕切り直した。「ネガティブな記憶=LGBTとは思われたくない」に共感する■活動を重ねても、常にマッサラな感性を保てるもやしさんだから拓けた道がある。でも、時々立ちはだかる障壁■[人に否定されないと、新しいものはできない]なんて、ことはないか?これまでの全てが揺るぎそうな瞬間は、せめて新しく歩けるヒントをくれるものであったらいい。(編集部)

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