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「性同一性障害FTM」を受け入れて始まる、新しい自分【後編】

「性同一性障害FTM」を受け入れて始まる、新しい自分【前編】はこちら

2018/03/22/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Momoko Yajima
渡辺 絢斗 / Ayato Watanabe

1996年、山梨県生まれ。小学生の時の赤いランドセルに違和感を持つ。中学生でタレントのはるな愛さんを知り、自身も性同一性障害のFTMであると気づく。高校の吹奏楽部でのカミングアウトを経て、家族にもカミングアウト。現在、東海大学情報理工学部に在籍。

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INDEX
01 「女の子らしさ」への疑問
02 モヤモヤし出した、小学校高学年
03 暗黒の中学時代
04 性同一性障害との気づき
05 何者か知って安堵した後も、悩みは続く
==================(後編)========================
06 初めてのカミングアウトは部活の顧問
07 背水の陣でのぞんだ仲間全員への告白
08 受け入れられなかった両親
09 「自分らしさ」はただ今模索中
10 悩みながら出した自分の答えとして

06初めてのカミングアウトは部活の顧問

吹奏楽部へ入部。学校が楽しくなる

高校に入学したある日、吹奏楽部の副部長から、体験だけでもと声をかけられた。
断ることもできず、そのままの流れで入部。

辞めるに辞められず、逆に音楽にはまってしまう。

「しかも吹奏楽部はジャージだったんです(笑)」

一年中、土日もずっと部活漬け。

部活のために学校に行くと言っても過言ではないほど、部活が楽しみになった。

「部活はパートや楽器ごとで分けられて、『男女』で分けられないのがすごく楽でした」

授業中は自分を押し殺し、「あと何時間頑張れば部活がある」と自分に言い聞かせた。

部活は自分を出せる場所で、友だちもできた。

クラスでは男女どちらにもあまり混じらず、部活が同じ子たちと絡むぐらい。

周りからは、喋らない、無口な子だと思われていただろう。

「“近寄るな” オーラを出して、自分から閉ざしてました(苦笑)」

しかし部活では、クラスでのストレスを発散させるように、おもしろいことを言って、ムードメーカーとして部のみんなを喜ばせた。

部活の顧問へのカミングアウト

はじめて、自分のセクシュアリティについてカミングアウトしたのは高校2年生の時。

相手は、部活の顧問の先生だ。

「最初はたどたどしかったです。緊張して、『あのー、えっと』としか言えなくて」

「先生には、『自分は、はるな愛さんの逆なんです』とシンプルに伝えました」

先生はすぐに理解し、受け入れてくれた。

「そうか、つらかったね」

先生の言葉に、泣きそうになった。

「泣かないようにがんばりましたけど、めっちゃ震えてました(笑)」

それまでずっと “死にたい” と思ってきた中で、はじめて「そのままの自分」を受け入れてもらう経験だった。

「生きててよかったと思いました。嬉しかったです」

吹奏楽部には、部内での自分の役割やパフォーマンスは、全力で楽しもうというモットーがあった。

「でも僕自身が全力でやることができなかった。それはやっぱり、隠している自分に引け目や、みんなに申し訳ない気持ちがあったので」

「最後の1年ぐらいは、本当の自分でみんなとやりたいと思って、顧問の先生には『部活の同学年のみんなにも言いたいです』と伝えました」

07背水の陣でのぞんだ仲間全員への告白

セッティングされたカミングアウトの場で

先生は、部員に伝える機会を作ってくれた。

「ひとりでも受け入れてくれなかったら辞めよう」

そう覚悟して、カミングアウトに臨んだ。

「緊張するだろうけど、がんばれ」と先生が声をかけてくれ、部室に入る。

同学年の子だけが集められていたが、みんな、いつもと違う深刻な雰囲気を察したのか、緊張感が伝わってきた。

先生が見守ってくれてもなお、緊張で言葉が出ない時間が続く。

「どうしよう、どうしようって、5分ぐらい黙ってからようやく、『はるな愛さんって知ってる?あれの逆です』って伝えました」

驚いている子、やっぱりねと言う子、そうなんだと言う子、反応はまちまちだったが、概ね、みんなが受け入れてくれた。

「みんな、気にしないよとか、プラスの言葉ばかりかけてくれました」
「今まで僕がつらかっただろうと思って泣いちゃう子もいて、『よく我慢してたね』って言ってくれたり」

言ってよかった。

そう、思った。

自分はたまたま、機会を作ってくれた先生がいて、みんなも真剣に聞いてくれた。

でも、言いたくても言えない人、言えない環境だってあると思う。

「カミングアウトした時は泣いてしまいました。不安と怖さで震えていたのもあります」

「でもたぶん、伝えたい人に伝えられる環境があることへの嬉しさだったんだと思います」

カミングアウトで得た「生まれ変わった自分」

先生からは「言ってくれた勇気を受け入れてやってほしい」という言葉があった後、部員だけの時間が作られた。

「メンバーだけになったら質問ばっかりですよ(笑)」

治療はどうするの? 名前は変えるの? 名前は何にするの? ホルモン注射って何がどう変わるの? 女の子が好きなんでしょ? どういうタイプが好きなの?

「おもしろかったのが、顔も変わっちゃうの? みたいな(笑)。はるな愛さんの影響もあって、整形するのかと思われたんですね」

「驚いていた人もいたけど、変に距離を置かれることもなくて、助かりました」

このカミングアウト以来、自分を知ってほしい人にはどんどん言うようにした。

「カミングアウトすることに、いまだに怖さも不安もありますけど、受け入れられると嬉しさが倍増するので、どんどんオープンにしていこうと、プラス思考になりました」

ありのままの自分を出せる喜びがあったが、反動で、やり過ぎてしまうことも。

「部内恋愛禁止なのに、嬉しさがこみ上げすぎて、同学年の好きな子に告白しちゃいました」

「『部活に集中したいから』ってふられました(笑)。そりゃそうだと思いましたけど、はっちゃけちゃって」

ずっと自分を押し殺して生きてきた人生から、新しい自分に生まれ変わったような感じがあった。

「もう、本能のまま生きてやれ、みたいな感じでしたね(笑)」

3年生になり、明るくなったと思う。
クラスに友だちも増え、高校3年生の1年間はとても楽しいものだった。

08受け入れられなかった両親

どうしても認めてくれなかった母

部活でカミングアウトしてから、いろんなことが少しずつ自分の中で整理できてきたように思う。

大学に入って一人暮らしをしたら、早く治療も始めたい。そんな気持ちが強くなった。

治療を始めれば、見た目に変化も出てくるだろう。

それを知らせないまま帰省して家族を驚かせるぐらいなら、先にカミングアウトをしておいた方がいい。

そう思って、大学進学で家を出る数日前、両親にカミングアウト。

自分は「性同一性障害」だと伝えた。

どこかで、親は認めてくれる、分かってくれると期待があったのだと思う。

だが、母は取り乱し、ずっと泣いて怒っていた。

そんな母を見るのははじめてだった。

「完全に受け入れられるとは思わなかったんですけど、取り乱すほど受け入れられないとも思っていなくて・・・・・・」

母からは、「あなたのことはお母さんが一番知ってるんだから、そんなわけがない」と言われる。

それを聞いて、即座に「ああ、親でも分かってくれないんだ」と思った。

「母には母の理想像があったんだろうと思う」

「でも僕は僕で、ひとりの人間だし、違うんだよなーと思った」

父からの「いま言うタイミングじゃない」

「その時、ずっと無言だった父が、『言うタイミングが違う』と言ったんです」

父曰く、カミングアウトは大学を卒業して、きちんと職に就いてからするべきだと言うのだ。

「僕は大学のうちに全部済ませて、男として普通に就活したいという理想がありました」

「だけど親としては、自立してからカミングアウトして、自分の稼いだお金と責任ですべてやるならいいけど、いま言われても、って感じだったのだと思います」

「そのすれ違いは、まあ難しいですね・・・・・・」

母からは、「本当の性同一性障害の人に、失礼だ」とも言われてしまう。

本当に性同一性障害だったら、そんなに簡単にカミングアウトできないはずだ。
あなたは本当の性同一性障害ではないのだから、それを名乗る資格はない。

そんな風に否定された気がした。

この時は、何時間も話したが、結局悪い空気のまま終わってしまった。

性同一性障害の人たちの中には、親との確執から、親子の縁を切ってしまった人も多い。

自分自身は家族が好きで、縁を切りたいとは全く思っていないが、さすがにこの時ばかりは、自分も親と縁を切らなければいけないのだろうかと悩んだ。

09「自分らしさ」はただ今模索中

母からの手紙とLINE

家を出て半年後の誕生日、母から小包が届いた。

ユニセックスなネックレスと一緒に届いた手紙とLINEには、「時間はかかるけど、気持ちを大切にしたい」とあった。

「少しずつ受け入れようとしてくれてるんだと思います」

「僕も以前よりは、親に対して自分らしさが出せているかな」

たまに実家に帰ってもお互いその話しには触れないが、関心はあるのだろうとは感じる。

「母は気持ちを尊重してくれる人だし、自分で生きていける力があればなんでもいいよと言うタイプだと思う。僕の勝手な想像ですけど」

「なので、大学のうちに手術までやりたいとは思ってるんですけど、焦ってはいません」

「ちゃんと自分の力でやってる証拠を見せられるようになれば、自ずと受け入れられると思っているので」

今は、性同一性障害の診断は下り、ホルモン注射だけ行っている。

「ホルモン治療のことは親には伝えていないんですけど、正直、性同一性障害は自分自身の問題なので、気持ちを分けています」

「もうカミングアウトはしているし、まあ、時間に任せようかなと思っています」

「自分らしさ」を考える

最近は、「自分らしさ」についてよく考える。

男だから、女だから、と分けることが嫌で、「自分は自分らしくいたい」と思ったが、そこで「じゃあ自分らしくってなに?」という思いが芽生え始めた。

「今は、他人から見た自分の印象を、自分らしさだと思うようになりました」

「どれも自分の中にあるから言われるのであって、それも僕の個性」

だから自分で「これが自分らしさ」とは決めない。

昔は自分のことを「こういう人」と決めつけて、諦めたり、やらないことがあった。

「本当は望むことがあっても、たとえば『性同一性障害だから、みんなと違うからやれない』と、決めつけて逃げてたんですよね」

中学や高校で友だちがほしくても、性同一性障害だから友だちができないのだと思っていた。

すごくもったいなかったと思う。

だけど、誰とも接したくなくて、関わりたくなくて、孤立していたあの時の自分があったからこそ、今があるのも事実。

「今は、自分のことを固定したくないんです」

「だから他人から見た自分を信じて、可能性を広げたい。あの頃知らなかったこと、人との関わりを、いま作っていっている感じです」

10悩みながら出した自分の答えとして

「LGBT」であることを受け入れて、その先へ

正直なことを言えば、性同一性障害で悩んでいる時は、『LGBT』はあまり近寄りたくない存在だった。

「当事者なのに、当事者たちに近寄りたくなかったんです」

「『LGBT』にくくられるのが嫌で、途中から自分のことを『性同一性障害』だと言わなくなりました」

でも最近は違う。

「LGBTということを受け入れた上で、『その先に』という感じでいます」

いままでは、性同一性障害だけど別に気にすることないじゃん、と開き直っていたが、それも違う、不自然かなと思い始めた。

他の障害、たとえば性同一性障害より認知度のある視聴覚障害は、視聴覚の障害を受け入れているからこそ、「耳が不自由だから、ではどうしたらいいか」と、周りとの接し方を考える。

「だったら、生まれた時に身体が違うという障害である、性同一性障害も受け入れて、性同一性障害なりにみんなとどう関わっていくかを考えた方がいい」

認知度が低いのは、当事者で声を上げる人が少ないからだと思う。

「まだ性同一性障害って言っても、え!なにそれ!って反応の方が多いですよね」

「性同一性障害と言った時に、『だから?』と言われるぐらいの認知度、関係性にしていきたい」

「そういう社会になるまでは、自分は性同一性障害だと言い続けたいです」

悩んで悩んで悩みまくって見つけた自分だけの答えは信じていい

今は、何より自分の気持ちを大事にしたいと思う。

「自分に引け目がある時期が長かったので、今はその反動ですね。自分という人を受け入れてあげたいという気持ちが大きいんです」

苦しみの渦中にある人にも伝えたい。

「なんでこんなに悩まなきゃいけないのか、こんなに苦しくなるのかって思うかもしれないけど、悩む時って、何かしら壁にぶつかってる時」

「それは成長するチャンスでもある」

「悩むときはとことん悩んだ方がいいし、それで見つけた自分自身を受け入れてほしいです」

自分で悩んで、見つけた答えは、信じていい。

ただその時、周りに合わせたり、自分に嘘をつくことはしないでほしい。
開き直ると、自分に対しても周りに対しても、どうでもよくなってしまうから。

「嫌でも向き合えば向き合うほど、悩むし、遠回りに見えるんだけど、結果として近道になるはず」

「でも、逃げると本当の遠回りになっちゃう」

「壁にどう向き合うかが大切で、その結果、分からないという答えなら、それは分からないでもいいと思う」

その答えがみんなと違っても、その人が見つけた答えだったらなんでもいい。

自分は悩んだ結果、LGBT、性同一性障害をもっと広めたいという答えが出た。
それを信じていろんな行動をしているだけ。

もしかしたら、手術して就職して働いて給料をもらうというのが答えだ、という人もいるかもしれない。

それでいい。

次に進みたいのなら、自分なりに答えを出すことだ。

「自ら動くと、ダメなことは周りが指摘してくれるんです。だからこわがらずに答えを出していけばいいと思います」

まだまだ自分自身、変化を遂げている最中だ。
でも、苦しみ、悩み続けてきたからこそ、今の自分がある。
出した答えが正しかったのか、間違っていたのか、それは分からないけれど。
可能性という名の羽を、めいっぱい伸ばして、まだ見ぬ自分自身を楽しんでみたい。
未来は、まだすべて自分の手の中にあると信じたい。

あとがき
「GIDを受け入れられたら、周りからの評価もそのまま受け入れられた・・・」。これまでを振り返りながら、今もずっと変わり続けている。ジワジワのようで、ダイナミックな絢斗さん■急がばまわれ。悩みは何度も押し寄せて、いつの間にか支配してくる。親友にはしたくないけど、付き合うかって思う■「悩むときは、とことん!」には、自分らしさのスイッチをくれた友人の顔が見えた。自分って何? の問いかけは、ときどきの絢斗さんが答えを出していく。(編集部)

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