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MTFの女子プロレスラーとして、伝えられることがあるのなら【後編】

MTFの女子プロレスラーとして、伝えられることがあるのなら【前編】はこちら

2017/12/15/Fri
Photo : Tomoki Suzuki  Text : Momoko Yajima
朱崇花 / Asuka

1998年、宮城県生まれ。小学3年生から父の影響でレスリング、日本拳法を始め、小学6年生の時にレスリング全国3位の成績を収める。レスリング推薦で入学した仙台育英高校を自主退学し、プロレスの道へ。2015年8月、トランスジェンダーであることを公表した初めての女子プロレスラーとしてデビュー。プロレス団体WAVE所属。

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INDEX
01 MTFの女子プロレスラー、朱崇花
02 女の子っぽい、男の子
03 孤独――子どもっぽい子どもじゃない
04 レスリング推薦で入った高校
05 女装を始めて、解放されていく心
==================(後編)========================
06 父へのカミングアウト
07 懸案だった母への告白
08 性同一性障害と仕事
09 トランスジェンダーのレスラーとして
10 自分をしっかりともっていれさえいれば

06父へのカミングアウト

高1の誕生日に泣きながら父に告白

仙台に残っていた父とは、一緒に住んではいなかったが、時々会う関係ではあった。

ちょうど16歳の誕生日の10月、せっかくだからどこかに行こうと、山形へ旅行に誘ってくれた。

そんな、旅も終盤。

車の中で父と進路の話になった時だった。

「その頃は、高校のレスリングもちょいちょい成績残していた時期。父から、もっと頑張んなきゃな、そろそろ大学から声がかかってもいいんじゃないか、将来どうしたいんだ? みたいなことを聞かれて」

「自分の将来のことを本当に考えてみた時に、一生このままは嫌だなと思って、泣けてきてしまって」

せっかくここまで我慢したんだ。

あと2年辛抱して、東京の大学なりに行けば親元も離れられるし、そこから女装しようが何をしようが、レスリングさえやっていればバレないだろう。

あともう少しの辛抱だ・・・・・・。

そう思っていたのに。

「やっぱり、できなかった」

大号泣。

もう、どうにもできなくなってしまった。
言うしかない、と思った。

「でも結局なかなか言えなくて、『実はね・・・・・・』というのを繰り返して」

3時間ほど泣いた後、「実は男の子が好きなんだ」と言った。

父は驚いていた。

「女の子は好きじゃないのか?」
「うん、ごめん。興味ない」
「じゃあ、レスリングも嫌なのか?」

父に問われる。

レスリングも嫌で、丸坊主の髪型も嫌、なにもかも嫌なんだ、と伝えるのが精いっぱいだった。

父の答えは、「生きたいように、生きなさい」だった。

生きたいように生きなさい

絶対に、家族にだけは知られたくない、言えないと思っていたから、まさか一番最初に家族に話すことになるとはと思ってもいなかった。

しかし、父には反対はされないだろうと、どこかで思っていた。

それぐらい父の愛情は感じていた。

父は優しい人だ。だからこそ、悲しませたくないから言えなかった。

ただ、16年間偽った自分を見せていたので、本当のことを言うのがとても恥ずかしく、まともに父の顔を見られなかった。

「父が助手席に座って、私は一番後ろの座席で、顔が見えないように手で隠して泣いてました(笑)」

女装することで、心の底から楽しいという思いが高まって、もう自分を偽っていることができなくなってしまったのだと思う。

カミングアウトした瞬間、目の前がバーッと開けた感じがした。

もう、何にもとらわれなくていい。

レスリングも何もかも捨てていいんだ。

「やりたいことをやりなさい」という父の言葉は、自分の心をふわりと軽くしてくれた。

07懸案だった母への告白

逃げ道を作ってからのカムアウト

母には、自分からは言えなかった。

「男のふりをして生きていけば済むんだろうと思って、本当にずっと隠してたんです」

「そんな、自分のことを『オレ』とか言ってた人間が、実は心が乙女でしたとかすごく恥ずかしくて」

16年間、母のためにレスリングや格闘技の成績を残してきたようなもの。

そんな母に知られるぐらいなら死んでもいい、それほどに思い詰めていた身としては、合わせる顔がなかった。

父から連絡がいったのだと思う。

父へのカミングアウトから少し経って届いた母の手紙に、否定の言葉は一切なかった。

「学校辞めてこっちに戻ってくるなら、戻ってきなさい」といった言葉が書かれていた。

あんなに心配していた家族の誰からも、否定されなかった。

LGBTタレントたちのおかげで

「性同一性障害」という言葉については知っていた。

自分が、好きになるのが完全に男性で、しかも女性のかっこうをするのが好きなのだと気づいた頃、ちょうどテレビではセクシュアルマイノリティのタレントたちが活躍していた。

「それこそマツコ・デラックスさんとか、はるな愛さん、いろんなジャンルの方たちが出てきたのが、だいぶ励みになりました」

「自分は誰に一番近い部類なんだろうなって考えるようになりました」

特にマツコ・デラックスがテレビに出ていることが、すごくうれしかった。

「メディアに出演して自分をさらけ出すのって、やっぱりすごく勇気がいることだと思うんです。私も、ノンケというか、ふつうのセクシュアリティの人には、誰にも理解されないだろうって思ってたので」

「でも、マツコさんがテレビに出てくれたことで、マツコさんみたいな人には理解してもらえるのかなあって、すごく励まされました」

マツコ・デラックスをテレビで見ていて、印象に残った言葉がある。

「『何かを得るためには何かを犠牲にしなきゃならないのよ』って言っていて」

「それを聞いた時に、また視界がパーッと開けました」

08性同一性障害と仕事

筋肉があるトランスジェンダー女子でもできる仕事

女性になりたいのに、筋肉ゴリゴリな自分。

最初はそれがとても嫌だった。

でも、カミングアウト以降、マツコ・デラックスの言葉を反芻しながら、「女性として筋肉があってもできる仕事ってなんだろう」と考え始めていた。

父へのカミングアウトから数か月。

美容師、ダンサー、ヘアメイクなど、将来の選択肢をいろいろと考えた。

「本当にやりたいものは何かなと思った時に、そういえば女子プロレスを見てレスリングを始めたんだと思って」

思春期のこの時期、一般的には高校に通って、友だちと遊ぶのを楽しんだり、親に反抗したりしている年齢だ。

でも、すごく仲の良い友だちというのもいなかった自分にとって、「みんなと同じ」道に進むことに未練はなかった。

定時出勤、定時退社という、サラリーマンみたいな生き方はできないだろう。

結婚とか、そういうこともないんだろうな。

そう、考えたら、「あれ? じゃあ、何してもいいんじゃないの?」と思えた。

「筋肉があるのは仕方がない。でも女性になりたいのだったら、プロレスはすごくいいんじゃないかなと」

どうせ周りと違う人間なんだ。
やるなら早い段階で動いた方がいい。

決断したら、行動する。

自分の “原点” に立ち返って、憧れ続けた浜田文子の所属団体にメールを送った。

高校中退後、プロレスと通信制高校を両立

高校のレスリング部は、強い先輩も熟練の指導者もいない状態が続いていた。

せっかく強くなろうと思って入ったのに、強くなれる環境もなく、モチベーションも上がらない。

このまま続けても意味がないと思ったが、レスリング推薦で入学したため、レスリングを辞めたら学校も辞めなければならない。

ただ、家族はやりたいことをやったらいいと言ってくれたし、無理をしてレスリングを続けるより、自分が納得する生き方をしようと思った。

ためらいは、なかった。

1年生が終わったところで仙台育英高校を退学し、母のいる神奈川へ戻る。

母に会ったのは、プロレス入団が決まった後だった。

「心の中で逃げ場を作っておくというか、もし母から何か言われても女子プロレスがあるし、みたいな言い訳ができるかなと思って」

久しぶりに会った母は、「もう知ってたよ」くらいの勢いで、ポンと化粧品をくれた。

5月にWAVEに入門。

プロレスに専念しようと思ったが、やはりこのご時世、高卒の資格ぐらいはあった方がいいと、周囲みんなの勧めもあり、通信制の高校へ通った。

練習と試合と勉強とを両立させ、今年の5月に単位をすべて取得、晴れて高校卒業となった。

09トランスジェンダーのレスラーとして

プロの世界に性別を批判する声はない

2015年に “性同一性障害の女子プロレスラー” としてデビューし、メディアにも取り上げられた。

「そういう取り上げられ方に、ぜんぜん抵抗ありませんでした。むしろ知ってもらった方がいいです」

「自分もマツコさんたちに元気をもらったので、同じような立場にある人たちに私のような人がいることを知ってもらって、元気になってほしい」

「それに私、いままでずっと、 “陰” な感じだったんですよ」

「目立ちたいけど目立てないという環境で。だからテレビに出るのも、どうぞ見てくださいっていう。はははは(笑)。気持ちよかったです」

キャラクターとして、ゲイや女装でプロレスをやるレスラーはいるが、一緒にされたくはない。

あくまで自分は「女子プロレスラー」であることにこだわる。

しかし、未治療で、身体の性別としては男性だ。

批判があったのかどうか、それは分からない。

「私が鈍感なのかもしれないんですけど、身体能力が高いと言われることはあっても、批判というのはほとんど耳に入って来なくて」

「男子より強い女子もいっぱいいるから、別に性別が違うだけだって開き直りもありました(笑)」

所属団体では、男女混合のミックスドマッチで、女子レスラーが男子レスラーと戦うこともある。

「ここはプロの世界です。一般の人ならともかく、同じプロの女子レスラーから『フェアじゃない』とか、そんな小さいこと言われることはないですね」

完璧に女性の身体にするのは、プロレスを辞めてから

16歳で母と一緒に病院に行った。

当初は、ホルモン治療も性別適合手術もして、完璧な女性になりたいと思っていた。

ただ、年齢的にも本格的な治療が難しいこともあったし、いまは完璧な女性になるより、与えられたポジションでどこまでやれるか、その挑戦が楽しい。

「男性ホルモンは止めたいんですけど、手術までしたいという願望はなくて」

「ふつうにお腹の上にジャンプしてきたりしますからね。胸を入れたとしても、破裂だとかそういうことになりかねない」

プロレスを続けている以上、身体にメスを入れることは危険を伴う。

引退はまだ考えていないので、いまのところはこの身体のままどれだけ女性に近づけるか、その努力を楽しもうと、ポジティブに考えるようにしている。

「プロレスはもういいかなと思えるぐらいになった時に、じゃあどうしようかと考えると思うんですけどね」

いまはまだ、プロレス第一だ。

10自分をしっかりと持っていれさえいれば

ふつうの女の子の生活

とは言え、それまで坊主の男子として本当の自分を隠して生活してきた。

プロレスの世界に入って初めて、“女子として” の生活が始まったのだ。

いきなりガラリと変わった環境に、最初はついていけなかった。

「戸惑いましたね。男子社会にいたから、女子の世界って初めてで。ええ!って思うことも多かった(笑)」

でも最近は、女友だちも増えてきた。

「誰かと一緒に、これまでできなかったことができているのがすごく嬉しい。誰かと横に並んで歩いているだけでも楽しいんです」

もう、誰にもトランスジェンダーであることを隠す気はない。

「受け入れてもらっていること自体、ありがたいと思います」

最近は、自分と同じような同年代のトランスジェンダー女性と知り合いたいと思っている。

「新宿二丁目とかも、女性が男性のかっこうをするお店には連れて行ってもらうんですけど、逆はほとんどなくて。行ってもすごく年齢が上の方が多くて」

女友だちは増えたが、恋愛にしても、仕事に対する見方にしても、まるっきりの女性、まるっきりの男性に話しても、ちょっと違うと感じることがある。

やはりトランスジェンダー特有の妥協など、いろいろと分かち合いたいこともある。

「同年代のMTFの人と出会わないので、どうやったらそういう友だちができるのか知りたいです」

海外のリングでチャレンジすることを目標に

競技のレスリングとプロレスはまったく違うが、レスリングの下地があるからこそ、それを生かしたプロレスができるのが自分の強み。
空中殺法が特徴的なメキシコのプロレス「ルチャ」のスタイルに、レスリングの動きを取り入れた “朱崇花のプロレス” をどんどん開拓していきたいと思っている。

「ハングリー精神がないと上に行けない世界なんです」

「やっぱり甘えがあると潰されちゃうので、常に目標は持っていたいし、いつか海外のリングにも立ってみたいです」

憧れの浜田文子選手がいまメキシコに帰っているが、その背中を追いかけてメキシコにも行ってみたい。

それにやはり、アメリカで自分の力を試してみたい。

「海外は受け入れ態勢が日本とはだいぶ違うと思うので、海外でレスリング、プロレスをすることで自分の違う部分が見えてくると思うんです」

その上で、世界一の団体WWEのリングに立てるぐらいのレスラーになるのが夢だ。

「自分をしっかり持っていれば、誰に何を言われてもブレずに生きていけるんだと思う」

「だから、もし今、自分が苦しい状況にある人でも、自分が『こうしたい』ということがあるなら、それに向かって邁進してほしい」

「全員に受け入れられようとは思っていないんです。だけど誰かひとりでも自分を理解し、応援してくれる人がいるのなら、その人のためにがんばっていきたいなと思います」

かつては、 “誰かのために” 嫌々レスリングをやっていた自分。

今は「誰かのため」そして、「自分のため」にプロレスをしている。

夢は大きく、高く掲げて。
19歳の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

あとがき
「私は何(のセクシュアリティ)ですかね?」。朱崇花さんの質問。答えは “朱崇花さんだ” と思った■取材場所は花で飾られたカフェを選ぶ。美しい真紅のバラに囲まれた朱崇花さん。大胆さと心遣いのバランスが魅力だ。そして、お話しをそのまま記事にしたら、面白く誇張してると思われる?って気になるほど、自由に振り返る■文房具でメイクアップ、ヒールをはいて街を歩いたエピソード。キラキラした表情。そんな場面になぜか涙が溢れそうになった。(編集部)

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