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幸せに生きるリアルなレズビアン像を発信していきたい【後編】

幸せに生きるリアルなレズビアン像を発信していきたい【前編】はこちら

2018/01/25/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Mayuko Sunagawa
土屋 朝美 / Asami Tsuchiya

1982年、千葉県生まれ。地元の小・中学校に進学し、中学ではバレーボール部に所属。歯科衛生士の仕事を経て、現在自営業を営んでいる。現在、9歳下のパートナーと同居中。パートナーの影響もあり、テレビやラジオなどメディアに多数出演。

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INDEX
01 ごく普通の幸せな日々
02 あたたかかった家族との記憶
03 好きな人は女の子、付き合う人は男の子
04 青春を謳歌した思春期
05 女性が好き、でも結婚したい
==================(後編)========================
06 レズビアンとして生きる決意
07 母と過ごした最期の2ヶ月間
08 家族へのカミングアウト
09 最愛の人と家族に
10 これからの夢、やりたいこと

06レズビアンとして生きる決意

元カレとの別れ

付き合ったり別れたりを繰り返してはいたが、18歳から24歳まで付き合った彼氏がいた。

すごくやさしくて人として尊敬ができる、かっこいい人だった。

「彼が私にしてくれたことを、自分が好きな女の子にしてあげたいと思いました。それくらいやさしくていい人だったんです」

彼はベタベタしたくない私を受け入れてくれた。

「一緒にいるだけでいい」と言ってくれた。

いつかこの人と結婚するんだろうなと思っていたし、親にも会わせていた。

でも、いよいよ結婚が現実味を帯びてきた時に、やっぱり男の人と結婚するのはできないと思い直すようになった。

「もしこのまま結婚したら、相手を苦しめることになる、相手に悪いなと思うようになったんです」

「人としては好きだけど、それ以上の感情にはどうしてもなれませんでした」

「もし結婚したとしても、いずれ自分が耐えられなくなってしまうのではないかと思ったんです」

そこで、彼に「私は本当は女の子が好きだから、これ以上は付き合えない、結婚もできない」と伝えた。

彼は「朝美がそうなら仕方ないけれど、ずっと待っているから」と言った。

「彼の心の中では『相手が女の人だったら結婚はできないし、長く付き合ったから、何だかんだで自分のもとに戻ってくるだろう』と思っていたんでしょうね」

彼に自分の正直な気持ちを伝えることができて、とても晴れ晴れとした気分だった。

ずっと心の奥にあったしこりがほどけた気がした。

レズビアンとして生きていく

自分をレズビアンだと認められたのは、何か大きなきっかけがあったわけではない。

雪が溶けていくように少しずつだった。

人との出会いや別れなどさまざまな経験を経て、自分のセクシュアリティを認められるようになったのだと思う。

「いろんな人に出会って、良い縁に恵まれてきました」

その一つとして、長く付き合った彼氏との別れは大きかった。

「結婚するなら彼しかいないと思っていたので、その彼と結婚しないなら、自分はもう一生結婚しないだろうなと思いました」

もう自分は女の子しか好きになれない、結婚は無理だと覚悟した。

同じセクシュアルマイノリティとの出会いも、自分はレズビアンだと認められた一つのきっかけであったのかもしれない。

セクシュアルマイノリティの仲間と出会ったのは、20歳の時。

友人と新宿二丁目に飲みに行くようになり、イベントでいろんなセクシュアルマイノリティの人たちに出会った。

「レズビアンの友だちがどんどん増えて、みんな人の目を気にせずふるまっているのを目の当たりにしました」

レズビアンだと周囲から異質に見られてしまうという、自分の中にあった偏見。

それは、多くのレズビアンの友だちと交流するにつれて薄れていった。

07母と過ごした最期の2ヶ月間

突然の母の病気発覚

26歳の時に、母の病気が発覚した。

すでに肺がんの末期。手術もできず、余命わずかだと宣告された。

残された時間を母とできる限り一緒にいたい。

すぐに職場に休職を願い出て、妹と一緒に病院に泊まりこんで看病した。

「痛そうにしているお母さんを見ているのは辛かったし、それを見ている妹の姿も可哀そうでした」

辛い時間が多かったが、それでも体をさするなど自分たちにできることをできるだけやった。

だから、後悔はしていない。

最後には、家族で温泉旅行に行けたこともよかった。

「亡くなる前、痛み止めで意識がもうろうとしている中で、母が『ありがとう』と言ってくれたのが忘れられません」

病気発覚からわずか2ヶ月で亡くなってしまったが、その闘病生活は、家族と濃密に過ごせた時間だった。

「決して泣くような父ではなかったので、母が死んだときに父が泣く姿を初めて見ました」

自分がレズビアンだということは、結局伝えられないままだった。

闘病中であったため、母に負担をかけたくないと思った。

だから亡くなった後、母に宛てた手紙に伝えたかったことを書いて棺桶の中に入れた。

天国できっと手紙を読んでくれただろう。

生き方を見つめ直す

「母の死を目の当たりにして、人が死ぬのってこんなにあっけないんだな、と思いました」

それまで死について深く考えることはあまりなかったが、母の闘病生活や看取りをきっかけに、「生」や「死」を考えるようになった。

また、自分の人生についても振り返るきっかけになった。

自分らしく生きていこう、人間はいつか死んでしまうのだから。

自分にウソをつかずに生きていこう。

今の自分をちゃんと認めて、ちゃんと受け入れてあげよう。

そう思うようになった。

また、一緒に母の死に向き合った妹と父との関係は深まり、以前よりも良好になった。

「昔から妹とは仲がよかったのですが、より一層仲よしになりました」

「父も昔に比べてだいぶ丸くなった気がします」

08家族へのカミングアウト

妹へのカミングアウト

以前から妹にはカミングアウトをしようと思っていたが、なかなかよいタイミングが見つからなかった。

カミングアウトをしたのは、母の闘病生活中。26歳の時だ。

「ずっと一緒にいたので、ちゃんと自分のことを話したい、知ってほしいと強く思うようになりました」

自分がレズビアンであることを妹に話すと、妹はすんなりと受け入れてくれた。

「『そうだったんだね。気付いてあげられなくてごめんね。辛かったよね』と言ってくれて、2人で号泣しました」

妹に言えたことにほっとしたし、受け入れてくれたことが心底うれしかった。

「自分の中で、妹にカミングアウトできたのは大きかったです」

「カミングアウトをしたことで楽になれたし、周囲の人にもオープンな気持ちになれました」

父へのカミングアウト

2015年にパートナーと結婚式を挙げることになった。

早稲田大学の学園祭で行われたイベントの一環だ。

結婚式を挙げるからには、父に何も言わないわけにはいかない。

それまではパートナーのことを、ルームシェア中の友人として実家に連れて行っていたので、父も知っていた。

父はパートナーのことを私の大切な友だちという認識だったと思うが、自分の娘のようにあたたかく接してくれていた。

家族旅行に一緒に連れて行ってくれることもあった。

でも、自分がレズビアンであることや結婚の話をするとなると、父がどんな反応をするのかまったくわからない。

怒られるのではないかと、すごく怖かった。

パートナーと2人で実家に行き、2人で父にカミングアウトをした。

「昔、友だちだと紹介した女の子とは、実はお付き合いをしていたこと、今のパートナーも恋愛関係にあること、結婚式を挙げる予定があることを話しました」

「頭が真っ白になっていたので、その時のことはうまく思い出せません」

父の反応は拍子抜けするほど、すんなり受け入れてくれた。

「『お前もいろいろ悩んでいたんだな』『これから2人で頑張れよ』」

「『今の日本ではまだ難しいけれど、いずれ日本も同性婚が認められる時がくるはずだから大丈夫だよ』『同性婚が認められたら、俺が正式な結婚式を挙げてやるからな』と言ってくれました」

父に言えたことにほっとして、パートナーと2人で泣いた。

09最愛の人と家族に

パートナーとの関係

現在、9歳年下のパートナーと同居している。

8年近く前、共通の知り合いを通じて出会った。

その時は大勢いる中の一人だったため、深い話をすることもなく距離は縮まらなかった。

その後、2度目に偶然会った時にうまく会話が噛み合い、それからお互い惹かれ合っていった。

しかし、初めはお互い別のパートナーがいたこともあり、ゆっくりと距離を縮めた。

紆余曲折がありながらも、出会ってから1年以上経って付き合うことになった。

それからもう7年経つ。

長続きの秘訣は、遠慮せずに何でも言い合うこと、意見がぶつかっても次の日には何事もなかったように接することだ。

「私たちケンカをよくするんですが、次の日になればケロッと何事もなかったかのようになれるんです」

「何日も引きずることはないですね。時間が経つと、どうでもいいと思ってしまうんですよ」

恋愛関係から本当の家族に

7年経つと、2人の関係性も変わる。

付き合い始めのドキドキするような恋愛関係から、安心や信頼が深まって穏やかな関係になってきている。

お互い相手のことをかけがえのない存在だと思っている。

「彼女とは何があっても一緒にいるだろうなと思うし、いないことは想像できません」

「きっと死ぬまで一緒にいるんだろうなと思います」

「今はもう完全に家族。家族になっていますね」

また、自分たちだけではなく、最近はお互いの家族も含めて将来のことを深く考えるようになった。

家族同士の距離が近く、家族が1つのチームのようになっている。

「妹や父とか自分の家族だけでなく、彼女のお母さんもすごく大事な存在です」

「最近では、みんなで今後どうしていきたいのかを、具体的に話し合うようになりました」

10これからの夢、やりたいこと

子どもがほしい

将来の夢は、2人で子どもを育てること。

「私とパートナーで1人ずつ産むことができたらいいですね」

子どもを授かる方法には、さまざまな選択肢がある。

「できれば国内の精子バンクを利用したいのですが、現状は婚姻しているカップルにしか提供されないので難しいんです」

「個人間でやり取りする方法もありますが、それはちょっと怖いですし」

現在、ベストな方法を模索している最中だ。

また、経済面でも子育てができるようなしっかりとした土台を作っていきたいと思っている。

「大変なことは死ぬほどあると思うんですが、それでもいつも笑って家族みんなで暮らしていけたらいいなと思います」

ひと昔前に比べたら同性婚に対する社会の認識は変わってきているが、今後さらに良い方向へ向かうことを期待している。

「国に同性婚を認めてもらえたら、という気持ちが大きいですね」

「それがあるのとないのとではまったく状況が違ってくると思います」

国が認めることで、社会の人々の認識も変わっていくと思う。

「同性婚が認められている海外在住の友人がいるんですが、そのレズビアンカップルの周りには、ごく普通に子どもがいると聞きます」

「『(レズビアンカップルの存在や子育てすることは)当たり前だよ』という話を聞いてうらやましいな、日本もそうなったらいいのになと思います」

「教育機関でも多様な性があることをもっと教えていくようになると、少しずつ多くの人に受け入れられていくんじゃないかと思います」

家族のあり方がより寛容に変わっていくといい。

自分たちができることを

「人権活動家のような方たちみたいに、制度を変えていくというやり方は自分には難しいのですが、今できることをできる範囲でやっていきたいと思っています」

「レズビアンでも大切なパートナーがいて、幸せに暮らしているというリアルな自分たちの生活を、世間に示していけたらいいと思っています」

「今後はメディア出演だけじゃなくて、ユーチューブ番組を持って自分たちで発信する場を作っていきたいと思っています」

これまで声を上げてくれた多くのセクシュアルマイノリティの人たちのおかげで、今の自分たちがある。

自分は大それたことはできないが、自分ができる自然で好ましいやり方、得意な方法で声を上げていけたらいいと思う。

少しずつでもセクシュアルマイノリティに対する社会の見方や社会制度が変化していくことを期待している。

あとがき
「初めまして!」。華のある笑顔で待合せ場所に来てくれた朝美さん。飾らない人だとすぐに感じた■言葉にしてしまうよりも、もっと味わって頂いた方がいいのかも、とインタビューで感じることは少なくない。朝美さんの取材もそう、言葉にはまだなっていないことをたくさん見つめてくれた■大切な人の看取りは、悲しみとともに「生」を教えてくれる。限られた時間の中で、どのように生きるのか?お母さんは、今も朝美さんに伝え続けている。(編集部)

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